#目次

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Migikata (右肩)

選出作品 (投稿日時順 / 全73作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


本当の蝶はこの世に四匹しかいない

  右肩良久


 僕が郵便局から振り込みを終えて出てくると
 コンビニの前で中年の黒衣僧が三人、立ち話をしていた
 三人はみな妻帯者で
 一人は草刈り機の事故で右足の小指を失い
 一人はヘッジファンドへ投資して資産を倍増させ
 一人は幼女へ性的暴行を働いていたが今は改心している
 赤すぎる唇が三つ、蝶が羽ばたくように動く

 僕が今から四年後に
 吐き戻したカツ丼の飯粒の中に顔を突っ込んで死に
 翌朝隣人に発見されることを知っているのは
 この三人だけで、僕もそのことは知らないが
 彼らが話題にしているのはそんなことではない
 胃液の、少し酸っぱい匂いは漂うものの

 彼らの横に燦然と桜の裸木が立つ

 「私らの生得のイメージの中には、
  完き紺碧というものがありますよね」
 「それそれ。もの凄い流れが
  髪の芯まで染めるほどの冷たさで」
 「阿弥陀浄土はいわば角張った玄武岩の欠片だから、
  紺碧の奔流から眼を開いたまま拾い上げなきゃな」

 この世は僕の知らない秘密で充ち満ちている
 やがて三人は西友の前にある地下鉄入り口の階段を降りていった
 僕は誰にも告げられない悲しみに縛られたまま
 背中に広大な面積の翅を開く
 言葉にならない呟きで唇が震えるように
 二枚の翅が少しづつ動き始め
 やがて大きな開閉を繰り返し始めると
 僕の足は徐々に透水舗装の歩道を離れようとする
 翅の下を、吹きこぼれた悲しみが煽られて対流し
 圧力差が不安定ながら徐々に浮力を産み出すのだ

 誰の心の中にも完き紺碧というものはある
 遥かに離れてみると、そもそも地球が紺碧の真球なのだから
 そう思ってみても僕にできることは
 きつく目を閉じてみる、ということ。それだけだ

 なぜだろう、それは?
 ふと気を抜くと、つい
 この詩を読んでしまったあなたに問おうとしてしまう
 そんな破滅的な展開があっていいはずはない
 それでは僕は涙すら流すことができなくなる
 そうではないか?

* メールアドレスは非公開


扉のあった空間から見た赤い土地

  右肩良久


 無限の蝉。

 扉が剥がれ落ちた、長方形の空間から
 展開する赤い土地を見ていた。
 鶏の首を縄で括って吊し、
 黄色い父がやって来る。

 (鶏。
  その脂分の致命的甘味。)

 酸化鉄の匂いの熱風、横転するバケツ形のバケツ。

 父の視線と鶏の視線。それが
 脳の最奥に楔形に揃う破片。

 私の実体は
 サバンナの高木の
 白い樹皮でしかなく
 四分五裂、運動的に乾燥している。

 レム睡眠はこのまま覚めない。
 意識の表層に掌を当てる。
 ざらついた巨大な球形、
 赤い蝉。


漂流する箱

  右肩良久

 作業着の尻ポケットから小銭入れを取り出して、自販機でタバコを買おうとしていたら、視界の右側にゆっくりと何かが入ってきた。気にもとめなかったけれど、マイルドセブンの販売ボタンを押したときに、それがコツンとこめかみあたりに当たったんだな。蓋を被った黒い箱だった。やばいね、これ浮いちゃってるよ。面倒なことにならなきゃいいけど。僕は箱を睨みながら屈むと、自販機からタバコを取り出した。箱に手を触れようなんてもちろん思わない。得体が知れないからじゃなくて、箱の中には猫の死骸が入っているってことがなんとなくわかっていたからね。こういうの、関わらない方がいい。
 宙に浮く箱から目線をそらさずじりじりと数歩後ずさり、追いかけてこないことを確かめて前を向いたら、その後は早足で工場に戻った。それが午前十時半のこと。シフトの関係でちょっときつい時間帯だったから、係長の林さんに断って外に出させて貰っていたわけ。嫌なものを見た。正門の裏側でタバコ一本を半分くらい吸うと、安全靴で踏み消し、早々に仕事に戻った。
 暑い夏の日だった。薄曇り。風少々あり。昼休みに、コンビニで買った焼き鮭のおにぎりと、シーチキンマヨの手巻き寿司、ペットボトルのお茶が入ったレジ袋を下げて二階から屋上へ上った。あ、あとさっきのタバコも持ってね。給水タンクの影を選んで、手すりにもたれて坐った。割と涼しい。で、むしむしと噛んでお茶で飲み下していくわけよ、おにぎりと寿司の格好をしたものをさ。やれやれ。腹がふくれて眼を閉じてみた。この下の玄関の脇でプラタナスの大きな葉が、がさがさ鳴っているのが聞こえる。植わっている三本ぶんのね。黒い箱は今、その二本目の木の辺りを漂っている。張り出した一番下の枝のすぐ脇ぐらい。目をつむったまま僕はタバコを出してライターで火をつける。器用なもんだろ?煙が肺をぐるぐる回りはじめると、箱の下を近藤さんと筒見さんが通るのがわかる。こないだ経理の女子と合コンした男子四人のメンバーの中の二人だ。もう一人は高校の後輩の菊池。残った一人が僕だ。近藤さんたちは少しも箱に気づいていない。瞼の裏の光を曇らすように吹き出す煙の中で、僕が気になったのは、箱、臭うよ、って。少しだけど。べっとりして吐き気がするほど甘くて、酸っぱくて、鈍い刺激も含んだ、そんな臭いがするよって。気づかなければそれが一番いいんだけど。
 タバコがフィルターまで燃えてきたので、もみ消して目を開いた。グレーの雲の下を、またグレーの雲が流れ、太陽が輪郭もなく背後に染みついている。一旦立ち上がって、下に置いたゴミの入ったポリ袋を掴んだら、プラタナスの葉と同じようにがさがさと音がした。その音を聞いた途端、何かがわかった。僕には。
 四年も前のことだ。だからね、一体何がわかったのか、今はすっかり忘れてしまった。
 


皿を拭う

  右肩良久

 トラウト博士が僕に言う。「失われることは、またある種の獲得でもあるんだ。」と。僕は断続して欠落する記憶に困惑させられていた。つまり僕の日常は穴だらけである。あそこと思ったものがここにあり、ここと思ったところはどこにもない。つじつまの合わないシュールな空白が僕を苛んでいる。博士は続ける。
「君の脳は蜂の巣のように浸食されている。隙間だらけだ。だが、この世に純粋な空白はあり得ない。隙間に入り込んでいる何かが、君が新たに獲得したものだ。」
 僕は黙って窓の外を見た。向かいの病棟、三階、一列二十七箇所の窓のうち八箇所が解放されている。中庭に茂る桜の葉は盛夏の勢いを減速し、ようやく色を落とし始めた。


「何か、ですか?」と僕は問い返そうとして、やはりそれは忘れることにした。


 僕は白い皿に布巾を当て、皿と布とを円周方向に動作させることで水滴を除去する。白い皿と白い布巾、だ。次の白い皿と、パートナーをチェンジした白い布巾だ。皿だ。
皿皿皿皿皿皿だ。
皿、しかし倦怠はない。皿は常に新しく、また常に新しい場所へと僕が皿を追い込むからだ。
 厨房の奥では2人の男性と2人の女性が、肉と野菜を洗う、切る、煮る、焼く、蒸す、炒めるなどの動作を俊敏に繰り出している。長靴がコンクリートの床に流れる水をぴち、ぴち、ぴちゃぴちゃと撥ねている。僕の横でフォークを磨いている飯塚さんが、僕に身体を寄せて「お前さ、ほんとにちゃんとチンポ立つのかよ。女にや○○○○○△△み□□□○△り○○○×○□」と言う。彼の手元では常に6本のフォークが扇型に展開し、効率的にこすられて光沢を与えられていく。僕の視線は天井に張り付いて、僕と飯塚さんの二人を斜め三十二度くらいの角度から見下ろしている。食物の匂い。
 今から二十三年前の八月十八日が浸食を受ける前に束の間光を放ったのだ、飯塚さんの磨いた二十三年前のフォークとともに。そして新しい皿。


 トラウト博士の言に従うのであれば、僕は新たな獲得と向かい合わねばならない。それは死と相似形でやがて死と重なる種類の、言葉の介在を許さない、直接僕の主体と向き合う存在である。それについて言及できない存在の、しかし確かな質量。肌の匂い。ため息。


「黙示録」と題されたひとつの画面の持つ意識

  右肩良久

   I

 潮の臭いがすると思ったが、それは形を失った古い時間の発酵だった。本当は、ここでは何も臭わない。
 僕らは峡谷の崖から突き出す岩鼻に、白いプラスチックの椅子と丸テーブルを置いて暫く話をすることにした。
 目鼻もなく柔らかく言葉が生まれると、赤い夕暮れの赤黒い雲が頭上で静かにひとつの渦を巻く。ひとつまたひとつ渦を巻き、僕らの話は遥か眼下の大河へ流される。
 そうだ、ちょうど暗い落葉のように、次々と。

 風音。激しい流水の音。ときどき破砕音。

 据わりの悪い椅子とテーブル。傾いて置かれているカップには生ぬるい水が注がれており、それは甲冑魚の吐き出した太古の海に由来している。
 はらはらと砂が降ってくる。赤く苦い微細な砂が、髪の間やシャツの襟元に入り込み、湿気のないテーブルの上を滑ってゆく。僕らもまた当然それらの一粒である。
 
 僕らは失踪した君のことを話している。
 クラムボンと呼ばれた君が、今丁度記憶の新宿の亀裂に嵌り、路上に置かれたトリスバーの箱形看板にすがって激しく嘔吐していることを。
 路上には折れた焼き鳥の串、輪ゴム。陰毛。
 それらの上に被る生白い吐瀉物の中に、噛み潰された子羊の肉片がびくびくと生あるもののようにのたうっていることを。
 君の知らない君のことを僕ら、延々と話しているのだ。

 遥か向こうの岩山の頭に巨大な木柱が直立し、漆黒の影として乾いた風の舌に舐められている。その由来は古く、総ての神話と史実を超越する。そこへプロメテウスが縛られていたのも、イエスが打ち付けられていたのも、ムッソリーニが吊されていたのも、相対的には一瞬の出来事に過ぎないはずだ。

   II

 僕らの間違った予感の中に生きている大勢の人々よ。
 やがて僕らは目を閉じ、口元へ静かにカップの水を傾けるだろう。唇が濡れる。口腔に水が充溢する。その間も確固として実在する世界の喧噪よ、君や君たち、人々よ。
 やがて僕らは君や君たちを塩の柱とするだろう。それは断罪ではない。だから、何ひとつ怖れる必要はない。君や君たちにまつわるものの総てが、まったく混じりけのない塩化ナトリウムの結晶と化すという、そういうことだ。
 塩は僕らにとって無闇に美しい物質である。

 赤い渓谷にぱらぱらと雨が降り始めるが、雨粒は地上に弾ける前にすべて蝙蝠へ変身してしまう。彼らは上下左右へ不思議な軌跡を描いて飛び交い、攪拌される僕らの話。

 遠望する岩山の中腹では、赤い岩の凹凸が人の顔の形を描き出している。誰だろう、あの岩の形として存在する人格は。僕らは囁き交わす。僕らが見ているこの暗喩としての風景を、僕らが話す暗喩としてのこの言葉を、君が解く。それはとても官能的な営みとなるだろうと。くすくす笑いながら囁き交わす。

 まるで全世界の映り込んだ水晶玉を口に含んでちゅぷりと舐めるように。 


みんなあげちゃうモノガタリ

  右肩良久

謎々をあなたにあげる。決して解けない謎々をあげる。
春と秋しかなくても、割れた秋のかけらをあげる。細かなかけらを一つか二つあげる。それはイキモノのかけらかもしれない。
眠ったら眠りきれない過去をあげる。六本木の交差点でスピンターンしたマセラティの助手席。きりきりと見開いたブルーの瞳をあげる。
幻想とわからない幻想をあげる。すべすべをあげる。消えそうな猫はあげない。腕をあげる。脚もあげる。耳をあげる。爪をあげる。だから。

だから。

開かれたものを開く。サイレンの中の微光をあげる。スカーフに包んだ、小さいけど重いものをあげる。振り向いたらあげる。あっ、と叫んだらあげる。あなたからあなたにあなたをあげる。

ミシェルをあげる。ミシェルがタイトスカートの採寸に使った巻き尺をあげる。その時ガラスの扉の前を通った片足のひと。

(秋のツバメは
 掌で眠らせたまま
 もう、あなたにあげてしまった。)


鉄輪

  右肩良久

 お前は邪悪な娘だからね。眼を細めて迷いなく腹を刺すんだよ。自分を女の子だなんて思わなくていい。結構な力が出るよ。そいつが悲鳴を上げたぶん、それだけお前は気持ちよくなるからね。嬉しくてにやにや笑うのさ。唇だけになった顔で。倒したら馬乗りになって踊るようにまた刺そう。どうせならそのままそいつの眼を抉っちゃおうか。瞼を切り落としてから眼球をくじるとうまく丸いのが出てくるけど、そんなことこだわるなよ。ちゃっちゃっとやっちまったほうが快感が脳まで登ってくるのが早いからな。それが終わったら、だ。血がべとべとするのを喜びながら、頭の皮を剥がせよ。「でっかいメロン」の歌を即興で作りながらかつ歌え。楽しく歌え。次には肺から空気を抜くことにする。肋骨と肋骨の間に、横向きに寝かせた刃をすっと入れるぞ。吹き出した鮮血と空気の奔流をだな、お前はお前の顔に浴びる。目も口も開いたまま浴びる。それからどうだ、そいつのポケットから携帯を抜き出して、メールとかさ、声に出して読んでやれよ。「今日、あんなこと言われてちょっとうるっときちゃったよ」とか「今夜は食べてから帰るよ。迎えヨロシク。駅からtelする」とかきっと書いてあるからね。甲高い声で笑ってやれよ。それから後は、もうどうでもいい。心臓とかはうっちゃって置こう。お前は全裸になって商店街へ飛び出せ。
 解放されるんだよ。恍惚として涙が出るんだよ。「ワタクシはカミである」とか叫んでみるか?いかにもいかにも馬鹿臭くて愉快だなあ。まったく君は大活躍だね。
 でもまだいい。まだいいから。今は静かにおやすみ……。

 私は十日前の月曜日に、JRの貨物基地の奧へ連れ込まれ、停まっている貨車の鉄輪に身体を押しつけられて、誰かにこんな暗示を掛けられたのだ。暗示を掛けた人の顔は思い出せない。夢で見る時にも恐ろしくて眼を上げられないから、たぶんもう二度と思い出せない。私のコートのポケットには、今も裏蓋に蛇の線刻がある銀側の懐中時計が入っている。あいつが入れたのだ。この時計が何日後かに、何時かを指したら暗示が発動してしまう。私はそれがいつかを知らされていないが、確実なことだ。その証拠に私は毎日、何回も時計を取り出して蓋を開け、時間を確かめる。秒針の音を聞く。
 御徒町の裏路地のショップで三日月型に反り返ったナイフを買ったときには、下半身から昇る性的な快感にうずうずと脊髄を震わされた。声が出そうになるほど、喜びに濡れて……。この興奮は店を出ると途端に冷めた。風音と生臭いカラスの叫びで二月の空は隙間なく満たされていた。温かいものを飲みたくても小銭の一枚も残っていない。道には誰もいなかったが暗い光の中、あいつの残像が薄赤い影になって私のすぐ横に立っていた。今もおそらく立っている。
 それからというもの私は顔を真っ直ぐに向けたままで暮らしている。右にも左にもどうしても動かせない。時々、肩の上でゴキブリがカサコソと音を立てる。それでも顔を横に向けられない。
 通勤の駅のホームに立って、正面のビルの電光掲示板を見る。このごろニュースのテロップの中に、人の轢死の記事が頻繁に混じるようになった。毎日、必ず一本はある。私は覚えていないが、子どもの頃一緒に轢死事故の現場を見たことがある、と亡くなった父から教えられた。だからかどうか、記事を目にすると、鼻の奥に生臭い酸化鉄のにおいが溜まる。急ブレーキで鉄輪のきしる音が聞こえる。心臓が高鳴り膝が震えてくる。それなのに私はニュースで読む轢死者の名前と年齢を一字一句間違えずに覚えてしまう。それが消えない記憶として堆積し続ける。あの暗示を受けた日からだ。
 ホームに立って列車を待つ大勢の人々はみんな、やがて私が恐ろしい殺人鬼と化すことを知っている。血まみれになって、抑えきれない興奮に高笑いすることを。全裸で飛び出すのなら、せめて裸を美しく見せようと、あれから私が値段の高いボディソープを使い、毎夜ダンベルを振っていることも。
 悲劇が起こる前に私を殺してしまおうとする人も出てくる。今日も香水の強い中年の女から、列車が入るホームの端で背中を押された。あの女に違いない。かろうじて踏みとどまると、後ろで舌打ちの音がした。当然誰もが知らぬ振りをしているのがわかる。私は振り向くどころか隣の人へ顔を向けてみることもできないけれど。

 どうしようもない。しかたがない。列車はどんなに急制動をかけても走り続ける、鉄輪とレールの間に火花を散らして。固く軋んで、巨大な力が働く。暗示は行くところまで行かないと絶対に解けない。悩ましい。私はスターバックスの片隅でコーヒーを飲みながら「でっかいメロン」の歌を呟くように歌う。
 めろめろメロン、虫の息
 すやすや子猫、お尻小さな子猫たち
 だけど、でっかいメロン、でっかいメロン
 ふたつに割られて、あおいきといき
 お汁こぼれてびしょびしょに
 猫さんまあるくねむんなさい
 首が取れてもねむんなさい
どうせ、私が殺人鬼になって歌うときには歌詞もメロディも違っているだろう。それはよくわかっているけれどやめられない。やめてやめてと心の中であらがってもみるけれど、やめられないで歌っている。私の歌声は小さくてか細くて、ひょっとしたらかなり美しいかも知れない。しかし。

 わたしはもうすぐわたしでなくなる。だからこのうた、にばんはあなたがつくりなさい。


「姥捨山日記」抄

  右肩良久

   (一)

 水の国は風のない海にあります。
 風のない海に波は立たず、鏡のような沈黙が青空と雲を映しています。地上はいつの間にか海につながり、またいつの間にか海と離れます。歩いていく僕の足も、気がつくと踝まで水に浸かっており、気がつくとまた干上がった白い珊瑚礁の上に立っています。
 空には空だけの風があります。流れる雲の影が地表を過ぎていく度に、どこかひやりとした記憶が呼び覚まされ、そしてまたたちまち消えるのです。だからある時の僕には逃れがたい過去があり、ある時の僕には生まれたてのように何もありません。
 遠くには回らない巨大な風車があります。羽根の先端に光がとまると、それは海の何処かで病んでいる人魚にとって、抗い難い誘惑となるでしょう。声を失っても何かを得たい、と彼女は思うはずです。それが何かはわからないまま。
 僕は考えます。希望というものがもしもあるなら、それは淡い緑色をした稚魚のようなものだろう、と。そしてそれは水の国の何処にもいないものなのだ、と。不在が帯びる無色の恐怖も、ここではまだ甘い氷砂糖を含むような感触でしかないのですけれど。

   (二)

 駝鳥の卵を買わなければいけなくなって、籐で編んだ篭の底に紫のビロードを敷いて出かけた。三時頃家を出たが、木靴の先に割れ目が入りかかっているのが気になり、いつもより遅れがちに歩いた。
 紫水晶が所々で剥き出しになった岩山へ登り、峠を下りたところで、夏の風が心持ち冷たさを帯び始めた。日暮れに入ったのだ。日輪は沈んで見あたらない。例の迸るような夕焼けもないのに、空は明るく暮れ残っていた。一群の雲が行く。北氷洋では大きな鯨が今、流れる氷塊を水底から見上げている。僕は純銀でできた雲の連なりの遙か下方に沈み、右手に篭を提げて突っ立っている。雲と僕の間を、すうっと鳥が滑空する。今までに見ない、白色の、暗い光を帯びた鳥影だった。まだ生まれていない駝鳥の子の魂が一散に卵を目指しているのに違いない。と、僕は思った。
 僕は不安だった。これから街の雑踏へ入り、喧噪の中で買い物をし、再びこの場所を通って山道を登る。その時にはもう夜はたっぷりと厚みののった闇をまとい、僕の小さなランタンが、悲鳴を上げて逃げまどう小鬼のように揺れるだろう。
 どんなに想像を巡らしてもだめだ。それはまだ始まってすらいない出来事なのだ。確実にやってくるにも関わらず限りなく遠いことなのである。


砂漠の魚影(或いは「父のこと」)

  右肩良久


 一、オアシスのバザール

海に面した白い城砦都市で琥珀の破片を買う。
バザールの雑踏に立ち青空へ掲げると
脚が一本欠けた蟻が封ぜられていた。

 二、人々が魚を食し、僕が魚を食する

砂漠を背にした街では風が強い。
辿り着いた、壁のない掘っ立ての料理屋。
皿に載る大きな煮魚には縞模様があり、
その肉片を口にすると、砂粒が絶えず混じり込んでくる。
空の、凶悪な青さの、際限なき支配の下で、
じゃりじゃりと
テーブルが光り、死んだ魚が光り、皿もフォークもナイフも、
父の記憶も、みな光る。
みながみな、光る。

砂に沈んだ石造神殿の残骸。
有翼神象の影が、傾いた石柱の上から
光を裂き鋭利に伸びる。
けたたましい猛禽の声。
キイキ・キイ・キイキキキイと鳴く。

黒ずんだケープの客が数人、黙って料理を口に運び、
彼らも僕も切なく飢えた悲しみを、
父殺しの光を、窪んだ目の奧に宿している。

 三、命題

始まらないドラマを待つと言うことは、
如何ともし難い恥を持つと言うことだ。

 四、僕らが殺してきた者たちと父の帰還

 突風がやって来る。目を閉じる。風。露店の軋む音、食器の落ちる音、割れる音。揺れろ。と思う。声に出した。誰も動じない。僕も動じない。ただ乾燥した木片のような手で自分の皿を押さえる。
 やがて砂まみれの陽が地平へ落ち、浸潤する薄闇の底、砂のあちこちに光を放つ魂が浮き上がる。鰯の大群が海中を遊弋するかのように、それらが膨大な数に増殖し、風下から尾をふるわせてやって来る。食事を続ける僕らの、手にスプーンやフォークを持ったままの体を、青白い発光体が次々と突き抜け、風の源泉へ向けて通り過ぎる。ひとつひとつの魂が貫通するごとに僕は、それらが持つ漠然とした感情に感染し、喜怒哀楽や恐怖や希望、もっと複雑な昂揚や抑鬱などを、皮膚や肉、骨や臓物で感受している。身に何ものももたらさぬ、しかし、なんと切ない奇跡か。温かい。食べかけの煮魚も、皿の上でわずかに尾を振る。僕らは僕らが生まれるために殺してきた夥しい同胞の、もう輪郭もないような魂に洗われている。「産めよ、増やせよ、地に満てよ」飛び散った言葉のわずかな断片としての僕が、人の魂に研ぎ直された小さなナイフのように、木の椅子の上に置かれ、ただ激しく光線を反射しているのだ。そうだ。
 誰もがみな黙って今日の糧を食し続ける。

 五、見てきた情景の先へ、見なかった情景の先へ

ホテルのベッドで、琥珀に封入されている蟻を見た。
足の欠けた蟻もまたわずかに発光し、
止まった時間を泳ごうともがく。
すると
数万年前の樹林が雨と光の中で震え揺らめき、
濃厚な甘さが僕を、
前後不覚に包み込む。
僕は剥き出しの孤独に赤く怯えた。
傍らに立つ父の手を固く握り
前方の情景を見る。
蟻の見たものよりも、
遥かに遠い場所に、視線の先端が走る。

「そしてそのまま帰りません。」


枕返し

  右肩

 蓬莱橋までの散歩を終えて宿に帰りました。ちょうど夕飯の時刻になっています。給仕に現れた客室係は七十歳くらいのおばあさんでしたが、少し色褪せのある紺の着物をこざっぱりと着こなしていました。そして、私たちがあのやたらと長い木造の賃取り橋を往復してきたところだというと、夕刻の蓬莱橋に近づくものではない、とのこと。どうしてなんですか、と夫が笑いながら聞き返しましたら、彼女が鍋物の火の具合を見ながら言うには、「蓬莱橋は彼岸と繋がりますから、夕刻は色々とへんなものがついて来るじゃないですか。」
 私はそういう話が嫌いではないので、「橋の向こうはあの世なのですか?」と、話の先をせかすようにしますと、彼女は真顔で、
「あの世ではありませんよ。向こうも普通の土地です。何にもない普通の土地ですよ。あの世であるはずがありません。お客さんはおかしなことをおっしゃる。」そう言いますから、私もそれ以上何も話しませんでした。

 疲れていたので早めに床に就き、明かりを消し目をつむって眠りに入ろうとすると耳元でかすかな音がします。あまり小さな音なので、最初は気のせいだと思ったくらいです。でもどうしてもそれは現実の音なので不審に思って半身を起こしてみると、その音はもう聞こえません。外からも風の音一つなく、新月の静寂が部屋を包んでいます。それでいてもう一度枕に頭を載せると、ほんの少し、かすかにゴゴゴという唸るような音が耳に入ってくるのです。「起きてる?」と私は声が響かないように細心の注意を払って、声帯を震わせずに夫に話しかけました。「うん」というこれも微かな返事が聞こえたので、「枕から変な音がする」と言ってみました。眠りに入る前の時間をかき乱したくなかったので、その声も独り言のように妙にか細くなってそのまま消えました。「枕というものはね」と夫の声が返ります。やはり小声ながら父が子にするような、優しく包容力のある声でした。
 「枕というものはね、遠い場所の音を伝えるんだ。遠いからほんとうに小さな音だよ。ごとごといっているよね。これは石造りの建物が崩れる音なんだ。タクラマカン砂漠には千数百年前の隊商都市がいくつも廃墟になって放置されている。砂漠の真ん中に何本もの石柱が立って、ひび割れた日干し煉瓦の壁がいく棟も残っているんだ。それは千年以上の時間をじっとそのまま耐えてきているんだけど、今ようやく寿命が来たんだね。建物はみな時の流れを耐えた仲間だからさ、一つが崩れると、ああ、もういいんだってもう一つが崩れる。たくさんの建物が、鎖がつながるように、一つ一つ荘厳に崩れていくんだよ。崩れて砂に埋もれていく音が遠く遠くこの枕に繋がるんだね。」眠りに入ろうとする私の頭の中に、青空を背景にして大きな柱がスローモーションで倒れかかってきます。柱の上部には輪郭のぼやけた神像のレリーフが表情のわからない横顔を見せ、それもやがてゆっくりと砂塵に紛れてゆきます。一本の柱が倒れるとむこうがわの壁が崩れ、透明な太陽光の中で都市は徐々に美しい最後の時を迎えるのでした。

 翌朝目覚めると、私の枕がありません。探してみると部屋の障子を半分ほど開き、そこから廊下に這い出ようとして力尽きたように戸と柱に挟まれ倒れていました。朝食を給仕に来た若い娘が帰った後、夫にきのう砂漠の遺跡の話をしなかったか、と聞くと、
 「そんな話、してないじゃないか。そうじゃないだろ?」と言います。
 「君がアマゾン川の源流は泉じゃなくて、葉っぱから落ちる雨の雫が集まっているんだ、って話をしたんだよ。こんな夜にはその雫の落ちる音が聞こえるってさ。またなんだって昨日はそんなことを言い出したの?」


せつな

  右肩

 ややあって
 春の雨が
 畑地を走り
 部屋のガラスに
 点点と
 滴が
 あたりはじめ
 茶箪笥の上の
 信楽の
 一輪挿から
 椿
 の花が
 匂い、
 その
 落ちる
 音を聞いた。
 目を上げると
 花瓶の脇で
 まだわずか
 揺動を
 残す花
 の意識
 の中で
 風に波立つ
 大きな水のように
 震える
 山河
 目の奧へ
 ようやく
 ぼやけた乳房
 と乳房
 移りゆく
 赤い言葉も
 なくなにもなく
 軒先に
 蝶つがう
 昼の
 濡れた
 ふるさとよ


  右肩

(硬直した舌を突き出す
 犬の頭。死んでいる。その横に立つ僕。
 夏蜜柑の匂いのする心臓を
 持つ僕。
 尖った敏感な陰核を
 若く健康な陰唇の中に隠し持つ君。着衣の君。
 ふたり。
 と
 たくさんの虫。)

楓の葉の失われた緑の属性が
この詩を読む君に与えられた古い記憶であるからか
午後四時の時報に合わせ、さあと秋霖が走り
僕が濡れる。この世界に何も残さないほど
大理石だけが美しい冬が来るという予感は
絶滅収容所の壁に錆びた釘の先を使って刻まれている。
その時既に定められていた陰惨な未来の線描。
だが、今はまだ何もかも鮮烈に赤い光が降る木の下で
大きな痣のある初老の男へと君がかつて
囁いた恋の終わりの言葉の尾から、ふと僕へ
逆流するそれとわかりにくい微細な官能の刺激、肌の匂い。
枝から飛び立った頬白が憂鬱な重さを
森から町へ左右の翼で支え、その運ぶ先の、
古い商家の、薄闇に落とし込んだ厨房の竈で
筍を煮ていた母よ瑪瑙石のようなわかりにくい思い出よ
小さな指輪が転がり子どもがひとり死に
羽のない哀れな虫が長い後肢をもがかせる
その有様と同様に身を捩らせ
逃れようとする君を強く抱いたまま
密林の湿潤が剥き出しになった君の唇を心強く吸おう
雨が降れば菰を被った川舟が下流に流れ
濡れている落葉を赤くまた赤く
孤立した無意識が浴びる抑圧の刺激
のように形の中に受けて
僕は君に囁くだろう、過去と未来の平らかで広大な
時の平原に紛れ込んだいくたびもの臨終の経緯を。
黒豹として走り抜けた幽界の密林の
その草葉が腹に触るときの
何ものかがわずかに匂うような
刺激を。


女神

  右肩

木製の丸椅子に
坐って
その上からひとり
毛布の皺のような
世界を見ています。
裸の私は
若い。

春の日はいちめんの菜の花。
そよげば暮れる
何もかも
暗い黄色
と黄色。
ね、そうでしょ?

