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作品 - 20131012_524_7071p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ガヴェル

  ただならぬおと

山も洋もないただ平坦な森の奥地である。「知識の開拓地」と呼ばれ初めてまだ日が浅い。地層の研究などはまだまだこれからの話で、今は夜通し槌音がやまず、星か雨かもわからぬものが冀望のようにだらだら垂れ落ちてくる。硬化する闇に労働者は額ずき、ボーリングで夥しい空洞を穿っていく。好奇の思いに駆られた宝石商や不動産屋もやってきていて、傍らで計算機をずっと弾いている。みなが仕事をしている中に、一人だけ、牛や馬をひき、ただ静まりを縫って横断していく者があった。ある目撃者によれば「彼は雑草に一々なにかを落としていった」らしかったが、学者や警察が調べても何も見つからなかった──後に熱心な文学者が草花の解題を成し遂げ、「この土地の植物には、古い原住民の愛称が芯まで沁みている」と録すのであるが!──。

「私たちは新しい知識を求めて旅発つことにした。ここにある知識は全て土地として君たちへ譲ろう。居を構えてそこに只住むのも、土地を掘り返して知識に還元しようとするのも、すべて君たちの自由である」

かつて先住民から裁判所と呼ばれていた樹海に入ると、耳はおのずから研ぎ澄まされ、目は視界の中心に立ったものを悉く擬人化し一人びとり雄辯家に代える。証言台に立つ者を、その者以外がみな聴衆となって囲うとき、白熱する管がキュウブの辺を組んで照らし出す。やがて所有る感官の表層に植え込まれた「認識」という比喩も綻んで、静寂は角度うるわしく透視図法どおりの直線で描かれてゆく。そして彼は声ではない高らかな共鳴を超音波に翻訳し、錐揉みし、ある種の幻聴として私の耳管に捻じ込みはじめるのである。

「私が今生きているということは、一度すでに生まれてしまったことを意味しているわけだが、私はなぜか、まだ、生まれるということが一体どういう行為であるかを知らない」

少し前の話になるが、私は、新しく建てられた教会の庭で、望遠鏡を立てて宇宙を見上げていた。場所柄のせいか、上を仰ぎみることは祈ることにも通じてしまうようであった。つまり、遠いものを娯しげに夢見るのではなく、厳かに観とおさなければならないのだと。私は神教の信仰者ではなかったが、その時は、神様という遠い観念も、背後の木陰に隠れている一人の監視者のように感じられた。しかし、神様は、きっと恒河沙の宇宙を細礫のように集めて掌に掬うほど大きな方であり、私の中の素粒子に住まうほど小さな方でもあろう。あなたの太く細い視線は、かつ砲丸となりかつ矢尻となり、軒並みの時空間を掻き分けて私の目を討ち、きっと最も是しく潰し、最も正しく射抜く。

「君の心臓に繋がれている手は、温かいものだろうか、窮屈なものだろうか。私はその手を形作っている真っ赤な血流である。あるいは、君が何か歯車を回そうとしているとき、私は歯車ではなく潤滑剤として役立つものであろう。私は、人の心が雄辯から告白へと移り変わる、そのときの昇華である。つまり、私は君の最も知覚しやすい有形の存在形式を持たない。私は君にとって最も知覚しにくい『プロセス』の属である。しかし私は、無形の協和として抽象化された、胎動、でありたいと普遍に願っている。つまり、君が生む全ての形ある運動の母胎、形ある鼓動の母胎、形ある感動の母胎、の中に私は伴いたい」

気が付くと、私の周りの凡ゆるものは、聴衆ではなく、只の景色として沈黙していた。どうやら議論は散会してしまったようだ。先刻まで照明の下で繰り広げられていた雄辯は、沖に立つ白波のように流麗、もとい雅馴であった。そして私は、最後に取り残された一人の罪人として、粛々と、もう誰も見向きもしない証言台に立った。照明の消えた中で私の語ろうとしている告白は、どれも塩の結晶のような、得るに乏しいフラグメントに思えて仕方がない。が、私にはたった一つだけ、誰にも譲れぬ確信が芽生えていた。樹海の深い子宮で胎動をはじめている自分の生命を、新しい運動として、新しい鼓動として、あるいは完く鮮しい感動として、信じないではいられなかった。

文学極道

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