#目次

最新情報


ただならぬおと

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


渇いた失語で緯度もない

  ただならぬおと

白御飯に吹きつけられる
その吐息に巻かれたかった
僕は箸をおく
きみは今なにも見なくていい
僕は箸をとる
言葉が自ずと
推敲されてゆく思いがして
たまらず口走る
僕は失くしたい
それがなにかも判らないのに
僕は時間を喪うことから考える
食卓の木材から
触れあった足の爪まで苔産して
腐朽した米をきみが口に詰めたまま
老いて舌が垂れさがっている
干乾びた麦茶を
僕は持とうとして
指が痙攣する
きみが
死にたいと言う
風に運ばれて
やって来ては居なくなって
その風をも運んできては
やがて居なくなる
それだけを
ひたすら待っていた気がする
僕は周到に抱えてきたつもりの言葉が
一つもなかったことに気付く
醤油に浮く脂と脂の円い境目を
なぞる僕の箸があたって
焼魚の
今にもまだ動きだせそうな枯骨
きみは今なにも見なくていい
茶碗が湯気を吹く
僕は箸をおく
なみなみと麦茶を注ぐ
きみは今なにも見なくていい
自分に監視されているような
異和感をとり払った手の甲に
涙がついている


茶柱が立ったら

  ただならぬおと

祭もないのに賑わしい
街中が吉報を予感してる
茶柱が立った碧ぞらの下
行く店行く店 琴を奏でて
僕も案外ステップなんか踏んで

男の子も女の子も
学校で育てた朝顔の鉢を持ち帰る
途中で落花した赤紫のいくつかの首を
おじいさんが拾ってまわる
そして僕の足下にも
ひとつ
ふたつ
ポケットにしまう

すれちがう香水は
みんな女装してるみたいだな
でも擬人化したら藁人形のように
体中に釘を刺していた

川のほとりに座ってて
土左衛門に無視された僕を
駈けつけてきた藁人形たちが
街の病原だといって笑いやがる
最近は釘を持った人に
僕は何度も
叩かれている

僕が街を出ない訳じゃない
街が僕を出させなかった
出ていこうとした街を
次々に呑み込んじゃうから

でも今日なら
出ていける気がしてる
茶柱がぽろぽろ落ちてく道を
裸足でステップ踏んで
僕は金槌だけど
川だって渡れる気がする

郵便屋さんに会ったら言おう
もうすぐ街は元気になる
気になるあの娘に渡してやれよと
ポケットの朝顔とりだして
郵便屋さんに会ったら僕は言おう
もうすぐ街は元気になると

それから鉄橋を歩いてく僕に
彼は元気な声でこう返すだろう
達者でな! のんきな天使!
おいらもなんだかそんな気がするよ
おいらもなんだかそんな気がする


夏に降る

  ただならぬおと

朝を見にいこう。群れからはぐれた少女が、電線を裸足で歩いている。
ねえ僕と朝を見にいこうよ。少女があかんべえして片足をあげる。
足の裏にマジックで番号が書かれてある。
液体糊を塗られた
胸のあたり、
さすられるのに慣れなくて、
僕は無力になる。
少女は
僕にてのひらを貼り着けると、
案山子になり、一本足を僕の腹に刺す。
突き通された裏側、一面のクリの花から不死鳥の群れが逃げる。

夏空のグレエが、わすれ雪にセメントを混ぜる。薄れゆく細胞膜が裂け、吐血されてきたクラストを、投げて、玉砕する。つめたく映えた紅い唾のあぶくが、僕に向けて自爆する。果てた天上で、あとかたもなく罅割れた稲妻へと、あなたを乗せた龍が巻きつく。あなたの凍りつく背筋では、蜥蜴のように、グラフィティの裸婦が這っている。連なりから途絶えそうな秩序で、生まれはじめた最後の少女たち、の脳内に分泌されるザーメンの雫、地球の化石が、掘り返される。地核を再燃させ、まっすぐな赤道の記憶を曲げていく。方角を失くしても、イドはただ左へと向かう。バランスを歪めた男性の、左手に握られた心臓を、まだ、僕でつなぎとめている条の虹色。冠動脈の彩りが流れてく愛しさに、匂いは尖端を溢れだす。幻影のフォトンが、旭の手前で着発しそう。

蝉は生きているあいだ名無しでも、死んだらちゃんと名付けられるんだって。
蝉の脱け殻に向かって教えながら、案山子の少女が笑った。
脱け殻とは僕の顔で、蝉は感情のこと。
名付け親になるのは、少女の恋した少年だと言う。
 少年とは
 死んだ少女の名
蝉はみな、少年と同じ名になりたい。

電圧に潰され龍は墜落する。真下で、ひかる鮮血を火山が鏤め、青い石綿がちりちり燃えている。焼けた台風が吹きすさび、高架橋の下、空を埋めていく鳩羽鼠の砂。飛ばされて行ったカブトムシの死骸の跡、倒れながら芽吹く若緑の嫩。髪を鷲掴みにされ無理やり上を向かされると、あなたが乳頭から黒々とした熱を垂らしていた。それから顔面を、たくさんの足裏が跨いで行き、折れたカーブミラーの中、少女が左に手を振る。力尽きた龍を浚い波打つ地平線で旭が破裂する。淡い桃色が弱めていく左目の視界、突き抜ける白線、渡る少女たちの列があなたで見えない。


