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作品 - 20120213_384_5868p

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つまはじきの円環

  菊西夕座

おとぎの國からかえって来ると、子どもじみた妻の妹が爪切りに缶詰を咬ませている。
円く平べったい銀色の頭頂をきつく脇に抱え込んでねめつけながら
妻がスピンして命を失った第4コーナーあたりのごく浅い溝を咬ませている。
あのとき妻の血はその溝をサークリングして円筒最上面の周縁部を一着で彩った。

派手に振られたゴールフラッグは奇しくも白と黒の市松模様で葬儀にぴったりだった。
缶詰の頭頂部から吹き飛ばされても律儀な回転をやめることなく空に飛んだ妻は、
みっともなく逆走して周回から回収に至るコースをとることもなく未だ還ってこない。
破れたレースのカーテンが窓辺で揺れるたびに妻のレースが呼び込んだ生活費のことを想う。

優勝トロフィーとして贈られた銀色の缶詰を妻の代わりに抱えて俺たちは帰宅した。
骨がないので骨壺の代わりにその缶詰を仏壇にすえて線香をあげることが日課になった。
線香の煙が銀色にすましかえる平べったい頭頂の円周に沿ってゆるやかにたなびくとき、
俺たちは軽く一礼してからレースの開始を告げる椀状の鈴を鳴らして目を瞑り合掌する。

深く祈りを捧げると、俺の前にはおとぎの國が靄をまといながら朧気な輪郭を現してくる。
それは水も涸れ涸れの赤茶けた小川にはまりこんでいる突っ伏したドラム缶のようだった。
蓋はなく、円形の口をだらしなく広げ、筒状になった内奥へとひと筋の汚泥を敷き入れていた。
両岸を覆いつくす丈の長い葦の群れが、ドラム缶の方へと全身で手招きするらしく一様に揺れ動く。

そうやって合掌しながら船をこいでいた俺が目をあけると、缶詰の蓋が掌をみせるようにパッカリと開く。
中からまっすぐな太い煙を思わせる十本のやや透きとおる白い爪がいっせいに迫り上がってくる。
あのときハンドルを切り損ねたのは、俺がまともに妻のことを見てやれていなかったからだろう。
運転にさしつかえるほど長く伸ばしていた爪は、ほったらかしにされた「妻」を示唆する暗喩だったのだ。

おとぎの國からかえってくると、なにも知らない妻の妹が爪切りに缶詰を咬ませている。
姉さんが夢の中で爪をかんで悔し涙をながしていたからと義理の妹も泣いている。
その涙が脇に抱え込んだ缶詰の頭頂を縁取る溝に落ちて銀色に輝きながらゆるやかにサークリングしはじめる。
俺はその終わりなきレースにすっぽり頭がはさまって、未だ缶の中身を詰め切れないでいた。

文学極道

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