1990年の独立記念日の少し前から
あのお祭り騒ぎが嫌いな僕とライアンは
ずっと彼のアパートに閉じこもって過ごした
冷蔵庫にはバドワイザーと冷凍ピザ
籠城の準備は万端だった
部屋は古かったがエアコンは最新式
外界を遮断するために閉じたブラインドの
わずかな隙間から差し込む光を受けて
ライアンの逞しい腕の金色の産毛が
人工的な闇の中に薄っすらと浮かび上がる
それ自体が独立した美しい生き物のように
あの頃のライアンは東洋かぶれで
チャイナタウンで買ってきたという
パッケージからして怪しげな香を
朝から晩まで焚き続けていた
僕は渡米の目的であったはずの学校へ
ほとんど行かなくなっていたから
あまり好きではない香の匂いが
すっかり体に染みついてしまった
ライアンは国を愛していなかった
国が彼を愛さなかったからだ
彼は父親からも愛されていなかったが
父親のことは愛していたようだ
そして父親と同じくらいに
彼は神を愛していた
神が彼を愛していたのかは
いまだに分からないが
少なくとも神の周囲にいる連中は
ライアンを愛してはいなかった
あいつらはロクなもんじゃない
神様の名前を使って
悪事を働くならず者たちだ
十字軍なんて強盗と変わらないだろ?
俺だっていつかヒュパティアのように
生きたまま肉を削がれるかも知れないよ
ライアンは酔うたびに同じことを言った
彼の引き締まった脇腹には
ケロイド状の傷があった
それは彼がまだ幼い頃に
父親によってつけられたものだが
ライアンはその傷をネタにして
自分をイエス・キリストになぞらえた
下手なジョークを言うのが好きだった
ライアンは暴力を憎んでいたが
暴力は彼につき纏い続けた
彼だけでなく僕や仲間たちも
常に暴力と隣合わせだった
黒人やヒスパニックや先住民
障碍者や母子家庭や貧困層の人々
聖書からはみ出した者たちは
みんな正義の暴力に苦しめられた
数が少ないということが
それだけで罪であるかのように
僕も普通に街を歩いているだけで
JapとかNipと罵られることがあった
通りすがりの名前も知らない連中が
憎悪と侮蔑の表情でそう言うのだ
ひどい時には殴られることもあった
あの負の感情はどこから来るのだろう
心にポッカリと開いた穴からだろうか
ライアンほど忍耐強くない僕は
安物のリボルバーを手に入れて
それを持ち歩くようになった
幸か不幸か射撃練習場以外で
そいつを撃つことはなかったが
独立記念日の夜
僕たちは互いのために乾杯した
そして未来のために夢想したのだ
殺すことも殺されることもない世界を
神に仕えているつもりのあの連中が
神と同じように僕たちを無視する世界を
「もうすぐ帰ろうと思ってる」
僕がそう言うとライアンは小さく頷いた
彼も何となく分かっていたのだろう
楽しい時間には必ず終わりがある
当たり前のことを僕たちは受け入れた
その夜のライアンは特に優しかった
終わると神の役割について語り合った
最初から答えが出ないと分かっている
そんな話を夜明けまで続けた
今でもたまにライアンのことを思い出す
例えば人混みの中を歩いている時に
彼が焚いていたあの香の匂いが
どこからともなく流れてくるのだ
そうすると必ずその時のパートナーと
上手く行かなくなって別れることになる
あれは何かを後悔している僕自身の
無意識の仕業なのかも知れない
8月も近い最後の夜
僕たちは聖体礼儀の真似事をした
ダイエット・クッキーとライ・ウイスキーで
罰当たりな儀式を執り行ったのだ
俺は神様を侮辱してるんじゃない
取り巻き連中をからかっているだけだ
すでに泥酔していたライアンはそう言うと
ベッドにひっくり返って鼾をかきはじめた
残された僕はウイスキーのボトルを持って
テレビの前に移動してMTVを観た
しばらくして流れてきたPhil Collinsの
「Another Day In Paradise」を聴いて
僕は赤ん坊のように丸まって泣いた
ライアンが焚いた香に包まれて泣いた
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選出作品
作品 - 20130716_466_6958p
- [佳] 1990年のライアン - 无 (2013-07)
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1990年のライアン
无