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作品 - 20130905_912_7016p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


等間隔であるのに、むしろ不均衡

  

その人は、亡くなるためにやってきます。
その人が、治らないからだの病気をかかえているのなら、
わたしはすぐ病院に行って、治療をすすめることができます
その人が、涙もでないほどのこころの病をかかえているのなら、
わたしはそばによりそって、話をきくことができます。
その人が、生きるはりあいをなくしているのなら
わたしはいっそ、蜂蜜色の熟しすぎた洋梨を両手いっぱいに抱え、あぁ困りました、
ジャムを煮たいのですが、とつぶやいて、その人とともに台所に立つでしょう。
何もない部屋に、その人を案内するのはほかならぬわたしです。
その人の娘というひとも続いて入ります。
しずかな部屋に、三人が取り残されたかのような、
それぞれの距離は等間隔であるのに、むしろ不均衡な空気がただよっているのなら、
それは親子である2人がもっと近づいているべきだからかもしれません。
そして、その人のまくられたセーターからこぼれる腕の静脈のひとつひとつを「ひかり」と呼べるほど、
その人のぎこちのない笑顔に慣れていないわたしがいるからかもしれません。
その人の、ひとすじのかがやきながらながれる時間のきっさきにこの部屋があるとするのなら、
この娘というひとのなかに、どれほどのしたたる時間をかけて、一緒に暮らすという形では親を大切にできなくなるという思いに埋もれていったのでしょう。
二人で暮らしてきた幾年ものあいだのどの時点で、心に思い描いていた老いとゆとりとのバランスが、まぜこぜになってしまったのか、わたし自身、知ることができません。
もしかするとそれは、そのひとが噤むこととなった言葉の数が、
ささやかな日常のながれに、「緊張」という種をととのえながら落ち着いていった真昼のことかもしれない。
いや、それよりも、かなでるようにくちずさんでいたはずのうたごえは、
亡くなった愛するひとにたむける、だけどその曲の名をだれもいえない、そのような。

文学極道

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