心中未遂

  ただならぬおと

隣に居るだけだとしても
あと少しだけ僕を手放しきれない
あなたのくすり指が
愛しい
がらがらになった電車で
鞄を太ももに載せて坐る
あなたの
靴は八の字になっている
三角州を思い出した床が
爪先の間を末広がりに流れてくる
あなたにとっての僕の全部が
つちふまずの陰りに
淀んでいる

 交換できたらいい、
 死んだ方がいい僕と、
あなたの中で
生きてほしい僕

車窓に浴びせられるドス黒い豪雨が
滂沱としたツバに思える
うつむいた僕は
意識を脳天からかすかに飛ばす
それでももう届かないのかもしれない向こう側の向こうまで
ふたりでならまだ飛んでゆけそうな気がした
ゆるされるまで

電車を降りてからアーケード街を歩いている
目に入る看板を片端から声に出して読んでいると
あなたは一々読まれた看板をさがし
見つけたときには
もう次のを読まれている

握っていた僕の手が
ひらきかけてきても
あなたは段々にぎり直さなくなって
とうとうしゃがみこんだから
手をさしのべると
つかんでくれたのに
その拍子に欠けてしまった
あなたのくすり指
くすり指ほどにしかなれなかった
あなたにとっての僕
 僕って、
非力な小声で笑いかけようとすると
あなたの顔は僕の顔に近づきすぎていて
むしろ、すぎて
いった

 僕は
 あなたを愛しています
 あなたより、僕より、愛しています
道端に落ちている靴下の意味がわからない
目線をあげると、弧状のパースペクティブが直線化され
あなたにとっての僕の外部も含めて
草莽から空へ氾がっていく

 終着点まで来ては
 その都度、行き先を変更し、
 降りやまぬ黒い線に
 ビッと引っかかれまくって
 やがて来た夜は、朝に行きたい夜は、朝に、溶けて
 暗い爪先から全身を光につらぬかれても、朝になら
 かつて抱きしめた、その、斜陽の胎になら
 生き埋めにされていいと願う夜は
 夜は、
 償いですか、愛ですか、
そのどちらが
僕ですか
あなたに
聞いているんです

あなたに聞いているんです
あなたは僕に死んでと頼んだ後にメールであやまってくれました
でも気に入られるようにあやまれるほど足すべき語彙を知らないあなたの
携帯電話の画面がなげうたれていてまぶしかったベッドで
受信音はふるえていました
それが僕からなのでした
だからあなたも一文の返信をくれました
それより他のことはもう覚えていません


終わり

  ただならぬおと

  〇

私は、私にとって美しいものを、あなたの言葉によって美化されたくありません。それでも初めて、あなたの言葉においても、こればかりは純粋に美しいと確信するものができました。それは空白です。私は絶対に美しい空白を見ました。それはあなたのものですが、私からもあなたに贈っておきたいとおもいます。その光彩において他の光彩に添えられておらねばならぬのが空白のあり方です。そしてあなたの空白というものは、あなたにこそ添えられてあるべきものでしょうが、今の私には残念ながらあなたが無いので、「ありがとう」と書き続けてきたルーズリーフの、恰ど一枚ここにありましたのを、あなたの代わりとして添えてみることにします。あとはあなたが、私を信じてくださればこそ。消失点に成りやまぬ最終というものに宿る、そんな無限のような空白よりも、もう少しだけ限りありそうな空白、それが(終わり)ですから。

鳥たちが一せいに弾け飛ぶ。
地面が私をねじる。
と、私から滴れた、ぽたぽたと行間に馴染むひとしずくひとしずくの背景が、沁みになっていく。中から三滴を選び、手紙として封をした。

上を向いたら
私の顔面があったから、
ごぼっと引き剥がしてしまった。
そこから、どばどばと放水されて
私は大水のさ中、
しきりに問い掛けた。
あなたには、死ぬか、いきるか。
それしかないか、と。
そんな土砂降りの瀑布を
胸が爛酔するほど呑みこんでしまったら、
無為に咀嚼したくなったある復唱が、
嘘という、
腐った言葉の水脹れを絆して、
不妄語と倶にどんどん白んでいった。
そして白は次第に凍結し初め、雪の華になった。
手形の痺れた息遣いで、私は、猶も大量に降り掛かってくる華瓣の一切を左右に吹きあらした。

それから再び、
人間を已めよう、という予感をぶり返した。
今し方、私が封をしてしまっていたのは、もしや「ありがとう」の羅列ではなかったのかもしれない。情景が滞ったあの日に感染するための、創ぐちとして痛覚に衝き上げてきた想起、すなわち、「人間を已めよう」と、そんな嘘がノートに様ざまな字体で書き足され続けていたような気がする。

