#目次

最新情報


選出作品

作品 - 20140226_827_7327p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


Have a nice trip

  破片

そこにトリップがある。
目の前を通過していくバスの額には、知らない銀河系の名まえが記されている。路面を噛んで離さない車輪の溝に、いつの日か、人間の手で取りあつかえない鉱石の欠片が擦り込まれ、ぼくたちの瞬きの狭間へ、鋭く青い炎の閃きを残していくだろう。

そこにトリップがある。
ぼくは、つまり、一種の病気なんだと。誰にも伝わらない金属質の言葉を静かに訴え続ける。あなたは介抱してくれる。ダウンに落ちた、静かな高ぶりを、旅立たせてくれると、残るのはぼくだけで、少し雑に触れるあなたの指先はいつも、太く強靭な鋼線に区切られた青空を指したあと、消えてなくなっていく。あなたは解放してくれる。心に囚われていく、心が。ぼくを作り出す電気信号を導いて、いつも、正しい方向に。ただ、生活を忘れようとするぼくをいつまでも黙って見守り続けてくれていた。帰ってきたときは必ず、ぼくはあなたに惹かれている、あなたを忘れるまで。あなたのあったかい言葉の一つ一つが、いかなる言語にも翻訳できなくなって、あなたに恋しつづけたまま、言葉が声になり、そしてスケールもメロディもない音に成り下がるころ、青空の色合いは三回変わっているだろう。また再びあなたを覚える。

そこには青い炎と、旅路がある。
火は、水面の上の、
刻まれた模様が
すぐに均される
脆い道筋の轍を辿る、
だから青いんだよ、
外へ出ようとする
多くの乗客は
身じろぎもしないまま
ギリシャ文字の
四番目までを手に取り
全て
夢の中のことであれば
と、
祈る
一度も光ることのない
祈りの手つきの、

せんせい、
目盛りの中の、目盛りを、
あと、その中の
もっと小さな目盛りを
数えていたら、
暖かくなってきました
雪が、空中でとけていく
もう寒い日は
来ないのですね
あふれだす陽射しを受けて
せんせい、
前髪がそっと流れる
またいつか、

全ての整数が、1の倍数であると
誰も教えてくれなかった
永遠に連なる、数の車両には、
あなただけが乗り込んでいる
ぼくたちの大地から、
南十字星へと到達して、もっと長く、
永く

触れることができない、それは、凪いだ青空との距離に似ている。
空は見えている。指は届かない。ただ滑らかな表面を切り刻む鋼線にも。
そこにはぼくたちが通っている。ぼくたちはぼくたちに触れることさえできない。
無限には至らない距離を、ぼくたちは無限と呼んでいる。
人が死ぬことのできる電圧を通しておきながら、人はみな穏やかに暮らしている。

そこにトリップがある。
小さな渦潮が巻き続けて、いくつもの銀河になるこの海を、忘れることはできない。砂浜には眩しい石灰質の足跡が、保存され、打ち寄せる波が、それをずっと浚うことなく、ゆるやかにうねる。波間に浮かぶ何番目かもわからないギリシャ文字と、時おり弾ける新たな文字が、少しずつ海を揮発させていくだろう。産み出される銀河はどこまでも青く海の色をしていて、青く、炎の色をしていて、ゆっくりと、自ら蒸発し、絶えていく。すべての物質と、生命を燃やす海が干上がっていくから、箱舟はいらない。あたたかい手も言葉も。数を記すための指が残るはずもない。声に火が点く、青い海水が、車輪のついた鉄の箱を飲み込む。

解析され尽くした音階で、喋り声はぶ厚くたるんだ。縦、横、斜めに交錯する人々の赤らんだ表情がとても生々しくて、羨ましいと思う。静かに繋がれている手を引き千切る、奔流の中で、握り込まれて白くなった指の節々が、じんわりと感覚を放していく。
海からの風で、あなたは不機嫌になる。潮の香りは青いのに、悲しそうな顔をする。かなしい、と発音するための脈拍で、あなたの身体が透過していく。決して凍りつくことなく、そのあととけ出すこともなく揺らぎ続ける海面の中を、ぼくたちはずっと漂っていたいだけだったのに。冬の海の中を。冷たくも、あたたかくもなく、ただ炎が燃えることのできるだけの温度を宿して。

音階と、色彩と、
その二つに
ぼくたちは還元され、
いるはずのあなたが
いない
見えている、
いない

並置された宇宙や、
その中の銀河を
そして恒星と、
星座、新しい
文字の連なりと、
口笛を吹く
音に火が点り、
トリップという
言葉を囲う
いくつもの注釈を
数えて、
数に変換されたすべての、
硬くあたたかい文字を、
紙のように軽やかに
破り捨てていく

冷たい晴れの日に、
せんせい、
霜はどうして
寒い土の下が
好きなんですか
あったかい処に
生まれてみたいと
どうして
思わないのですか

季節が廻らなくても、
海は、熱いです、ね
爪先の届かない
深い処では、
また、かなしみに
青く暮れていく
ぼくたちが、生まれ、
生まれていることを
忘れるまで
燃え続けている
そこで、
少しずつ削られ
金属でできた珊瑚礁が
崩れていった
立ち上がる気泡の中に
超新星の熱と、輝きを
虹彩の、向こう側へ、と

せんせい、
あなたは、
日向が嫌いだった
ぼくの手の中に
深海の中央に
世界中を繋ぐ電導線に
目の前の雪解けにある
青い炎を
永遠に
見守り続ける恋人
トリップはまた、
ひどいダウナーみたいだ
青くて、そして冷たくも
あったかくもないけど
なんとなく、熱いよ
あらゆる音階が沈黙して
色彩は残らず青に
収束していく
言葉だったものが
悲鳴を上げて
分解していく
果てしない数の森に住む
せんせい、
あなたを残して、
どうして
右へ進むことしか
できないんだろう

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.