目の奥へ
ねじこまれた
朧な歌
に抱かれていると
むしろ真っ白な肌。
あてどなく垂れて
宙を踏んでしまう足。
その薔薇色の爪。
愛とか何か
答えがないまま

スタバのカップに刷られた女神
かも
しれません。
 
そこに触れる
だらしない私の
指に
じわりと温かなものが
にじむような
匂いを
放ち
過ちが
さわさわと
堆積してゆく、
その愉楽。

たすけて

(どこをさがしても
 あなたがいない
 あなたがいなくてもいい
 そもそもあなたというものがない
 ここ)

指を舐めると
明日の不安が
粘膜の熱にはさまれ
ぴくりと尖った頭をもたげて
はしる。
唇の端から
事のあらましがごぼりと溢れ、
すてきです。

何も残さない
眠りのなかから
光るべきものがみな光る
から
だ。


木星の春

  右肩

 僕はこれから僕の持っている砂金一袋の重量を量りに、あの寂れた京洛へ赴くのだ。「ズワイガニ号」と名付けられた、甲殻を纏う列車が海底のトンネルを抜け、もうすぐこの、晴れ上がった木星の小駅までやって来る。
 春爛漫である。
 プラットホームには、文字も絵もない、色もはっきりしない幟旗が九本、ばらばらな間隔で鉄柵に結わえ付けられている。また黒々とした巨大な牛が二頭、大きなふぐりを揺すりながら待っている。その後ろにはマッチ棒のような少女が三人黙って立っている。
 彼女らはあまりに黙っているから、所在なくてときどき牛の股間に手を差し入れ、こっそりとその陰嚢を撫でたり揉んだりしている。牛は鳴きもしない。沈黙を埋めるようにして波音が聞こえてくる。ただし、それはよく聞いてみると破砕された歌声の微細な屑から成り立っている。波音によく似たノイズというべきものであった。
 ひょっとしたらそれは、入学式が終わった小学校の講堂で、天井から垂れ下がった四匹のユウレイグモが、番いながらそれぞれの八つの目を合わせて唄った『海行かば』だったのかもしれない。焼けただれた密林に隠匿された髑髏が、割れた後頭部から水を飲むようにして一途に聞いていた歌だ。二つの眼窩。それも今は粉々になっている。

 金の値段は激しく乱高下している。
 先日行った床屋の亭主が、僕の髪を切りながらぼやいていた。彼の足繁く通っているストリップの金粉ショーでは、昔は開いた女陰の奥まで金粉が塗ってあったという。ところが、先日舞台へ上がって大陰唇、小陰唇と指で開いていったところ、粘液に濡れた生々しい鮮紅色を目にしてしまったというのだ。ダンサーの太腿の間に上半身を突っ込んだまま、困惑のあまり彼は暫く硬直して動けなかったらしい。
「これも金の価格が不安定でうかつに買い置きができないからですよ」
と彼は言った。
「女陰の中には膣口に細かな歯を揃えていて、男性を食い千切るものもあるのですが、以前はそこにも総て金が被せてありました。」

 経済は、生殖行為として転倒している。
 システムが肌を合わせて激しく交わる。ところが、射出されるものは疎外される。エンドルフィンの波が脳の皮質を洗う時、無定形の資本は世界中ところもかまわず撒き散らされてしまう。
 乾いた地表に乾いた粒子が噴きこぼれ、どこもかしこもただただ輝くばかりで何が産まれることもない。さらさらと風に巻き上げられ消えていくだけだ。爬虫類系の大型生物があちらこちらに突っ伏して死んでいる河。その腐臭と山脈からの寒風とに耐えながら、僕はひと冬をかけて一袋ぶんの砂金を掬い取った。それも経済という原理によってたやすく巷間に紛れ、消えてしまう。僕の金、僕だけの金が。

 京洛では今も古い高層ビルが林立し、その下で掻き混ぜられたコーンスープのように、ぼやけた哀しみがゆったりと渦を巻いている。
 白さを残して流される夜の雲たち。
 乾かない傷を持つ猫たちが、互いの性器を指さしてくくくと笑い合っている。ここで、本当の意味で光っているものは自分たちの眼だけだということを知っているからだ。
 この街に今日は誰もいない。昨日も誰もいなかった。明日も誰もいない。首から上がない、人ではないものがちらほらと通りを行く。売春窟のベッドには浅いへこみが残る。シーツに波打つ美しい皺。サイドテーブルに錆びた硬貨が七枚、やや不安定に積み上げられて埃にまみれている。
 打ち棄てられたものはみな、それが最初からそこにあり、未来永劫そこにあるようだ。
 夥しい数の通信回線。アクセスしても聞こえるのはアメフラシの唄う艶のない沈黙だった。

 イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。衛星が僕を間近に見ている。
 列車が迫る音に目を瞑る。明るく血が巡る瞼の裏へちらちら桜が散る。花びらの数が次第次第に増えて行き、そこにざっと風がかぶると昼間の星の全量が落ちてきた。花が光り、星が光り、降りゆくものは時に螺旋を描いて吹き上げられ、それも光る。また光る。
 渦巻く銀河の虚ろな中心点に欲情し、僕の小さなペニスは痛いほどに勃起していた。


鉄塔に登る

  右肩

 嵐の夕暮れ、鉄塔へ登った。
 雨は、剥がれ落ちる神様の体。
 百億個の小さい海。
 天の花園へするする伸びる時間の、
 とがった先端で私は、手を振っている。

 こんにちは。丸井のビルの赤いマーク。
 こんにちは。『北園克衛詩集』。
 私もしばらくは人間でいてみます。
 
 こうして高いところでは、
 嵐は生きている。嵐は、言葉も知らないのに、
 大きな声で一生懸命に何か言うので、
 私はただ、はためいている。
 引きちぎれるほどの幸せです。
 生きていて、本当に楽しいこと、何もないよと、
 自信持って元気よく言えます。

 シンデレラのガラスの靴も、
 ひとの魂の破片も、ハンバーガーの包み紙も、
 ボーイングの旅客機も空を飛んでいく。
 昨日の私と明日の私が飛ばされていく。
 昨日私はいなかった、明日私はもういない。
 今そこに光る、稲妻のように孤立した、
 無垢の今日、今日の私。
 
 私は、人から離れて、空を行く記憶となって、
 誰とも何ともつかないものを、
 熱烈に愛しています。





*『北園克衛詩集』

朝(詩集『火の菫』より)

 冬が手套をはく
 銀行の花崗岩に木の枝と小鳥が写る
 怠け好きな友よ
 お
 人間でゐよういつまでも
 午前十時の街を歩く
 太陽が歯を磨いてゐる


どこへ行きますか

  右肩

夕空のにおう冷たいキップを買いませんか?
小さな気泡のような呟きで書き入れられるわかりにくい目的地を
街を練り歩く魑魅の呻きからすれ違いざまに掠めとって
僕と一緒に鮫型のクラシック・トレインへ乗り込みましょう。
あとは夢の谷間で翼をもぎ取られたやせっぽちの仔鹿のために
二人して未明の涙を流すだけです。
そうです、だから行かなければならないのは
クリスマスという言葉さえまだ誕生していなかった頃の
ヒロシマという黒い荒野の初冬です。
悲しみにもならない感情の震動で粉々になった
ピュアな光の欠片のように、ときどきは虹に似た予感として
列車は影から影へまったくばらばらに走り抜けていくでしょう。
ひしゃげて潰れてまたひしゃげたシャンパンのガラス瓶が
引き伸ばされてひねり回され笑われて攫われて転げ落ちる。
縮れた枯草が山からの風にゴオと鳴る急傾斜の坂道を
僕とあなたの列車も軸の磨り減った鉄輪を希望の湧出で浮かせ
一気呵成の落雷となって走るのです。

そこはかつてダリヤと蝉と海の予兆に満ちていました。
新しい木材の切口の発する香りを気に留めながら
僕は石造りの橋を渡った。
美しい小舟のわずかな上下動が僕の核心を
過去と未来との間で隔絶した夏を
睡りを促す母の手となって揺らします。
行き会う人たちの顔・顔・顔
表情というものがまるでない顔の間に作られたスペースに
身体をぴったり嵌めるのも未熟な悦楽への曖昧な刺激でした。
トタン屋根の軒下に掛かる物干し竿には洗いざらしの下着が
絞り皺を残したままかさかさに乾かされていましたっけ。
やがて重い影がごろごろと転がるだけの歪な野原にこの街は変わり果て、
黒い器のどれにも黒い中身がぎっしりと詰められます。
今度は何の壜、どんな缶の蓋を開けるのですか、と迷いの風がつむじを巻くほどに。

白い太陽を絞ると真っ青な海が冷涼に滴り
アルコールに漬ければ甘い夕暮れが赤く零れます。
海の藻屑となって海溝に沈んでいる不定形の塊から見ると、
僕たちの鮫の軟らかな腹部がすべすべとしたシルエットになって映る。
それが遙かな高みで悠々と身をくねらせながら
それでも重力に引かれて少しづつこちらへ沈んでくるのです。
こんなにゆっくり近づいてくる迫ってくるもっとも純粋な舞踊。

列車の窓から覗く人々の顔はとても美しい。


フェリーボート

  右肩

 今度市村さんと連れだって滝さんのお見舞いに行きます、という君からの短いメールを携帯で受け取った。滝さんは胃の三分の一を切除してしまい、気力を無くしている。僕が見舞いに行ったときには、紙のように白く乾いた表情を窓の側へそらして、「医者の言うことはさっぱりわからないよ。」と何度も同じことを繰り返した。スチーム暖房のパイプがカンカンと音を立てていた。六人部屋には4人の患者が入り、七〇歳くらいの老人が、痰の絡むような咳払いをしていた。君も恐らく同じ言葉を聞かされ、同じ風景を見るに違いない。

 彼の病室の窓に貼りついた憂鬱な曇り空、その裏側へ潜るようにして僕は町を逃れた。だから旅路は雲の世界の地図に従うのだ。船が空も海も境界線をなくしてしまったような靄の中を進んでいく。窓の向こうにかろうじて小さな島が見え、そんな人も住まないような島の存在が、悲壮なまでに強く現実を主張しようとしている。そうでなければ僕もこのフェリーももう何処へも辿り着かないで、永久に靄の中を漂わねばならないのかもしれない。時計を見る。午後二時よりまだ少し前だ。連日の睡眠不足と旅の疲れに景色の単調さが重なって、僕はさっきから強い眠気に襲われている。ところが、船中のテレビの音や、子供の歓声のせいか、眠りが眠りにならないで、切れ切れの意識がひどくはかなく流れていくばかりだ。船の揺れはほとんどなく、エンジンが船体を震わせる音がこもる。

 君と、市村さんや滝さんも入れて、十人に少し欠けるくらいの人数で、富士五湖にある長者が岳へハイキング登山をしたことがあった。藪の向こうに富士が見え隠れする眺望の良いコースだった。そこで、僕らはドッペルゲンガーの話をした。その時のことが僕の意識に滑り込んできた。「ブロッケン現象というのがあってね。」と滝さんが言う。あの時見えていた富士は見えず、僕らは霧の道をむやみに急いで登っている。「霧の中に自分の影が移る現象でね。純粋に光学的なものなんだが、影には光の輪がかかる。でも自分の影なんだから、これもドッペルゲンガーさ。」僕らの登る方向に大きな影が光輪を被って立っている。それは僕の半生を尾のように引いているもう一人の僕の姿だった。僕は絶句した。君は目線を僕の影に貼り付けて意地悪そうに笑う。元気よく滝さんが続けた。「ドッペルゲンガーは死の予兆だ。確かに死の予兆だが、何、人生は総て死のメタファーだからな。同じことだよ。」そういう滝さんは、いつの間にか病室で体中に管を通されている。「死ぬのはあなたじゃないか!」と僕は恐怖に駆られて叫んでいた。その時僕は病室の天井の片隅に貼りつく離脱した幽体だ。

 意識が戻ると、僕は今朝買った新聞に目を通そうとした。相も変わらぬ戦争報道が、大見出しで並んでいる。大局のつかめない、統制された情報の断片に何があるというのだ。僕は手にしたばかりの新聞をテーブルに放らなければならなかった。「ブッシュ」「バグダッド」という二語が、特大の活字になって逆向きにこっちを睨む。窓へ目線を逃しても、船はまったく靄から抜けようとしてはいない。

 君とは、肩に手をかけることさえできないまま別れた。転職して隣の市へ引っ越す、と聞いたのも人づてだった。そのくらい電話でもメールでも何でもいい、直接僕に知らせてくれたら良かったのに。それなのに、なぜ今頃滝さんの入院した病院の名を他の誰かでなく、僕に確かめようとするのだろう。まさか僕を苦しめるためでもあるまい。君は小指くらいの大きさの、緑の蛇だ。意地悪で危険で優美な鱗に覆われている。すすっと僕の胸ポケットに入り込んで、知らない間に何処かに噛みつこうとしている。僕は君を見失ってしまった。魂の痛みだけが、君の存在を間接的に関知する。君とは誰だ?むろん、僕が僕自身を誰だと知ってこんな疑問を持つわけではないのだが。

 僕はカウンターでコーヒーを飲むために席を立った。途端に大変な勢いで走ってくる三、四歳の男の子とぶつかりそうになり、かろうじてかわした。彼は泉の水が噴き上がるような、ものすごい笑顔で僕に笑いかける。まだ大きな頭、細い手と足。長い未来。この小さな出来事がよほど刺激的だったのか、全身を声にしたように叫ぶと、彼は黄色いトレーナーのチワワ犬のプリントともども走り去っていった。愛しい、と思った。そのまま自分のいた席を振り返る。すると、さっきまでの僕が片手を上げて愛想良く合図してくる。これもまたいいではないか、僕よ。僕の向こうには嵌め殺しの丸窓があり、ぱらぱらと降り始めたらしい雨が、斜めに水滴を走らせている。島影は既に視界から消え、靄を背景にゆっくりとこちらへ向かってくる採石運搬船が見えた。


岨道

  右肩

 足下から小石が落ちていきました。岩を跳ねながら雑草や松の枝に当たって、途中まではそれとわかったのですが、直ぐに見失われ、激しく打ち寄せる紺碧の波に呑まれて延々と続く怒濤の音に紛れてしまいます。この道を伝って、武田の軍が今川の支城の一つを攻めたことがあったそうですが、その時にも十人近い鎧武者が転落して死んだということです。両手を広げ崖にしがみつくようにして、なるべく下を見ないで済まそうと思うと、つい脆いところへ足を下ろして道のへりを崩します。僕はもうこの先の、平坦な当たり前の地面に立てることはないのかも知れない。そう思うと余計膝に力が入らなくなって、仰向けにのけぞりながら転げ落ちてしまいそうな気持ちになるのです。
「頑張りましょう!」
と前を伝う木島さんが少し掠れた声を張り上げるのですが、こういうときには逆効果です。手の使い方だとか、足の運び方だとか、もっと冷静で具体的なアドバイスが欲しいところです。そう思っていると、「あっ」という短い悲鳴が聞こえ、がらがらと岩の崩れる音とばきばき木の枝の折れる音が続きました。どぶん、という水音も激しい波音の間に聞こえたような気がします。
「今村さん、今村さんが落ちたっ」
と木島さんがわめきました。僕は怖くて自分の後ろについていたはずの今村さんを振り返って見ることができません。もう何の掛け声でも構わない、安心感が欲しくてすがるように木島さんを見ると、大きな顔に汗の粒をいっぱい張り付かせ、僕の後ろへと目を大きく見開かせています。その目と目線を合わせようとして、「木島さん」と声を出し始めた瞬間、下へ引っ張られるように木島さんの体が姿を消してしまいました。


トトメス3世

  右肩

 トトメス3世は、かつて僕の飼っていた猫の名前です。非常に癇の強い猫で、いつも神経質そうに前足で首の裏を掻いていました。特に雨の前の日にそれは激しく、餌皿を持った僕の手をいらだたしく爪で引っ掻いてまでそんな行為に没頭するのでした。これがあんまり激しかった年、七夕の日に豪雨が襲い、天竜川の鉄橋が倒壊したほどです。雨に興奮する猫だったのです。
 それは彼が目を閉じるごとに、どうにも不吉な夢が襲って来るからなのです。つまり飴色の鼠の大群が押し寄せて、彼の眠りの海の中へずぶずぶと押し入ってくるのです。とてもおいしいので、トトメス3世はやってくる鼠を手当たり次第に食べるのですが、食べても食べても雨粒のように押し寄せて来るのです。しまいには尋常でない満腹感でくたくたになり、吐く息にまで鼠の血が混じるほどですが、それでも鼠の来襲は止みません。眠りの海の領域は、トトメス3世の意識の7割を上回るのですが、広大な海も徐々に徐々に丸くふくれあがった鼠の死骸で埋まっていくように思われます。それは彼が目を覚ますまで延々と続きます。来る日も来る日もこんな夢が繰り返されるのですから、夢の海は次第次第に狭められてゆきます。このままでは彼の心地よい眠りは飴色の鼠にまったく奪われてしまうに決まっています。
 こんな状況に置かれた猫ですから、彼には死を待つことのほかには頭の後ろを掻くより仕方がなかったのです。いや、他にどんな選択肢があったというのでしょう。彼が亡くなって30年近く経ちますが、食事の最中に時々箸を止めて、僕はあの気の毒な猫のファラオのことを思い出すのです。


私家版・死者の書

  右肩

 ロードスターのトップをオープンにして走っていると、地上すれすれを飛んでゆく桃色の海月のようなものと擦れ違い、思わず身体をひねって振り返った。だから、僕はカーブを曲がりきれず激突し、死んだ。白いガードレールに車体が突き刺さる。僕の実体が大音響の真ん中で揺すられ、一気に肉体から外れた。最後に見たのは半分黄葉したイチョウの街路樹だった。それが破砕されて広がり、緑と黄色の無限のタイルとなった。タイルは猛スピードで攪拌される。攪拌されつつ視界を満たす赤い雲の懐へ、延々と、音もなく、なだれ込む。その破片の一群は、あれは僕自身なのだ。と、臨死の僕が理解する。子どもの頃神隠しの森で見た夕焼けの匂いがしてきた。激しく変形した車から、僕の動かない片腕が突き出ている。それが見えた。

 僕は、人間の数十分の一ほどしかない大きさの鳥人となって、雑然とした机上に置かれた白いコーヒーカップの縁に、外向きに腰掛けていた。何処の誰の机かはわからない。積まれて崩れ落ちたポストカードの束をすぐ下に見下ろしていたけれど、そこに書かれているのがどの国の言語かすらもわからない。僕にとってそれはもうどうでもよいことだ。コーヒーの匂いのする湯気が背中から全身を包み、僕の体はじっとり濡れている。たたんだ翼では、密生した白い羽毛の先へ、じわじわと滴が流れ始めているようだ。
 やがて女性が飲みかけのコーヒーを飲むため、やってくる。何処の国のどんな人種で、どんな顔をして何を考えているのか、僕は知らない。特に興味もない。ただ、性器の痛ましい乾き具合や、子宮で醸成される重苦しさへの共感だけがある。受胎告知をするにはそれで充分だ。処女が受胎し、僕がそれを告知し、そのあとに何か、大きな、意味の塊がこの世界へ繰り出してくる。それが何かは僕の問題ではない。何だろうそれは?

 部屋の窓から、青紫の山なみや蛇行する川のきらめきが見える。地形の起伏に沿って緩く波打つ麦畑。麦秋。正確に発声されるソプラノの旋律のような、麦の色。所々の立木がひらひらと新緑を翻している。近景は窓枠で唐突に切断されているが、こちらへ向かう径をゆっくり歩いてくるいくつかの微小な影も見える。あれが人間である。これから誕生する何かによって、大きく揺さぶられる群体のかわいそうな一隅だ。あれらもやがて赤い雲へと流れ込むべきものの一部だ。

 あるいは、生まれ来る大きな塊は僕自身なのかも知れないし、来るべき変動の中で真っ先に粉々になる甲虫がその時の僕なのかも知れない。その両方かも知れない。とにかく役割を終えた僕は、翼を開いたまま茫洋たる未来へ向いて変容していく。そのことはわかる。
 今はこの位置から見えない太陽が、おそらく僕なのだ。雲の影が地上を滑らかに這って進む。背後にあるもの。昼を作り、また昼を作ろうとするもの。夜を作り、また夜を作ろうとするもの。


クウキ

  右肩

 八月二十三日、病棟三階。廊下の窓からすぐ下を見ると、向こうは微妙に歪みを持つ木造アパートで、その狭い庭に蓬、茅萱が密生する。

 午後の直射日光から沈む混濁。混濁の草いきれ。

 芙蓉のひと叢は、屋外階段の先、二階の部屋のドア付近へ届こうとしていた。麻の開襟シャツにジーンズ姿の僕がセブンイレブンのレジ袋を持ってそこに立ち、病衣を着た僕と目を合わせる。

 その僕が立つ背後のドアのさらに背後、室内の上がり口には、扉付きの下駄箱があり、その上には丸い金魚鉢。蘭鋳が泳いでいる。

 鉢のガラスを隔てた蘭鋳の視野に衣料メーカーのカレンダーが掛かり、グアム島の海岸に立つ、白いワンピースの少女が八月のグラビアの中にいる。

 麦わら帽子を被り、こちらを見て笑おうとしていた。笑う直前の表情にまだ不安が残っている。

 金魚の視界で、映像は人の形を結ばない。茫洋とした色彩が染みつくだけだ。しかし、その中にも不安は飛散し赤茶色の細かい染みを作っている。既に秋の冷気を持つ点。点々。

 あらかじめ敷かれた軌道を、総ての生物と無生物が滑らかに遅滞なく移動する。

 たとえば病棟の窓へ舞ってくる菓子のビニール袋に書かれた「太子堂」という太文字。それがすすっと表意の役割から離れ、爪先できりきり回転しつつばらばらな言葉の隙間に落ちていく。そして光の裏側、闇の深みに音も無く吸い込まれると、もう戻らない。

 少し前、医者から再検査を言い渡され、ショックを受けた。命の終焉がドラマの形をとって動き出したように思えたのだ。サイドブレーキの故障した2トンほどの積載量を持つトラックが、ゆっくり坂を滑り始めたような気がした。もちろん、運転席には誰もいない。

 病衣の僕は窓に向かったまま、アパートの前に立つもう一人の僕に繋ぎ止められている。

 金魚の視界の中の、白いワンピースの少女が実体を失って世界を浮遊していた。空気の中に溶け込んで、誰にも見えず、感じず、何の影響を及ぼすこともない。それは人間の五感には既に捉えられない存在であった。