その内、私が、想起の海に浮かんだら
あなたは砂浜になって
私を迎えに来てくれるのでしょう
波は私と私たちとのあいだに立ちつづける相違だから、目をそらすことはできなかった。海があるなら、海辺もあるはずでも、このままあなたが来ないとして、決して、あなたのせいではない。私はあなたを信じている。私は海辺で、陽の昇るところを観ている。これが夕陽なら、昇れずに、沈んでいってもよかった。水源から波の次々と潰され均された海面に、澄明な暗度を垂直に奔らせて雪崩れようとしているあなたは、砂でできていたのに、砂よりもよわり易くなっていた。

背景が
飛んでいく。
まるで別れのようで、
遠方は泣き崩れ、それに伴って足場も泣きだして、
いや、泣きだしそうなまま崩れてしまっている。
ひそやか乍ら、私は、
別れに上限だけは設けていた。
もう、これ以上、別れきれません、だから、行かないでください、というと、
じゃあその上限を超えた分だけ再会しましょう、では左様なら、と、そういって、背景は、背景の手掌いっぱいに満ちていた血の色を幾条もの襞にして飛び散らかした。

飛んでいく、そう感じたとき、
私と別れる背景が、慥にそこにありました。
陽は赤く、
鳳凰のようでした。
ただし、私の大きさにはとてもかないそうにありません。
それは、
あなたのような鳳凰でした。
が、あなたは背景の中軸で極限まで自らを見えなくしていっても、竟に私を最初から見てくれませんでしたね、やさしいから。今でも無同然のあなたに、添えられ尽くしてしまったこの空白に、反射する光彩があなたにも美しくありつづけるようにと。信じています、信じてください。

  一

子どもたちが孤独を望ま失くなった日を穿ち
私と世界が捻ジこまれて適《ゆ》く
天上に
確かに罅が入って適く
孤独は睛眸に棲んでいる天使らと
固唾を呑みながらそれを瞻《みあ》げている

失くなったものに一つ宛《ず》つ封をして
投函していたポストの裏側で身を陰《ひそ》めている
あの孤独を私が祝福してあげたい
私の母親を手向けるから
どうか孤独も
私として
生まれて来てください
換わりに死活なく私を愛して

数え限《き》れない羽衣が
天上まで投げ騰げられ
方々に分かたれ適く子どもの私を零度《つめた》い繭のように包るむ
誕生の一《はじまり》からは絶えず軟らかな潮風が戦いで
母なる両腕を貌彩《かたど》ってひろがって適く
それから
孤独の喫《の》む煙草の尖を掌握する
ジュッと立ち抗《あ》がった烽煙《けむり》が
波打つ標識《ブイ》のように浮沈し願いのように淡《うす》れた
孤独の眼に烙《や》き著《つ》いた消灯は天使の影像をシナプスに投じ

私が祝福され果てた後
愈よ
降りてくる
世界は孤独を衛《まも》るため
それだけに孱《よわ》く創られている
されど孤独にとって世界は催涙や愛しみではない
それは宛もなく孤独に送り返される
ヒマワリの原色 そして
私の胎動を孕む
子どもには生めなかった豫言《はず》の母親

現《いま》に失望《すべて》から再起した歓声《よろこ》びが
昂《たか》らかに早鐘を鳴らして孤独の肩骨に宿り
ミルク状の羽音を加熱《ぬく》めて適く
空《うつ》ろに懸かっていた首吊りの環も眼一杯のヒマワリへ咲きかわり
踏み台に腰を卸した原点《ゼロ》に指先のように根を搦《から》めて
最後にこう奏る
つまり花は音律で
原点の躰は霊水であるがゆえに吸血され
その音雫《しずく》があまねく私を媒《つた》い
孤独の耳に韻《ひび》いて
あなたは孤りではなかった!
 あなたはもう独りではなかった と!

  二

こわいんです、私に目が二つあること。あなたが私の両目を指でさすとき、私には、片目が無くなった感じがある。こわいんです、私には、私になにが二つあってなにが二つないのかが、いまだにわからなくて。あなたは一つしかない私の部分に、そっとあなたの部分を足すから、私は一向に数えきれないんです。私には魂が二つ、体が二つある、二つあるはずがないことくらい、ちゃんと解っているはずだのに、どうしてか、あなたのそれらを一緒に数えないわけにいかない。あなたは、私のような顔をして、私を嗤う、お面をかぶった誰かです。そう。誰か。私と同じくらいおそろしい、あなただけの名前です、誰か。それでいて、私でもいい誰か。誰か。たすけてください、こわいんです、私にはどうしてよいのかがわからないんです。たとえば、私が絵を描いているとき、私は書かれたがっている文章になります。あるいは、文章が私に書かれているとき、私は、描くべき絵になります。私、絵と文章を同時にかける絵と文章になりたいんです。こうして書かれていく文章のために、あなたのイメージとして完成されてゆく一枚の絵画が、もはや私と呼ばれはじめている。私を。描かないでください。私に文章を描いてください。絵に私を書いてください。やっぱり、なにもかかないでください。かかれている私は絵か文章であって、絵と文章にはなれない。あなたがたすけない私はたすからないでください。私って、誰ですか。誰か。あなたではない誰か、私に、私をおしえてください。私の意味が二つに分離してゆきます。まるで、最初からそこに二つあったかのようです。二つがあるせいで、対という一がそこには成り立っていて、懲りない私は、それをまた私と呼びいつのまにか分離してゆくさまをみつづけています。私はときどき朝になります。朝は夜の対義語です。夜は昼の対義語です。しかし昼は、朝ではなく、私の対義語にして、失くさずに、大事にします。私がわからなくなったとき、あなたは、昼のことから、おもいだしてみてください。いくつにも分離していった跡が、まるで日光のようにあらゆる一周から還ってくるさまを最後までみまもっていてください。その総体が昼です。昼はいつでも私に寄り添っている。私はあなたに寄り添っている。あなたは私を見ていないときにだけ、昼を見ることができる。あなたに私が、私にあなたがもう見えていないころ、まだ、すべてははじまったばかりです。

