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作品 - 20130320_781_6781p

  • [優]  供花 - 飯沼ふるい  (2013-03)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


供花

  飯沼ふるい

少女がしゃがみこみ
自分の影を古いアスファルトに垂らしている
路地裏、午後三時、大安の日

アパートの二階
アルミの冷たい窓枠に肘をついて
しばらく一人でぶつぶつ何事かを嘆いている彼女を見ている
いつも誰かしらに親父臭いと言われる
ショートホープ
左手に握られた毒素が苦い

「あなたがそばにいないから」
 ――あなたがそばにいないから。
彼女が嘆いた流行り歌のタイトルのようなことばの上に
厚い雨雲が傾れている
煙草の煙は
そこへ溶け込む遥か手前で散る

もしかすると彼女は
クスリが切れてしまった少女
そういう現代社会の病の表れなのではなく
人の身体を真似た
ことばの陰影なのかもしれない

人でいることに
窮屈さを感じたことばたちが
押し潰された声帯を通して
吐瀉物のように漏れ出ている
そう思うと
善きものへの志向とか
人並みに生きるということとか
なにか道徳的なことが浮かんでは沈む
僕の頭ン中でもことばが衣擦れを起こしているらしい
けれど14mgのタールの中には道徳的なものなど
これっぽちも含まれていない

そして次第に雨が降る
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨
それは台所のシンクに詰まっていた汚水だ
死んだ魚の腐肉を浚った水だ
どこかで三年前に生まれた赤子を洗った産湯だ
生きる、ということにおいて
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨だ
彼女は雨に濡らされている

華奢な彼女の背中と
それを眺める自分との間に潜む
湿った空気のせいで
古いアスファルトがふやけていく
蜘蛛の食事のように
古いアスファルトはゆっくりと彼女の真っ赤なハイヒールを飲み込んでいく
踝、太もも、下腹部、鳩尾、胸、
彼女の姿を成すものは
しどけなげに降る雨とともに
路地の暗い影の底へ沈んでいく
はなむけに煙草を雨に晒すと
ほの赤い熱源が音もたてずに冷えた

彼女の姿がこの世界のどこにも見えなくなる
雨が止む
似たりよったりのアパートに挟まれた
細い道の遥か向こうで
虹の切れ端が覗いている
向かいの部屋のベランダでは
放置された観葉植物がじっと枯れるのを待っている
彼女のことばの落ちた所は陽炎で滲んでいた
次の煙草に火をつける
路地裏、午後三時、大安の日

文学極道

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