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作品 - 20131019_628_7082p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


コキュートスの襞のための独白

  NORANEKO

洗われた夜のビロードの底を、青い水の幾筋かが流れる。
(わたしです。これが、わたしです。)
木霊する、静寂の舌の、見えないふるえを指に、乗せて、君は手帳に二、三の翻訳を綴るであろう。
(語られなかったものたちを、担い、語る、)
君は詩人としての自身を、そのような役として生きることにしたのだから。
鉛筆の、六角尻を唇にあてながら、鼠色に敷かれた道をかつかつと、踵で叩く、君に、重なり、寄り添う、見えない子宮がある。
アシラ、(反転/子宮)ヘレル、
螺旋を、描く、レエス。青ざめた襞のつらなりに抱かれて、凍える、それが君と彼女との絆であった。
「ヒュブリス、あるいは、オイディプス?」
即興の、詩句として、唇をふるわせたそれは、まだ生硬であれ、君たちの祖の起こりの、糸筋をなぞっている。
「戒めは、我が内なる声に。貴方の記憶に。」
ぶつぶつと、俯く、君の法悦は、他の誰にも閉ざされている。ほら、すれ違う、あの人も、目がひきつって、
「系統樹にはしる、忌むべき斜線を、埋めるように、」
吐瀉物が、爪先を、白く汚す。
「叢が、沸騰し、」
盲いた、お前へ、
「愛して、ますと、」
尻穴を、めがけて、
「光れる、爪先を、」
ぶちこんでやった。
「刹那、ふるる、」

唐突にも散文だ。深夜三時都内の某路上、アスファルトにうずくまって痙攣を続けるのは黒い綿の羽織であったが煤や脂にまみれて今やすっかり襤褸の布切れになっちまったのが身体に張り付いてもはや皮膚の一部かと見紛うありさまの浮浪者だ。髪の毛もニット帽も同様に境が見てとれないが、萎びたわかめの上にこんもりほっこり突起があるそのシルエットの塩梅から有り様を目測で判断できる。H型の火傷痕(ケロイド)に癒着した瞼の下の眼球は、おそらく潰れているのだろう。顔は青ざめているのだと思うがゴキブリ色に汚れているからわからん。しゅしゅ、た、しゅしゅしゅ、た、と。命乞いの擦音を洩らす荒れた唇から垂れる涎は一筋の蜘蛛の糸なんじゃねーかと俺(と、さっきまでのわたしは文体に合わせて一人称を乗り換える。)の脳髄のどっかしらの部位に備わる修辞回路が共示義的な像を目の裏に幻燈させる。
(生存本能がその欲求を叶えるものの象徴たる蛛の糸そのものへの変身願望へと倒錯したものがこの一筋の涎として表出したのだろう。)
俺は勝手にそう読解し、勝手に胸のときめきを覚えたから勝手に浮浪者の鳩尾にブーツの爪先を叩き込んだ。
横隔膜から絞り出される野太い濁音としゅしゅしゅ、という擦音が、なんか、生きている感じで。俺はこいつがまだ生きている、まさに、なんつーかそう、実存が素っ裸でぴかぴか光っているような気がして、泣きそうになって、また蹴りあげる。
「もっと、聞かせて、君の声を。声なき声を。
僕はそれを詩に書いて、君の代わりにうたい、続けるから、」

さかしまの、らせんを、すべり、
おちる、ねむりの、やわらかな、さむさ、
たろう、おねむり、きみの、ことばは、
きみでない、わたしが、ひきつぐから、
たろう、ここで「野良犬のように死ねよ。」

洗われた夜のビロードの底を、這って、
流れる、吐瀉物と、血液の、螺旋、
(わたしです。これが、わたしです。)
浮浪者よ。お前の閉ざした瞼の裏の、母の、氷の微笑が、胸の底の、暗闇に、渦を巻いて、吹き荒んでいるな。
(わたしの世界は、回り続けた、
淀む水の回転、ねじ折れる右腕、
オレンジ色の密室のなかで
回る、血の分子)
青ざめて、沸騰する、お前の血筋の斜線
/を、埋めるように、雪が、降り積もる。
「しゅしゅ、た、しゅしゅしゅ、しゅ、」
雪の上でも繰り返すよ。配役が変わるだけさ。
(ああ、人間の、祖型だもの)

「「兄さん、どうしてわたしたち、分節されたの」」

あの日からというもの、俺の内臓の暗がりに、ひとりの浮浪者が蹲っている。皮脂と垢に赤茶けた両手の指を、血色の悪い唇のほうへ寄せて、白い息を吐いている。季節がどれだけ経巡っても、その暗闇は冬のように寒かった。

「「母さんのお皿には切り株と魚、お父さんのお皿には蛇を咥えた鷹、僕のお皿には明星と河馬の、絵が描いてあったの」」

俺が路上でホームレスが手売りする雑誌を2週間にいっぺん、1冊300円で買うたびに、俺の暗がりにも銀貨が降り注ぎ、その明かりの下で、浮浪者は熱いカップ酒を啜るのだ。

「「母さんは床に垂れた父さんの脳みそをかき集めて、あけびの割れたような頭の穴にそれを押し込んでから、必死に心臓を叩いて、接吻しながら、息を吹き込んだりしていて、僕はなおさら腹が立って、母さんの腱を」」

幼児退行とでも、いうのか。汚れの下からもはっきりとわかるほどに頬を紅潮させ、泣き咽びながら昔話をするとき、男はやけに幼い口調になった。必死に親指の爪を噛みながら、掠れ、くぐもった声音で懺悔をした。

「「灯油のおばちゃんは優しかったよ。たくさん手を擦ってくれたよ。おじちゃんも優しかったよ。車に乗せて、いってくれようとしてさ。でも駄目だよ。もっと早ければ」」

俺は、部屋の隅で身をちぢこめながら、あの日、浮浪者から奪い取ったニット帽で顔を覆い、頭上に両手を組んで夜を過ごしている。

「「サガノの工場に弟がきてさ、その日に言われたんだよ。

にいさん、どうしてわたしたち、わたし/たち、」」

俺と、この浮浪者の分節はどこにあるのか。時折わからなくなる。

―――――(暗転)――――――


橙色の((H))光る、罪名

焼き鏝の先の煙りと、焦げる肉と脂の臭い

―――――(それは、あたたかな、黒だった。)―――――


朝。内臓の暗がりの浮浪者を父さんと呼んでしまった、その日から。

ニット帽を、洗濯機にかける。
ニット帽を、電子レンジにかける。
ニット帽を、扇風機に被せる。
ニット帽を、台風に晒す。
ぐるぐると、螺旋。
寄り添うのは夜の子宮。

ヘレル、(暗転/子宮)ヘレル、
アシラの、微笑、
「息子でも、男なんだね。粗末なモノおっ勃ててさ」
瞼の、裏の、
あばずれの、お母さん、
(緋色の、光の筋が、呑む、)
虹色の、凍傷の痕を、
なぞることが、歴史だった、

「Hubrisの、鼠径へ、」
すべての、未来の、供物から。

文学極道

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