  三

 私と関わりきれることのできる人を数えたら、せいぜい三人くらいになるだろう。だから私とその三人は、地球を見捨てて無人の星で新たな生活をはじめることにする。その星はただただ広くて、三人は逃げようと思えばいつだって逃げられるけれど、私が眠っている間も、ずっと傍に寄りそってくれる。私はその優しさが申し訳なくなって、サバイバルゲームをしようなどと言い出し、かくれんぼをやらせることにする。見つかったら死刑見つからなくても死刑私と関わったことでそもそも死刑だとルールを押し付けても、反論されず、戸惑った。
 私は包丁を握りしめて早速数を数えはじめる。皆ほうぼうに隠れていく、その音がひどくさびしくて私は、私の方こそ死んでいるような気になって、目を閉じたままこのまま死ぬまで数を数え終えられないようにと願った。
 するとドスッと音がして、慌ててふりかえる。遥か頭上から包丁を落とす私と、あとの三人がいる。あの三人は、もしかして、あの三人なのだろうか。私はひどく不安になりながら、隠れたはずのあの三人を、探しはじめる。
 もし、頭上の三人が地上の三人と同一だったとしたら、死刑にしなければならないはずだが、同一だという保証がどこにもない。保証がなくとも、現に見つかっていない地上の三人は死刑が確定している。私だけが鬼なら本当には殺さなくて済んだのに、どうして天上にもう一人私が居やがったんだ。ずっと、ずっと隠れてやがったんだ。死ね!
 私はむっと顔を顰めて、包丁を投げ上げる。ふっと天上の私が消える。そして包丁が垂直落下しはじめた後に、そいつは再び出現した。一体、なんなんだ。落ちてきた包丁をよけると、地上の三か所から三つの包丁が同時に打ち上げられた。私は顔面蒼白になって、みーつけた! と絶叫した。天上の三人がふっと消え、包丁が垂直に落ちてくる。落ちてきて、落ちてきて落ちた。私は慌てて三方向にかけよった。
 しまった! と思った。ここで私は、私を二人も増やしてしまった。不安になりつつ各自で例の三人を探してみたが、そこにはただ包丁が落ちているばかりだった。私がかえりみると、私と残り二人の私が、同時に、私たちの成す円の中央をみた。
 引っこ抜いた包丁を、私たちは中央に向けて投げた。ぐさっといって、包丁が互いを刺しあった。私は天上を見上げた。そこでは幾千万もの私が包丁をふりかざしていた。死刑。その時を覚悟した途端、奇妙な形に刺さりあっていた包丁がビュオンと言って上に向かい、同時に私の周辺の至るところからも、ビュオンと包丁が上がっていった。
 一方で、天上から振り降ろされた幾千万もの包丁が、それらとぶつかってまた刺さりあった。刺さりあって静止しているところに、至るところから、あの三人がかけつけていく。そして至る方向に包丁をひっこぬいて一斉に構える。変だ。今度は全部の刃が、私一人に向けられている。
 私はしゃがみこんで目を閉じて、できる限りの速度で数を逆から数えた。途中から啓示のように口が勝手に動いてついに一まで辿りついたとき、肩を叩かれた。目を明けると、私の周りに包丁が三人立っている。その包丁が私をふりかざして、私に振りおろしたとき、私は、私になり、あの私ではなくなってしまった。
 それからばったり倒れた三つの包丁を鞄に仕舞い、私はあの三人を探しはじめる。星はただただ広くて三人はいつだって私から逃げられたけれど、私が眠っている間も、傍に寄りそってくれていた。三人は眠ったふりをする私のもとに寄り集まって、よく寂しいと言って泣いた。私はこんな寂しい星に三人を連れてきたことが、ただただ申し訳なくて、三人が眠ったころにいつも一人で泣いてしまうのだった。

  *

あなたが好きなものを私だけは嫌いたくなかった。ひとつの世界とはそのようにして終わりを遂げます。枯れゆくすべてから、今、あなたが好きな言葉だけが咲き、始まりも終わりもない一篇の詩になってゆきます。
開かれたままの本が勝手にめくられるのを待っています。あなたは今、始まらないものがたりの中で私を待っています。

 *

いつか好きでなくなるために人を好きになる人などいない。歴史に、こう刻まれてあった。明日も鮮やかな碧眼になるために、隣で地球がまぶたを下ろしている。もう、眠ってしまっているのだろうか。すみません、この歴史、私のなんです。でも読めば読むほど素的なメモですね。
夜、と謂うらしい。夢に下りたつめたいまぶたに触れる、つめたい指さきから波紋は広がる。その波に揺られ、向こう側ではカラカラと星のかざぐるまが廻る。風は常に遠くなっていく、次の風より、またさらに遠ざかりながら、きらきらした音だけ鼓動として高鳴りつづける。