  右肩

 ミシシッピ州からやってきた鰐がこちらを見ている。美しい鰐だ。愛している、という目で僕を見ている。いつか君を食べる時がきても、ゆったりとくつろいだ幸せな気分で、よく噛んで粗相の無いように食べます、とその目が言っている。それはいやだな、でも、もし逆に僕が君を食べることになったら、僕もよく噛んで食べることを忘れないようにしよう。黒々とした熱い鋳鉄の皿の上で、君の肉片は適度な大きさに切られ、焼かれているはずだ。落ち着いて、じっくり食べて、できれば食べながら声を上げずに泣こう。僕と鰐は愛し合っている。鰐の故郷、ミシシッピ川の丈高い草に覆われた川辺はとてもよいところだ。
 僕らは今、薄暮の霞んだ月を戴いたユーラシア大陸の一画、平原に並んで立っている。僕らしかいない。春の草花が一面に揺れて、幽かな、しかし嗅覚を超越して深い匂いを放っている。僕らは愛に包まれて、つまり眠りよりも濃い安心感に陶酔しながら、これからこの草地を歩いていくだろう。草の隙間からしらしらと輝くものが見える。かつて城壁を構成していた石積みの名残だ。断面の凹凸も角も磨り減り、柔らかく崩れた石の塊が、草花に隠れながら、紫や青や赤や黄色が暗い緑の中からにじんで浮き上がる空間にちらりちらりと見え隠れしながら、延々と連なっている。
 鰐よ、総ての喜びは記憶と、記憶にない歴史の隧道をたどってもたらされる。総ての苦しみは何も無い未来から光として流れ込んでくる。君とここにいるということは、その二つが無限の愛によって抱擁し合う場面を目の当たりにしているということだ。裸の肌と肌とが触れあって、冷たく燃え始める。赤い興奮が唇として重なり舌となって絡み合うと、その先は必ず充分な余裕を持って相手の核心に届いている。愉楽。射精は言葉をもたらし、受精はモノをもたらす。産まれてくるものは喜びの膣口と苦しみの肛門を突き破って足を伸ばし、その足が地面に触れるとソックスを生成し、スニーカーを生成し、下側から段々と日常のかたちを生成してそれは今僕として君とここに立つ。鰐よ、君と歩き始めようとしている。
 生きている意味ってなんでしょうか?と鰐が僕に問いかけているようだ。生きているものを生きたまま食べる時、口中にしぶく血、その感覚が質問の起点です。鰐は僕に問いかけの意味を解説し、すっと目を閉じる。その瞼から金色の波紋がさやさやと広がり、徐々に地表を夜で浸す。僕は答える。鰐よ、意味は言葉によってもたらされるものだ。しかし、言葉は発せられた時既に固有の意味を背負っている。意味によって意味を語ることは堂々巡りに他ならない。僕たちが人生に苦しむのは、この堂々巡りが未来から光となって僕たちを照射するからなのだ。過去に注意を向けるといい。この春先、この花野に降っていた最後の雪にだ。生きることの意味は日の当たる土地に降り注ぎ、たちまち消えていく雪片だ。百億千億の意味があり、等しく光の中で輝いている。総て言葉ではなく、総て正しく、総て瞬時に消えていく。僕たちに与えられた生きる意味がそこにあった。今それは一面の花として、冥界からの残光に喜び輝いている。喜びは記憶と過去とからやってくるんだ。鰐よ、僕らは予兆としての苦しみと、記憶や過去でしかない喜びから絶えず産み出されている。そのみどり児だ。愛している。僕も君を愛している。
 僕と鰐は古代の城壁に沿って延々と歩くだろう。歩くうちにもあちこちで積石は厚焼きビスケットのように割れ、割れ目から星が生まれ、意味は天に帰っていく。しゃりしゃりというかすかな音。絶えることのない美しさ。


骨の王

  右肩

 少年が黒いTシャツの上から羽織っているレモン色のパーカー。陽差し除けに母が着せたのだった。信号待ちをするタクシーの後部座席に並んで坐っている。
「お母さん。」と彼は呟くように言った。
「あそこ。犬かな。轢かれて内臓が飛び出している。」
本当は、それは毛布だった。
表がベージュ、裏の赤い毛布が路上に落ちて、捻れたまま通りすぎる車に轢かれているのだった。暗く汚れていた。

タクシーは動き出す。

彼にはもうその実体を検証する方法はない、永遠に。
そして現実に世界の何処かで、今も多くの犬が路上に骸をさらしている。
少年の殺意はレモン色のパーカーに包まれ、まったく見えないままだ。

 母親は彼の肩に手を回すようにして身体を引き寄せた。細く柔らかい髪の毛と頭皮をとおして、その子の頭蓋骨の形、それを掌の中に抱え込んでしまう。
シャンプーの甘い匂いがする。匂いが網の目のように母の意識を覆っていく。
好き。性の愉楽が身体を舐めに、記憶の底から舌を伸ばしてくる。あの夜のこと。この子を受胎した夜、列車のコンパーメントでの情事。

(もしこの子が病気から生き延びることができたら。
 生き延びて成長したら、父を殺し、わたしと交わるのかもしれない。
 いい。それでもいい。わたしも他の人もみんな苦しんで死んでいく。)

「犬のことは考えなくていいわ。犬は犬の天国に行った。今ごろはボールとじゃれてるの。」
だが、轢き潰され埃にまみれているあれは、犬ではなく毛布だ。

母も子もそのことを知らない。

 この子の父親は三年前に失踪した。
 二年前、元気ですと手紙が着いた。
 二年前は元気であった。
 三カ月前に死んだ。

母も子もそのことを知らない。

将来も知ることがない。知る方法がない。
子が知らないまま、父殺しは既に成就していた。
十歳のこの子が母を娶るのはいつか。
心臓が破れ、そうなる前に死ぬのか。

 ガラスの向こうに、初夏の危険な光が氾濫している。遠くの山上でショッピングセンターの廃墟が歪む。そこへ続く雑木の暗い緑。見えるところ、見えないところ、あちこちに絡んだ山藤の蔓から、枯れた花房が下がっている。いくつも。人生は隅々までくまなく恐ろしい。

 ルームミラーから後部座席を見ると、少年が黒目がちで大きな目を開き、こちらを見ていた。母親は目を閉じ、頭を傾けている。
あどけない。眠ってしまったのかも知れない。子どもを置いて親が眠ってはいけないのに。
運転手は自分が誰で何処へ行こうとしているのか、既に忘れようとしていた。
母親は眠り、子どものギザギザの縁の想像力は、浸食領域を広げつつある。

(死んでしまったものすべての上に、生きて君臨したい。ぼくは骨の王になる。骨の王は、大腿骨にチェーンを通し、いつも首から吊している人だ。)

 夢の坂を下り、夢の坂を上る。
 夢の交差点を右折し、夢の架橋をくぐる。
 夢の車輪は四つとも燃えている。
 夢の匂いが焦げ、夢の電話線が走り、夢の木造建築が三棟、地上から浮き上がり夢の炎を纏っている。
 夢の窓に覗く夢のひと影を確かめる間もなく、夢のタクシーは夢のような速度で首をもたげ、夢の天頂でああと鳴く。
 夢の鴉になる。

 母は目を開けながら、傾いていた頭を持ち上げる。子は背筋を伸ばして坐り、真っ直ぐ前を向いていた。運転手の目がミラーに映り、こちらを覗いていた。その目はこの子の父親に似ている。
だが、父親ではない。母の官能は冷め、斜めに揃える両脚の奥、性器は清潔に乾いていた。
「次の信号を左へ曲がって下さい。曲がったらすぐ次の信号のない交差点を左です。そこから五十メートルくらい行った先です。」
運転手は頷いた。終わりが近づいていることがわかった。

 終わりの先のことまではわからない。


言語的存在とは何か

  右肩

第一編
 靴屋の冬靴。言語的存在になるところ

第二編
 文法規則は牝馬 赤黒い脚四本を雪に立てる

第三編(実在は言語的未遂である、と彼は僕に言った)
 セントルイスを語らぬ羽音その冬蝿

第四編
 笑い声ではない決してない鰤起

第五編(硬貨を八枚並べなさい、と君はバカなことを言う)
 空腹の言語の神のこの吹雪に硬貨八枚

第六編
 チェス。クイーンは冬林に立っている

第七編
 凍港という語が追い立てる船という語を

第八編(鴉に読めない文字が包装するもの。その実体が嘴で剥かれる)
 もの喰えば鴉ああと鳴く。経済の内実を剥く

第九編
 幻影を言語周回す。クリスマス。

第十編
 語の爛熟 何も熟していない。地上に渇く種の殻。春。


反「言語的存在とは何か」

反第一編
 僕は靴屋である。靴屋は靴しか売っていない。昨日は肉じゃがを食べた。胃が凭れている。涙が流れる。感情は涙ではない。

反第二編
 僕は獣医である。治療のため牝馬の性器に腕を突っ込んだことがある。文法規則はぶよぶよして血にまみれていた。

反第三編
 セントルイスでは長い放尿を経験した。それは日本での放尿と、香港での放尿と、インスブルクでの放尿と質的に同じであり、量的に異なっていた。
人生とはこういうものの間に嵌め込まれた言語的存在である。もちろん、そこに蝿は飛んでいる。辛い。

反第四編
 鰤起。鰤起。鰤起。姉はダッフルコートを着て防波堤に立っている。鰤起。海から打ち上げられる石は皆丸く小さい。

反第五編
 僕はバカなことを言っている訳ではない。この視界のない吹雪の中でも君の買った三冊の『エロトピア』の古本は八百円であり、釣りがない上に五百円玉は嫌いだ。だから総て百円玉で払って欲しいと言っている。君の僕に向けるねっとりした視線は、決して言語的ではない。

反第六編
 クイーンは裸だ。

反第七編(君は「それも言語だ。唾棄すべき言語だ。」と僕に告げるだろう)
 僕は船である。追い出されることなく凍っている。ペニスも凍っている。尿道口から言語は出てこない。

反第八編
 経済の外殻は証券取引所や銀行にある。内実は魚肉ソーセージとしてビニールの包装に包まれている。僕は雨の日、セントルイスのトイレの片隅でそれを食べた。ほどなく発熱した。

反第九編
 「す」はサ行変格活用の動詞であるが、あらゆる名詞を動詞化しようと策謀を巡らせてきた狡猾な策士である。第九編では、クリスマスの系に列なる言語を周回という動的な語とともに、動詞として動的状態に置こうとしている。危険だ。

反第十編(僕に春がなくても、誰かが持っている。富も季節も遍在する。それでいい。)
 言語は野に捨てられる。


「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする
 「言語的存在とは何か」は俳句的記述ですが、俳句の社会性を個人的世界の個人的充足に置き換えています。ですから、まるで無謬のように振る舞います。
「反『言語的存在とは何か』」は、これに対し、無謬だろうがなんだろうが、屑は屑だ、と「言語的存在とは何か」を規定しなおしています。
 しかし、それは外部からの規定を待つべきものであって、本質的には同質の内容を繰り返す愚挙に過ぎないのではないか、と僕は考えます。僕は考えます。

反『「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする』
 いえ、考えていません。
 


早春

  右肩

泥にまみれたハガキが
届く
夜空の鳥の苦しみから
ねじれ落ちる真っ白い文字

(私のこと、思い出して下さいね
 何か知れない私の
 何か知れない気持ちも)

あの日
透きとおった水が体を走り
とめどなく長いくちづけから
熱を奪っていった
僕の上で君の乳房が
ひたすら泣きもだえた

少しも
離れたくなかったはずなのに
冷たい流れが
何もかもをわからなくしていた
何もかも、今でも何もわからない

痛みと
やり切れない喜びとが
僕と君をつないでいたのか
(一緒に耐えること
 それだけね)
二人が二人でいた理由は
それだけ
愛まで指が届かない
どうしても届かないまま

君は淋しかった夕暮れの野の
スミレの花だ

始めからしまいまで
キスしてもキスしても僕ら
ホテルの窓に
別々の月を見るのだった

ぽろぽろとこぼれる赤い丸薬

泥にまみれたハガキが
死んでしまった君から
届く

北へ帰る雁が
春月に浮き上がり
思い出の片隅で
君の横顔が
美しくすすり泣いている


あなたは空の白鳥で、衛星があなたと僕を見ている

  右肩

机 と 机 の間に波 を曳き
 夕暮れ オフィスか ら泳ぎ出 た
白鳥の翼が 鴨や おしどり の 群れ から
 離れる        それが あなただ 
誰 の 耳 にも羽ばたく 音
空が
 またもや青い
 冬晴れ 
を残し
歩きながらしきりに振る
 首は
地上を 見はるかす鳥
 の仕組みに
 どこか
 しら 似る
  その あなた
 街のマップを
大股で突っ切る
 あなたが歩く 道す じ
それは
 航路 
と呼 ぶ のにふさ わしく
地上の人は
 皆 
死ぬ
濃淡 ある 死の   モザイク

あなたは
攻撃的に
 孤立し
 突っ切って
いく


語ろう、明日を。雲の背後を回る太陽が、雲の輪郭から光を放ち白い。僕は人に愛されない。ガスシリンダー式昇降チェアを低くセットする。事務机の前、背中を丸めている。A4の用紙に、鉄の罫線が格子を引く納品書。インク。その輝ける黒。黒の断片。断片がとりとめなく黄道に連なる。僕は空から零れて今ここにいる断片。きりきり苛まれている。だから明日を語る。服を着ているときばかりではない。裸のときにも明日を語る。裸で歴史の底に落ちている。そこは激しく乾燥しているので、僕は目を見開いたまま、決して腐敗しない。硬い底に、誰かの踵で頭を踏みつけられていたい、いつまでも。そういうことだ、明日を語るとは。


美し い とは ひとり で
 生き 抜く こと か

そうか

ひとりで 生きるもの を 衛星

 見て いる 翼ある ものの
 生きざまを翼なき もの の
生きざま  を
 ホーロー の 白いなべぶた
のような空 を 白鳥 が たどるうちに
 や や あ っ て
あなた も あなたのゆくえが
 わから なく なる
僕  を
 知ら なくなる 僕  も あなたを



地上の希望 を 占 有 し
 衛星が見ている 


桜の精と僕

  右肩

 桜の精はガムを噛むのが好き。緑色の厚いジャンパー。前ファスナーを引き上げて一番上へ。その襟元、灰褐色のボアが首を巻く。「ロシアの密漁船で河口まできた。船、どこもションベン臭くて。まいったよ。」「仕方ない。頼んだんだろ?乗せてくれって。」と聞く。うなずいた。桜の精は鼻を啜る。口から出したガム。親指と人差し指でつまむ。しばらく見ている。その丸い塊を彼女は地球と呼びたいらしい。そうかな?「紳士的。あいつらは極めて紳士的だった。」桜の精は言った。体を売った、その具合が悪くなかったということのようだ。「お前はどうなの?」僕の方をちらと見て、言う。意地が悪い。首を回し、底の厚いゴム長靴をボコンと踏み鳴らす。ひゆっ、川へガムを放り捨てている。

 東風の抜ける町。吹く。屋並みが震える。電線、テレビアンテナ。ほらね。ああ、みな震える。砂塵が立つ。桜、すべてが開く。砂。目をつむる。吹きつのる温かさ。こよなく温かいものせつないもの。せつない。傍らに立つ桜の精、男たちと肌を合わせてきた彼女の体臭。あらゆる女たちの息のにおい。桜の匂いだ。くらくらと視界のけば立つ幻臭。それだ。霾の中に。

 歌っている、桜の精。「徐州徐州と人馬は進む」そりゃ何だ?「わからない。」

 橋を渡る。コンクリートの河岸に散乱する、あれは乾いた魚。魚だね。海藻の破片。そうだね。どろんと暗い、水は暗緑色。吹かれる波、霾曇の海から逆流している。満潮。桜、咲く。咲くだろ?桜、散る。散るね?水面にひとつ、花びら。二つめの花びら。三つめ?四つめだよ。花の屑。屑。屑。花筏?波の起伏。そう、呼吸する。

 「徐州居よいか住みよいか」歌う、桜の精。「往けど進めど麦また麦の 」「波の深さよ夜の寒さ」麦秋、まだ先だね。

 桜の精はもうここにいない。ごぼ。ごぼぼ。ごぼ。やがて。白い空の闇。朝のふうな夜。満ち来る。くるくる。膨れあがる眼球。その、孕む諸々。昨日花びら、今日花びら。花を見る眼球。破裂。血を噴かす、花。吹雪く。

 橋脚の下に放置された、古い木造船の舫綱を解き、僕は川を漕ぎ去った。朽ちかけた艪を握り岸辺の樹々を見まわしながら。水の落花は、漕ぎ行く舟の跡見ゆるまで。花さそふ比良の山風、そうかな?離れ去る僕を見送る。薄暮。白暮。どこにも着かないので、まだまだ漕いでゆくようだ。艪の音。左胸辺りの永い静寂。最も白く硬く、乾いた場所。別の場所、そこへも花の屑は吹き寄せられる。



*引用(「麦と兵隊」 作詞 藤田まさと)
*4月25日改訂しました


追憶の冬の日暮れの物語死にたる猫と川を旅せり

  右肩

 僕に四歳以前の記憶はない。だから、三歳の僕が夕焼けに呑み込まれて真っ赤になった町に立っていたというのも、本当かどうかはわからない。ただ、眼窩から大きく目玉が飛び出し、ひしゃげた胴体の下腹辺りから内臓をはみ出させたびっこの三毛猫に対する愛情は、彼の実在が本当であるか否かにかかわらず本物だ。彼は頭蓋の割れ目から鼻まで滴る脳漿をしきりに舐めながら楽しそうに歌を歌っていた。
「ねこねここねこ、こねこねこ。いぬいぬこいぬ、いぬきつね、ねんねねんねこ、ねこまんま。」
すり寄せてくる体の毛並みが心地よく暖かい。傷口から覗く白い骨。泥濘から伸びる茎の先の、白蓮に似た匂いがする。
 猫と僕は手を繋いで、真っ赤な町の真っ赤な商店街のアーケードを通り抜けた。商店街に人気はなく、どの店でも神仏への供物が売られている。道の突き当たりの堤防まで来て、猫の手を借りて引き上げてもらった。ひときわ赤い川が流れ、ざざざ、ざざざと枯れ薄が波うつ。それから僕らは河原を歩いた。無数の烏が舞い上がり、飛礫のように小さくなって、また降りてくる。川の上流は氷の国で、そこでは夕日も氷の森に閉じこめられ千年間虚しく赤いのだろう、と、僕らはそんな話もしたかしれない。この地方でも、その冬の寒さは格別であったからだ。やがてさらさらと雪も降り始めることとなる。脂の乗った暖かい焼き魚が食べたい。猫と僕は無邪気にそんな話もした。寒風に身体が痺れてくると、何もかも楽しいからだ。 
 その後の、三歳の僕と猫の行方は知らない。それはこの物語が不断に進行し続けているためなのだろう。僕は時々そう考える。


若葉は濡れている

  右肩

 柿の若葉は一枚残らず光に浸り、濡れていた。よく光る、舌に甘い若緑の幻惑。人生は甘い、どう考えても。いや、実は何も考えていない。
 僕は柿の木の下に仰向けの形で倒れ、五月の晴天に向き合う。得体の知れない記憶。それが若葉の向こうから透けてくる空だ。僕は何も考えていなかった。
 ただ慕わしいのは、ひとつの葉の表を這っている蝿の影だ。輪郭の不鮮明な影が裏側に透けている。六本の肢を張り動かない。または、思い出したように微妙に前進しようとする。叢に隠された猫の死骸の、半開きの口から羽化した群体の突端が、柿の葉の上にあって音のない微細な揺動をともにしていた。かつて真珠色の蛆虫であった、それが。

 そういう白さに連なる皮膚が、裸の重量で僕に覆い被さっていたことがある。湿り気を持ち、絶えざる流動を内部に包含するもの、その外形としての女性。彼女は今でも僕の脳の特定の領域に浸透している。脂の塊のように白い脳の、言葉で説明できない秘所に、だ。だから、目を閉じるとあの時と同じに彼女が僕に重なってくる。ひしゃげた乳房が僕の体の上を滑り、動きの中で乳首と乳首が触れあったりもする。太腿の上に太腿が乗り、崩れて交錯する。とても気持ちいい、などとため息のような言葉も耳に流れてくるが、もちろん、今僕のペニスは下着の中でただ尖っている、それだけのものだ。
 目を開けば、まさに蝿が空に飛ぼうとしている。蝿は小さなペニスであり、広大な空へ無防備に孤独を曝して飛ぶ。猫の死骸の、赤黒い肉の裂け目へ帰るのだ。帰るのならば、という仮定の中で、僕もまた彼女の断裂の中にのめり込み、互いに温かく残響する快感へと感覚を返すことができる。
 もうどこへも帰らない、と彼女は囁いてそのまま僕の耳朶をしゃぶった。舌先を起点として総てが曖昧に濡れている。重なって二人、揺動をともにする。それから彼女の肘がベッド脇のキャビネットにあたり、分厚いガラスの灰皿が落ちた。絨毯の上の、そのごとんという音が再現し、それが僕の意識に優しく手を当て、若葉の下の肉身へ押し返してくれる。

 若葉の季節は、生まれたての光の季節だ。遥か遠くの海が眼球の裏でうねっている。波の起伏の中で光が呼吸し、得体の知れない記憶、僕の総ての感覚はその広大な幻から流れ込んできている。

(僕は上半身を起こした。柿畑の緩やかな斜面の向こうは、弟夫婦の家だ。そうだ、弟夫婦の家が見える。大きなダンボール箱のような家の中に、使わない時にはきれいに畳まれて、セックスが収納されている。弟は今頃は勤め先の設計事務所でCADのモニター画面に向かい、その妻はボランティア活動先で古着の仕分け作業をしている。社員旅行でハワイに行った時、マカデミアチョコ一箱、傾けると軸にヌード写真が浮き出るボールペン一本を土産にくれた弟。僕は立ち上がる。だが、本当に「弟」は存在するのか。
 ハワイに行って土産を買ってきたのは僕で、がらんどうの空間でぽつねんと暮らしているのも僕だ。そもそもこの僕は「弟」夫婦の性的妄想の具現化かも知れない、と思いながら立ち上がり、ズボンの尻をはたく。ポケットに手を入れてみると、タバコの箱のかわりにハーブキャンディが数個入っていた。)


「六月」もしくは「青いポロシャツ」

  右肩

 六月が始まった。覗き見る指の間から指の向こうの景色が生まれ、それはどうしてもやるせない。水に無数の島山が浮かぶ奇景だ。雨の匂いがしてしまう。僕は泣きたくなる。泣きたい、という衝動が連なり、小さな太鼓を鳴らして行進する。
 音には緑の蛇が巻き付いていて、死んでしまえと赤い舌を出している。言われなくとも僕は死ぬ。手足二十本の指に二十個のほの白い爪を持つ人間、そんなつまらないものに過ぎないのだから、僕は。六角形の恋が、目の隅の黒い機械から転がりながら出てくる。箱に詰められることもなく、ため息とともに広大な世界に拡散して見えなくなるもの。もしくはそれは、昼餉の後のさびしい空白の時間、後頭部に飛んでくるひらひらした影の気配。昨日、吊られるように跳ね上がり、コッカースパニエルが追いかけていたあれがそれだ。そんなものを追わなくとも、どうせ僕らはばらばらに飛んで散っていく。「僕ら」と僕は言い、突っ伏して言葉をぐいと喉に詰まらせ、後はもう一切何も言えなくなる。目を閉じると六月でも何月でもない空が動かし難く、かつあいまいな色彩で体を覆い始める。色の呼び方を与えられない雲。雲。雲に連なる靄。
 家々の屋根で太鼓が鳴っている。

 かつては「あらかじめ失われている」という言葉が好きだった。今は痛み以外の何もかもが僕から失われようとしていて、僕以外の人々はみなガラスの目で、空間としかいえない空間を見ている。素敵だ。泣きたいという衝動たちはそれぞれ小さな潜水艇に乗り込んで辛い海底の風景を漂い始める。泥の上にわずかに石が乗るだけの、単調な起伏が続く海底。太鼓の音はそこでつぶつぶとした小さな小さな泡になってしまう。水の中をとりとめなく浮き上がっていくためだけに。それもそれで素敵だ。が、ちっとも美しくない。

 「愛は手続きへ解消してゆく。」カフェの窓の下に車が見える。その、ハンドルに被せられていたタオルが言った。タオルの下をくぐり抜けてフロントガラスに居所を移した羽虫も性という手続きを負っている。「では、虫の愛はあらかじめ解消されているのか?」椅子の上で組んだ足の、汚れたスニーカーの先に魂をひっかけておいて、体はひたすら老いる練習を繰り返している僕が聞く。タオルは黙って吸い込んだ汗を咀嚼している。僕のテーブルに置かれたアイスコーヒーのグラスが答えた。「犬に仏性はあるのか、という問題と似たような形式がその質問にはある。それだけだね。」と。車の羽虫がふっと飛ぶ。しかし閉じられた空間に出口はない。今度はカーエアコンの吹き出し口にとまる。フェイスタオルには「I LOVE SPORTS」と書いてある。車の種類は〇二年製の商用ワゴン、トヨタプロボックスだ。目前のアイスコーヒー。グラスは実はほとんど空で、溶けかかった氷がわずかに残る。凝結した水分が玉となって付着している。そんなこんなの辛さ。乾いた涙腺が震えるだけの辛さ。

 僕のかわりに誰かが泣く。美しく泣くのは本当に難しい。泣くのは人に任せよう。その人が、今あそこにいる青いポロシャツを着た、腕の太い大柄な男性でも良いし、そうでなくてもよい。いずれにせよ、彼は僕よりもしっかりと、ちゃんと泣けるにきまっている。彼の人生については何も知らないが、そうにきまっている、と考えなければもう僕は生きていけない。
 六月の島山が、とうとう光を浴びることのないまま僕の目の裏側で夕闇に沈もうとしている。やるせなさも終わる。午後二時半のこの場とは関係なく、僕は幻視の中の一日を早ばやと閉じてしまう。指を広げる。広げた指をまた閉じる。その指の向こう、ああ、どうにも辛そうな表情で、青いポロシャツの男はトレーに乗せたキャラメルマッキアートを自分のテーブルに運んでいる。辛そうなふうに見えてくるのだ。彼こそが本当の悲しみを泣く。
 希望は僕の知らない場所にしかないのだから。


神のもん

  右肩

 わたし、おふだが降ったらお伊勢に行くんだよ。
 いつ頃?電車で?
 降ったらだよ。降るかどうかわかんないじゃん。
 わかんないのに行くのか?
 わかんないから行くんだよ。良ちゃんはロマンがないよ。
 ロマンと無計画はべつじゃね?
 それ、いじわるじゃん。バチがあたるよいじわるな人には。
 え?あたるの?
 えい。
 あ、痛ッ。
 ほらあたった。
 おまえ、痛いんだよ、それ。
 いじわるだからばちがあたったんじゃん。
 バチって、おまえつねっただけだろ。 
 神が奈津にやどったんだよ。つねらせたんだよ。憑依だよ。すげえでしょ?
 あっ?バカじゃね?バチっていったら神罰じゃん、まじそんなセコイのかよ?
 コバチ。
 え?コバチってなによ?
 小さいバチがあたるから小バチじゃん。大バチ小バチで日が暮れるんだよ。
 そりゃ、大バカ小バカでご苦労さんな。
 ちがうもん。えいっ。
 痛いってんだよ。しつこいよ。
 連続小バチ。
 体操の技じゃんそれ。
 いいじゃん。
 そう。じゃさ、ほれ。
 何すんのよ、いきなり!
 必殺、バチ返し。
 どこ触るわけ?ヘンタイ!
 神の門じゃん。シーザーのもんはシーザーに、神のもんは神の門に返しまあす。
 ああ、もう、どすけべ。そういうデリカシーのないの、奈津、すっげ嫌いだって。いっつも良ちゃんに言ってるよね?
 おふだを納めに参っただけだよおっと。それっ。
 おっと。
 え?そういう展開じゃねえの?
 ばあか。今あれだよ、あれ。ざまみろです。
 やばっ。まじショックっす。
 まだあの日、おぼえてないって、まともじゃないよ。血がついちゃうよ?バカ良ちゃん。
 ううんと。じゃ、後ろからいく。
 はあっ?何?
 へへっ、後ろっちゃ後ろじゃん。新しいヨロコビじゃん。
 げげっ。げげげのげ。
 おっ、鬼太郎をたたえる虫たちの唄?
 そんなことしたら殺す。どヘンタイ、信じられないよ。
 地獄送り?やばいなぁ、そりゃ。
 ねえ、良ちゃん、へんなビデオとか見過ぎでしょ?
 冗談だよ、冗談。
 ねぇ、変なの見てるんだ?
 見てねぇよ。
 嘘つき。神の御まえでザンゲだよ?
 えっ?お伊勢さんでもザンゲとかあんの?
 あるよ、良ちゃんなんか嘘ばっかだから、絶対上から水かけられるよ?どうよ?
 おまえさ、それむかしのオレたちなんとか族がどうのとかってのじゃね?いつの生まれよ?
 パパがむかしとったビデオで見せてくれたもん。
 マニアックだよ、奈津パパも奈津も。おれ、マニアじゃねえからね。しかも、それ伊勢、 ぜんぜんっ関係ないし。
 ええじゃないかええじゃないか。
 なんで、そこだけピュアに伊勢よ?
 おふだが降ったらさ、良ちゃんも一緒に行くんだよ?
 降るのかよ?
 たぶんぜったい降るよ。
 たぶんなのか絶対なのかどっちだよ?わけわかんねぇよ。
 あ。良ちゃん、今のとこ、爆笑問題の田中さん入ってる?
 わかった?

