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作品 - 20130812_754_6989p

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どこからか伸びてくるタイル地の街路を

  リンネ

どこからか伸びてくるタイル地の街路を、何だか人間のようなそうでないようなぼんやりと膨らんだ白い影が滔々と波打ちながらひとしきり流れていて、コンビニの前や、道端に缶ジュースを吐き出す自販機の前など、方方で渦を巻いているのが見える。牛のように巨大なショッピングセンターの壁面には、映画館の宣伝モニターが上映中の数編の映画の予告を眩しく映し続けている。どれもモザイクが全面にかかっていて、愛想笑いをする人間の顔のように思われる。ぼうとした明かりに照らされてわたしの顔が、青白く滲んだり、鬼面のように赤黒く溢血するなどしたかと思えば、茄子のごとく紫に膨らんでみたりする。もともとの顔がどうであったか、こうなってしまってはまるっきり判然としない。

「いつだったか、ときおりきみはそういう何もないような顔つきをしてみんなを怖がらせたことがあったよねえ」と背後の人ごみの方から油のように染み出す妙な声があって、はっとして首をくるりと背後に回してみると、死んだと思っていたK太郎が、狐のような人嫌いのする目すじのきつい顔をしてこちらを覗いている。「あれえ、てっきりきみは……」とまで云って顎が外れた人形のようにわたしの口が呆けてしまった。K太郎の目は黒目がなく、真っ白で、視線らしきものが生まれないので昆虫じみて不思議である。私の顎が他人のもののように、誰かに自動操縦されているかのように「卵を詰め込んだみたいな目をしやがって」と勝手にぱくぱくと痙攣し出してわたしは面喰ってしまった。しまいにはねじまき式の兵隊のように無表情でK太郎の方へ向かって行進していく。

何もかも活動写真じみたようになってわたしは不安になってきた。と同時になんだかどうでもよいような開けた気分も湧いてくる。近くでみるとK太郎の顔は中学生の時の幼い眼鼻つきをしていて、しかし目玉はぐりぐりと尋常じゃない動きをしている。それでいて肌は女性のように柔らかいらしく、妙にふわふわとした雰囲気でほほ笑んでいる。わたしと同じでもう三十近いはずであるのに。懐かしがってしげしげと眺めていると、向こうは昨日会ったばかりだと云うように当たり前な顔でにやにやしてくる。中指と薬指を絡ませては解く、と云う運動をしきりに続けているのが見える。K太郎は狂っているようでもあった。人臭い風が通りに吹き走り出してきて、腹を壊したような、電車の転がるような雷の音が空を伝わってくる。稲光は見えない。

突然、K太郎が膝を崩して、けけけ、と声を引き攣らせた。昔から笑い出したら止まらない奴であったなあ、と懐かしみが心底から浮かんでくる。こんな様子なのでよく聞こえなかったが、笑い声の隙間に「M太郎も来る」というようなことを云っているようであった。するとわたしのすぐ隣に、引き延ばされた餅のようにのっぺりゆらりとしたM太郎が突っ立っている。こちらもK太郎と同じく中学校の同級である。伸びきって七尺近くの長さになっていて、わたしを見下ろして、何かもごもご言っているが、よく聞こえない。気づけば、K太郎のほうもびろんと七尺くらいに伸び上がってしまっていて、わたしの頭上を二人の頭部が吊ランプのごとくに揺れている。その楽しげな視線の交錯するところでわたしは妙な表情を湛えている。それはあるいは表情でないかもしれない。輪郭のないゴムボールのような顔であった。

意識がぼんやりととりとめもなくなっていく。周囲の、街のにぎやかな感じは、すっかり忘れ去られてしまったように、わたしの顔の裏側から抜き取られてしまって、代わりに漠然とした虚空が顔面に満ちている。顔が、さらにむくんでしまった。自分の居場所はどうも判然としないが、自分がどうにかしてそこに立っているのは分かった。街路のあったはずのどこか向こうから、今となってはどことも云えないような向こうのほうから、見果てもないほどの煙のような人影たちが茫然と浮かんでこちらに迫ってくる。ふいに「セイヨクハトッテオキナサイヨ」と臆面もなく云う声が上がって、はっとする。小汚い、波型のトタン板のような皺に汗をにじませたお婆さんが、制服姿の中学生男子数名に向かってにこやかに云ったのだ。あっけらかんとして云うので、こちらが面喰って友達と笑いあってしまった。その笑いは身に沁みるような悲しさがあった。煙が四囲からどうしようもなく近寄ってくるにつれて、その悲しみも、段々とぼやけてくるような気がした。
 
K太郎!
M太郎!

その響きは恐ろしかった。

文学極道

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