過去は
夢に課すものを予感と謂い、
そのどれもに終わりを命じている。

(始まり全てに、終わりがくるみたい。それなら、全てが終わる夜に、あなたが時間を止めてください。そして会いにきた人にキスをして、その人を、私の名前で呼んで。名前は、まちがってもいい。それがわざとでも)

 *

人は、いつも、
人を好きでなくなる時や
人に好きでなくなられる時を
予感して生きている。

全てが終わる夜、太陽が、地球の好きな化粧を落とす。いよいよその素顔が明らかになる、という寸前で、洗面所は停電した。地球は、この時に備えて周到に用意していた避難用のバッグから、懐中電灯を取り出す。スイッチを入れてみるが、点かない。窓の外、月の灯も消えてしまっている。
名前を呼ばれて、朝だった。化粧したあなたが、いつものようにまぶしい。永かった昨日より一日だけ永い今日を、あなたは、明日と謂う。そして明日もう一度キスをしようと言う。もう一度。

 *

いつか好きでなくなるために
人を好きになる人などいない

遠い風は
もう
頁をめくらない

あなたがカーテンをめくり
足もとへ流れてくる日なた

青と青のすきまから
こぼれた白を
享けとめる小さな指さきに
あたたかな日の暈を
嵌めてあげたい

  *

 癒《なお》らぬ疵《きず》のうずくあなたに、一輪のガーベラを贈ります。そだてた男を思いながら、その唇で花の意味にそっと吻《ふ》れてください。いつの時代も、少女に指《ゆびさ》されるのはただ一輪のガーベラであり、咲かせるのは死ぬる囚人であります。悦びが死にゆく光りなら、哀《かなし》みは生ける闇《くらが》り、あなたの羞《は》じらいはぬかるんだ望みへと沈み、仄かにかがやきを初めております。あなたは花のももいろに肖《に》ている、死刑囚に育てられたこの一輪の花の。だから私はあなたを愛します。いつの時代も生が愛されるのは、ただ一人、この死者によってでありますように。

  *

 眠る胎児と一しょに、臍帯で右目の無い人形が育つ。それは胎児の前世を模った、いずれ消えゆく生命のプラスチック体である。しかし無知なるこの人形は、親近《ちか》いものが右目を潰したのだと省み、固く鎖した左目のまぶたに疎遠《とお》い無色をのぞんだ。代わりに鼻は血なまぐさい母性愛をむさぼり、耳は羊水のめぐるのを聴き。心臓はなおも紅くふとり続けている。
 不安なる人形には右目が遺した有色の記憶ばかりが思いだされて、次なる欠損を惜しみにくめども、うつろなかれにはいまや来世も疎遠《とお》からず。痛みもなく潰れてゆく肉体の要素として、ひらきかけた左目を瞑りなおすけれど、いよいよ出生の時さえ来至《きた》れば、心臓や鼻、耳、そしてこの左目などは全て、右目とひとしく母なる臍帯を融通し、眠る胎児の、玩具箱のような胸部へと片づけられるであろう。かれは定めを悟り初めている。
 胎児は人形より解けだすそうした気配を摂りながら、生まれ出ずることの歓びに胸をふくらせる。それから遠近法を現世《いま》に両目に学びきるまで、すでになにものも見えぬ冷たき前世の臨終を感じ眠りつづける。

 *

水の膜、触れるには脆そうな。
表面に幽かな蒼が融けこんでいる。
それを隔ててあなたがいる。
きれいなものを識るたび、
消えたいと切望《ねが》う私が、
その膜にゆらゆらと映り
あなたの横顔をにごす。

肺を欠乏におかされて吸いこんだ、
この温度すら、あなたは語《ことば》に染める。
幻視に揺らぐ果樹、
その根にやどる結石が
縦《たと》い私の語意でも、
今の私には依《たよ》れそうもない。

すこしほろ苦い、あなたが水膜《すいまく》を敲く。
私も仕返そうとたち添えた、てのひらから、膜は刹那《せつな》く波紋のように破《わ》れた。

喪失をかたどった沫《あわ》が、
あなたもろとも消え、
永遠の淵から炙りだされた
琥珀の景色の、柔な匂いだけ、そこに残して。

私は。
あなたからきれいにされた呼吸の一片さえ
ばらばらに壊さなければならなくなった私は、
まだ、なにも、こわせない。

積み石のように建ちあがった夕のすきまを蝕んでゆく
灯りの色から、
ゆっくりと、
目をそらして。

 *

私が止めると私が止まる。木製のあと味、ずっと噛んでいたアイスの棒が、口唇から剥がれた。その棒にめりこんでいた歯形も剥がれていった。消化されたものはもう嘔《もど》らないということを、ようやっと惟い知る。

