都庁の高い建物が、曇り空を支えていた。私の手は届かない。目の前にかざしてみた手は、あのビル群に触れているようで、けれど実は、遠い虚空を隔ててビルと手とが同じ直線上に坐しているだけにすぎず、決して触れるなんてことはない。三十八階の窓の脇、その外壁に指先が届いたら、私たちは少しの間だけヒトでない存在になることが、出来るかもしれない。
そのコーヒーは青かった。緑とも青とも、ごった煮の黒とも、そして透明とも言える。でも多分私が見る限り「青」が一番近いので、友達と協力して淹れたそのコーヒーは青い。信じられない色彩の飲み物はクソ不味くて、今すぐ発がん性を持つ何らかの物質に生命を削られてしまうのではないかとわたしは思った。「捨てようか」と少し挑発的な表情で友達は言う。そしてわたしが答える。「いいさ、死ぬわけじゃなし」二人の声が「一度くらいこんなのを飲んでも良い」青空みたいな不安な色の液体に溶ける。
たとえば私は、東京スカイツリーや通天閣といったとてつもなく高い建物の、天辺から見る普段の世界がどうなっているのかを一切知らなかった。それを知るひとたちは、わたしたちが発明した青のコーヒーを美味しく飲めるような、そんな種族なのだと思う。六百メートルもの距離を隔てても、ひどく強引で、わかりやすい手段を使ってその空白を埋められるひとたち。煙草の吸殻が一つも落ちていない道を行く人々は、あまりにもサムそうな目でそれを見ている。
ちょっとした小道や路地の方へ入っていけば、コーヒーの豆を売っている処などいくらでもある。私たちの作るコーヒーは何も特別なものは使っていない。ただグァテマラだとか、キリマンジャロだとか、マラコジッペ、知らないなりに聞き覚えのある豆を焙煎機にぶち込んで、ゴリゴリ挽いて作る。都庁45階にある展望台から見たスカイツリーの中腹は、そういえばコーヒーを作る時のように、堂々とした中に忙しなさを感じさせる速度で回転していた。そこでは行きつけの珈琲屋が見えなかったことが、わたしを最も感動させた。
――大学の窓から飛び降り自殺。
私は、友達のバイト先にいる同僚がいかにクソな人間かということを語り尽くすのを聞いている。ちょっと綺麗な女を見ると舞い上がる、調子に乗る、笑顔になる、偉そうにする、自分の顔を鏡で見た方が良いですよ、といつか言ってやろう、そうだそれがいいと、私が笑い転げる。
――都内のコンビニでアルバイト。
それを知るのがあと一時間早かったなら、私たちは何を語っていたのだろう。私はその事実を知った時、とてつもない失望感と、羨ましさを覚えた。死ぬこと、死んだことに対して、ではなく、「死ぬことが出来たこと」に対して。死んでしまった彼は私たちの淹れたコーヒーに、口をつけさえしなかったくせに。
私たちはそれから丁度五分を数えた瞬間、同時に吹き出し、大笑した。私たちの語った彼は、もう世界にはいない人物だったという認識。どうしようもない時間軸のズレ。何か圧倒的な転倒。知人を喪ってしまった喪失感や、悲嘆、そういったものがあるから、私たちは笑う。「死んでいたって、どういう事態さ」「大学の窓からか、色んな人間に見られただろうな」「どうせなら都庁からってのは――」「それいいな。あ、でも展望台は嵌め殺しだぞ」「何とかしてさ」「何とかするか」私たちは病みつきになってしまった青いコーヒーを啜りながら笑い続ける。格好つけの彼は、私たちが笑い続けている限り、多分生きている。自分の肉体を護りながらヒトでない存在になるのは難しい。私たちは都庁や東京スカイツリーの天辺から、何百メートルも隔てた虚空を飛び降りて、空白を握り潰して、生き残ろうと画策している。指先がそこへ届くように。コーヒーは少しずつ私たちの身体に馴染んでいる。彼が火葬されて骨になる時、わたしたちは小春日和の高すぎる空を見上げて、都庁の麓の住宅街を散歩している。
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作品 - 20131023_723_7090p
- [佳] 空白 - 破片 (2013-10)
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