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作品 - 20130121_150_6646p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


朝、寝起きでトイレに入ろうと

  リンネ

朝、寝起きでトイレに入ろうとしたときである。父親が便座に座ったかたちのまま動かなくなっているのを見つけてしまった。両手をそれぞれのひざについて、ややうつむいたまま息もせずに石像になっていた。触ってみるとからだはやはり石のように硬直していて、目玉は真珠のように濁って白い。顔はなぜか満面の笑みに波打ったまま止まっているが、しかしそのせいで逆に気味が悪くなってしまっている。石になるなら石になるで、もうすこしそれらしい顔というものがありそうだが、きっとそんな事を気にする前に瞬間でこの状態に陥ってしまったのだろう。ともかく、このままでは用を足せないし、父親のほうも仕事を欠勤せざるをえないし、うまいこと行く方法はないものかなあ、などとしばらくぼんやりと考えていると、今度は母親がトイレの扉をたたいて、早く済ませて頂戴としきりに後ろで訴えている。母の扉をたたく音がするたび、父がわずかに揺れてそれが便器のセラミックとぶつかり合ってかちゃかちゃと変な音をたてる。もうしょうがないので、こうなったらと、父の股のわずかに開いたところを狙って小便を注ぐことに決めた。



気付いたら動かなくなっていた。最近は夜中に何度も小便をしたくなるのだが、今日も同じように暗い廊下を手探りでたどって、この便器の上に座った。ふっとため息をつく。立ちながらだと飛ばし散らかしてしまって、あとで始末するのが面倒だから、小便だけのときもはじめから座って用をたすことに決めている。息子にもそうするように言っているが、トイレの床がたまに黄ばんでいるのを見つけるので、あいつはたぶんこのルールを守っていない。ともかく、人が石になるだなんてありえない、という人がいたらどうかわたしを見てほしい。まるで体が動かない。しかし動かないくせにこうやって物事を考えることができるのだから、人間とはやはり不思議だ。朝になって息子がトイレに入ってきた。驚いた様子でこちらをじろじろ眺めてくる。しばらく考えるように首を傾げたあと、真面目な顔をして股間を広げた。ほれ見ろ、言わんこっちゃない。立ちながらするから、トイレの床や、便座のふち、しまいにはわたしの太ももと股間にまで、一面に飛び散っている。



トイレを開けてみると、そこには見たこともないような風景が広がっていました。はじめ、わたしはそれが息子と旦那だとは全く気付きませんでした。というよりどうしてあれが人間に見えるでしょう! それは石像でした、けれど人間のかたちをした石像ではありませんでした。もはや生き物としての姿かたちは全くとっておらず、まるでなにか現代美術館にでも置いてあるような変に芸術的なかたちをしていたのです。芸術なんてなんにも知らないわたしですから、それがほんとうに芸術的なものなのかはこれから批評家のかたがたに見てもらえばいいとして、ともかくなんだかよく分からないかたちをしていたといっておきます。それはもしかしたらトーテムポールに似ていたかもしれません。しかしそれはアーチ状に広がってもいました。いや、メビウスの輪のようにねじれて、終わりがまたはじめの所に戻っていくようでもありました。ともかくです、わたしはあんなおかしなもののことを考えるのは金輪際もうけっこうです。家も売り払うことになりました。こうしているうちにも、口まわりの小じわは増えていくばかりですし、これから独り身でどう生活をたてていけばいいかということに、もっぱら頭がいっぱいです。



おそらくこれは人類史上初めて、人間の身体そのものが芸術になった稀有な現象である、そういうふうに言えるのではないでしょうか。逆にいえば、芸術とはそもそも人間そのものに他ならなかった、というとくにエキセントリックでもなんでもない、いたってまともな一つの命題に、われわれはとうとう行きついたのだと言えます。父と息子、この特徴的な組み合わせに、ひとまず精神分析的な態度をとることをあえてわたしは否定いたしません、しかしなによりも今この瞬間われわれが必要とするのは、なぜこのような現象が起きたのか、という意味解釈論的態度などでは決してなく、むしろこの類まれな作品をいかに味わうか、味わうべきか、という実践的で倫理的な問題に対する、まことに真摯な姿勢であるといえましょう。この珍事がトイレという特殊な空間で、いや、じつにささやかな日常の空間で展開されたということに、じつのところ、わたしは感慨を隠しえません。デュシャンが便器を選んだのは必然でした! ゆえにわたしはここで提案いたします。このオブジェを便所空間とともに広く世界中に公開すること! かの住宅を、そのまま美術館として成立させること!

文学極道

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