私の、方向が、ない。

時計から欠けそうな針が、マイナスの形に開いている。私の瞳は るえているのか。こんなにも眩しく筆跡をなぞ のに、悪いのは蛍光灯だと思いこんでいた。自由、それは回転して る、つぶれそうなほどの自由、なのだ。夜だというの 手の平は案《つくえ》にはりつき、だれにも抱きしめられなかった影が、影に握られた夜だというのに、夜だ、というのに、二個の器官が、いつまでも手の甲をみつめて、しかし、逃がしては れなかっ 。どうにもならない瞳がふるえる。悪 のは鏡像の蛍光灯だと思い込んでいたかった。

まずくなった緑茶を飲み干す。時計の針がずっと止まりつづけている。ここからは、もはや止まるべき方向も奪われていくようだ。あらわされてはならない表示が、統べて否定形に展開していく。例えば、あらわれてはならない消失点が十字に割けていく、そのように、
血は叫ぶ、
 愛して、
 愛させてください愛を下さい、
 愛を下してください。
私は叫ばない、
 血を愛している。
愛は叫び、愛を叫ばない、

私は
止まっていたのだった。
鼓動にやぶれた残響が、
一個の心臓の層に挟まれて、
はたはたと、悸《ときめ》いている。

私はアイスの棒を拾った。ついで歯形も拾った。それを再び歯と噛み合わせた。唯一拾えなかった不在が、足下で腐っていく、その還元として、新化しなければならない私に、向けられるべき刃にもやはり方向がない。
もし刃に方向があれば未来を刺して過去に刺されたところから吹き出す鋭角の光で現在《いま》の連続を串刺しにしたかった。

 *佇む体

どこかの喉からかあふれた声が
耳からひたひたとはいりこんできて
鎖骨のあたりで
あなたの気もちへとかわり
血液の遁走がとまってまもないきずぐちに涌きだし
えぐるように沁みわたる

はだかでこごえる未経験なあなたたちと
ひとしい振れ幅でながれている
なまぬるくうるおった
愛しさは
ほそくちぎれそうな首すじから
脹れあがった足のつまさきへとながれ それから 粘着質な床へと伝い
あなたのなかにめぐっていたゼロやたゆまぬ問いをみちびき光とまじわり遠くそらへ
空へ
穹へ旻へ
あああなたは生まれる
あなたはこの世に生まれるまえにしていたうつくしいフォトシンテシスをおもいだし
うしないゆくものたちのかわりにおそらくはあなたの足のうらであろう歪な平面にひろがる
つめたい哀しみを吸収し からだに放たれた母乳のにおいのなかにはじめての生育を感じはじめている

あなたとかのじょの声がであって
ふたりの心臓に孤独として
きいろい花がひらいていたのであれば
おもいではまだ
あなたにかえったばかりの
触れられない
うすむらさきの弔い

思想の種をたずさえて
あなたの柔らかいしろい声が
さらさらとかのじょへ運ばれるとき
くりかえす季節のながい営みにより
朝におとずれるひとつの春は
そっと
さびしさにたゆたう
太陽の憬れ

あなたはゆっくりと手脚の形状をわすれ
地球に根をはりながらうごかない存在になろうと
はなれそうな意識を
すべて
眼球にあつめて
みどりいろのきずぐちをみている

だんだんとあなたは
唇の位置をつかめなくなり
ついにことばは
ゆっくりととじた瞼からにじむ浮力だけ

かのじょの胸との連絡をもとめて風かみに伸ばされたあなたの十本の茎は時間をおって四方にわかれてゆく。あなたのために生まれる人をかぞえたぶんの葉がそこに生えるとして、宇宙の胎動にあやかるこの追憶を死とよぶのならあなたたちのいのちはなんのためにあった。あなたを生み殺した一途の愛へかえそうとするまことのしあわせの歌がまだあなたの原型を保ってくれているうちに、保存されたあなたの人間性をおもいだしてしまわなければあなたは死んだあとにする正しいブレスをわからないまま、うごけないふるさとを聴くだけの不死身なみどりいろになる 動物でも植物でもないうつくしいだけのみどりいろに。あなたたちは生まれることがすなわち死ぬことだとだれかに学ぶけれどほんとうにそれを気づいた人はほとんどない。瞼をあけると血液が痛みをともない燃えるように熱くあかくあなたのきずぐちからあなたの管を逆流するのがみえる。だらだらとしたたりだした水分は首すじを伝い粘着質な床からはがれることに成功した足のつまさきへとながれつき、それから 遠くそらへ空へ穹へ旻へあなたのかぎりない誕生を祝うかのように蒸発しあなたは男の生体をとりもどす。

いのちを売るように
文字を売る
私の生活という腐葉土に
たおれている
はだかの女
しろい肌にきらめく
やさしさ
それを
さびしくなるまで
じっと見ている

チューリップの球根を
女にたべさせ
そのおこないを
会話とよぶ
水をのませても
花は咲きそうにないから
私はせめて
かおを近づける
けれど
彼女の視線は
私の角膜の奥をさぐり
出るはずのないなみだを
まだ
まっていて
私は
くちびるに触れられないまま
そっとやわらかい女の手先をにぎる
ちからのない指から
いつかのキスを想像して
それから
さびしくなるまで
となりにねむる

