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作品 - 20131226_610_7207p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験

  右肩

 四つ辻を過ぎるとどくだみの茂み。花が白い色を放射している。花は重なっている。
その西角、垣根の奥に、土壁の崩れた旧家が建つ。

 この家は、先祖が撲殺した馬に、代々祟られているとのこと。
一族の誰一人として五十歳まで生きた者がいない。しかも、事故死や業病による最期ばかりだ、と。

 先代の当主は五十歳を目前に、浴衣の紐を鴨居に掛けて首をくくった。
生涯独身であった。
家系は絶えるはずであったが、嫁いでから亡くなった妹がいて、その子どもがあとを継いだ。

 数日前、床屋が僕を調髪しながら鏡の中からそう話していた。僕は散髪用の椅子の上、半眼で、うとうとと話を聞いていたのだ。
顔を剃るから首をねじってくれと言われて床を見ると、頭髪の切り屑の広がりの中に血だまりがあった。しかし、すぐにそれは光の反射による誤認だとわかった。
 たぶん誤認だった。

 その時の浅い眠りが未だに心身を蔽い、僕の意識は朦朧としている。

 苦く臭う草むらの向こうの大きな木造平屋建。いつしかそこを垣根の隙から覗いていた。
昼下がりの直射日光。雑草が繁茂する庭と傾いた家に、暗い輝きが宿る。

 風景はエロチックに穢れている。

 建物の手前、人影が中空に表れ、煙のように流れ、消える。
誰でもあってもよさそうな、誰か。繰り返し、現れ、現れる以上の数で、誰かが消える。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。

 混濁は快感だった。そこへ実在の核心が白い指のように僕を撫でる。眠れよい子よ。
だが、指ではない。指には見えない。

 感覚と感情と思考とが、熱を持って分厚く重なる意識の襞。薄桃色の襞。
 柔らかに襞を押し広げて物語の指が動いてくる。
 隠された記憶の空穴が開かれ、生暖かい恐怖のエッセンスが噴きこぼれてくる喜び。浮かされて視界が濁った。

 「その家、木村さんと言いますね?」と僕は床屋に聞いのだった。瞼の上あたりを剃られながら、「失礼しました。お知り合いでしたか?」と聞き返された。

 二十年ほど前、僕はこの町に住んでいた。陰鬱な谷間の町。幼かった僕はこの家の先代に抱き上げられたのだ。こいつが俺の子だったらなあ。両手で高々と僕をさし上げ、彼は明らかに怒気を含んだ声で言った。僕は泣かなかった。男の顔は記憶にない。僕の背後で母が冷たい笑いを浮かべるのがわかった。この商店街の路上だった。

 ほんとうにそんなことがあったのか。
 僕に母などいるのか
 僕はほんとうに生きてここにいるのか。

 特に何ということもないが不安になる。
 昔、馬を撲殺した棍棒が、血の跡を黒ずんだ染みにして、ごろんと転がる場所がある。
 どこかにある。
血を吸った棍棒は黒ずみ、節々の凹凸は摩耗して滑らかである。握りには朽ちかかった荒縄が巻かれているかも知れない。鵯が留まりにやってくる。棒も飛行の可能性を持っている。
 棒だけではない。記憶も飛行するのだ。

 僕は僕を信用してはいけない。記憶も理性も羽を生やして行ってしまった。

「お先に失礼します」

 僕もまた不信という靴を履き、絶望のバッグを肩に掛けよう。
出掛けるのだ。

この町に長くいてはいけない。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。

文学極道

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