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選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


等間隔であるのに、むしろ不均衡

  

その人は、亡くなるためにやってきます。
その人が、治らないからだの病気をかかえているのなら、
わたしはすぐ病院に行って、治療をすすめることができます
その人が、涙もでないほどのこころの病をかかえているのなら、
わたしはそばによりそって、話をきくことができます。
その人が、生きるはりあいをなくしているのなら
わたしはいっそ、蜂蜜色の熟しすぎた洋梨を両手いっぱいに抱え、あぁ困りました、
ジャムを煮たいのですが、とつぶやいて、その人とともに台所に立つでしょう。
何もない部屋に、その人を案内するのはほかならぬわたしです。
その人の娘というひとも続いて入ります。
しずかな部屋に、三人が取り残されたかのような、
それぞれの距離は等間隔であるのに、むしろ不均衡な空気がただよっているのなら、
それは親子である2人がもっと近づいているべきだからかもしれません。
そして、その人のまくられたセーターからこぼれる腕の静脈のひとつひとつを「ひかり」と呼べるほど、
その人のぎこちのない笑顔に慣れていないわたしがいるからかもしれません。
その人の、ひとすじのかがやきながらながれる時間のきっさきにこの部屋があるとするのなら、
この娘というひとのなかに、どれほどのしたたる時間をかけて、一緒に暮らすという形では親を大切にできなくなるという思いに埋もれていったのでしょう。
二人で暮らしてきた幾年ものあいだのどの時点で、心に思い描いていた老いとゆとりとのバランスが、まぜこぜになってしまったのか、わたし自身、知ることができません。
もしかするとそれは、そのひとが噤むこととなった言葉の数が、
ささやかな日常のながれに、「緊張」という種をととのえながら落ち着いていった真昼のことかもしれない。
いや、それよりも、かなでるようにくちずさんでいたはずのうたごえは、
亡くなった愛するひとにたむける、だけどその曲の名をだれもいえない、そのような。


『ブルーノート物語』

  

   ー序章ー

蟻塚を鉢に植え替えて
大き目のシューズを履いて散歩した
秋が秋を忘れるように
リクエストした曲が鳴っている
古材を組み合わせたゆかの上に立って
僕は草臥れたレコードジャケットの背にふれる
玉蟲色に恥かむ紅が揺れ
床につまずき転びそうになったママがいた

ふたりは
迷い猫を引き入れ
頭をなでた


色は匂えど たちつせそ

  

上半身が間抜けになってしまった 働き蟻が5ミリ程の障壁を乗り越え 汗をぬぐってい
る 痛風の足をひきずり 万歩計が5000をしるしても たかだか 200キロカロリ
しか消費しないことを 感謝したらいいのだろう か くはかなながら 年たちかへる朝
にはなりにける 不用意にも 天使の羽にふれた気がした 汽笛の音が いささかの負託
を防御しかかって聞こえてくる 静脈と動脈が絡まって褐色の花蜜を滲ませ をちこちと
 ちりちり旋回はじめたのだ 股関節をあたためて をんなに振られた木偶の坊が 案山
子に凭れて逝っちゃっ た まづさはすずきにかよわす なんの契か 爪を剥がして刺青
している 小蜘蛛をテッシュで捕まえてはトイレに流した 思いでにもなりはしない へ
その胡麻がたまったりもした キスした 相変わらず口が苦い クンニした おもいっき
りクンニした


     註
  色は匂えど 涅槃経

  かくはかなながら、年立ちかへる朝になりにける。 蜻蛉日記 中  道綱母 

  玉章は鱸に通はす 男色大鑑巻一ノ四  井原西鶴 


黒いタイツ

  

   1
すだれ越しに見えたあなたの顔が
乳白色に沈んだ水際でさ迷い
差し伸べるわたしの片手を地上へと断ち切り
交わす視線交わす言葉もなく
わたしの体表から逸れて行く

こわばった冷光の気配が軋みだし
あなたの皹割れたつま先にあたるから
わたしは庭先に沈んで風化しかけた未熟な夏蜜柑を搾って
オレンジの蜂蜜湯を添えて
あなたの元を去ろうと思う

   2

2足の黒いタイツが
幾重にも固く結ばれ
わたしの手が届かぬ先に
影のようにぶら下っていて
走っても走っても追いつけない

藪柑子の実が
辺り一面に散らばっていて
子音をのばしきった幽かな母音が聞こえている
ぃ〜ぃ〜〜
わたしは素足だったなぜ素足なのか分からなかった

   3

2日まえ、笹塚の医者が言っていた
時代遅れの男になりたいという歌があったよね
いつも思うんだが、馬鹿なこと言うね。
男はいつでも時代遅れなんだよ、まったく。
女は…と続けようと思うのだが何ひとつ浮かんでこない

無我夢中で風呂の湯をかけ流していた
しぃ〜ぃ〜〜
黐(モチ)の木の街路樹がどこまでも続いていて
近くの景色はいつまでたっても色づく様子はない
わたしは服を脱いでいなかった…


『壇密考』

  

入梅と
一字ちがいを
言い訳に

 壇密氏が「週刊新潮」にコラムを連載始めた。本文は毒にもならない事柄をぶっきら棒に語りかけた趣き。まぁ詰らない。巻頭に挨拶かわりに、狂歌まがいの三駒句を掲げている。

  入梅と
  一字ちがいを
  言い訳に

 誰にも思いつきそうな句なのだが、なんだか妙に気に入っちゃって、今も眺めている。
 何が、一字違いなのか計り知れないのだが(恐らくくだらないダジャレなのだろう)、衰弱しきった私の脳漿をしっとりと揺らす力があるのだ。
 壇密氏の魅力は、中性的でオシャレッぽくないところだと、私は思っている。
 綾鷹のキャップについている、マクドナルドの無料引換券をめくると、ソフトツイストが当たった。早速あした貰いにいこう。

文学極道

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