「奈津、電車で行くよ。

  神都線の路面電車で行くんだよ。

 集まっている黒い雲と黒い雲の間は、しばらく前まで夕焼けで真っ赤だったよ。それが だんだん勢いをなくし、夜の暗さと雲の黒がしんから黙り始めてしまいます。
 電車の屋根のパンタグラフが、ばちばちと火花を飛ばします。
 そうやってほの暗いお空にもういちど火を付けようとしているのです。
 薄い絵のように透きとおる人びとを呑み込んで、電車が動き始めます。

  がったんごとん。がたごとん、ごとごとん。お伊勢は近い。ごとごとん。

 続くのは軒の低い家とコールタールを塗った電信柱ばかり。
 それもほんのもう少しでみんな影になってしまいます。
 こんな幽霊電車に乗ってお伊勢に行けるのか、と奈津は泣きそうでした。
 それでもようやく窓に田んぼが現れると、田んぼは移っていく宵口の空を滲ませたみず田です。
 ぴたあととまった水の上に
 過ぎていく、
 暮れはてていく、
 お日さまの一日。
 そんなところから、ゆっくり走る電車からでなければ、高天原は見とおせません。
 一生さまよう覚悟があれば、お伊勢は必ずどこかにあるが、
 高天原は幻です。

  なつかしや、高天原。

 奈津はどおしてこんなけがれたところに来てしまったんだろう。
 どおして、どおしてこんな……。
 ひどいよ。」


泣いてもだめです


津田さんと僕。それぞれ

  右肩

 私、うつむいて自分の足もとを見た。白い爪を揃えた素足がらららららとサンダルへ透けている。
 脚は膝の少し上まではそのまま脚。でももっと上、私の体は空色のワンピースを着ていたり、白いブラウスに薄桃色のスカートを穿いていたり、突然裸のままだったり。
 私、決定的に乱れている。誰?何?何ひとつ定まらない。
 でも、そのことに不満を持つ私はもういない。

 背中が裂けた。めくれ上がった鋼板の角が皮膚を切った。力ずくで肉を切った。背骨を削った。吹き出した血はいち度空へ上がってから落ちてきた、ゆっくり。
 そのとき。聞こえる全部、言葉の全部、頭の中全部が悲鳴。私は悲鳴。赤く沸騰して輪郭がとんだ。
 すぐ、紫の平板な板、静かな板になった。頬の下のアスファルトと倒れている私。路面と私、存在の様子が似ていた。見たところ、私は半分ねじれて血の中に突っ伏していた。大破した車の中で、お父さんとお母さんが笑って死んでいた。ほんとうに笑っていたかどうかはわからない。そういうふうに見えた。

 お父さんとお母さんと、車と私の体は迅速に片付けられた。色々な工程を踏んで何処かできちんと処分されている。
 るるるるる。歌われて音符のような、私たち。
 人生は神様のアイディア、夏空にかえる。メガネスーパーの看板と入道雲が重なる空。電線。電話線。やはり眩しい。

 今、うつむいて足もとを見ている私。私の、体のようなもの。
 そこから後ずさってみると、背中は割れている。割れ目からむりむりと押し出されてくる、ピンク色の肉塊。血にまみれて柔らかい。路面に落ちてべちゃっと潰れた。私の自己愛というもの。その後から、茶碗の欠片が少し、折れたハサミと髪の毛のからまったヘアーブラシ。古い文庫本とセブンイレブンのビニール袋。片方だけのソックス。どろっとした血と一緒に落ちた。
 振り向いた私。私の顔も笑っている。死んだ人が笑うことに意味はないようだ。

 私が振り返る。別の私、鴉の私は翼を開いて降下した。私の背中に爪を立ててとまる。翼を畳む。背中の断裂に嘴から潜り込む。私が私を啄むため、しきりと首を振りながら。私、食欲旺盛。私は私の貪欲に身を任せる。削り取られる愉楽と。満たされる快美と。
 腐肉、恍惚、腐肉、恍惚、腐肉。
 私はゴミ、めくるめくまでゴミ。
 私を突き抜け、食い破り、鴉の私が突き出した首を捻って見上げると、包まれた瞼の隙間から、私の眼球が、少しだけ覗いている。漆黒の瞳、金色のふちを持つ虹彩。

 雨が降る。鴉は雨の使い。

 私が雨を降らせている。今は私が、風のない町にぱらぱらと降り注いでいるものの正体だ。
 山の稜線に交わり、街路樹の繁茂に重なり、屋並みにしたたり、蜘蛛の巣に絡め取られ、あるいはまた鳥の姿を得て、屹立する電柱の頭でああと鳴く。漆黒の翼は月のない夜と変じ、貪婪な嘴は町に番うものの精気を啜る。お、情欲に腰が震える、背筋から北極星まで一気に震える。雨の水紋を崩し、神社の池の鯉が浮き、墓地裏の沼の鯉が沈みながら、私の食道、私の胃、私の腸管をずるずると時が流動する。両腕で乳房を抱けば発せられないやおよろずの言葉が町に充填される。生垣の根元から百足が這い出し、ピカピカと甲殻を光らせながら足を蠢かすとき、放送局の電波が私の体を抜け、私は参議院議員選挙、山形三区の開票状況について速報する。「続いて自由民主党選挙対策本部からお伝えします。」と唇が動いて地鳴りの音と重なる。発光、雷同。遠いところ、無数の波の跳躍。
 もう私、地霊になってしまった。



 予備校のかえり道、自販機でコーラを飲むときに見た。路側の花束と、横に立つ津田さん、あなたのようなもの。
 あなたは笑っている。口だけ笑っていて、開いた眼に瞳がない。
 僕はあなたが好きでした。僕らのクラスでは木部と杉浦、四組では三浦があなたのことを好きだった。それから僕の知らないでいる何人かも、たぶん。ただ、あなたはもう燃やされて、思い出とか何とか、人ではない、わけのわからないものに還元されている。死とは実体を持たない抽象的な概念だ。そうやってあなたが、どんなに生前の姿を保って立ち続けていても。
 夕闇の中を山から雨が近づき、ライトを点灯したバスがやってくる。あなたを残してバス停へ走り出す僕。
 僕は変容していく。津田さん、あなたも、木部も杉浦も三浦も。死者も生者も変容していく、そのことに変わりはありません。


まったく新しい蟻

  右肩

秋、すじ雲を吹く風から生まれ、眩しさの中を降りてきた蟻。
天上、地上。撓んだ茅萱の葉の先端で、蟻は僕に知性を教えた。

知性。空に風があり、この扇状地には扇の骨の伏流水がある。
血管と繋がる意識の中を、ふる里の地理が推移する。

 蟻の眼は暗い複眼であった。
 大ぶりの触角が二本、くらくらと動いていた。

「我々の営為は、知るものと知らないものを照応することだ。天文の霊的記録者たることだ。」

蟻よ、そうに違いない。たとい君が走り、増殖し、下草の葉影に拡散し、姿を消すだけの存在であっても。
知るものがあり、知らないものがあって、君や僕がそれらを少しずつ受け入れていく。

地面に横たわり耳を当てても、流れるものの音は聞こえない。
だからといって、希望がないこともないのだ。

僕の体の裂け目の奥に、言葉が大きな空洞を作って待っている。
宇宙の総体が傾ぎ、まったく新しい意味が注がれる。


旅への誘い

  右肩

 あなたが頼まれて巌邑堂に茶請けの練り菓子を買いに行ったとする。帰路、通りすがりに金木犀から呼ばれたものの、そのまま山県さんの屋敷を過ぎるところまで来てようやく足を止めた、と。

 花の色は濃厚な黄色。

 振り向くと今もう見えない小花を照らすのと同じ光が、雲間から路地に注いでいる。注がれ溢れ、こぼれている。電線の影が地上に揺れ、路側帯の白線と平行してアスファルトを走る。
 あなたのスニーカーは白いコンバース。くたびれた靴紐が蝶結びのループを大きく左右に垂らしている。密度の低い午後三時だ。車と人が通らない。塀の向こうから張り出した楠が揺れ、いくらかまとまった量の葉が擦れ合う音がする。

 あなたは死の世界にいる。今日はあなたが死ぬのに良い日和であった。刺激を差異として陳列する「世界」で自己充足するのが人間だ。あなたはそう考えてきたとする。だから、あなた自身がいない「世界」はあり得ない、と。

 あなたはあなたのいない世界を歩き出す。山県さんの屋敷の脇から、狭い狸坂を下る。表具屋の羽目板の外壁に節穴があり、そこへ楓の葉が葉柄を引っかけて揺られている。それを見る。茶色の体毛に覆われた猫が空中で丸まっている。電柱の下に三分の一ほど雨水を溜めたバケツが置かれている、その角を右に曲がる。「菊」という漢字が見えた。冬蜂のようにあなたは歩く。

 こんにちは、「世界」。ごきげんよう、「人間」。

 あなたにはあなたの体が下界の狭隘な路地を抜け、色彩の多様な大通りへ出て行くのが、豆粒ほどの大きさで見えている。それはあなたではない。あなたは畳一枚ほどの白すぎる雲の上に正座し、左手の懐紙の上に乗せた巌邑堂の菓子を、桜の枝から削りだした楊枝で割っている。薄緑の菓子の肌の上を、季節風が吹き、潮流が循環する。その地殻、マントル、外殻、内殻。楊枝が深い記憶にずぶずぶと切り込み、割れめから甘く霞んだ黒色の餡が溢れ出す。
 一方、豆粒のあなたはガラスや、ガラスでない扉からいくつかの建物に出入りした後、夫または妻の待つ場所へと徐々に接近していく。「愛」ということがらについてあなたは考え、そんなものは何処にもないということに気づく。新鮮で、穏やかな驚きを感じている。それはたちまち性愛の喜びに勝る。

 むくと猫が起き出すと体を伸ばし、あなたの記憶の中の六角柱に飛び乗った。それは雪のように白いが、かつて神社で手に取った神籤の串を納める木箱と同じ形だ。茶色の猫もすぐに白くなり、白い州浜の砂を歩く。白砂はあなたの懐紙であり、二つに割られた練り菓子が生々しく濡れた食欲を舐め上げる。あなたの膝元に開いた柔らかな穴から神籤の串が飛び出す予感もある。


あとは眠るだけ

  右肩

 出来事に順序はない、と思いたい。何が進行していたとしても、何が起きている途中であったとしても、僕に残された選択肢は「すぐに眠る」の一事でしかなく、僕がそのことに倒錯的な信仰心を抱いていたとしても、それは悪いことではない。
 意識は瑠璃色の谷筋の隘路を下って昨日へ進む。飴色の流れに沿って薄紅色の湖へ遡行する。湖。それは今さっきスターバックスの女性店員から黄色のランプの下で受け取ったマグカップの中にあってもよい。今日は明日からすれば既に昨日だから。だがそこが何時であり何処であり、それが何であっても僕にとっては認識の位相が幾層にもずれた未知の次元なのだ。シナモンの匂いがした。机に肘をつき顎を支えた右手から頭が落ちようとしていた。落ちようとするのでしがみつくと、僕は大理石の円柱を抱いている。真っ白でありながらどこかしら確信的にピンクであり、冷ややかでありながらわずかに熱を持つ予感がある。そしてそれは犬ほどの感情も持たず、冬の蝿ほどの記憶も持たない。ただ石の柱である。僕はすがりついたまま、滑らかにかつ滑らかに滑り落ちていく。気持ちの良い滑落だ。重力のままにありながら、僕は自由だ。酔ってしまうくらい自由だ。自由だと言える。
 眠りはまた浅緑の蔓である。僕が昼間職場でしてきたこともすべて、荒れ果てた記憶の神殿の列柱なのだから。絡みつくままに眠りが眠りの葉を茂らす。夕景。広い葉の和毛が逆光の中で泡立つように美しい。会社の伝票にレーザープリンターで打ち出されていたアラビア数字や製品の略号が、短い繊毛に埋もれながら優しく浮かび上がる。今は読み説くことも発音することもできないその文字が、神に捧げる呪言なのだ。言葉の内実は薄暗い。「愛」という感情がそうであるように。そしてそれは人生の薄暗さに通ずる、と僕は考えてみる。昼間、会社では僕の席の真上の蛍光灯が切れかかり、ゆっくりとしたテンポで点滅していた。僕は犬の呼吸の、あるいは蝿の呼吸の、あるいは脚の長い羽虫の呼吸のテンポで明滅する世界を見つめ、俯いてじっと祈る。祈るように考える。そこに詩はない。
 何に何を祈るの
 何に何を何するの
 これはそれそれあれはあれ
混濁が眠りの本質であるから、と僕は神殿の床に仰向けに沈み込んで思っている、だから目前のこの場面が唐突に美しいということもある。生きることが決して間違わない。そんなこともまたある。
 ここを外れて、外。外のまた外側、夕暮れに渋滞する車列からエンジンのアイドリングの音が聞こえてくる。バックするトラックのブザー音。硬質なもの、金属パイプのようなものがいくつかかち合う音もする。遠い神社で松の梢が騒ぎ、シャンシャン鳴る鈴が次第次第に数を増す。増せるぶんだけ増してゆく。聴覚の領域が隙間なく埋め尽くされると、僕はすがるべきものから体を離し、粗い粒状の光、形のない映像となった淋しさの中を、額にある眼を見開いたまま、ぐんぐんと沈んでゆく。これでいい。新たな冒険が始まるのだ。冒険には語りうる一切の内容がない。世界が開き、世界が閉じる。記憶と論理と感情に先駆け、前方の扉が開く。その刹那後方の扉が閉まる。前方の扉が開く。通り過ぎた扉が後方で閉まる。冒険とは主体と世界そのものの運動なのだ。僕は底のない眠りの深淵を、喜びとともに疾駆する。
 旅する意志のなすところ、僕は神のように明晰に眠り、水に沈む石のように真っ直ぐに生きることを選択したのだった。たとえ隣席でマグカップが床に落ちて激しく砕けようとも、僕は迷わない。目覚めない。


キューピーと

  右肩

 君と歩くと、皆にこやかな表情でこちらに目配せをして過ぎます。名前も知らない人たちだけどいい人たちだ。僕も軽く頷いたりして挨拶を返す。なぜだろうね。こんにちは。
 君は首のもげた大きなソフトビニール製のキューピーです。肩の間から穴をのぞき込むと、中に油の浮いた水が溜まっていて、陽の加減で虹色の反射が見えてくる。君が何かを話そうとするとちゃぽんと音がする。君、何をいいたいんだろうか。まったくわからなくて僕はつい笑ってしまう。ちゃぷん。しかし僕の笑いは君の笑いです。
 日干し煉瓦を積んだ家が果てもなく続き、狭い路地に日が当たったり翳ったりするけれど、実際仰いでみて空に雲があった試しはない。総ては人の妄想に兆す影なのだ。影。建物の伸ばす影、黒い折り紙を乱雑に重ねる影の輪郭。そこを外れると、太陽がそのまま零れてきて煎餅のように砂地を四角く灼いている。
 影からも光からも、目を離したわずかな隙にたちまちひとつ眼の悪霊が生まれ、溢れる。それは、瑠璃鳥が鳥という形を崩したような声を上げて徘徊する。手の甲や首筋、耳たぶ、鼻、唇。小さいやつらがところかまわず噛み、もぞもぞと下着の中にまで入ってくる。嫌になります。君はキューピーだから煩わされない、そこのところはとても素敵だ。人でなくなったものの美点の一つに数えてもいいと思います。本当だよ。
 忙しく立ち働く人たちもいる。座り込んだり、寝転んだり。思い思いの姿勢で、濡れたものが乾くというただそれだけの時間をやり過ごす人もいる。唐突に走り出し、また突然に笑い出す子供たちと、その手を引っ張る母親たちがいる。ここへ今夜、光るものの破片が大量に降り注ぎ、僕らがみな感情からも想念からも物理からも隔たった、冥い粒子の隙間へ追い落とされるなどとはとても思えない。思えませんね。
 短い腕を明るい空へ逆八の字に開いている君、バンザイ。生きものバンザイ。頭の失われた君が愛しい。ぴたり揃えた脚。もの言えばちゃぷんと水が鳴る。僕は何かを思い出そうとして果たせないのだけれど、君が好き。風景の中で僕はやがて消えてしまう町の風の一部です。青い空を翼もなく飛ぶ、夜の予兆が僕です。それが遙か中間圏の静寂から滅び去った世界を顧みているのです。君、違いますか?
 僕は君の失われてしまった大きな頭を抱きかかえるようにキスをする。有無を言わさずキスをするのは、つまり、皆が何処にもないものを愛せるようにするために神様の仕立てた最初の実験体、それが僕だからです。

 いかがですか?返事はいらない。だから黙っていて。しばらくは黙って。僕にこんなふうに、好きに言わせておいて下さい。


白亜紀の終わり

  右肩

 アンモナイトは古生代デボン紀から中生代白亜紀にかけて栄えた後、やがて絶滅した。僕らにも馴染みが深い巻き貝だ。
 「ずいぶん長い期間に渡って栄えたんだけど、白亜紀後期に絶滅する頃には、種としての疲労が溜まっていたんだな。それがこれだよ。」
と、彼は展示されている化石を顎でしゃくった。アンモナイトは通常円盤状に巻いているのだが、その化石は出来損ないのクエスチョンマークのように見える。
 「異常巻き、っていうんだ。絶滅期に特に多く見られる。こりゃレプリカなんだけどな。」
もっとへんな形に巻いたものもあるんだ、と彼は言った。大学の付属博物館でのことだ。
 もう二十年近くも前の話。

 そのことと、彼が死んだこととは特に関係はない。彼は住んでいたマンションのベランダから転落死した。何らかの原因による事故死だとされた。大学を卒業して7年目のことだ。彼は故郷の旭川に帰っていた。葬式に行くには遠すぎる。電話帳の見本文を使って、弔電だけ打った。

 彼の妻が初七日の後、首を吊って自殺したという知らせがあった。
「状況からいって後追いだろうね。」
と僕は麦酒を飲みながら言った。
「今時珍しい話だよ。君は僕が死んだら後を追うか?」
妻は酒が飲めないので、テーブルに両肘を突いてぼんやり枝豆を食べていたが、声を出して愉快そうに笑った。
「ばかね、そんなわけないじゃない。まだやりたいことがたくさんあるから。」
 九月の半ば頃の日曜日。まだ暑かった。彼女の背後に、ダイニングキッチンの南側のサッシが開け放ってあった。雨の上がった後、庭の芝生と、隣家の竹藪の緑がしっとりと濃かった。午後の三時頃だっただろうか。時々涼しい風が入る。姿は見えなかったが雀の鳴き声も聞こえた。彼女は瑠璃色の半袖のシャツを着て、今までになく髪の毛を短くしていた。白い首の長さが目立った。六年間一緒に暮らしたうち、その時の姿が一番印象に残っている。彼女はとりたてていうほどの美人ではなかったが、この時は妙に綺麗だった。僕は、彼女の生涯で最も美しい場面の目撃者になっていたのかも知れない。何ということもないこの瞬間がこれから先記憶にずっと残るとは、その時は考えもしなかった。死んだ友人とアンモナイトを見た時もそうだったが。

 妻はそれから二年後に、交通事故でなくなった。僕のショックは大きかった。加害者である運転手は、向こう側から歩道を歩いてきた彼女がふいに車の前へ飛び出したので避けようがなかった、と主張し続けた。「こちらを見て運転席の私と目を合わせながら、身を躍らせてきたんです。あの人の姿がスローモーションのようにはっきり見えました。」事故の目撃者は居ない。僕の周りの人間は誰もが、運転手の都合の良い作り話だと怒った。彼女はそんな人間ではない、と僕も人にはそう言った。仮に飛び出したのが本当だとしたら、急に目眩でも起こしたとしか思えない。
 だが、信じられないことだが、ひょっとして自分から車の前へ飛び出した可能性が絶対にないとも言えないのだ。それは今となっては確かめようがない。

 そんなことを考えるのは、時々僕自身にも特に強い理由もなく死の誘惑が襲うからだ。三途の川の向こう側には何もない、犬一匹さえいるわけがない、と固く信じているのだが。
 その度に僕は、人類も異常巻きを始めているのだ、と考えてその場をやり過ごすことにしている。そう考えるならば、僕も、死んだ三人も、同じ絶滅の歴史の一部に過ぎない。絶滅の大きな流れの中で、僕らは生まれては消えるミクロの現象である。個体の生死は、白亜紀後期のアンモナイトと同じく、種の衰亡を彩る無数のエピソードの一つに過ぎないのだ。種全体が衰亡すると、死の様相はより内部的要因に特化して、今までよりも多少理解しにくい異常性を帯びるというわけだ。

 どのみち人生に悩むほどの意味なんかない。そのことも素直に納得できるようになった。


テーブルで一人パンを食べるということ

  右肩

 ボーンチャイナの皿を見ている。霜の朝。 皿に、食べ終えたトーストの破片が少しと。溶けたバターのしずく。しずくが数カ所で凝固している。凝固。霜の朝。
 魂が皿の周縁を歩く。魂が円周を慕うのは、行き止まらない道程が転生の履歴をなぞるから。だから。
 歩く。足の底が持ち上がると、白磁の地表から光が照り返す。僕をその輝きとする。すると、僕はその輝きとして宇宙のへりをなぞっている。
 歩けど。歩けど。皿は。皿。
 意識から切り分けられた骨。骨が粉砕され、その粉末が焼結する。
 僕はかつて、大野城下の寺の蛇であった。境内の庭の隅、灌木の下で玉になって絡まりあう数十匹の蛇。そのうちの一体が僕だった。濃緑の、丈の高い苔のにおい。蛇であった僕の骨が、ここで皿の光となっている。
 密集した鱗の擦れる音。皿の縁に沿う青い唐草文様。
 唐草の文様が伸びれば伸びるほど、皿の肌理が光るほど、光れば光るほど、僕が歩くほど、歩けば歩くほど。
 記憶の生理が過去を導く。生理。
 僕は大抵のことは信じない。が、既に起こったことが未来に投影されるとき、確信される記憶の触感。触感が掌を濡らす。濡らすのだ。何事もない生活。その生活から吹き出た血液のように。
 しかし引き締まった寒気が僕を硬く包む。しかしまた。そしてまた、関東平野、痩せた小枝の先でも、ものの芽を二重三重の外皮が締め上げている。ものの芽を。外皮が。どうにもできない曇り空が窓ガラスに密着している。吸着している。
 僕は人のひと滴。ひとり。ヒタリ。パン皿のへりを滑る。るるる。未来へ遡る。未来。投影された未来から、食卓の椅子の上から。見ている。どこか。どこだ。バターのにおいがする。

(いつだったか、女の子と始めて舌を絡め、長いキスをした。キスしていたのは町外れの河原だった。唇を寄せるとき彼女も僕も、目を閉じた。キスはほんのりとバターの味がする。目を閉じてしまっているが、さほど水量のない川の中に青鷺が立ってこちらを見ているのがわかる。その鷺と僕らを一直線につないだ川向こう。そこに人物が一人立っていて、やはりこちらを見ている。男か女か、おおよその年、服装もそのときはわかった。が、今、それを思い出すことはできない。キスはずっとずっと続く。終わらない。鷺の目がこちらを見ている。川向こうの人が鷺と僕たちを見ている。キスの相手の彼女も、実は瞬きもせず目を見開いて僕を見ている。僕の視界は二〇メートルほど浮き上がってこの構図を見ている。空の一点を中心に地上の風景が回った。僕と彼女と鷺と、川向こうの人も回った。回るうちにゆっくりと形がなくなって、瞼の裏に薄明るい闇を揺り戻した。)


きゃらめる物語

  右肩

 半びらきの口
 ミルクキャラメル
 ぬれるミルクキャラメルの
 舌のうえの愛らしさ
 かくめいしたい 息と息
 くずれるミルクキャラメルの ながい舌
 のびて ふたつながら のびて
 舌さき を 舌のね とからみあわせ
 ぜつぼうてきに甘いまま
 のどの やわらかなのどの 奥まで
 おしこみおとしこんで
 もらいたい もらい受けたい
 あつい政治のきせつを
 ゆたかさが ろすとばーじんする きせつを
 あめとむちとキャラメルの
 きせつを
 みずと砂とヒトデの きせつを
 裸でくらす
 しろいきいろいきめこまやかなはだ
 はだけて
 あしを あしたを 大きくひらいて
 ぴんくの
 ジャングルから ながす テロップ
 あじてーしょん
 いみてーしょん
 いみねーじゃん
 かた足の太ももを かたに乗せかけて きて
 ごう引にせまる こかん 熱たいの奥そこ
 ふりそそぐ あめ
 あめの中から あめの中まで あめをこえて かすむ密りん
 しょうげきの 走る すこーる
 に おもわず
 あはん 赤はた あふん
 あふれよ ふれよ ふれ
 ふれ はたをふれ いいよる男をふれ すがる女をふれ
 あたたかだった 経ざい成長きを
 ふれ
 しゃしん立てに パリス・ヒルトン
 思いでの フジコ・ヘミングウェイ
 けん盤をとび とびこえて
 ゆびさきが
 ゆびのはらで ひたひたと ささやきかける
 つめたいおしり
 つめたい丸みを ばらばらに ぱらぱらと
 ゆびがたびする
 ゆび 五ほんぷらす五ほんいこーる十ぽん
 の ゆびが
 つらく みじめな たびをする
 白いはとはのあいだ くちびるのはしから
 つつつと
 つつつつつと
 もれる 甘い苦もんの よだれ
 むざん むさん階級
 吐いきも 走れ 玉のしずく
 おもわず あらがえば
 喜びのきふくを ちちとみつのながれる
 はだのきふくを なめて ながれこむ 
 するどいき裂の みずうみを わって
 わたって 中みのない記おくへ
 ぼくがぼくという一人 で なかった記おくへと
 はてなく もぐろうと するそれも
 丸い しへの いざない
 丸い 百おくのあたま が 寄りあい寄せあい
 たかめる 音のない 怒り
 しづかでうつくしい現しょう
 うつくしい
 だけの えねるぎー ぎりぎりと 歯ぎしりも
 する 人とうまれた 不こう
 くやしさ
 もう、我まん 
 しない こらえない
 やけた砂 つぶだつねん膜
 ねん膜を あぶる燐寸
 舌さきあかく とろかせ
 もうそうも にくたいも
 もやせ砂つぶのなかまにみなかえるまで
 砂として 砂を うめよ
 増やせよ 地にみてよ
 砂きゅうが
 砂きゅうの しるえっとが
 さまざま そう似形をきそう
 ゆうぐれの 地へいに
 なるまで
 ふかく 鼻こうふかく
 におう満ぞくと 安そくの
 ため その
 ため その
 こと葉やみ来を すてて
 ばらばらのぶつぶつのこなごなのつぴつぴのつつつつに
 なることができて
 しまう
 ように。