音をたしかめ
私を洗浄するゆめのなかから
したたってくる望みと
千本のチューリップにしずむ
よこたわったふたつの肉体
ああ
女を揺さぶるほどのいぶきが
ふたたびここで詩になるとき
そのしらべを
きっと
平和とよぶのだろう
女のやさしさのもとに
育ちやまぬ善美があるなら
私はそのきらめきが根こそぎ枯れ
さびしくなるまで
そばにありたい

 *十字架

私に辿りつけない系図が、皮膚にびっしり張りめぐっていて、ところどころ筋が腫れあがりながら、蒼く静止している。その支線には血が筋肉質に流れつづけ、そして、私が私に血を流すのも、おなじだけしずかなことだった。あらゆる行き先から私の血は異論を立てられて、そのたびに引き返そうとして、もう、どこまでも、行き先しかなくて。ぐッと、停滞する血。停滞したつもりが、無慚にも、巨大な全体へ円くひろがって行き、ただ私の視点ばかりを害する鮮やかな汚点《しみ》となって。今は色褪せている。褪せてしまった血の発色を、私の美感はゆるせない。抱きしめようとしたのは、死体ではなく独《さび》しさだった。私たちは最初から判っていたのだ。この血は私の子孫でもなければ、祖先でもないということ。

流暢な
あなたの炎で
もっと
多くを
かたらせて
ください
did u kill u?
4 in STANCE
精液の音と
あなたの愛した勃起
i listen to the vagina
気泡のなかには
病のように
あなたが
まだ棲んでいて
睨んでも
水に
がんぼうは移らない
i loved me
i am my u
did i kill u?
この黒々とした縁取りに
あなたの内臓や性を
はめさせて
ください

 *廻向

凍り付いても血が凝結することは亡いこの脈絡のどこで私に発熱など出来ただろう。どうしても、母親からは人間で生まれてしまって。それでも心臓がふたつ有れば、あなたは私の肺では亡かったとしても体温ぐらいにはなってくれた、緊張したシステムが新たなはらわたを作りはじめて居るこの身体の。
私が頭脳のよいものばかり摂れるSetting The Esophageal Weepだったら、あなたと被膜すら張り合って居られるのに、どうして心臓では亡いものばかりが出来て行くのだろう。

言い淀んで
人間は延びてしまえるくらいだから
私を唱えながらあなたもやがて居亡くなれるね。

言い淀んで


日暮れの虹

  ただならぬおと

けぶる東京。ひとりなら
あるける。預言は果てた。
預言は果て
たひと
りならあ
るけあるけ、

わたしを氷釈させて
くゆる陽光の
角度が
読めない。朝で
突き離さないで
連想
しないで ね。わたしを
護ってあげるから
ね。掘り返された街路樹で
足もとがあぶれる。

放して。
少女で編んだ
スピカがほつれる。したたり消失点を
穿つ銀のしづく。シルエットに
還りたい。
これが
絵画に為れる

いう


嘘・解ってゐる?

太い棍棒の雨で
均された背、その
空洞を生き埋めにして

けないね。いけない子

透明な肩に
降りたいと思う小鳥を身体ぢゅうに集めて
あらん限りの輪郭をさしあげて
散散の自由。あを 抜ける 青
細い順に
指を透す・身の輪郭を通る
蹠・めくれる 内臓を
わたしに挿入

格子窓の外で白い影がさっとおちる。

食事を終えたテーブルで
わたしは生きてゐることにしようか
死んでゐることにしようか話しあってゐる。この席からはどんな夕焼けも格子状に見え、電線には鴉が絡まる。興味のない他人の笑いだけが谺してゐる。掃除婦の掃いて捨てた落ち葉が古井戸に
うようよと蛙として生まれ
変わって死んで
井の中を知らないわたしは
傍らで仕合わせと遇い復た遭いながらも
ずっと生きつづけ
る、

(((ねえ瞻る?)白い穴
虹に接触しそうに腫れた
飛行機ぐもの)白。放つ)白。
きづいた人から壁に囲まれて築かれた
白亜の城。覗き穴を
見られた馬鹿には興味なく 潰れる、
わたしは下衆の靴底でひねもす。

残酷な裸体は
捨てられてゐた荷物
の上で胸を開かれて
いく。氷の脊柱も
折れる音がしない・金属質
の遮断・冷たい頓
首・冷たい頓首


ガヴェル

  ただならぬおと

山も洋もないただ平坦な森の奥地である。「知識の開拓地」と呼ばれ初めてまだ日が浅い。地層の研究などはまだまだこれからの話で、今は夜通し槌音がやまず、星か雨かもわからぬものが冀望のようにだらだら垂れ落ちてくる。硬化する闇に労働者は額ずき、ボーリングで夥しい空洞を穿っていく。好奇の思いに駆られた宝石商や不動産屋もやってきていて、傍らで計算機をずっと弾いている。みなが仕事をしている中に、一人だけ、牛や馬をひき、ただ静まりを縫って横断していく者があった。ある目撃者によれば「彼は雑草に一々なにかを落としていった」らしかったが、学者や警察が調べても何も見つからなかった──後に熱心な文学者が草花の解題を成し遂げ、「この土地の植物には、古い原住民の愛称が芯まで沁みている」と録すのであるが!──。

