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作品 - 20130918_064_7034p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


虚空に繁る木の歌

  前田ふむふむ


序章

薄くけむる霧のほさきが 揺れている
墨を散らかしたように 配列されている
褐色の顔をした巨木の群を潜る
そして
かつて貧しい空を飛んでいた多感な白鳥が 
恐々と 裕福そうな自由の森に向かって
降り立つという逸話をもつ 
大きな門に
わたしは 夕暮れとともに
流れ着いた
そこは 眩いひかりを帯びていた

門の前では 多くの老婆が 朽ち果てた仏像にむかって
滾滾と 経文を唱えている
一度として声が整合されることがなく
錯乱した音階が縦横をゆすり
ずれを暗く低い空にばら撒いている
うねる恍惚する呟きは 途絶えることがない

わたしは 飽和した風船のように膨れた足を癒すために
曲折するひかりを足に絡ませて 草むらにみえる、
赤い窪みに 眼から倒れるように横たわる
少し疲れがとれると
それから 徐に 長い旅の記憶を攪拌して
老婆たちの伴奏で 追想の幕をあげるのだ

      1

海原の話から始めよう
それは 真夏であるのに ほとんど青みのない海である いや その海は色を
持っていたのだろうか どこまでも 曲線の丸みを拒否した 単調な線が 死
者の心電図の波形のように伸びている海である 時折 線の寸断がおこり 黄
色の砂を運んでいる鳥が 群をなして わたしの乗る船を威嚇する わたしは
その度に 夥しい篝火を焚いて 浅い船底に篭り 母のぬくもりの思い出を頬
張りながら 子供のように怯えていた
そのとき いつものように手をみると 必ず 父から受け継いだ しわだらけ
の指がひかっている わたしは 熱くこみあげる眼差しをして その手でくす
んだ 欄干を握りしめるのだ
線が繋がるまで

気まぐれか 少し経って 線は太く変貌する
一面 靄を転がしている浅瀬ができる 船は座礁して 汽笛を空に刺す 林立
する陽炎が 立ち上がり 八月の色をした服を纏う少年たちが 永遠の端に
立ち止まっている みずの流れを渇望して わたしに櫂をあてがう わたしは
櫂を捨てようとすると 少年たちは 足首を掴み なにかを口走っている 彼
らの後ろには 仏典の文字のような重層な垂直の壁が 見え隠れしている わ
たしは 少年たちが なにを話しているのか 言葉がわからずに かれらが眠
るのを待って 急ぎ逃走するが いけども声は 遠くから聴こえて わたしか
ら 離れなかった それは なぜか 遠き幼い頃 聴いたことがある懐かしい
声に似ていて 気がつくと 目の前を 幼いわたしが 広い浅瀬のなかで ひ
とり泣いているのだ 
線が細さを取り戻すまで

やさしい日々も思い出す
船上でのことだ
古いミシンだっただろうか
わたしが 失われたみどりの山河の文字の入った布を織る
恋人は潤んだひとみで 書いてある文字を わたしに尋ねた
わたしは 生涯教えないことが 愛であると思い
織物の文字を 夜ごと飛び交う 海鳥の唾液で
丹念に 白く消していった
線は さらに細くなり 風に靡いて

老婆たちは 経文を唱えつづけている
仏像にむかって
眠りながら 唱えている
門にむかって

わたしは 門を眺めながら 棘のようなこめかみを
過ぎゆく春に流し込む

    2

そうだ 都会の話をしよう
それは 楕円形にも見えたかもしれない 整然としたビルの窓が いっせいに
開かれていて カーテンが静かな風に揺れている 暑い夏の眩暈のなかで 人
の姿の全く見えない街が 情操的な佇まいを見せている白昼 街の中央の方か
ら 甘い感傷の酒に酔った音楽が流れてくる わたしは 寂しさと 湧きあが
る思いを感じて その音色を尋ねてゆくのだが 音色の下には 瓦礫の廃墟が
一面 広がっているのだ 若い父がいた 祖父がいた 祖母がいた すぐに
わたしは 声をかけたが 声は わたしの後ろに響いていって 前には届かな
い 逆光線だけが 少年になっている わたしを 優しく包んでくれている
溢れる汗を浴びて 声のあとを 振り返ると 世界は 時計のように 着実に
冷たく 賑やかに普段着で立っていた

こうして 内部で訂正された始まりから
楕円形はさらに 色づけされながら
わたしは 耳のなかで 立ち上がる
ぬるい都会の喧騒を 眺望すれば
やわらかい季節の湿地に
殺伐とした抒情の唇がせりだしてくる

にわかに 門は轟音をあげて 閉じる
老婆たちの口は 唯ならぬ勢いを増して
読経の声がもえだしている
脳裏を
幼き日の凍るような古い運河にある病棟の記憶がよぎる
眼を瞑れば
逝った父は わたしのために書き残せなかった白紙の便箋に向かって
闇をつくり昏々と眠っている
蒼白い炎が 門を包む
その熱によって
わたしの血管の彼方に滲みこんでいる春の香かに
きつい葬列のような月が またひとつ 浮ぶのだ

わたしの溢れる瞳孔をとおして
音もなく いまだに復員はつづいている
闇のなかに遠ざかる感傷の声が
書架の狭間で俯瞰する鳥の声が
沈黙してゆく門をみつめて

文学極道

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