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作品 - 20140210_496_7305p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


現象の冬

  破片

か細い手つきで摘み取られた
ピアノの音みたいな雪が
無様に弾けて
着地すると、そこから
ひたひたと
硬い水が鉱物に染み込み
反対に、
ぼくから、あなたが
染み出していく
溶媒となる雪や、ぼくが、
晴れ渡りそうな明け方に
焼かれていなくなる
あなたは
凍りついていく一切の
旋律を蹴散らしていく

スエード生地のブーツ
濡れて黒くなり、爪先には
いつだって凛とした音階を
くっつけて
ぼくは見ている、
あなたが楽しそうに歩くのを
ぼくはずっと見ている
つもり
歩いているのはぼくで
歩いているのはあなたで
ぼくの少し張った肩幅が
あなたの滑らかな肩の線から
ずれてはみだす
その度に誰かが死ぬので
泣いてばかり

死んでいった人たちは
今何を思っているか、なんて
何も思っていないだろう
やたらと乾いているだけの
冬にも、たまには雪が降るけど
一日か二日で消えてなくなる
そんな感じ
あなたも、そんな感じ
知ってくれればいいんだ
だから、積った雪は融ける、
音も感傷もなく

ぼくの中にあなたがいるだなんて
そんな風に言うつもりはない
その言い方が何を表すか
ぼくにはまだわかっていないし
しかも事実ではないように思う

幻象という語彙
多分ここでぼくはけつまずく
あなた、幻象(?)
そんなわけがない
あなたの匂い
あなたの声、そしてなで肩
全部感じ取れる
それらは一つの楽曲として
抑揚や強弱、
出張り、引っ込む、
弾んで落下するあらゆるものを
指し示している

路面は凍り、さらに黒く
冬は厚く
冷たい空気を地上に押し込み
あなたはぼくから
染み出していく、今

きょうとあしたの境目で
もうすぐあした、が
きょう、になるこの座標点で

長い髪を下ろし
もこもこと可愛らしい
防寒のファッション
顔の半分がマフラーで隠れて
とても不細工だよって、
本気でひっぱたきにくるから
言わない
雪で織られた
服を身に着けて寒くないかと
ぼくはいつも心配だった
でも触れてみると
やっぱり毛や綿で出来てて、
体温の、あったかい

いっこ、涙が流れる
ぼくはピアノが弾けない
あなたは中空で
鍵盤を叩きながら
また、泣く
陽射しが屋根と屋根の間から
漏れ出てくる
地平線からあなたが射抜かれる
ぼくは幻象じゃないから
あったかく、受け止める
人が死ぬ
半分も見えていない
太陽の裏側で
昼と夜とが混ざり合って
何も見えなくなるその
スケール、狭間、
黒く艶々したピアノに
ぼくは縋りついて
温かさがどんなものか知る

奏でる端から凍りつき
脆く、重く、
墜落して、水びたしになり
用いられる
幻象
という語彙、そして
幾度となくつまずくぼくが
あなたとなって
鍵盤を叩く、あなたは
鍵盤を叩く
あなたは泣く
ぼくは雪が融けるだけだと
言って聞かせる
あなたは泣く
冷たい雪の服を着て
陽射しはあまりにも繊細すぎて
横風に揺れる
あなたは泣く、泣きやまない
あなたはぼくから染み出す
影が二つできる、わけがなく
ピアノの艶やかな表面に映る
あなたの赤いマフラー
今もどこかで誰かが死ぬ
一秒ごとに人間が死んでいく
冬の、雪融け

さよなら
樹木は葉を落とし、
氷みたいな重たい雪も
その内ぜんぶ篩い落とすから
あなたは凍りついていくだけの
ピアノの楽曲を蹴散らす
幻象じゃない、
冬の夜が明ける、誰も幻象じゃない

文学極道

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