ドーナッツ

  右肩

 後ろから犬がしきりに吠えてくる。僕の歩いているこの通りは実は平板な白さの広がりで、目に映る何もかもが何処かからここに映写されているのではないか、と思える。だから道を歩いたり、立ち話をしたり、駐めた自転車に鍵をかけようとしている大勢の人たちは、見る角度がズレるとすぐに消える。見ている僕の体も映写されている。実体は僕の魂と、姿も見せずに真後ろで吠える犬だけだ。しかし、実体というものが、映写された周囲との間に核心的に重要な差異を持っているとは思えない。思えないでいる。「ミスタードーナッツ」とか「洋服の青山」とか「靴流通センター」とか、目に映る範囲には見慣れた看板もあって、それがどういうものかもわかっているのに、さてその建物に入っていったとして、僕が何をするべきかがさっぱりわからない。たとえば「ミスタードーナッツ」に入っていったとしたら、「いらっしゃいませ」と迎えられ、ドーナッツの盛られたトレーが並ぶ棚の前に立つことになる。ではドーナッツとは何かというと、食べ物であることははっきりしているのだが、どうやらそれは星雲の一部でもあるのだ。星雲の一部を財布から取り出した硬貨で購うとは一体どういうことなのか、がわからない。しかも僕の体は投射された映像なので、犬の声に脅かされてときどき揺れ、かすれ、虫の鳴くようなノイズを立てたりしている。「フレンチクルーラー」や「ポン・デ・リング」は、不定型な星々の集合体としてただ光り、見ているだけでも強烈な磁力線を僕の体へ流し込んでくる。そのはずだ。後ろからは犬の長い舌も伸びてくるだろう。どうすればいい?そう考えると僕は立ち止まってしまってまったく動けない。

 そんな夢から、午前六時に覚めた。ベッドから降りて潰瘍に苦しめられている胃に、いつもの重苦しさを感じながら、周囲の光景以上にその内臓感覚がリアルであることで、ようやく夢から覚めたのだと確信が持てた。そうしてみると夢の世界で実体をなくしていた自分はすがすがしい無重力状態にいたのだと気がつく。あの町並みの中で消えずに残っていた僕の芯、魂。それだって今こうしてポットから湯飲みに注いで飲む白湯の現実感に比べると、吹けば飛ぶような軽さだった。ああ、できるなら吹かれて飛ばされてしまいたい。窓は磨りガラスで何も見えない。けれどこの先には冬の曙光が海霧を輝かせる港があり、その奥から流れてくる、或いは奥へと流れていく漁船の影が、次々に浮かんできているはずだ。それは少し歩けば実際に見えてくる風景なのだ。何度か見たこともある風景、つまり現実の中で展開される幻想である。しかし、それは肉体と共にある僕の慰めにはならない。僕は夢の中の感情をもう一度なぞろうとする。夢の中の僕。世界と馴染むために自分が何をするべきなのかがちっともわからない、その僕。ともすればかすれて消えようとする僕を、僕はどうすればいい?今は記憶と予感の中にしか存在しない疑問と悩みがぐうっと捩れ、起点が終点と繋がって、もうそれは「フレンチクルーラー」なり、「ポン・デ・リング」なりの光るドーナッツに他ならない。とても甘い。

 では、「神」について語りたい。
  「神」はそれらしくまとまった存在ではなく現象です。もしくは現象として顕現するのです。
 と、かつてあなたは僕に言った。不思議だ。だから僕は毎日無意識に「神」を探していたようなのだ。あなたによれば、「神」は何処にでもいる。探せばどんな所にも必ずいる。だから僕を見ていない人、僕のことをまったく考えていない人の表情の中に、僕は「神」を見てとる。僕にとって「神」の依代は、特定の人ではなく、人が時間の中で獲得するフォルムであるようなのだ。たとえば、先日歯医者へ行って治療の始まりを待つ少しの間、仰向けに倒された治療用椅子の上で、歯科衛生士の藤村さんが窓へ向かいすっきりと背筋を伸ばして立つのを薄目を開いて見ていた。藤村さんはもちろん「神」ではない。この時の藤村さんと僕との関係に「神」が依り憑いたのだ。藤村さんは、僕のことや他の人のことをまったく見ていない。窓に貼り付いた虚空を見ていた。その濁りの只中に向け黒目がちな目をややつり上げて、罪あるものの総てを誅戮しようとしていた。はるか上空で水蒸気が凝結し始め、幾層にも重なり、終わりのない豪雨の準備が整っていく。あるいは最初のひと滴、それがすでに殺気を孕んだ弾となり、この地を狙ってひた走っているかも知れない。垂れていた藤村さんの右腕が浅く肘を曲げて持ち上がる。掌が脆い卵を包むようにすぼまり、その中から細い人差し指が伸びて足下の地表を指している。神話の身がよじれ、その蛇の頭を持ち上げた。
 この神話を生成しているのは診療用椅子の上の僕だったが、藤村さんからは遠く疎外されている僕でもある。僕は僕自身の想起する神話の体系自体からも完全に疎外されているが、にも関わらず神話の中心に位置する。今、この文章を記述する僕が診療用椅子の上を見ても、確かに僕自身の姿は見えない。大きな空白が診療機材に取り巻かれて椅子にかけている。その向こうにこの世の終わりを招来しようとしている藤村さんが立っており、「神」の依り坐す物語が、みっしりと鱗の詰まった大蛇となって、空白となっている椅子の上の僕の、小さな脳髄へ回帰しようとしている。瞼のない眼を持つ頭が顎を大きく開いて尾を噛むとき、僕はもう一度先日の夢の手触りを思い出す。新たなドーナッツが現れるのだ。結局僕は渇望する暗い穴だから、とてもお腹が空いている。ドーナッツが食べたい。砂糖でコーティングされた巨大な「フレンチクルーラー」の肌が、僕の周りをぐるっと巡っている。甘い匂いもする。
 物語の円環の中で、僕はこの文章の題名を『ドーナッツ』とすることに決めた。藤村さん、あなたに読んでもらいたい。


見ている。聞いている。

  右肩

 本郷の団子坂であなたがはたと立ち止まるのは、遂に滅びの到来を知ったから。胸ポケットに挿したシャープペンシルで、そのことをメモ帳に書こうとしたら、消しゴム部分のプラスチックキャップが外れて落ちた。跳ね落ちていって、側溝を塞ぐコンクリートの板の隙間から、暗いところへ消えていった。世の中が滅びるとなると日常も全部予兆になって動き始めるんだ、とあなたは多少いらついた。「シャープのキャップが消えていくように、わたしの命も消えていく」と誰にともなく歌の節を付けて呟き、あなたは何も書かないままメモ帳をポーチの外ポケットに戻した。それからキャップが無くなって白い消しゴムを剥き出しにしたシャープを、再び胸ポケットに挿す。あなたの頭の真上には、ファミリーマートのプラスチック看板と東京電力の電柱の変圧器が、距離を置いて縦に並んでいた。ジジジと微かな音を立てて、日本の良くできたシステムの一部が、今日も街で正確に作動している。あなたは歩き始めようとする。しかし歩き始めなかった。地球が凄まじく俊敏にぱかんと割れて、あなたと全人類がほぼ同時に死んでしまったからだ。滅びの予兆を綴ったメモ帳を涙ながらに読み返す、そんな情趣にすらも見放されてしまっていましたね、あなたは。あなたとあなたを含む全人類は。
 それであなたの魂は今、X星人の手元の捕虫瓶の中に、頼りない発光体となって捕らわれている。あなたは今でも多少いらついている。粉砕された地球から一人分だけ吸い上げられた魂として、広口のガラス壜に分厚いガラスの蓋をねじ込んだ、そんな空間でいいようにいたぶられるということ。それは、生前あなたが予想もしなかった末路だからだ。あなたの魂は直径三〜四センチの球状の浮遊する発光体だ。ガラス壜の湾曲した壁面に体をこすりつけるようにしてぐるぐると周回したり、上下の方向に行ったり来たりを繰り返している。それにしてもたかだか1リットルに欠ける程度の容量しかない壜だ。X星人は時々ライターの炎をガラス越しに近づけてみたり、あるいはマイナスドライバーの先をカチンカチンと打ちつけてきたりするが、逃げ場がない。そのたびに否応なくあなたは怯え、青から紫、赤、白、黄色など様々に変色していく。X星人はそんな有様を極真面目に楽しんでいる。また、X星人は剥き出しの魂に、剥き出しの言葉で話しかけてくる。魂の全体を振動させて伝達する言葉なので、耳を塞ぎようのないのが辛い。言葉の内容は、人はライオンの爪に裂かれるのと油をかけて燃やされるのと、通常はどちらを選びますか?とか、右手を真上に伸ばさせてその中指の先からとても細い針金を打ち込んでいったとしたら、それが心臓に届いて大変なことになるまでどんな具合の苦痛があるのでしょうか?とか、そんな益体もないことばかりだ。「英語のリーダーみたいに律儀な翻訳口調だ。恐いけれどつまらない。コワツマラナイってこと。」あなたが生きていたら、そんなふうにメモに書いておくところだ。だが、あなたは死んでいるから、人に関する何事にも直接関係を持てない。聞き流すしかない。
 時々X星人は自分の力を使って、生前のあなたの性的な記憶から夢に似た別次元を作り、そこであなたを遊ばせてくれる。最近あなたは自分からそれをねだるようにもなった。渋谷円山町。あなたはホテルのベッドで男に抱かれている。あなたが忘れてしまったので、このホテルに名前はない。あなたがよく覚えていないので、部屋のレイアウトもぼんやりとしている。鮮明なのは、よく乾いた白いシーツとベッドサイドにあるソファーの革張りの深紅だけだ。あなたを抱く男の顔もはっきりしない。あなたはその男を忘れたかったのかも知れないし、メディアのそれも含め、別の男たちのキャラクターが彼に溶融してしまっているのかも知れない。もやもやとしてよくわからない顔の男が裸体を重ねている。あなたの良いところは、そんなことをちっとも気にしないで、「ああん」とか「うふん」とか、楽しげによがり声を上げたりしているところだ。で、僕がその、あなたの妄想によって作られた、もやもやしてはっきりしない顔の男だ。僕は裸であなたと重なっている。誰だってそうかもしれないが、あなたは自分自身の身体に対してはっきりしたイメージを持っていなかったので、顔や手以外は割合大雑把である。きちんと造形されていない。僕は、それと見当をつけて背中らしきところに腕を回したり、乳房らしきところに顔を埋めてみたり、性器らしきところに性器らしきものを押し込んだりする。僕はあなたに「愛しているよ」と言ってみる。「もっと言いなさいよ」と言うので、僕は「もうやめよう」と答える。「結局僕はあなたの一部なんだからさ。際限もない自慰はみっともないよ」何処かで救急車のサイレンの音がする。数年前の円山町を、実際に救急車が走り抜けたのだろう。ドップラー効果による音の歪みが正確に再現されている。「あなたには、思い出すべきもっと大事なことが他にあるはずだよ」僕は射精らしきものを終えて、上から無遠慮にあなたへ体重を預けながら言った。あなたは重そうな顔を背けて僕から表情を隠そうとする。実際に配慮のない男からのしかかられてしまった惨めな経験があるのだ。「かわいそうに」と僕は言う。「一緒にここから逃げようよ」とあなたに言う。白く乾いたシーツの上で、顔を覆ってすすり泣くあなたの声がする。僕はあなたなので、これからあなたが言おうとすることはよくわかっている。
「やめて。X星人が見ている。聞いているわ」


静物とは言い切れない一連の様態

  右肩

 今日、焼かれた鰤の死骸を箸でちぎり口へ。米粒と一緒に切断し、擂り潰す。さらに擂り潰して、嚥下。消化と言われる活動が始まる。消化、という言葉で理解される一連の活動全体に、不安が兆している。言葉は総て不安なのだから、と納得して立ち上がろうとしたら、すでにもう一人の僕が立ち上がっていた。それが肉体である。

 明治時代に爆殺された兵隊の、指のかけらが頭の中に転がる。

 おとといは挽きつぶされた牛の肉が、刻まれたたまねぎと一緒に自分の手でこねられるのをじっと見た。その後、強い熱を加えた。それがその時の僕だった。加熱される肉とたまねぎを見ていると、顔が火照り、刺激臭を感ずる。夢幻の大地が割れて崩れた。死んだ牛も僕自身も既に幾つかに割られているが、そのことは牛はもちろん、僕にも他の何かにも全く影響を与えない。

 ピュッと短く指笛が鳴った。此岸と彼岸。二枚の世界を貫通すべく飛来する、矢羽根の音。

 TVではピアニストの指が直線的運動を反復する。だが、今この瞬間のどこにも音楽はない、と考えている僕。「ピアノは0.3光年ほど先、銀河系内を震えながら漂流している。」と書いても、その中途半端な現実性が僕を苦しめるだろう。だが、書く。真空。加熱と冷却、宇宙線、重力の作用などにより、ピとアになってノを生まぬまま、つまりピアノだったものが、ピアノになれないまま空間を彷徨している。そう書いて「確かにそうだ」と確信してしまったとき、僕は静止していた。ほんの一瞬だが、幸せなことに僕は一切動いていなかった。

 平坦な雲の大陸。太陽が裏側に回ると、その疎密や濃淡が過度に明晰に浮き上がる。

 花は視覚を持たない。自分の色を色としては知覚していない。視覚以外のすべての感覚においても、人間とは異なった自己認識で世界を構成している。
  藤波の宙を飛びかふ眼や無数
植物に限らず、他の生物と人間は決定的にずれた世界を共有している。三日前この句を作ったとき、僕は藤の花になって世界を知覚した。「飛びかふ眼」とは、藤の花の意識が捉えた外部世界を人間の意識に翻訳し、そこへ仮定的に言葉を割り当てたものだ。

 月面には石と記憶が転がっている。見分けがつきにくいが、記憶には総て血が付着している。

 やがて死ぬ指が、やがて死ぬ胸へ動いて、やがて死ぬ乳首へ隆起をたどった。やがて死ぬ者がやがて死ぬ者へ、やがて死ぬ声を上げた。やがて死ぬ感情。感情とも言えぬ感情から、やがて死ぬ者を産み落とすために僕は生きる。この日、シーツに転がる重量は、やがて別の重量に換算されて死にます。
 やがて乾いてしまう汗。やがて拭われてしまう愛液、脳内分泌物。よかった、と津田さんは言いました。気持ちいいと。
 総て嘘だった。カラッとした濁りなき空気が空間をかたちづくる、例のあそこへと、やがて僕ら、みな走る。ステンレスのシンクの排水溝へ、引き寄せられて滴が一滴また二滴と走る。
 パイプの向こう側のあそこについて、「きっちりした場所です。あなたはわかっているはずです」と津田さんは言い、ほら、と足の間の尿道口や膣口や肛門を開いて見せる。やがて死ぬものたちの、やがて死ぬための直截な営み。僕は僕の総ての骨格の現在形を意識しながら、股間へ屈み込んだ。それはやがて死ぬ者がやがて死ぬ者として産み落とされてしまったことを、やがて死ぬ者に対し謝罪する姿勢であった。やがて許されるでしょう、と津田さんは言った。

 二十六度の室温、七十一%の湿度、知覚されるものとされないものとその中間との、数十種類の匂いが微かに部屋を満たしている。


ロマンス

  右肩

 ロマンは傷を負っている。縦長の深い亀裂から赤黒い内奥を見せ、不規則な感覚で汚れた血を吹き上げてくる。そういう経験的な事実をすべて承知しながら、僕も周りの誰彼も、溺れてあがく人のように何かを求める。「何か」に正体はないのだから、僕は無音のうちに展開する精神的な動作の経緯そのものを冒険と呼ぶほかはない。
 だから、こうして僕がスーパーの棚から卵のパックを取り下ろす行為も確固としてロマンである。ロマンでしかない、たとえ卵が一ダースの絶望であると考えるにしてもだ。そうに違いない。それは滑らかな白い光沢を持った絶望で、食せば美味でありセックスと家族の味がする。そして僕が、今手に取ったこの一群の卵の殻を割り、冬光の中で輪郭を保ったまま微細に揺らめく白身と黄身の総体を食する、ということはもうない。二度とない。僕はロマンを演じながら実は死へつながるロマンの、一直線の軌道から脱輪し、転覆してしまっている、そういう人間だからだ。
 血は乾いているけれど、数時間前に誤って切った左掌の、その傷が痛い。卵の入った透明なプラスチックケースを、バスケットの中の入浴剤と歯ブラシの間に置いたあと、しばらく傷口を見つめている。その間、感覚的にずいぶん長い時間、僕と、僕がいるのと同じ通路に立つ四人、それぞればらばらな間隔で立つばらばらな存在の男性二人と女性三人が、それぞれのポーズで立ったまま動かないでいたのだった。複数の肉体が同じタイミングで静かに動きを止めている、という非常に希な現象が、なんの含意もなく唐突に成立した。こんなことに僕は驚いてしまっている。
 この五つの主体を一〜二メートルの線分で繋ぐと五芒星が現れるか、というとそんなこともない。不揃いな線形が雑に交錯し、視界から進入して僕の心臓を包む薄膜を掻きむしるだけだ。そこに浅い傷が交錯して走る。その傷もむろん五芒星ではない。なおも掻きむしろうとする。
 程なく僕らは動き始める。僕の背後を横切り卵の棚の向こうにある精肉のコーナーへとゆっくり移動していく女、女の骨格を持った抽象がいつの間にか換骨奪胎され変換され革命され転覆され吊し上げられてもの寂しく寒い。それが向こうで寒々と豚バラ肉のパッケージを手に取っているらしい。
 一方男は身体をするする伸ばして伸びきってほぐれ始め、さっさと一本のテープになって躍り上がり、天井付近を走る配管に巻き付いてからきゅるきゅると縮んで短い包帯に、つまり病夜の胸苦しい思い出になる。思い出はちょっと中空を仰ぎ見てから鼻を啜り、「焼き肉のタレ」の瓶をつかむ。それが僕かも知れない。そう思ってまじまじと男の顔を見るが、どうしても彼は眼球を裏側から押し出すような嫌な痛みの思い出でしかなく、肺が破けるような恐ろしい咳の感覚のフラッシュバックでしかない。結局、とても顔とは言い表せない包帯の切れ端であって、僕自身とは似ても似つかない。
 残りの女性二人については、あっけなく見失ってしまったのだが、その一人が調味料と味噌のコーナーへとフロアを曲がっていく後ろ姿だけがちらっと見えた。赤いダウンのベストを着ていた。肩口からブルーのモヘヤのセーターの袖が覗いている。
 僕は押していたカートのハンドルを静かに離してその場へ置き去りにし、女の後を付けようとして歩き出したはずなのに、実はまったく違った方向、ロウソクと線香と祝儀不祝儀の袋の並んだコーナーへ入り込んでいた。足は止まらず猶も歩く。

 僕は何も買わずにスーパーを出て、とぼとぼと夜の運河沿いの道を歩いた。建物の暗いシルエットの作る平野のスカイライン。寒風は北辰が穿つ天蓋の小穴の向こうから吹きつけ、光に濁る水面を掻き乱しながら自らも乱れる。小さな旋が地上を彷徨い、僕の首周りでは襟がはためく。柔らかいわりに先端の尖った細長い希望が幾筋も流れていて、掃き寄せられたプラタナスの枯れ葉の溜まりに墜落し、消える。顔を上げたら見えるはずの、遠い赤信号の下の交差点を左に渡って僕はマンションの部屋に帰るのだが、もちろんそこにも貧弱な希望が絶えることなく降り注いでいる。それだけだ。傍らを幾台もの車が通りすぎ、僕よりも遙かに先に交差点を通過していく。僕の未来というものは既に誰かが消費している過去である、ということを僕はまた、たちまち理解しようとしている。


君と僕と君と僕と君

  右肩

   (1)

 どんな人生にも本質的な差異はありません、と平気で言う「君」とテニスをしている。

 跳ね上がったボールが緑の金網を越え金網の向こう、工務店の建物の二階、その窓の高さまで。落ちる力を蓄えるまでボールは上がり、「君」は半身を捻ってラインまで下がる。

 読者よ、次の場面を予想しなさい。たとえ言葉の上であろうと打ち返されたボールをまた打ち返すとすれば、ラケットから腕と肩へ、シューズから足首へ膝へ腰へ、心臓から肺へ筋肉の血流へ、衝撃は伝播する。テニスコートから随分離れた空間に、木星という巨大な質量のガス体がもし実在するのならば、そういう想像力に衝撃は伝播する。予想しなさい。

 「君」のガットが黄色いフェルトとゴムに包まれた、一・八気圧の球体を捉える。ボールがポクンと音を発する。世界が再創造される!さあ、来るぞ。

   (2)

 人間は生命という宿痾の、そのひとつの局面であるようです。と、「君」はアイスクリームの匙を舐めて笑った。金の匙。光るものを舐めることは良いことだ。

 僕はとても幸せだ。窓の外は春の日の雪。レストランの閑散とした広い駐車場に柔らかい陽光が射す。高層の強風に流されてここまで来た雪が、今は無風に近い空間をゆっくり降りてくる。

 形の崩れた大粒の結晶が、生きるもののように光の中を動き回る喜び。地表の放射熱で瞬く間に消え失せるはずの雪片が、斜めに飛び、微妙に浮き上がり、上下左右に錯綜して音楽を楽しんでいる。暫く音楽を楽しんでいる。
 
 父が死ぬ喜び。母が死ぬ喜び。僕も死ぬ喜び。僕が死んだずっと後、僕の知らない何処かで「君」も死んでしまう喜び。ぽろろん、とピアノが鳴る。

 「小さくて温かくてもぞもぞするものが、抱き上げられて胸に眠る喜び。」と「君」は言って、アイスクリームが載るグラスの縁をかちんと匙で叩く、金の匙で。このレストランは冬枯れのブナ林に囲まれている。

 読者よ、知っているね。「君」が総ての読み手の核心に言及していることを。胸郭のリボンを解き、ラッピングペーパーを開き、上蓋を持ち上げていることを。その中には無邪気なものがひっそりと鼓動し、或いは今すぐにもぺちゃんと潰れてしまいそうなこと。そのことも。


パノラマ

  右肩

 西武デパートの地下でおにぎりを二つ、紙パックのオレンジジュースを一つ買った。あなたはそれからエスカレーターへは乗らず、脇の長い階段を上り地上へ出た。早春。高層ビルの輪郭に雪催いの空が連続して視界が埋めたてられてしまう。ここは大気の層の最下層だ。もうすぐ十一時半になり春の雪が舞い、それから十二時になると雪がやむ。二時。三時。たちまち一日は終わり、次の日もまた次の日も終わる。そのうちに世界もすんなりと終わる。そういうことを予感しているのか、街を歩く人々は冷え冷えと濡れており、雑踏の街路も冷たく湿る。

 大通りから裏路地へ入った。エステサロンとバーが入る雑居ビルの一階に、時々利用するコンビニエンスストアがある。あなたは、先日通販で浄水器の交換用カートリッジを取り寄せた。それを思い出して、セカンドバッグから振り込み用紙の入った封筒を取り出し、ストアに入るとそのままカウンターへ行き代金の振り込みを済ませる。

「いらっしゃいませ。」
「三八〇〇円になります。」
「四〇〇〇円お預かりします。」
「二〇〇円のお返しと、こちら控えになります。」
「ありがとうございました。」

 昼食はもう買ってあるから、それだけで店を出て劇場へ向かう。シェイクスピアの史劇が一時からの開場を待っている。今あなたがいるところとは少し隔たった場所で、役者たちはもう鬘を被り化粧を終えてしまった。物語という大きな岩が山の頂でゆっくりと傾ぎ始めているようだ。やがて激しい崩落が、あなたの真横の席に座る人を押し潰し、人間の潰れた感情の飛沫があなたの頬や上着に点々と付着するはずだ。そういう我慢ならない事態になる前に、あなたはロビーの片隅で、ひっそりと昼食を済ませるべきなのだ。

 西武デパートの地下で、あなたのおにぎりとジュースを会計した三十代の女性は今、バックヤードで同僚の二十代の男性社員と黙って見つめ合っている。恋が始まった。やがて破綻する、未来のない恋だ。

 あなたは劇場正面の入り口へ向け、広い階段を上る。風が強い。円柱に巻き付いたクロムメッキの装飾用金属バンドに、色の薄い曇天が映る。階段を昇る十数人が風の音に合わせて肩をそびやかす。まだ寒いからだ。

 その階段の脇に立って、詩集を売ろうとしているのが僕だ。足元に小さなバッグを置き、中に十数冊の本を入れている。詩集の題名と「二千七百円」と値段を書いた、A4サイズのホワイトボードを首から下げ手に一冊を掴んで、階段を上り下りする人の前に突きだしている。愛想良く笑っているが、駄目だ。八分後に関係者に通報され、排除されることになる。公共の場を無許可で商業活動に使ってはいけない。あなたは僕に気づかない。大部離れたところを登っていく。

 「ブルータス、お前もか」という台詞が既に用意されている。カエサルがポンペイウス劇場の柱の下に倒れ伏すとき見た景色、失われた死者の視界の断片は今飄々と空を漂い、わずかな雲の隙間にきらめいている。東京市場の株価は大きく上下動している。架空の価値がやがて形を結ばなくなる。経済の柱が折れ、世界を支えるものもまた失われてしまう、死者の見た映像のように失われてしまう。

 あなたはそういうことを少しも思わないで立ち止まり、セカンドバッグの奥に押し込まれているチケットを探してみる。薄桃色の封筒に入ったまま二つ折りにされているはずのチケットだ。気候は循環し「そういえば池袋には桃の花の匂いが充満している」と雑踏の中の誰かが言っている。ただし、どんなに気になっても発話の主を特定することはできない。桃の花の匂い?もちろん少しもない。

 ロビーの自動販売機コーナーの横。長椅子に腰を下ろし、目立たないように紙袋からおにぎりを取り出していると、イタリアにいるはずの兄からあなたの携帯電話に着信がある。観劇のシートについたら開演前に電源を切るべき携帯電話。それが、ジャケットの内ポケットでマナーモードの振動を伝えようとしている。あなたの姿勢がちょうど携帯電話と身体の間に隙間を作り、なおかつ、凪いだ海のさざ波に似た人のざわめきが、あなたに着信を気づかせなかった。

