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作品 - 20120319_207_5945p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


カイダン

  リンネ

特に書くこともないが、何もやることもほかにないので書き始めている。書くことのないのは幸せだ。書くことは、書くことがあるのは幸せなわけがない。恨みつらみを持った人は書くことがあるということだ。書くことは何かそうやって書いたものをだれかに訴えるということだ。だから幸せな人は書く必要には迫られない。しかしこの世に幸せな人がいるというのも信じがたい話だ。わたしこそは幸せ者だと信じ込んでいるやつは、実は不幸であるということに気づいていない居た堪れない連中だ。生きるのは、言ってみれば苦痛でしかない。けれど生きることと苦痛であることが同じ意味なら、生きていることも悪くない。Kは階段をのぼっている。これはKの物語だ。物語というのだから、それはもちろん恨みつらみの話になるはずだ。他人の幸せ話など語る必要があるか? Kはまだ階段をのぼっている。かれこれ数時間だろうか、数日間だろうか、はんぺんのようなしろい頬に青いひげが成長している。目筋には涙の跡が。この男に何があったのか。スーツはこぎれいだ。しかしだまされないようによく見てみれば、背中に汗のシミが黒く広がっている。呼吸は異常といってよい程度に遅い。息をしてないとも言える。K以外、階段をのぼるものも、おりるものも見当たらない。ここは公営団地のアパートの階段だ。折り返し折り返し、上へと続いている。さみしい、つめたいような弱い風が上階から吹き下ろしてくる。Kの長い汚いけれども弾力のある黒い髪の毛がふわふわとなびいている。滲んだ汗のにおいがKの後ろに残されていく。これが物語なら書くものがあるはずだが、今のところをみれば、このKという男は階段をのぼっているだけだ。他にはだれも見当たらない。あるのは階段と階段だけだ。高さだけが威圧するように積み重なっていくが、書くべきものはどこにも表れない。ようするにわたしはだまされたのか。Kは幻のようなものを見た。階段の上には見たことのあるらしい、しかし大きすぎる雛人形が座って笑っている。と、こんなことが書ければしめたものだと思っていたが、Kは幻のひとつも見ない様子でただ階段をのぼっているだけ。何とも書きようがない。まじめな男め。何か書かせたまえ。Kの右の手には爪がある。しかしこれは当たり前の話だ。訴えるべきことはない。爪など生やしていなければよかったのに。爪のない手は秘密の前ぶれだ。しかしこのKには爪がある。普通の右手がついた男だ。何の変哲もなく、つまり書くべきこともない、ただ階段をのぼるだけ、おりることすらしない、笑っていなければ、女を探すこともしない。女がいれば恨みつらみも生まれる、書きがいのある物語に女はつきものだ。階段をのぼるだけの男の物語なんて誰も読むはずがないし、そもそも書かれるべきではない。有限とされる時間のうちのどこにそんな無駄をしていい時があるだろうか。描写可能なことはなにもない。後ろ向きに階段をのぼるなら、それは何かの寓話にもなろうが、まったく普通、まったく当たり前に両の足を交互に一段ずつのぼっているこの男になんの物語があろうか。目筋にだらしなく伸びた涙の跡だけが前ぶれであったが、その跡でさえもうすっかり消えて乾いてしまった。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。のべつ幕なしにのぼりつづける。こんな男に階段はいらないだろう。すなわち、Kはのぼっている。Kはのぼっている。名前だってなんでもいい。Mはのぼっている。佐藤はのぼっている。本多はのぼっている。無いのもいい。のぼっている。のぼっている。のぼっている。こんなのもありだ。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのべつ幕なしにのぼっている。

文学極道

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