目を覚ますと、とある住宅街の狭い路地、これを抜けた先の、猫の通るような路地に出ました。ここはまるで知らない場所でしたので、道ゆく人々を目配せして捕まえ、わたしはこう尋ねています。滑り台のない公園はありますか? あるいはこの町の公園は滑り台のないものですか、と。でも誰も知らないみたい。誰も知らないからわたしはいつまでも探せます。
後藤という表札のある家の裏、するっと飛び出した人間が、水ぶくれのコンニャクのような顔。畑に水をやっている。ナスやキュウリ、ニンジンにジャガイモと。収穫を待っているのでしょうか、張りのある体つきでおいしそうに。そういえば以前、後藤という名前の人間にカレーをご馳走になりました。この人間、ジャガイモに似た顔をしているせいか、決してカレーにジャガイモを入れません。口を開きかけます。カレーは具合良く舌にまとわりついて、わたしが声を出そうとするたび、いやらしく噛みついてきて。後藤の目がこちちを向いてくるのが恥ずかしい。
あまりここに長くいれば、きいろい蛭の断面が右ひじにひっついて離れません。路地裏の道はべったりと湿り、まして太陽の光などまったく届かず。医者は、まず間違いなくこの右ひじのきいろいものはきみの血を吸わないだろうし、吸っても気にしない方がいいでしょうという。死ななければまあいいか、それはやはり思います。この町にはりついている人間のうち、その半分がきいろいものに噛まれて動かなくなりました。高熱ののち、樹脂のように固まってしまう。ですからこれは階段をつくるのや、壁をつくる建材として使われます。例えばこの後藤さんの表札はわたしの父親の一部であるのですが、それはだれにも知らされていない。もちろん後藤さんにも。
脳神経の乱れで寝ている間、父は幻覚を見ずにすみました。水ぶくれのコンニャクのような顔、これは母が死に際の父にかけた科白です。壊れた舵で、父は夢の中を浮遊します。天井に引っかかった父の一部。これは頭部です。あつあつのご飯を口にしながら、わたしは何の感慨もなくそれを見ています。浅蜊の味噌汁からあがる湯気が、そのままいい案配に天井を、父の部分を湿らせて、すでに部屋中を覆っています。私の横で転がり、幼い妹が折り紙を折っています。母はサンマの骨を丁寧に取り除いているところです。わたしは熱気とともに味噌汁をすすりながら、放心したような表情をして。あ、お椀の底、浅蜊が音を立てて放屁した。
父さん、あなたは今、滑り台です。この公営団地の、ごく人通りの薄いこの公園で、子供たちの尻を滑らせます。ときどき念仏のような音がする以外、おおむねおとなしく眠っていますね。あなたは他人と助力し合おうという気持ちが薄い。それでも夜がくれば、遠くから旧友のように滑り込む月たちと、一種の快感をむさぼる。誰かの舌が、ゆっくりなぞるよう、銀色の滑り台をさすりはじめています。それがわたしです。ざらっとした砂を口で絡ませ、空からはいい調子に霧雨が降り。後藤の目がこちらを向いています。大きな、人間よりも大きなジャガイモの気配が、わたしの頭に重たくおぶさってきます。
紙飛行機が飛んでいます。
雨の中、どうして飛んでいられるのか。
どうしてこの世界を生きていられるのか。
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作品 - 20120302_739_5908p
- [佳] 水ぶくれ - リンネ (2012-03)
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水ぶくれ
リンネ