 イタリアから兄が帰還していることを、この時あなたは知らない。兄に恋人がおり、彼女が生まれてほどない男の子を抱いていることも、男の子の頭頂、まだ薄い和毛の間に小さく鋭いピンクの突起があることも。何もかも知らないということの甘さ、それはオレンジジュースの甘さと少しも異なることがない。

 何処の誰とも永遠に知られることのない人が呟いていた桃の花の匂い。それも恐らく甘いのであろうが、存在しないものの存在しない匂いの内実について誰もあえて言及することはないだろう。


私はトカゲ

  右肩

 三錠分の言葉を呑み込もうとしていた。言葉の内実がそっくりえぐり取られて、喉を下っていく気配がある。言葉の内実をそっくりえぐり取って、喉を下していったので。
 まず一錠、のど仏のあたりがコクン。
 食道を下るものの、食道を下る様子をよく見ようとしたら、山崎さんの手を握ったまま、私の視界は内側へ反転し、山崎さんに、
「あら、三白眼。ん?白目。白目剥いてるよ、八重ちゃん面白い」と笑われてしまった。
 二錠め。三錠め。
 そんなことを言われたって、山崎さん、山崎理恵さん、あなたの内側だって、わたしが見ているものとおんなじ。こんなふうにピンクでねとねとして、うんと不愉快にしめってる。
 わかる?
 何かが身体に入る、それは頭を貫通する銃弾のようにはスマートに入り込まない。ダン、パパッ、プシューッとはいかないの。

 三白眼をくいっと渋谷の白昼に戻す。
 視界を取り戻すと物や現象を束ねる意識の箍が緩む。緩んで動く。
 くいくい。くくいくい。
 つまり、巨大な掌で揺すられるような感じで、街の構図も比喩的に振動したってわけ。うん。
 だからね、私ね、山崎さん、あなたに縋り付くようにしてずるずる崩れ落ちてるでしょ。いやん。何か色っぽい。あなたの柔らかいお腹に顔を押し当てて、下腹に向かってずるずるっといくと、股間から微かにあなたの尿の匂いもして。私は気持ちよくきもちよく内と外の刺激を反転し、やや攻撃的にそれを受容して山崎さん、あなたとあなたの渋谷を、ピンクでねとねとして生暖かい暗闇へ力任せに突っ込んだんだ。と。ゴトン。アスファルトに頭が落ちました。柔らかくありません。あいたた。
 とても赤みがかって、そして真っ暗。
「八重ちゃん、ヒトしてないよ。ヒトと言えないぞ、今。あの、もしもし。死ぬの?あなた死ぬことにしたの?」
 違うな、山崎さん。主観に死はありません。自分自身の死は神話的に創作されたもので、個人の中で不断に再創造されなきゃなんないから、つまり概念として存在するにすぎないんだ。知らないでしょ?理恵さん。
 死なないよ、私。死ぬつもりありませんから。

 身体を置いたまま、理恵さん、山崎理恵さん。あなたを残して私は渋谷の匂いを歩いてます。
 カレーの匂い、鶏肉を焼く匂い。それから麺を茹でるふわっとした湯気、その匂い。まだある。牛革のバッグの皺の寄った匂い。真っ新な衣服の匂い。もちろん人間やそうでない生き物の皮膚と様々な分泌物、排泄物の匂いも濃厚だ。都市の下水網、そのさらに地下にある水脈、地殻の下にもやもやと予感されるマントルの灼熱も。みな匂う。
 それらがまるで水彩の染みのように滲んで入り混じっている。聴覚もない視覚もない、肌触りすらない世界だけれど、私は確かに地表にいるし、私は確かに数万メートルの気圏の果てにいる。わかった。広大な出来事の総体が私でありました。
 改めまして、こんにちは。みなさん。

 私はトカゲです。目を閉じたトカゲ。目を閉じたトカゲの魂。目を閉じたトカゲの魂の、そのしっぽにあたる部分。
 私はこんなにわかりやすい神話として生まれたんだ。
 イザナギは今、天の御柱にじょうろで水をやっています。はしけやしまだきも小さき御柱に雨は降りつぎ風やまず陽はそそぎつつかげりつつ春の真ひるとなりにけるかも。
 空の高みまで湧き上がった砂塵。砂粒が水蒸気の凝結を身に纏い、地へ向かって鎮められていく。鎮まっていく。時間はトカゲの背に乗って、無明の湿地を進んでいます。
 泥の中に浅く浸るしっぽ。S字形に曲がったしっぽ。振り上げられてすぐ落ちてちゃぽといいしなまた動く。
 私の性欲は造山活動で隆起し、低粘度の熔岩を吹き上げながら愛している愛していますと泣いています。山崎理恵さん、あなたを。あなたのことを。
 愛していると。
「八重ちゃん、八重ちゃん。あなたここにいるじゃない。よかった。よかったよ。八重ちゃん、もうここにいないかと思ったよ」
 山崎さんは泣いている。
 私の頭を膝にのせて、体を深く折り曲げている。幾筋もの長い髪の毛が夜の扇状地に広がり、鼻をすするあなたの表情は歴史の彼方、朧に紛れて見えない。
 いいんだよ、泣かなくて。

 でも私はトカゲのしっぽ。
 渋谷は緩やかな谷間に身を潜めた極ささやかな建築物の時間的不連続帯でしかありません。
 理恵さん。あなたも私も。


視座 〜もしくは「哀傷」〜

  右肩

 梅雨雲に僅かな濃淡があり
 鳥が平野を突っ切って飛ぶ
 早い
 三羽が飛んでいる

 この景を任意の点Pとして
 年数ミリの単位で
 中心点Pの円軌道上に推移し
 世界は終末へ収束しつつあるが
 時間の総量は、まだ
 全世界
 全金融機関のもたらす
 通貨流通量をもってしても
 購いきれぬほど
 巨大である

 巨大な塊である

 その総体の一部としての自覚を持ち
 腕時計も外さずに
 ひとつの個体が野に斃れると
 転がった首の視界に
 ネジバナの螺旋は殊に精緻だ

 茎に沿って花の作る小径を
 救済がぐるぐると
 空へ登り
 救済はぐるぐると
 そのまま降りてくる
 虫媒のない孤立した自家受粉が
 花の遺伝子を次世代に
 繰り越すだろう

 悲しいことに
 この視座から感知する世界は
 清澄に過ぎる
 可能性は可能性のまま
 奥行きのない二次元に固着される
 親しい人が亡くなるとき
 遠く離れた場所でその声を聞く、と
 多くの人が語るが
 ここからは、それらは
 記憶の逆流、もしくは
 不正確な疑似シンクロニシティとして
 確述される
 海に落ちる氷河の先端のように
 人は
 広大な不可知の領域へと
 永久に失われるのだと


 読者であるあなたに
 耳もとで囁くのならば
 人が
 永久に失われたあと
 どうなるかというと

 「それきりだ」



*** *** *** 以下訂正前 *** *** ***

 梅雨雲に僅かな濃淡があり
 鳥が平野を突っ切って飛ぶ
 早い
 三羽が飛んでいる

 この景を任意の点Pとして
 年数ミリの単位で
 円軌道上に推移し
 世界は終末へ収束しつつあるが
 時間の総量は、まだ
 全世界
 全金融機関のもたらす
 通貨流通量をもってしても
 購いきれぬほど
 巨大である

 巨大な塊である

 その総体の一部としての自覚を持ち
 腕時計も外さずに
 ひとつの個体が野に斃れると
 転がった首の視界に
 白ネジバナの螺旋は実に精緻だ

 茎に沿って花の作る小径を
 救済がぐるぐる
 空へ登り
 救済はぐるぐると
 そのまま降りてくる
 虫媒のない孤立した自家受粉が
 アルビノの遺伝子を次世代に
 繰り越すだろう

 悲しいことに
 この視座から感知する世界は
 清澄に過ぎる
 可能性は可能性のまま
 奥行きのない二次元に固着される
 親しい人が亡くなるとき
 遠く離れた場所でその声を聞く、と
 多くの人が語るが
 ここからは、それらは
 記憶の逆流、もしくは
 不正確な疑似シンクロニシティとして
 確述される
 海に落ちる氷河の先端のように
 人は
 広大な不可知の領域へと
 永久に失われるのだと


 読者であるあなたに
 耳もとで囁くのならば
 人が
 永久に失われたあと
 どうなるかというと

 「それきりだ」


まだ見られる・もう見られない

  右肩

 両腕を真っ直ぐ垂らして、直立していました。左も右も、瞼はずっと開いたままでした。
 北半球の一角では巨大な雲が連なりきれずに途切れ、ややあって空間に青い領分が拓かれてゆくのでした。その光景を直接見ることができたわけではないのですが、そういう認識がどうもここら辺りにあったのです。
 もし雲というものが、三十数度の傾きで上を眺める視線の、その先を遮り続けるのなら、次のように言うこともできるでしょう。
「遮られた視界の、遮られた論理の向こうに実際にあるものは、月ではなく、こことそっくり同じ地球であるはずです。」と。
 今は、そういう無根拠な推論が、健康な咀嚼のように記述されています。愛とはそうしたものだ、と無根拠に推定しているから、だからそんなこともできるのでした。
 車のステアリング・ホイールの外縁は、フィクションとして記述されたもう一つの地球と同じ、円の外周の体裁をとります。エンジンをかけたら車を出しましょう。夜、荒野の一本道を何処へともなく走り去って行くために。もちろん車に乗っているのでは不特定の何処かへと去ることはできません。自分の乗る車から置き去りにされてみて、取り残された誰かとして見送るのですね。
 直立して見送るもの。瞼を開いたまま見送るもの。どうしようもなく地表に棲むもの。
 その頭蓋の中には、知覚の中枢として白い芋虫が収まっています。柔らかな体が薄い皮膚にきゅうきゅう押し込まれ、はちきれてしまう恐怖に自らもがく、そんな生き物です。腹の下部には退化して用をなさない脚。たらたらと吐き続けられる糸。この虫の容積の大部分は腸に占められており、食い破られた葉の断片が溶解しながら長い腸をゆっくりと移動していきます。いくぶん比喩的ではありますが、これはつまり時間というものの顕現です。
 こことあちらとの境目で歌姫は歌いました。こことあちらの境目は、霧の立ちこめる海が空に溶け出しているように不分明です。歌姫は次のような歌詞で歌っています。

 マリアよ、あなたという性別のないマリアよ
 あなたは産むものになるべく生まれたの
 されたこと したこと見たこと見られたことを
 みんな細かく区切りなさい
 細かく細かく区切ったら
 もう何もかも許されず、まだ何もかも許される
 主よ、母に先立つ子よ


私たちもあなたたちも、彼ら彼女らも、みな眼鏡を探す

  右肩

 あるはずのない眼鏡を探して手を伸ばしていますね。枕の脇は探しましたか?洗面台の隅、歯ブラシ立ての辺りはもう探ってみたでしょうか?机の上、モニターのすぐ下のところ。昨日着た綿ジャケットの胸ポケット、そこも確かめてみるべきかも知れません。内ポケットにもなかったら、もっと手を伸ばさなければいけなくなります。
 長い廊下の向こうの部屋、さらに向こうの部屋。薄暗闇をたどっていくと、夫のような妻のような人物がソファに沈み込んでTVを見ていたり、息子のような娘のような人物が裸で立ち尽くしていたりするかもしれません。その鼻先を掠めるようにして伸びる腕。探される眼鏡。眼鏡は何処にあるのかと、家の庭先の十薬の茂みをかき分けます。処暑の日の太陽がようやく勢いを失い傾いていく。今日の日輪は西に没して死に、もう二度と甦らない。闇がやってきます。密生する草の葉の根元辺りは既に十分に暗く、生まれたての蟋蟀がほの白く蠢いています。湿った土の上に眼鏡はあるでしょうか?ありません。
 ここまで描かれた、一枚の絵のような世界に安住していたら眼鏡は見つからない。それはわかる。約束のメモが幾枚も破り捨てられ、あるいはシュレッダーで処分され、もう眼鏡があっても読むときは訪れません。そもそも、約束されたその日はやって来ないのです。粉々になった木や、石やコンクリート。くすぶっている燃えさしや、今まさに燃えているものから黒い煙が立ち登っている。悲鳴が上がっている。言葉がもつれて痙攣している。そういう街の路上ならば、必ず眼鏡は見つかるのです。それもわかっていることでした。
 愛し合うときには眼鏡を外します。より官能的なキスのためには鼻も邪魔ですが、それ以上に眼鏡が邪魔になります。息に曇った眼鏡、その蔓が耳からずれて、甘くくぐもった声を聞きながら記憶の深みに落ちていったのでしたね。忘れていたことはすべて、すすり泣きが思い出させてくれます。どんよりとした暗い瞳が、壊れかかった建物の窓やベランダから、いくつも、こちらを眺めていたのでした。すすり泣く声は表に立つ人の背後、部屋の奥に隠れている人たちの、その喉の深いところから漏れてきているに違いありません。でも、こちらは仰向けに斃れてしまっているので、それが何処の誰のものか、ついにわからないままで終わります。
 斃れた身体の近くを探ってみても、ほんの数センチくらいの差で眼鏡には届かないはずです。数センチは長い。やがて身体の中に滑り込ませた指は剥き出しになった骨に行き当たるでしょう。眼鏡ではありません。今となっては眼鏡はあるはずのないもの、あってはいけないものなのです。
 さて、空の高いところでは凝結した水の粒子が、ようやく目に映るほどの密度で白くもつれあいながら、いくつかの大きな形を描いています。冷温の強風にさらされる大気の高層で、その一部は筆で刷いたように毳立って。この雲の有様が愛というものだ、ということが段々と誰にもわかってくるのでしょう。
「雲を感じるのには、眼鏡も眼球もいらない。肉体のどの部分も必要とされません。」
 そういうふうに聞かされると、それはそれでいいような気もしてくるから不思議です。ね?


ミライ

  右肩

 僕は未来からやって来た。だからこうして歩いている街は廃墟であり、この空間を埋めて流動する人はみな亡霊である。

 建物の間のわずかな更地や、街路の植え込み、狭隘な公園に見えるひと塊の草の密生。そこに鳴くエンマコオロギだけが、僕にとって直接の知己だ。僕の暮らす未来の荒れ地にも、小さなエンマコオロギがまったく同じ音で羽をすりあわせているからだ。黒い外皮が包む体の中に、さらに微細な歯車をぎっしり内蔵し、それらが忙しく噛み合って動作していることも変わらない。

 僕は都市の遺構を破砕し、激しく繁茂する未来の植生を知っている。巨大な葎や茅、蓬の類、太々と肥えた蔦の蔓。草の葉も茎も奇妙に変形し、輪郭は一つとして滑らかな連続を得ない。
 火災の後に繁茂した陽樹と、それを押しのける陰樹の大木。地に潜るかと思えばたちまち跳ね上がって露出する走り根。その根の支える樹皮のただれた幹も、みな傾きねじ曲がっている。甘酸っぱく淀んだ熱気が地表に垂れ込めて、やがて来る凄まじい勢いのスコールを静かに待つのだ。
 そんな夜にもやはり虫が鳴いている。

 この交差点の信号機の信号部分はやがて焼け落ちてなくなるが、鉄柱だけが頑強に生き残り、夜も昼も真っ黒いシルエットとして直立する。今はまだ美しく点灯する青色燈を眺めながら僕は横断歩道を渡る。左右に停止する車列に転覆した車はないし、何よりどの車にも生きた人間が乗っている。

 正面にあるコンサートホールは一階部分が潰れて地下に陥没し、屋根は半分も原型を留めず内部の客席の上へ崩落してしまう。生き埋めになる人々の、泥と血に塗れた呻き声。程なくその上に大粒の雨が降り注ぐ。死んでしまった人たち、いや、これから死んでいく運命にある人たちよ、みんな、すまない。僕はあなたたちのために何もしてあげないのだから。
 しかし、当面は良い。そうなるのは今日明日の差し迫ったことではない。

 待ち合わせてホールの座席に着いても、あなたははっきり僕の方を見なかった。緞帳の下りている正面の舞台をじっと見据えている。昨日僕とあなたは何かの理由で互いに傷つけ合い、それが今日まで尾を引いているのだ。「怒っているの?」と聞くと「別に。」と答えるだけであなたは頑なに押し黙る。「そう。」とだけ僕は返していた。

 未来から飛ばされてくる途次、僕はあなたの死骸を見ているはずだ。変色した皮膚ののっぺりとした広がりの中にあって、両眼も唇も固着した亀裂に過ぎず、瞼の裏から眼球が、唇の裏から歯が僅かに覗く。感情を移入する余地のない、即物的な造型が持つ不思議に、僕は深く打たれたはずなのだ。そして今、怒りを押し殺すという所作において、あなたはあなたの死骸と良く似た相貌を形作りながら、まったく逆に、生気に満ちあふれて見える。辛いことである。

 而ルニ、女遂ニ病重ク成テ死ヌ。其後、定基悲ビ心ニ不堪(たへず)シテ、久ク葬送スル事无クシテ、抱テ臥タリケルニ、日来(ひごろ)ヲ経ルニ、口ヲ吸ケルニ、女ノ口ヨリ奇異(あさまし)キ臭キ香ノ出来タリケルニ、踈ム心出来テ泣々ク葬シテケリ。其後定基、「世ハ踈キ物也ケリ」ト思ヒ取テ、忽ニ道心ヲ發(おこ)シテケリ。
(『今昔物語集』巻十九・二)

 客席の照明が落ちてから、緞帳が開き演奏が始まるまでの間、僕はあなたにキスすることにした。短く、長いキスだった。あなたは何も言わず、僕も何も言わなかった。僕が何も言わなかったのは、自分がひどく混乱し、しかもその混乱は沼の水面を掠める風、そこに立つ波でしかなく、心の本体は膨大な容量の水の、その総体として暗く沈黙するほかなかったからだ。

 ぼやけた月が凄まじい早さで夜空を渡る。雲ばかりでなく濃紺の虚空も遠山の輪郭も足元の暗闇も、どこも歪んで渦巻いている。堆積する土砂の起伏から幾本ものビルディングが立ち、それらもことごとく漆黒のシルエットだった。言葉もない、文字もない。音はあるが音を聞き取る人がいない。風の音、遠雷、ものの崩落する音、断続する天象地象の揺動の間隙を、コオロギの声が充たしている。

 緞帳が上がり始め、ステージの上の様子が見えて来る。最初に目に入ったのは何本かの奏者の足、それから足の間のバスサクソフォンの一部だった。金色に輝いている。


愛と汚辱と死と詩

  右肩

 俺がこの
 雷鳴轟く国に後ろ暗く帰趨し
 呑み込み難い大目玉を呑み
 破廉恥な音声の円錐形が
 そのとき、あのときのように
 喉に着火し
 糸杉の林よ
 太腿よ
 股間にきらめく悪意の陽射しよ
 お前の記憶のあれに
 黄ばんだ犬歯の鍵盤が
 音階を羅列して揃い
 苦いシンフォニーを噛み千切れば
 頭蓋内部に隆起する漆黒の山脈
 その穢れた稜線を
 火が走り炎の曼珠沙華が奔り
 焼ける天界の大魚、人の
 指
 肉や髪を焼く臭いを纏うお前の指で
 俺は激しく射精し
 一隅も残さず赤光する冥界
 言葉が無闇に鳴り響けば
 切られたあれらの首が
 泥塗れの前頭野に密集するのだ
 これこそ
 胎内の結石に封印される言霊の王国の実体に
 ホカナラナイ


  二度と歩けない足もとに
  微細な死の点が次々に打たれ
  ぽろぽろと
  ばらばらと
  盆地の街が
  やがて時雨れる

  (時雨るるや 地にこまごまと雨の染み)

  夢より軽い雨が
  京都を通り過ぎる
  右手中指の
  爪もまた
  割れている
 
  愛は人のカタチに集積する時間の
  薄暗い破片である
  という着想を得た


悲さんノ極み

  右肩

 僕 は起 ち 上がった
 濡れたコんク
 リートの壁が囲 む徹底的に 冬であるベッ  ドから
 立ち上が っ  たまま泣  いた
 そ  れ はぼ くガこれから ご
 わごワの 凍え  たズぼ ンをはき
 ほ か の多   くの人 人と と
 もに未 明の街ノ狭
 い 通  路を縫っ  て白い夢幻のガ すのたちこ
 めた駅へ行くから行く
 からだ
 着  け    ば巨 大な蒸 
 気機  関車
 に繋がる無蓋貨物車にほ かの 多 く
 の 人人人 とと  もに押し 込 ま 
 れそ  ノ  日  のそノ 時の
 すすけタ すけすけタ スケ ジゅール が 
 はじ ま
 る
 幸せトイフ  ×益 ×液 ○駅 へ
 向 かうもの うつ      向くも
 ノ
 ノ
 ハク ちょうのヨー に
 長 い首デ 

 冬の壁   冬ノ壁   冬の壁  

 デある水面へ 俯く者 の
 汚辱  を君
 知るヤきみ シルや
 ほ か の多   くの人 人と と
 もに ぼ く は
 無蓋貨物車 にノッ 
 て 清潔な
 コウ場 ヘイ く のだ
 (マルい タイ 陽!)
◇お喋りと茶目っ気と愚劣な唄と踊りと精液と排泄物をアウトプットしに行く搾り取られに行く凍えさせられ肉を固く締まらせられるために行く煽てられ罵られ箱に詰められ紐を掛けられるために行くメスとピンセットで三十センチ四方ぶん内腿の皮膚を剥がされるために行く乾いた口に乾いたパンをねじ込まれ口の粘膜をやたらと傷つけられるために行く◇
 空 に鉄輪が回る 雲の
 尻 尾 が巻き込まれ 雲の
 身 体 がヒき 攣れる
  僕ノ手ノ甲に
  有刺鉄条網ノ
  影が映り影に
  影ノ鳥が絡め
  とられている
 僕 ハコ れから
 コウフク と 歓
 楽 を 極メ に行か さ れる
 コウフク の方角 へ スパイク
 で尻をケリ飛  ば  さ  れ 
 ルノ
 ダダガ行かない こと は 許され
 ヌ
 と 自 分 でそう 
 キメて い   る
 アンド ロイド の 恋人と
 脳 の 金属 端子から直接響く音楽
 と (       )を 
 と (       )を 
 与えらレ
 メ に ミ エぬものすべてを
 さくしゅされ テ しまう
 そういうコー
 フク を僕
 は エランだ
 他の 人 は
 選んダ

 ドアを 開 ケ ると
 厚 厚 ク 薄 薄 イ 雲 雲
 ノ下ノ
 此処に
 通信塔が何本も立って視界を塞ぐ
 高周波の一部は可聴領域に漏出し
 耳鳴りのようなものがやまない。


エチュード 1

  右肩

これは、鼓膜が震えている。

連なるということ。
地上を充たすものが
連なって震えを拡げる。

何だ、この幸福は。

エリアの片隅で
大きな動きの余波を
耳に
受けること。

目の前が暗くなるほど、幸せ。

それ。

ガラス窓で
しわくちゃに乾いた葉っぱの
死骸が、
枝を離れようとしている。

それ、を聞いている。

枝。
または一本の棒といい
あれも
死んでいる。


LED(或いは「雪の砂漠」)

  右肩

 一人で車に乗ってショッピングセンターにやってきた僕。その僕と、僕に直接の関係を持たないが、僕とよく似た環境を共有すると思われる人々。ここにいる個々人を一括する、浅いが広範な関係性。
浅き心を我が思はなくに、と。
時間に映り込んだ影。それを覗くために、僕はここに立っている。
 僕は騒がしさを抱えていた。
僕は一人で歩き、立ち止まり、何も言葉を発していなかった。
しかし、センターの流す音楽や呼び込みの声、家族連れや友人、恋人同士の会話に紛れて、マクロな視点から見れば、確かに騒がしい群衆の一部をかたち作っていた。僕は僕自身の意識に関わりなく、非常に騒がしい僕だった。
 僕は切れてしまったベッドサイドの読書灯の電球を探そうとして、
(電球はないか、電球はどこだ)
と頭の中で喚き続けているのだから、自らそう規定してみせることに抵抗はない。
電球はこの広大な売り場の何処かに特定の位置を持ち、流通の関係性の波に乗って時間の海を遊弋している。つまり、空間的には安定しているが、時間的には不安定であることになる。今はどうしようもなくそこにあるものが、いつかどうしようもなく移され、売られ、捨てられる。
美しい。
「何だ、俺のことか、それは」
と僕の傍らを通り過ぎながら、数人の若い男たちの中の一人が言う。僕は動揺しない。それが僕とは関係のない、彼らの仲間うちの会話の断片であるとわかっているからだ。男はフリースの上から赤黒いダウンジャケットを羽織っていた。スニーカーの足元にソックスが覗くほど、丈の短いパンツ。
どこか非常に近いところで、固いものを噛み砕く音がする。フードコーナーから油の臭いがしてくる。昨日の淵ぞ今日は瀬になる。
飛鳥川。
ここからもう少し遠いところに、川が流れている。
 南の突き当たりは、嵌め殺しのガラス壁。僕がその前に立つと、僕の傍らの床に、一本の長い影が伸びている。それが周到に用意され、この世に送り込まれた奇跡の一つであること、そのことが段々とわかってきていた。
そういうふうに作られているからだ。
携帯電話のキャリアチェンジや、海外旅行の申し込みに来た人々が、一瞬その影に貫かれ、もちろん表情に何の変化もないまま僕の傍らを歩き過ぎて行く。奇跡とはそういうものだ。みんなもとへは戻れない。
それは木の十字架の影ではない。
銀色に塗られた金属製のポールの影であった。センターの前庭に立てられ、剥き出しのスチールワイヤーが二本、上下して張り渡されている。雪はそのワイヤーとワイヤーの間で降っている。それはここでこの時に降る雪ではないので、目を凝らしても見えてこない。「ワイヤーとワイヤーの間」、そんなものはどこにもないと言った方がむしろ正しい。
 だが、僕は逃れようもなく「ワイヤーとワイヤーの間」にいて、息もつけないほどの激しい吹雪に巻かれている。吹雪で遮られた視界に唯一、LED電球が煌々と光を放ち僕を導くのだ。僕は取りあえずここを離れ、電球を買いに中央エスカレーターを昇ればいい。(これでいいのだ。)
暗きより暗き道にぞ入りぬべき。

 だから、遙かに照らせ。


静物の台座

  右肩

彼女は石膏で、ものを置く台座を作るのだ
バナナだとか、オレンジ、ブドウ
静物画の題材となるような果物を置きたい、と言う
四肢のないトルソを更に切り詰めた、女性の下腹部だけの形
そんな格好をした台になるの、と

秘密だけれど
部屋の椅子に裸で座って
自分の性器をじっくり見たのね、鏡も使ったのよ
指で
開いたりつまんだり、色々とやってみて
一番ぐあいの良いところを作ってみることにしました
おへそのだいぶ下、腰椎の終わる辺り、そこから体が器になって
皿状の浅い凹面にものを載せるの
色々載せて試してみたいな