「私たちは新しい知識を求めて旅発つことにした。ここにある知識は全て土地として君たちへ譲ろう。居を構えてそこに只住むのも、土地を掘り返して知識に還元しようとするのも、すべて君たちの自由である」

かつて先住民から裁判所と呼ばれていた樹海に入ると、耳はおのずから研ぎ澄まされ、目は視界の中心に立ったものを悉く擬人化し一人びとり雄辯家に代える。証言台に立つ者を、その者以外がみな聴衆となって囲うとき、白熱する管がキュウブの辺を組んで照らし出す。やがて所有る感官の表層に植え込まれた「認識」という比喩も綻んで、静寂は角度うるわしく透視図法どおりの直線で描かれてゆく。そして彼は声ではない高らかな共鳴を超音波に翻訳し、錐揉みし、ある種の幻聴として私の耳管に捻じ込みはじめるのである。

「私が今生きているということは、一度すでに生まれてしまったことを意味しているわけだが、私はなぜか、まだ、生まれるということが一体どういう行為であるかを知らない」

少し前の話になるが、私は、新しく建てられた教会の庭で、望遠鏡を立てて宇宙を見上げていた。場所柄のせいか、上を仰ぎみることは祈ることにも通じてしまうようであった。つまり、遠いものを娯しげに夢見るのではなく、厳かに観とおさなければならないのだと。私は神教の信仰者ではなかったが、その時は、神様という遠い観念も、背後の木陰に隠れている一人の監視者のように感じられた。しかし、神様は、きっと恒河沙の宇宙を細礫のように集めて掌に掬うほど大きな方であり、私の中の素粒子に住まうほど小さな方でもあろう。あなたの太く細い視線は、かつ砲丸となりかつ矢尻となり、軒並みの時空間を掻き分けて私の目を討ち、きっと最も是しく潰し、最も正しく射抜く。

「君の心臓に繋がれている手は、温かいものだろうか、窮屈なものだろうか。私はその手を形作っている真っ赤な血流である。あるいは、君が何か歯車を回そうとしているとき、私は歯車ではなく潤滑剤として役立つものであろう。私は、人の心が雄辯から告白へと移り変わる、そのときの昇華である。つまり、私は君の最も知覚しやすい有形の存在形式を持たない。私は君にとって最も知覚しにくい『プロセス』の属である。しかし私は、無形の協和として抽象化された、胎動、でありたいと普遍に願っている。つまり、君が生む全ての形ある運動の母胎、形ある鼓動の母胎、形ある感動の母胎、の中に私は伴いたい」

気が付くと、私の周りの凡ゆるものは、聴衆ではなく、只の景色として沈黙していた。どうやら議論は散会してしまったようだ。先刻まで照明の下で繰り広げられていた雄辯は、沖に立つ白波のように流麗、もとい雅馴であった。そして私は、最後に取り残された一人の罪人として、粛々と、もう誰も見向きもしない証言台に立った。照明の消えた中で私の語ろうとしている告白は、どれも塩の結晶のような、得るに乏しいフラグメントに思えて仕方がない。が、私にはたった一つだけ、誰にも譲れぬ確信が芽生えていた。樹海の深い子宮で胎動をはじめている自分の生命を、新しい運動として、新しい鼓動として、あるいは完く鮮しい感動として、信じないではいられなかった。


之繞

  ただならぬおと

曇ったレンズ
それを越えたところに
うっすら視えているもの
展開されゆく街並み
と、
ひとつ、落ちた
いかずち

見慣れた希望が
かすれて見え始めたのは
その光ぐあいの悪化のため、
それとも、私の眼が
悪くなったせい

全て
としか言いようのない
全てを言い尽くせたことを
悟った日の呆気なさを
とてもよく覚えている
それを全て誰にも彼にも
聞き流されてしまった後の
呆気なさも含めて
よく覚えている

コンポから音楽が流れる中で
昼寝をしてしまったら
もう秋で
網戸から吹く
冷房のような風に
揺さぶり起こされた

夢も何もなかったかのように
現実を始めている
ひだひだのカーテン
空気感の青いリビング
そこで先に夕食を摂っていた
懐かしい思い出の背中
今は無い傷椅子

絵を描くようになって
判ったのは
名前や言葉のように
覚えたい形を覚えることが
なかなか難しいこと

落雷で
焼け潰れた木を
仮定してみる
羽織るものは持ってきたろうかと
心配してあげたい人のことを想って
私はその木を
見にゆきたくなる
夜風がただ寒くなるころ
その人といっしょに
なにもない野外に
抛りだされていることの
痛みもない一時の幸せを
仮定してみる

想像することに対する
拭えない恐怖
視るより先に
触ってしまえた心の一個が
いま頭の中でぼろぼろ欠けていく

全てを言い終えた私にはもう
これから、より鮮やかな嘘を
ついていくばかりの使命しか
残っていない
それならば、いっそ、もう、と
どこかへ出向くたび、その帰りに必ず決意した
二十一歳の
あたらしき日々

人より少し
正直すぎた私は
歌を聴いている人が好きで
そのくせ、その隣に無言で居ることは
地獄のように寂しかったのだ
ずっと

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.