バスの停車釦の光るのが外から見えるということ。
多分、位相だとか、そもそものところから違うのだろう。つ、と右にそれる脇道の先を眺めたわたしの目には、大きな車の走り去る残影がくっきりと刻まれた。星々の燐光を一瞬だけ覆い隠す街灯の下、わたしは薄められた夜を歩く。客が乗っているかどうかもわからなかったあのバスの、車内は、別の世界だった。
上っていかない煙が煙草にはある。
苦い、辛い、そして仄かな痛み。白い煙は正午に人目につくのを嫌う。雨が降っていれば細かく分かれて雨粒の影に隠れるし、晴れていたら昼日中の大きな陽の手に庇護して貰おうとする。気になって、逃げていく煙の後れ毛を摘んでみたことがあったが、そんな時決まってわたしの首がひどく痛む。後ろの首筋のもう少し上、わかりやすく言えば小脳のある高さが。日中はそんな風にしていると、非常な速度で、足早にわたしとすれ違う。三時間前に吸った煙草の、塵芥よりもさらに小さい粒子が、上着に付着していたとしても。
「明るい」と「暗い」とが交錯する印象。
急に、津波を押しとどめる術がないのと同じ具合で、抗いようもなく曇り空が見たくなる。今しがた、着地音を途切れさせないように神経質に降り注ぐ雨粒と、それを作り出す溶け始めの雨雲を見上げているが、わたしはこれを別物だと思った。別物。偽物。不要な物。わたしは、わたしの中の不要な物を削ぎ落とすために始終、幼子のような煙を吐く。
別の世界だと感じたあのバスの車内は、二度と現れない。
夜は突然生まれる。車通りの少ない閑静な道路の真ん中を歩いていると、いきなり青い闇が向こうからやってくるのを見たことがある。
短くなった煙草を落っことす。気付いていながら、踏み躙りもしない。
あと何回雨模様の天気の下を過ごすことが出来るのか、わたしの好きなぼんやりとした曇り空は何度見られるのか、少し冷たい直射日光が裏返るのはいつなのか。
午前二時を回る。わたしは家族を起こさないように、アンプラグでギターを引っ掻く。
永遠に鳴り響くAm、毒でしかない煙が沁みる、さっき頭髪に絡まった水滴が、ゆっくりと吸収されていった。
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作品 - 20120315_091_5938p
- [佳] 胡椒と魔法と化学 - 片山純一 (2012-03)
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胡椒と魔法と化学
片山純一