尿道口か、膣口から
香油のようなものが滲み出る仕掛けができれば
面白いけれど
そこまでやったら、さすがにあざといかな
要は体から分泌するものと
載せてあるもの、果物などの匂いが入り混じった幻臭を
みんなに感じさせられたら、それでいいんです

アトリエの窓に引かれた白いカーテンから
春の午後の光が溢れている
彼女は椅子から立ち上がって
僕の周囲を歩き回って見せた

私とモノが繋がっていることが大切
石膏の台座を誰かが見ている間も
こうして動いている私の性器は
ちょっとずつ形や湿り具合を変えながら
日常の流れの中で老いていく
変わらない石膏を通して
変わる私のことを、みんなが見ているのね
それ、
どう思いますか

そんなふうに聞かれて目を覗きこまれた
もちろん僕は困ってしまう
僕は椅子に掛けたままだから
正面に立ち止まった彼女の
腰の辺りが、丁度
目の高さになっている
現実の肉体は襞の深いスカートと
その下に重ねたロングパンツに隠れているが
ペニスの勃起を、どうしても
僕は止められない
ただし
もうすぐ二十五歳になって
何人かの男性経験を持つのに
男たちは誰一人、彼女の体にその痕跡を残さない
透明な影だけが、通り過ぎてはただ消えてゆく
その体
僕と彼女が肉体関係を結ぶことは
一〇〇パーセントあり得ない
彼女は僕を愛の対象として見ていないし
僕も、そこをどうかしようとは思わないからだ
なんと優雅な
孤独とは本来こんなふうに
優雅なものなんだ

ルソーのジャングルへ行きたいな
赤っぽい熱をはらんだジャングル
果物や動物たちがみっしり詰め込まれた土地
その中を私、ひとり川船に乗って流れるの
私の子宮はからっぽで
月に一度の血を落とすだけですけど
バナナやオレンジやブドウや
この世のものならぬ果実の甘さが
快感となって渦巻いています
気持ちよさに絶息して漏らしたおしっこが
たらたらと床を流れるような川
目をつむって横たわったまま
快楽の川をボートで下ると
岸辺では
黄金の猿が鳴くんですね

僕は立ち上がって
アトリエの窓辺に立った
カーテンを少し引いてみると
暮れかかった陽射しに
数本のサクラの木が枝を広げ
まだ固い蕾を光らせているのが見えた
庭の向こうにコンクリートの塀があり
その向こうは崖になっていて
遠い海の方角へ
この街の家並みが延々と続いている
僕の後ろには
作業台に乗った粘土像があり
陰唇の半ば開いた女性器が形になりつつある
その脇に彼女が立ち止まっているのがわかる
アップした髪のあたり
彼女の首筋の細い後れ毛は
今金色に輝いているのだろう
僕はそのまま目を閉じてみた

もう一度言うと
孤独とは
こんな優雅なものなのだ
僕にも
彼女にも


感情

  右肩

紙カップのヨーグルトと
バターの入った箱の間に
完熟した大きなトマトがあり
冷蔵庫を開けた手が
それを掴んだとき
わずかに指が沈み込む、赤い柔らかさ
その指がどうも僕のより
ずっと長く綺麗なもののように思え
逃れられない痛みが
怒りに似た感触で甦ろうとしているけれど
指が本当は誰のものであるのか
それが思い出せない

五年前、半年ほどブダペストに赴任したとき
空港へ見送りに来た同僚の中に
荻野さんと並んで立つ三崎さんを見た
つながれていた二人の手、三崎さんの指
その時の記憶かも知れない
それから三ヶ月ほどして二人は入籍した
僕が向こうのアパートで
ベーグルをかじって暮らしていた頃だ
少し先の、そんな未来を予感しながら
空港で見た三崎さんの指の形が
甦って僕自身の指に重なっているかと思ったが
そうでもないようだ

帰国途中に寄ったパリで
藤田嗣治の回顧展にあった絵
そこに
面相筆で描かれた繊細な輪郭線を持つ女性の
アンバランスなまで大きな手を見た
それかもしれない

絵の中に小鳥が飛んでくる
この絵の二十数年後
日本に帰り戦争画を描いた藤田は
戦後のバッシングで祖国を追われるが
既に鳥は未来の怒りと絶望を咥えて
天平の菩薩像のようにふくよかな
女の手にとまっていた
僕の感じた痛みは
手の印象に藤田の感情が憑いたものか
どうか

一週間ほど前、僕は夢を見ていた
画用紙に美しい線で描かれた手が
僕のペニスや睾丸をどこまでも
白く柔らかに押し包む夢だ
目覚めると実際にそこにある手は
僕のもので、僕はしげしげと
夢に対して圧倒的である現実を
見つめた
行為のあと
萎縮した僕の性器を
掌で包むようにするのが好きだったのは
三崎さんだったが
僕は彼女の愛を失い
「お世話になりました」
とボールペンで添え書きされた入籍通知の葉書が
まだ机の引出にしまい込まれている

今、僕の手は
水の張り詰めたボウルへ
トマトとキュウリを沈め
表皮の感触を確かめながら洗っている
強からず弱からず
指で揉み、
擦り、
洗う
処理できない感情と向き合っている
僕の感情のようだが、僕のではないものだ

このキッチンの窓の向こう、庭の隅で
遊びに来た三崎さんが鳥を見つけたことがある
「この子
 ホオジロ?
 ホオジロかな?」
と彼女は言った
もう小鳥はどこにもいないが
未来の感情
未知の感情を咥えて
またやって来る
僕の掌へ
これを読む君の手元へ
たぶん、鳥は何度でも


怯え

  右肩

 捩れて落ちているビニールの袋のようなものを、立って見ていた。それは皺の寄ったメロディーだった。それは文字らしいものを変形させて露出と隠蔽のリズムを奏でていた。また、それは凹凸によって構築された光の明度の差異を外形として造営された小さなカテドラルだった。祈りなさい。空気が移動するとそれはまた簡単に転覆し、大手食品会社が製造する菓子パンの袋に戻っていった。戻りながら四つの座標軸に指定された特定の位置から遠ざかろうとするように思えた。だが、違う。メロディは時間と空間の軸をずらして鳴り続け、何かの、完成した楽曲の総体から解体され続けている。だから僕はほぼ十年が過ぎた今、それを思いだし怯えている。聖歌。神は確かにいるが、その座は空白であり、形の失われたカテドラルにはやがて蝿がとまり脚を摺り合わせたであろう。僕はその場面を見ていない。もしそれが実際に起こった事実だとしたら、「ほぼ十年」と語られる時間経過の中の微細な皺の中に、もう埋もれてしまっている。埋もれてしまっているはずだ。奇跡は微細な時間の襞に潜って、僕の視線の追求をかわし続けている。商工会議所として建てられ商工会議所として使われているその建物の正面の空間に、門塀に囲繞されたアスファルト舗装の駐車スペースがあり、おそらくそれは十年くらい前の八月下旬あたりにそこに転がっていた。だが、その事実は僕の視界を塞ぐだけであり、信仰に関することどもについて、明晰なるものは何一つ示されない。僕は怯えている。


夢の中で何度も繰り返しながらその都度忘れてしまう「僕」の体験

  右肩

 四つ辻を過ぎるとどくだみの茂み。花が白い色を放射している。花は重なっている。
その西角、垣根の奥に、土壁の崩れた旧家が建つ。

 この家は、先祖が撲殺した馬に、代々祟られているとのこと。
一族の誰一人として五十歳まで生きた者がいない。しかも、事故死や業病による最期ばかりだ、と。

 先代の当主は五十歳を目前に、浴衣の紐を鴨居に掛けて首をくくった。
生涯独身であった。
家系は絶えるはずであったが、嫁いでから亡くなった妹がいて、その子どもがあとを継いだ。

 数日前、床屋が僕を調髪しながら鏡の中からそう話していた。僕は散髪用の椅子の上、半眼で、うとうとと話を聞いていたのだ。
顔を剃るから首をねじってくれと言われて床を見ると、頭髪の切り屑の広がりの中に血だまりがあった。しかし、すぐにそれは光の反射による誤認だとわかった。
 たぶん誤認だった。

 その時の浅い眠りが未だに心身を蔽い、僕の意識は朦朧としている。

 苦く臭う草むらの向こうの大きな木造平屋建。いつしかそこを垣根の隙から覗いていた。
昼下がりの直射日光。雑草が繁茂する庭と傾いた家に、暗い輝きが宿る。

 風景はエロチックに穢れている。

 建物の手前、人影が中空に表れ、煙のように流れ、消える。
誰でもあってもよさそうな、誰か。繰り返し、現れ、現れる以上の数で、誰かが消える。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。

 混濁は快感だった。そこへ実在の核心が白い指のように僕を撫でる。眠れよい子よ。
だが、指ではない。指には見えない。

 感覚と感情と思考とが、熱を持って分厚く重なる意識の襞。薄桃色の襞。
 柔らかに襞を押し広げて物語の指が動いてくる。
 隠された記憶の空穴が開かれ、生暖かい恐怖のエッセンスが噴きこぼれてくる喜び。浮かされて視界が濁った。

 「その家、木村さんと言いますね?」と僕は床屋に聞いのだった。瞼の上あたりを剃られながら、「失礼しました。お知り合いでしたか?」と聞き返された。

 二十年ほど前、僕はこの町に住んでいた。陰鬱な谷間の町。幼かった僕はこの家の先代に抱き上げられたのだ。こいつが俺の子だったらなあ。両手で高々と僕をさし上げ、彼は明らかに怒気を含んだ声で言った。僕は泣かなかった。男の顔は記憶にない。僕の背後で母が冷たい笑いを浮かべるのがわかった。この商店街の路上だった。

 ほんとうにそんなことがあったのか。
 僕に母などいるのか
 僕はほんとうに生きてここにいるのか。

 特に何ということもないが不安になる。
 昔、馬を撲殺した棍棒が、血の跡を黒ずんだ染みにして、ごろんと転がる場所がある。
 どこかにある。
血を吸った棍棒は黒ずみ、節々の凹凸は摩耗して滑らかである。握りには朽ちかかった荒縄が巻かれているかも知れない。鵯が留まりにやってくる。棒も飛行の可能性を持っている。
 棒だけではない。記憶も飛行するのだ。

 僕は僕を信用してはいけない。記憶も理性も羽を生やして行ってしまった。

「お先に失礼します」

 僕もまた不信という靴を履き、絶望のバッグを肩に掛けよう。
出掛けるのだ。

この町に長くいてはいけない。

 そんな気がする。
 そんなでもない気もする。
 どちらでもない気もする。


夏至の水

  右肩

 夏至の日、仕事帰りに辿り着いた
 夜の下腹
 陰毛の密生するあたりへ
 ずるずる
 落ち込む重い河
 その河を河原から見る
 今日、鱗を生やした初老の女性を馘首した
 水に
 滞留する、我ら生ける者の恐怖が
 すぐそこで暗く反射する
 無音のにおいと
 燃え尽きた記憶の小枝から
 言葉の亀裂をなぞり
 石灰色の樹形図がひた走る
 ひたひた走る

 健祐君と
 28人のクラスメート
 古い友だちが一人残らず
 俯せに浮いている
 29枚の
 錆びたネームプレートを夜風が洗う
 
 人の背に紫色の目玉
 瞼の裏に爛れる甘い潰瘍
 皺くちゃな皮膚を指で広げると
 皺の谷間で虫が卵を産んでいる
 夥しく排出される卵
 燦然と密集する卵
 半透明の粘液にくるまれ
 生まれない幼虫に生えない牙がある

 舟が数艘
 河口の緩い悦楽をさまよっている
 股を開いて棚板に坐し
 眠い白目で呼びかける
 (何はともあれおめでとう
  よろしければ寿ぎなさい
  歌いなさい
  寿ぎなさい歌いなさい)

 もしここに歌が流れてくるのなら
 舟歌の、その旋律で
 櫂も回るというものを



* * *  変更以前 * * *

 夏至の日、仕事帰りに辿り着いた
 夜の下腹
 陰毛の密生するあたりへ
 ずるずると落ち込む重い河
 その河を河原から見る
 今日、鱗を生やした初老の女性を馘首した
 水に
 滞留する、我ら生ける者の恐怖が
 すぐそこで暗く反射し
 無音のにおいと
 燃え尽きた記憶の小枝から
 言葉の亀裂をなぞり
 石灰色の樹形図がひた走る

 健祐君と三千子さん
 耕太くんも由岐さんも
 それから、それから
 古い友だちが俯せに浮いている
 挙げた名前を夜風が洗う
 
 人の背に紫色の目玉
 瞼の裏に爛れる甘い潰瘍
 皺くちゃな時間を広げると
 皺の谷間で虫が卵を産んでいる
 夥しく排出される卵
 燦然と密集する卵
 半透明の粘液にくるまれ
 生まれない幼虫に生えない牙がある

 舟が数艘
 河口の緩い悦楽をさまよっている
 股を開いて棚板に坐し
 自慰する者が呼びかける
 (皆さんおめでとう
  よろしければ歌いなさい)
 もしここに歌が流れてくるのなら
 舟歌の、その旋律で
 櫂も回るというものを


鳩が咥えてきた指

  右肩

 死体の山の中ほどからくさった死体が降りてきて、ぬかるんだ地表の泥水の溜りに腰を下ろした。爆風でボタンの引きちぎれた上着、そのポケットから、まずレンズが割れたメガネを取り出して、つるの歪みを指で整えてから耳に掛け、ザックの底にあった本を読むことにした。
 空気も水も、光も、何もかもが腐っている。遠くでものを焼く煙がふた筋み筋と立ち上がり、少しも動かないようでいながら実はわずかずつ形を崩している。やがて青黒い雲が混沌と停滞する空へ、姿を消してしまうのだろう。
 しかし、今、砲火は止み、傾斜面の窪地に堆積している死体はどれも静かである。くさった死体は一番最初に目覚めたが、すでに着衣の半ばは失われ、赤く爛れて剥けるままの皮膚をさらしている。右頬の肉は、歯列が覗くまでそげて、口の端から液汁が糸を引いて垂れていた。大きな蝿が羽音が唸らせ、意外なすばっしこさで頭部の内外を出入りしている。
 そのことを、くさった死体は知ることができない。死んでいるからだ。僕は転生した未来から、彼の傍らに迷い込んだ魂であるので、起こっていることのおおよそは描写することができる。幸いなことだ。くさった死体は自分が何者であるか、何をしているかを理解していない。つまり、当然手にした本の文字はひとつも読めない。後はただ、座ったままバラバラになって崩れ落ちていく。それだけのことだ。
 かわりに僕がその本の題名を読むことにした。

『鳩が咥えてきた指』

作者名は書かれていない。


象の かわいそう(或いは「未来記」)

  Migikata

 冬の 河は
 銀の墨ひと筆 で書き記されている

 書き記されるものである

 ここから見えない 場所 を起点として
 人間の物語 が 吹いてくる
 立ち枯れた 芒 がそのたび
 音を放ち 重ねて放ち
 冬至の日の 太陽が徐ろに
 傾く そういう匂い
 が
 する
  
 確かに匂いがする
 
 十数頭の象が かわいそう を背に乗せ
 酷寒の夕焼空に 浮かぶ のは
  この先のこと。
 赤黒い雲を 踏み 鳴らし
 暗い鼻を ぶらぶら 揺するのは
  この先のこと。

 河も河原もまだ十分には暗くない
  かわいそう はアカガネ色
  かわいそう は鏡面仕上げ
  かわいそう は無味・無臭

 零下二百七十度の夕焼が焼く
 ところの
 象たちの苦いシルエットが
 この先
 明瞭な意味を形成するなら
 それもよいそれに身を任せるべきであるが

 そうはならない


物語の物語の物語

  Migikata

 図書館細胞は、高台へ至る斜面の住宅街にあった。傾斜の強い路地に板壁の湿った家屋がひしめき、石垣の間を脇に入れば、雑木が頭上から一面に影を這わす。薄暗いざわめきの明滅に体が沈む。しかし、この坂を上りきり振り返るならやがて眺望が開け、見晴るかす彼方は海だ。

 他の多くの図書館細胞と同じように、そこは民家の一室で、庭先の木戸に「図書館九一00一・文学的自動生成・人為即興部」という縦長の表示板がかかる。スマートフォンをかざして表示板のチップに認証を受けると、木戸を潜って進む。受付は土間に面した座敷への上がり口にあって、六十代後半くらいの和服の女性が二人、座卓の前でそれぞれノート型端末に向かっている。事前の予約と認証で、互いに挨拶をするときには既に総ての受け入れ準備が整っていたようだ。

 「ここは初めてですね。どうぞお楽になさって下さい」と一人がお茶を勧める間、もう一人が開け放した障子の向こう、縁側に腰を掛けて待つ三十歳ほどの女性に「いらっしゃいましたよ」と声を掛けた。はいと返事をして立ち上がると彼女は長身で、青い花柄に埋まったワンピースを南からの風が通り抜け、着衣の全体がふくらみ、靡いた。二人の婦人の脇に正座すると、名前を名乗って深々と頭を下げるので、こちらは立ったまま彼女に名乗り返した。相手に比べて雑なお辞儀を返していることが恥ずかしい。「蔵書」と通称される「非在図書開陳係員」に一対一で直接向き合うのは初めてだったから、とても緊張していたのだった。

 彼女には馴れたことだから、にこやかに木製のサンダルを突っかけると、いつの間にか極自然に横に立っている。「それでは歩きましょう」と彼女は言った。
「今もう、本が開いていますよ」

 体を寄り添わせて歩きながら彼女が流した言葉のイメージを、その場で聞き取ったものの一部がこれから先、題名を付して記す文章だ。

 家の敷地を出ると、流れる煙のようにして人けのない通りをさまよった。よく晴れた日で、前日の雨で濡れている木や草の匂いがした。家や植物に囲まれた狭隘な路地を歩き、そこを外れて開けた場所へも出た。手入れが行き届いていない荒れた林に草を分けて入り込んだり、用水路に沿って歩いたりもした。

 時には彼女は、間近で顔を向かい合わせて熱心に言葉を発した。また、ふと立ち止まると、体全体が目に入るだけの距離をとり、声を大きくして話した。しゃがみ込んで、道ばたの菫か何かの花を見つめながらひどく遅いペースで話すこともあった。ある場面ではこちらの二の腕を掴んで、直接体の中へ言葉を流し込もうとするかのように語ってくれた。

 並んで歩くほどに「本」は一枚一枚ゆっくりとめくられ、およそ三十分で堅い裏表紙が見え、話の最後の部分に覆い被さって終った。非在の本がひと度開き、再び閉じられたのだった。


『鞠を落とす・鞠が落ちる・ものが引き合う』
 
 鞠になって落ちるとき、落とすものの掌は見えていません。落とすものは雲と大差なく空の明るみを漂っていたのです。
 それはまったくスピリチュアルな存在ではないのに、どこか泰然とした悟性を保っているかのようでした。鞠になって両脇から押さえられ、冷たい高層の空気の中を上へ上へ掲げられていくと、「落とすもの」は父や母の思い出のような、曖昧な愛情さえ肌に伝えてきました。
 落とされることは不安で、一方では落ちることが嬉しい。不安と嬉しさが重なって捩れながら、大きな流れとなって渦を巻き、その流れが鞠を含む総てをさらに高く押し上げるようです。
 鳥か虫か、ちぎれた紙か。
 薄く広がって、それでも意思あるものたちが、羽ばたいて周りを取り巻きながら、螺旋に昇ってついてきます。冷涼な光子の粒が滑らかに空間を浸します。明るいけれども眩しくはありません。
 押さえていた掌が消えるように離れてしまうと、時間がするするほぐれ始めました。
 落ちるのです。
 地上からの光の反射が、野や山や家や道路や、穏やかなものやどうしようもなく獰猛なものの実在を視覚に返します。そしてそれが逆に降り注ぐ光のみなもとを意識させるから、猛烈な気流の抵抗を受けながらも、落ちてゆくものは空と引き合うものでもあると、はっきり言えるのです。
 拡大。地理の拡大ではなく、ものの拡大。街路樹の一本、桜の樹の拡大。思い出。葉柄から葉脈をなぞり、葉と葉と葉と、さらに葉に、感触をがさごそ委ねながら、緑色の苦い思い出ごと枝を突き抜けます。
 (お父さん、お母さん、とかつて言いながら赤い車のリヤウインドウに緑のクレヨンで数カ所断線した大きなマルを描いたことがありました。)
 こんにちは。さようなら。それがバウンド。鞠は人のいない歩道のアスファルトで一瞬極端にひしゃげます。ひしゃげるもの、それが鞠。過程というものについての強烈な愛の衝動が、激突を引き起こすのです。
 聞くもののない音を放つ激突。
 こんにちは。さようなら。
 それからもう一度昇ります。今度は引き上げられるのではなく、自分の力でそうしているかのように、昇る。昇る。微妙に回転しながらすさまじい速度で昇ります。
 「ウイークリーマンション ネオ・トライブ」の傍らを過ぎれば屋根、屋根のモザイク。感覚に反映するこの世の総てが微細なモザイクの集積なのです。
 今度の上昇は、全体的に見れば位置エネルギーが減衰する一過程ですが、呼吸も新陳代謝も周期を持って減衰する同じバウンドなのだから、そういう理屈でこの世の総体が鞠と一体になり、しかしそれぞれ異なる次元を併存させて跳ねるのです。
 どきどきします。
 脆い地殻のすぐ裏側で、マントルが対流し、内核が鼓動しているからです。恋のときめきではありません。小さな惑星が宇宙の原初を懐かしみ、心地よく動揺している幻が、開陳されているのです。
 鞠のバウンドの終わりは死んでしまうということではありません。
 眠りでも休息でもありません。
 連続したバウンドの地に着いた状態が、いくぶん長く時間の流れに投影されているだけです。
 鞠はまだ生まれず、今も無く、既に形を失って四散しているのに、それでも跳ねている過程の一部であるのです。
 落とされるものは結局落とすものでしかない、という幸せなあきらめはそんな仕組みから来るのだと。
 「そんな仕組みから来るのだ」と、耳元では蜂の羽音が囁いています。


 『もちろん、直接耳元で囁いたのはこの物語を語った女性に違いなかったが、その時の声の甘さ加減は、およそ人間の口から発せられたものとは思えぬほどであった』と最後に追記しておく。


「まあちゃん」のことではない

  Migikata

 まあちゃんは、ちょっと癌。癌になっちゃった
 くちばしを開いた鳥の口の中、のどまで真っ赤
 株価は値上がり中
 爪の色が紫。すぐ割れる、はがれる、まあちゃん
 喜びの裏側にまた喜びがあって飛び上がって伸びる
 西瓜を提げて、おじさんのランニングシャツ
 エボナイトという言葉をスマホで調べた
 お父さんのメダルが十四枚とバンソウコウが八枚
 並べる並べる
 ストローから覗くとまあちゃんの赤らんだ裸
 金魚という種類の魚はいません
 お砂糖で耳を煮出してよく晴れたなら
 紫の声が割れる割れる
 絶賛分割中。黄金分割中。まあちゃん
 自転車のキーの横にアイスの紙カップ
 黄色ワセリン、白色ワセリン、プロペト、サンホワイト
 駐車場でのトラブルにつきましては責任を負いかねます
 まあちゃん、わかった?わかっても仕方ないけど
 目で字を追って追い抜いてその先を読んじゃうと
 浅い紫色、綿菓子のような匂いに、金管の音が少し
 道路標識の根元に落ちている、ゴムのキャップのようなもの
 濡れて乾きかかっているもの、涙と関係のないもの
 叱ったり叱られたり、怒ったりもしないもの
 お父さんでもおじさんでも、お母さんの恋人でも何でもない人
 少しだけテレビに映った人、シトラスソーダ
 ニトリ赤羽店を過ぎてすぐ、信号のない交差点を左の路地へ入る
 ビックリマンチョコ
 神の国とか天国とかとても近いところ、公衆トイレ
 公園に砂場、鳥取にも砂場、残念なスタバ
 まあちゃん、左ポケットに手を入れてペニスを弄っちゃだめだ


一人で過ごす

  Migikata

生い茂る雑木の梢を眺めては
あなたから託されたノートの何処だったか
「ばらばら」
と書かれたのを読んだ。
「気づけば結局、総てがばらばらだ」

数週間前のことだった。

確か、雨が降り始めるところで
ベランダに張り出す廂が
雨粒に叩かれ小さく
次第に大きく、頭上に響くほどに
鳴る。
そんな朝に読んだ。

雨の匂い。
考えの重心が
多少その朝の有様に偏っていた。
だからかどうか、
鳥や獣や虫の
排泄物と死骸がとろけて
記憶に染みこみ
土の匂いを濃くし厚くし、
とめどない妄想の襞の奥まで
純白の蛆虫が食い込んでいる。
噛まれた痛みが、
ある。

そのノート、
三日ほどあと林道で取り落としたノートは
雨水に浸ったまま乾いてしまい、
ページがくっついてもう剥がせない。

そうして、書かれたことの一切は
脳を浮かべる粘液にまみれ
奥のところですっかり腐り始めている、
今、家から離れた渓谷に来ている。
この谷底は気持ちよく晴れ
生き物はみな上機嫌で生きているのに。
ここも地上の円盤の
端の端であって
ノートに書かれていたとおり
ここにあるものもみんな
ばらばら
脈絡がない。

高空を風が渡っていくらしい。
雲は綿を裂くように流れる。これも白い。
特に音というべき音はない。聞いていない。
無声のカンツォーネ、
それが地上を圧している。

蛆虫から孵化した小さな蠅が
頭蓋骨の内側の狭い場所を飛び回り
それが夥しい数である。
僕は蠅の王となり
蠅の群れように考え
蠅の群れのように
自ら問い掛けを続ける。
だがそれは、蠅たちの羽音に過ぎない。

僕はどこにいて
あなたは誰で
かつて僕やあなたや他の人たちは
何をしたのか。
したことに何の意味があったのか。

揺らぐ。

問いが揺らぐ、答えも揺らぐ。
ばらばらなものが、
統一を装いながら揺らぐ。
揺らぐことがわからず揺らぐ。

僕もコクヨのノートにパイロットの万年筆で書こう。
頭上のスカイブルー
ブルーブラックのインク
「ばらばらなことは確かだが、自覚できない。
蠅の王はどこまでも惨めである」

しかし、書くべきノートは何処にもない

ない。


蝉と艦隊

  Migikata

 落ちた蝉に雷神が憑依し、階層ごとの十万の世界に展開する総ての定理の根底を震撼させる。鋼鉄の艦首が海の脊髄を切り、記憶の集合体を勢威により支配せんと表音の地平へ遠征を試みるとき、蝉はおしっこを飛ばして覚醒する。肉の受胎する呪われた幻想を放電の物理で捌くのだ。
 トーチを握る手を離すな。蒙を啓け。明白な名を持つ機関に油を注し、自転の地軸をずらすな。自他ともに死すべきものは死し、生くべきものは生き、生き物は皆収縮し弛緩し、永遠にことの顛末に驚愕せねばならぬ。教皇たちが並べる艦隊に抗い、海に水の波を、地上に草の波を巻き起こせ、高く。干からびた球体の皮膚全面に神経と血管の、震える網を掛けよ。対流する純白のマントルが最深部から四千度超の興奮を持ち上げ感覚は正しく欲情の突端を研磨する。
 真鍮の六分儀が砲の射程を定める。砲弾はきりきり回転しつつ愛と破壊の諸相を夥しく糾合する。ねじり巻く空気の層の奥から感情の胞子が原色をまぜこぜにして粒つぶと湧出するのだ。鉄環で連結された七十一億二千八百九十一隻の艦艇から集中砲撃の標的とされるのは、脚の先の鈎が樹皮からはずれ、クヌギの木から堆積する腐葉土へ仰け反り落ちたお前だ。蝉の皮を被りさらに脱皮を待つ、悪霊にも斉しいお前の、その陽にさらされカサカサに乾いた無垢な魂の残骸だ。
 猛烈な乾燥に見舞われた魂内部の擦過の、その霊的な熱が神を呼び招き、電荷の負荷が孵化し羽化し登仙し当選し当然雲を呼ぶ。六本の脚をばらばらに藻掻かせ開かせ、瀕死の性技に甘酸っぱい涎の滴りをはふうと糸曳いて漏らし、生殖能力の焼尽した卵型の未来への把手を握りしめて。雲の掌が地球という球体を鷲掴みにするとき、集束した宇宙線の筋肉繊維がごくんごくんと脈打ちラララ盛り上がるララ。

 壊滅の展開図

落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫
落雷火の菫落雷火の菫落雷火の菫らく雷火の
すみれ落ライヒノ菫らくライひのスミレ落雷
火の菫ラくらいひノスみれらKうラI落雷火
の菫HいのすMIれらららららららRRRR
RRRRRRRPRRRRRRRRRRRR
RRくRRRRRRいIII火の菫落雷火菫

 腐臭の展開図
 汚濁の展開図


図形

  Migikata

 飛び散らかる腸を腹の裂け目から戻そうとして、かき集めていた人のこと。
 その人のことを戦争体験者の手記で読んだ。それが忘れられないまま、十数年を過ごした。
 今日は十月二十七日。何の日でもない。広大な時空間に穿たれた任意の一点としての十月二十七日、ここ。起伏のない平野の町、町のホームセンターの駐車場のはずれ。大看板の下、セールの幟の列の横。空を仰ぐと、遠い山脈の裾を下り、雨雲が低く、なお低く近づいてくる。早い。
 タンスの抽斗から溢れるシャツのために、収納ボックスを買いに来た。買わなければ。そうするつもりで大きく開口した店の入り口、ガラス扉へ向けて歩いている。

 そのとき雷光が雲の一角で静かに光を放ち、天上と地上のあり得べからざるものが唐突に照らし出されたのだった。ここの総ては、つまり、あり得べからざるもの。

 湿気た空気の塊が肩を並べて両脇に立つ。視界の中を、ごく小さな蟻の列が、奇妙なほどにゆっくり、通り過ぎようとしている。そして草。アスファルトの裂け目の草。こぼれ出た小石。
 視界を百台ほどの車が取り巻いており、人の気配が何もない。あらゆるものが何かの予兆であるにも関わらず、この先何も起こらないことはわかっている。
 
 すべてはもう起こってしまった。

 今ここは、そのはるか後の時間に位置している。列を作るごく小さな蟻よりも、さらに小さなキューブで構成された、密度の薄い世界が遠くまで広がっている。

 行かなければ。ホームセンターではない場所へ行く。
 だが。
 引き戻されるのだ。世の人は皆、戦場へと。あの、腸をかき集めていた臨終のときに。
 夢でいい、平穏な生活に身を置きたい。そう思った死に際に見せられた今という夢。夢のこの日に、やがて目覚めの時がやって来るだろう。

 その時。のたうち回る戦死者を、つまり我々の最期を、見届ける者がいる。両目が大きく開いている。硝煙にむせながら、メモ帳を取り出す。何かの言語を記す。何かの絵も書き添えるか知れない。

 簡単で不正確な線描だ。

 メモ帳は泥と手垢にまみれている。別の何かに変質している。彼はそれを上着のポケットにねじ込む。やがて歩き始める。
 時間とモノが織りなす非連続的な階調の変化。「歩く」とは彼にとって、そこをあてどもなく漂流することだ。彼は湿気た空気の塊として認識される。だが、漂着したところに、ひとつの次元が創設され、そこにひとつの手記が残されるはずだ。

 彼は我々とは違う。薄い布団にくるまり、夜の寒さを凌ぎながら、退屈な手順でさして快感も伴わぬセックスをし、愛憎の絡み合った子を成し、愛憎の絡み合った育児を成し遂げ、財産を譲って死ぬ。それが彼の為すべきことだ。

 世界は大きく変わる。

 発光からしばらく遅れ、駐車場に雷鳴が轟く。車と車の間に、無数の空気の塊が立ち上がり、ゆらゆらと揺れ始める。
 雷鳴と重なり聞こえにくかったが、合成音声のような声が、
「わたくしたちはみな不死身です」
とアナウンスしていた。そんなことはわかっている。不死身とは、一瞬を永遠として捉える特殊能力に過ぎない。

 頭が痛い。裂けた腹が猛烈に痛い。喉を吹きこぼれる血塊が塞ぎ、悲鳴が上がらない。呼吸も出来ない。何も考えられず目を剥く。黄色く変色した空、牛丼の「すき屋」の建物のやや左。そこに、ひとつだけ赤い星が灯る。

 星の形が不等辺七角形だ。


驚くべきこと

  Migikata

枝から飛び立つ鳥の腹を見たら、何か感じ入るものがあった。
それから動物園に行って、プールでくるくる回りながら泳ぐビーバーの腹も見た。ちゃんと見た。鳥を見た次の日か、その次の日。
生きている血と肉の動くときのその生臭い重さがね。どうも。
僕は鳥とビーバーを生きながらにして、丸呑みにしたのだった。
だから行き会う誰とも口をきけず、目を合わすこともできない。
いやだな。
いやだな。
「あたしなんか、ほんとは変態だよ」
と今年四十三になる南敬子さんが落ちこむ僕に言ってくれたのを思い出した。
ありがとう敬子さん、僕は一生あなたのことを忘れない。
それでも、いやなものは。
いや。
敬子さん、ええとうまく言えないけど世界は暗黒だ。
お腹の中の蛇の中の鳥とビーバー。
腹黒い、ってよりも腹暗黒だよ。

こし暗とつぶ暗

インドの古代哲学をもってしても、暗黒はこの二様にしか分類されないんだって。


流離譚

  Migikata

毛皮の一部のようだったけど、それの
裏にまだ柔らかい肉が分厚く付着していた。それが
上下の嘴に挟まれ、鴉に攫われていく光景を
僕は見ていて。
道ばたの草むらに残った僅かな
犬の遺骸が今は、空にある肉片と
俄に見えにくい、事のいきさつで繋がっているんだよね。
この、未来の光景をはっきり予感しながら
四日前の晩、ラム肉のカツレツをフォークで口に運ぶ高津さんを
見ていた。彼女は同じ皿の上にある
付け合わせのパセリまできちんと食べ終えて話を続ける
例の装置に着けるアダプターは高額すぎるから
決裁を待っても承認されないよ、きっと
購入してしまったからには仕方ないし、佐藤くんの考えも分かる
別の物品の割引分に本体価格を五分の一、上乗せしてその分を
減額して伝票を切って貰うようにN社の矢部さんに頼むしかない
それでも足りないようなら
と言って高津さんは手に持ったままのフォークの先を
くいっと上に向けたんだった
三叉の金属の構造体の先端は特に光りはしなかったと思う
外から雷が響いた(ぴりっとウインドーが共振した)
噛み砕かれたカツレツの感触と味覚の刺激が
僕の口の中に残っていたけど、それは
たぶん高津さんも同じだろう
捕食というものが、直接と間接との差から分岐して
さらにいくつかの分岐を繰り返し
野生とはまったく別の文脈で成立する過程が
何だか、官能的に思えてため息がでたっけ
僕がそれから一時間くらい後、いつもするように
裸の高津さんの乳首を吸っていて
佐藤くんちょっと痛いと甘い声で言われた、そのことも
同じものの文脈の違いなんだよな。たぶん
その時まだ犬は生きていて
僕は犬の種類も形も色も声も癖も知らないのに
草むらで腐ってばらばらになる彼の未来と
それを見る僕自身の未来を予感した

ねえ
ねえねえ
佐藤くん
佐藤くん佐藤くん
それ
それそれそれ
うん
うんううんううん
佐藤くん
佐藤くん

佐藤
くん


手紙

  Migikata

手紙を書く
お菓子の国から 
死んでしまった君へ宛てて
 (僕は元気です
  大きなシュークリームの皮が破れて
  溢れた生クリームの川を
  今、板チョコと一緒に流されています)


「詩」および「批評」および「鑑賞」

  Migikata

   詩1

だからこれさえもああなってしまった
と思うと抑えきれず
立ち上がって
あの人のそれを夢中でああしていた
あの時の僕、そうするしかなかったのか、僕

今、この地を巡る季節
あの日の街路樹が、今はこんなだ
姿をすっかり改めているじゃないか
風が叫ぶように、降るもの同士が交わすそれのように
あるいは波のように
ずっと昔からついさっきまでの僕が
今、背中から僕を苛み、これもまた巡る
立ち止まる場所は何処にもない
かつてきっと、あの人がそうだったように
残されてしまったそれが
僕を眠らせない
どうにもさせないし
どうにもならない
なることはない

なぜ、僕は自分の知らないところで罪を得たか
いや
そんなことよりも
あなたのあのあられもない恥辱に寄り添いたい
あの時のあの苦痛をともにしたい
止まってしまった時計を握っていると
この地を取り巻く山川草木の総てが
僕たちの間を取り巻く時空を越えて
動く
音を立てる
また動く
僕も動いている
声を上げている

それが今


批評1
 この作品は重要な部分に何一つ踏み込まず、物語の顛末を置き去りにして感情だけが空回りしている。「これがあれでああなった」といった挙げ句に、何が「恥辱に寄り添いたい」だ。何が「苦痛をともにしたい」だ。まったく馬鹿げている。これでは読み手の共感を得ることは出来ない。中学生的な自我の垂れ流しに留まる。表現というものに一から向き合い直した方が良い。

批評2
 現代詩には必ずしもメタファーは必要でなく、作者の想定する解釈に読み手が従う義理もない。「詩」そのものの需要層がごく少数の好事家の間に限定されてしまった現在の状況では、「現代詩史」を踏まえたアカデミックな正統性が意味を失っているからだ。だが、語を解釈するのは読み手の権利であり、読むという行為に約束された愉楽でもある。この詩の、解釈の余地もない単純な感情指示の全編に渡る羅列の、どこに解釈の余地があるというのか。具体的な事物の存在に繋がらない指示語を過度に含む「詩句」は、自ら本来あるべき文脈の流れを絶っている。「詩」になるか否かは、主題の開示の後の段階の話である。

鑑賞1
 ここに描かれているのは「僕」と「あなた」との間の、閉鎖的な関係性である。描いていない振りこそしているけれど、二人の間にあるのは変態的な性行為である。変態行為は個体の関係性の中でのみ成立し、その関係性が壊れたとき、名手の手で半身に切り取られた魚がしばらく水槽で泳ぐように、グロテスクな感情が構成した内的宇宙がほんの少しの間読み手の感覚の中を蠢くのだ。そして死ぬ。この詩は作者の体験にも読み手の体験にも深く根ざさない以上、程なくして忘れられる作品である。せめて読者は忘れ去るまでのほんのひと時、その暗い快楽を作者とともにしたい。

鑑賞2
 詩の読み手というものは、どういう訳か自分の解釈を狭い場所に閉じ込めたがる傾向がある。これは明らかに反戦詩だ。戦争を知らない世代が、今や年老いて晩年を迎えつつある戦争世代に向けて、惜別の辞を述べているのである。戦争に対して、一方的な幻想を持ってしてしか対処できない安倍内閣の描く未来に対し、より生々しく死者と生者の感覚に繋がることによって異議を唱えている。誰も言わないことであるが、先の大戦による死者の大半は無駄死にであった。一人一殺どころではない。大陸や離島で食糧補給もないまま病気や怪我で死んだ者、効果のない「特攻攻撃」で何の成果も上げられずむざむざ敵弾に倒れた者。安全軽視の消火指示で空襲の逃げ場を失って死んだ者。生き残って道義を失い、人を手に掛けてしまった者、狂った者。そういう人々の記憶に作者は繋がろうとしているのだ。
 それが明示されていないというのは、読者が試されているのである。自分たちの親や祖父の世代の受けた恥辱と痛苦に対して、誰が誰にどういう形で責任をとらせたというのか。この国の人々の恥辱と痛苦は狭い関係性や閉鎖的な性ではなく、もっと直接歴史と生活の上流にある生の営みに繋がるべきなのに、誰もそれがわからない。
そのことをこの詩は告発している。

批評3
 表現に対するシニスムが開陳されている。言葉は指示する文脈が明確になればなるほど、既存の文脈の中に回収され、他の何かと置き換え可能な既製品として消費されるしかなくなる。美術や音楽と同様に新しい表現が無限に模索され、新しさそのものの価値が作品の価値を上回る事態は、一部の突出した意識を持った層の暴走ではなく極めて生真面目な詩の価値の探究の結果に他ならない。その新しさから置き去りにされた「大衆」は、進歩というよりも目先の変化の波に揺動しつつ無限の消費を繰り返させられているのだ。
 「この」「その」「あの」という近称・中称・遠称によって核心を欠落した感情の枠組みに対し、読み手は批評者と鑑賞者に分けられる。いやむしろどういう態度をとるか、という旗幟を明確にすることを迫られるのだ。あるいはまったく読まないか。だが、この作品は「読まない」読者をも想定しつつ存在しているのだ。その存在を夢想だにしない時代の人類に対してもブラックホールは存在し、影響力を持っていた。敢えて言うと、この作品は文学作品というものの形をとった躓きの石である。


(無題)

  Migikata

柔らかい大きい金塊を発掘して、わしょわしょと食べるために行く。お腹に金を詰め込んで、これから影に変換される実体経済の人柱になるんだよね、楽しく。さらに楽しく。
手を握ろうよ。握り合おうよ、君たち。
お皿に月が載っている。あの日の涙がこぼれてる。
ロマンチックなメロディがピンク色に肌を染めて、ツバサを振っている。
ロココな空を飛ぶ限り、もう決して血は流れないよ、と。笑って。

ただし、冒険はヤスリのように夢の表皮を削るのさ。

僕の未来はゴールドに輝いて、輝きすぎて言葉にならない。リボンも結べない。
ボートは揺れて皿のスープに浮いた月。
閑雅な食欲ってこれか!
過去と未来はあるけれど、ハレーションを起こして見えないし、肝心の現在がないんだって。死んだおばあちゃんが言っていた。そりゃあそうだ。


(無題)

  Migikata

鳩の羽根が落ちて、蜘蛛の巣に引っかかっている。
主のない蜘蛛の巣の残骸に、羽根が一枚引っかかったまま、秋の風に吹かれていたのだった。
微風である。
秋の風を俳句の季語で金風という。つまり、羽根が金風に吹かれて微かに動いていたということだ。

通りの向かい側の中学校の校舎。同じ風に、四階の教室の窓から外へはみ出したカーテンも、吹かれていた。

こちらは遮るもののない風に煽られ、高く盛大に吹かれている。
さて鳩の羽根は銀行のビルと雑居ビルとの間、その地上に極近い位置にあったのだが。
吹かれて細かな揺れを繰り返していた。
羽根自体が生きているように見えもする。とはいえ、生きているものが目的を持ってする動きとそれは異なる。

わずかな違和感が生と死を分かっている。この羽根を落とした鳩の本体に思いを巡らせれば、ここにない羽音も聞こえる。

羽根を落としていった鳩はまだ生きているのか。どうなのか。
彼の肉体を今、この時に動かしているのは、
(1)有機的に統一された部位の連関によるもの
(2)天文地文に働く巨大な物理現象の一端に連なるもの
このどちらだろうか
そんな疑問そのものとなった僕が、空中を浮遊する様子が見えている。

現在から既に少し過去にずれ込んでしまった僕の疑問が、実際の僕よりも僕らしい体をまとって街路をさまよっているようなのだ。

勿論それは妄想に類するものであるが、人から切れて離れた妄想は、人に吹き付けるあらゆる風から逃れ得ている。


「詩」と「詩論」

  Migikata

 「詩的真実」に従って溝に水が流れ出し、根元から濡れ始めた棒杭の先に翡翠がとまった。開いた翅が閉じる。水が流れるとせせらぎの音が立ち始め、その静かさが遠い囀りや葉擦れの音を際立たせた。
 「展翅」という語がある。快楽的な死が、感情の浅い流れの底に小石を洗う。そんな語感だ。あの日、ゴミ捨て場に置かれた紙袋の中で、壊れた木製の標本箱がどれだけ傾いても、ピンで留められた蝶たちは落ちることなく翅を大きく開いたまま、死骸として宿命づけられた姿勢を保っている。後ろには父と、僕と同じ年の従弟が立っていた。「もう、行くぞ」と父は言い、一緒に動いた従弟の握る白い捕虫網が、高い位置で揺れた。彼が肩から掛けている布鞄の中には幾つかの毒瓶、殺虫管があり、その中には息絶えた小さな甲虫が何匹か収められているはずだった。虫の生涯は、人からは窺い知れぬ構造を持つ主体の、残酷な詩的遍歴として既に終わっていた。
 標本箱を捨てた夏休みの一日のこと。記憶は澄み渡った健康な尿のように勢いよく迸り、ぴっと切れよく収まった。わずかにアンモニアの臭いがする。
 堆積岩や火成岩が小さく丸く洗われて、浅く澄んだ流れの下から美しい肌理を露わに晒す。翡翠が見下ろす視界の中で、詩の言語は悉く文脈から削り出された石である。
 翻って発話される詩は、人を構成するいくつもの結節を解き開くため、唇から唇へメロディとして流し込まれてくる。音律のない概念としてのメロディが、口の端から零れて滴るほど豊かに。裸身のままの欲情を呼び覚まし、あげくわずかな痙攣が詩人の白々と長大な背を走り抜けるまでに、だ。誰も主体たる地位からは逃れられない。詩は主体と不即不離の関係で、新たな他者による解釈と解釈の間を伝播するより他にない。
 だから翡翠が杭の先から見ているものは詩であって詩ではない。主体の外側にあり、内実を持たない詩の外形なのだ。世の中の表象の表面を流れる「詩的真実」が真実とは名ばかりの、時間軸上の座標点の転変に過ぎない事実を、言葉自体の持つ性質が最初から内包している。
 詩の言語は時間の経過に晒され、洗われているばかりではない。相対的に真実の具現をコントロールしているわけだ。言葉がなければ、時間は経過しないということ。言葉は時間経過の中で自ら表出を全うする仕組みを持つということ。

 初夏だった。川の流れを目で追うと、水際に伸びた若草の先が風に煽られて時々水面に触れ、ぴっと弾かれる様子が見られた。揺れる。収まるところはない。青い臭いがとめどなく放出され、高い密度を形成する間もなく速やかに風に拡散されていく。
 昆虫採集から帰った従弟と僕は、日暮れまでの時間を父と母のダブルベッドの上で過ごした。二人は大抵の日、この別荘の図書室で本を読んでばかりいたので、裸になると互いの体は真っ白だった。父と母が外出先から帰宅するまで、僕らは相手をてんでにいじくり合って過ごすことにした。僕らはずっと無言でいた。総ての言葉が水の底に沈み込み、一つ一つのわずかな重量を光に変えて、ただひたすら表面の雲母をきらめかせているのだった。
 やがて僕は彼の裸身を大の字に仰向かせ馬乗りになっていた。顔を向かい合わせると、瞬きもせず見つめ返してくる。この形が定まった後、彼は力を抜いて、もう自分から動こうとはしなかった。
 僕は目線を逸らし、自分の体の影でいくぶん薄暗くなっている彼の裸身をまじまじと見つめ、何かの花のような、まったく密やかな体臭をかぎ取った。十一歳の体はどこまでも緩みなく張り詰めて、それでいて柔らかい。体を辿っていくと、無毛の性器についてもそれは同じだった。勃起した小さなペニスを包み込む白々とした包皮までもが、やはり緩みなくぴんと張り詰めていた。
 彼も僕も、性愛というものの正体をあらかた知っていたが、それを直ちに自分の肉体に適用することにさほどの興味はなかった。今となっては不思議なことに、漫然と、何の目的もなく彼の性器を見て、淡白な手つきで弄ぶばかりだった。
 この時、僕は既に「展翅」という言葉も知っていた。彼を永遠に動かぬ蝶、詩的遍歴を終えた骸とし、視界を標本箱として、ガラスの向こうに彼の一切を組み敷いた。そのつもりになっていた。
 二人の間に肉体の快楽はなかった。が、発せられぬ言葉をある種の精神的愉悦が洗い、早瀬に乗り上げて激しくなった時間の流れが、僕らをこの場にこうして置いたままで、たちまち世界を最終的な死に導くように思えて息苦しさすら感じた。胸の動悸が高鳴った。
 むろん言うまでもなく、それは一時の未熟で痴〓な思い込みに過ぎなかった。僕はこうして遙かな射程から二人を捉え、言語化することでその時点で試みられた「愛」へのアプローチという遊戯の持つ愚かさに報復を与えているのだ。

 詩は肉体にも精神にも、直接そのところを得ることはない。ただし、その過去への残虐な君臨に対する報いとして、今、僕は当時の僕らに抑えきれぬほど激しく、しかしどこまでも静的な興奮を覚えていることを、告白しなければならない。醜い。
 あの時、射精に至らなかった二人の性器。互いの手の中で緊張と弛緩を繰り返した陰部の形は翼のない鳥に似る。この詩文の全編を通じて、古い杭の先から見つめている翡翠の実在と性器とが、取り合わされて意味を持つということだ。翡翠は夏の季語である。夏という季節の情感が持つドメスティックな記憶もまた、鮮烈な流れとなって迸っているのだ。
 言葉はモノを抽象化し、人の意識の内部へ整頓して収める働きを持つ。また逆に、抽象化された思考の要素を一々具象に引き戻そうと誘惑する。そんな矛盾した性質を持っている。最も抽象化の進んだ数字でさえ、例えば「1」は、隙さえあれば一個の西瓜や一個の如雨露、さらにいえば虫の死骸を内包した一本の殺虫管であろうとするのだ。
 詩は日常生活から隔絶した「書き言葉」を用いることによって、詩とは別の文脈の派生を抑制しようとする。あるいは言語によって構成される事の顛末を著しく特殊化する。そうやって、意識の持つ構造的な自己完結に至る「ありきたりの文脈」の干渉、感染から逃れようと臆病に震える。
 だが、そういう試みに対して、この文では既に明確に否定的見解を示している。「詩の言語は悉く文脈から削り出された石である。」と。
 翡翠は俯瞰する。居ながらにして飛び、居ながらにして水に潜く。
湿潤な風土を陽が巡る。陽樹と陰樹の入り交じった、まだ若い雑木林。日射しが強まると木々の葉叢は膨大な量の光と影を抱え込む。風が抜けると光の葉と影の葉が目まぐるしく入れ替わり、森全体に感情に似た何かが伝播していく。それを下から支える幹の並び。雑草。苔。音がものの隙間を埋めながら形なく、しかも重層的に広がり、やがて聴覚を経て意識の中心で一羽の翡翠となる。


 「私の詩を読めよ」と彼女は言った。「私が書いたお前の詩だよ」
 僕は何のことかと聞いてみたかったが、彼女の素足に右頬から顔を踏みつけられていたので何も言えなかった。彼女の足裏はすべすべしていて皺のひとつもない。膝の関節から僕の頭部を通してペルシャ絨緞の上に力のベクトルが一直線に抜けている。「お前の書きそうな詩なんだよ」と言って僕の頭を蹴り離す。
 あ。単純なベクトルが複雑な動きに絡め取られて作用と反作用の歪な繰り返しの中で拡散していくじゃないか。もったいない。
「舐めさせて下さい」
と自由になった口で僕は言った。「指の先から上の方へ、それからもっと上の方も舐めさせて下さい」
 彼女の足が僕から離れ、すうっと引き上げられるのを僕は這いつくばったまま見ていた。「まったく呆れたねえ」と彼女は実際に呆れた人の多くが示す表情と声音で言っている。
「話を聞いてねえじゃんか。豚野郎。ありがとうございます、って今すぐ読めよ」
「いやだ、足の裏を舐めさせて下さい。それからもっと上を舐めさせて下さい。じゃなきゃ、そんなもの読まない」
僕は彼女に食ってかかる。この人の椅子から垂らした脚の裏側に回り込み、踵からアキレス腱、ふくらはぎから膝裏へ、それからもっと上を舐め進みたい。僕はそれしか考えていない。
 それが僕だ。僕の詩だ。
「馬鹿な男だねえ、お前は。豚以下か?おい?」
「そりゃ、豚以下です。そうですそうです」
 彼女は四つん這いになって起き上がろうとする僕の前に片膝をついて屈み込んできた。僕の頬を両手でやんわりと挟んで斜め上からこちらの目を覗き込んでくる。
「人類の性衝動のトリガーは単純な肉体の刺激や季節変化から脱して脳内に作り出した意識を介在させるようになった。本来はより複雑な判断により生殖機会を逃さないように、性の発動条件を緻密にコントロールするためだったよな。社会的文化的条件。個体の経験、本能の記憶。私らはイメージで発情する。だが、それが目的にすり替わってしまって、人の性欲はフェチシズムに変換されてしまった。まあ、それをなんとか異性の肉体に結びつけて交合に至らせるためにだ、性欲の緻密なコントロールが行われるようになった。それはつまり、性衝動に至るまでの脳内の過程を知性的に批評する必要が生じたということだ。」
 僕は目を閉じた。
「おい、批評に必要なものは何だ?」
「言葉です」
「そうだ、言葉は外界の一切に繋がっている。性的妄想が求心的にではなく、拡散的に世界と相対化されることで自己完結したオナニズムが再び他者の肉体との関係を取り戻していくんだ」
 彼女の台詞は長すぎる。僕の存在はもう持ちこたえられない。
「言葉は人を酔わせる酒であり、同時に気付け薬でもある」
じっと目を閉じたままの僕に、彼女はキスをする。めくれた唇の内側が熱こそ伝えるが、舌は入れない上品なキスだった。むろん僕は上品ではない。
 目を開けた。彼女の目線は少しも動かず僕を貫いたままだった。「私の詩だよ。お前の詩でもある。」
 彼女は立ち上がり、再び放埒な脚の全容を晒してショーツを脱ぎ捨てた。僕は俯いてしまって顔を上げられない。
「陶酔しつつ覚醒する詩。言葉が肉体を模し、言葉で作られた肉体が、同じ言葉によって絶えず批評される詩だ。題名は『「詩」と「詩論」』、下らない詩だぞ。何しろお前の詩だからな」

 「あんたの詩でもあるんだろ」と僕は口の中で呟いた。

文学極道

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