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作品 - 20120211_362_5867p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


君と僕と君と僕と君

  右肩

   (1)

 どんな人生にも本質的な差異はありません、と平気で言う「君」とテニスをしている。

 跳ね上がったボールが緑の金網を越え金網の向こう、工務店の建物の二階、その窓の高さまで。落ちる力を蓄えるまでボールは上がり、「君」は半身を捻ってラインまで下がる。

 読者よ、次の場面を予想しなさい。たとえ言葉の上であろうと打ち返されたボールをまた打ち返すとすれば、ラケットから腕と肩へ、シューズから足首へ膝へ腰へ、心臓から肺へ筋肉の血流へ、衝撃は伝播する。テニスコートから随分離れた空間に、木星という巨大な質量のガス体がもし実在するのならば、そういう想像力に衝撃は伝播する。予想しなさい。

 「君」のガットが黄色いフェルトとゴムに包まれた、一・八気圧の球体を捉える。ボールがポクンと音を発する。世界が再創造される!さあ、来るぞ。

   (2)

 人間は生命という宿痾の、そのひとつの局面であるようです。と、「君」はアイスクリームの匙を舐めて笑った。金の匙。光るものを舐めることは良いことだ。

 僕はとても幸せだ。窓の外は春の日の雪。レストランの閑散とした広い駐車場に柔らかい陽光が射す。高層の強風に流されてここまで来た雪が、今は無風に近い空間をゆっくり降りてくる。

 形の崩れた大粒の結晶が、生きるもののように光の中を動き回る喜び。地表の放射熱で瞬く間に消え失せるはずの雪片が、斜めに飛び、微妙に浮き上がり、上下左右に錯綜して音楽を楽しんでいる。暫く音楽を楽しんでいる。
 
 父が死ぬ喜び。母が死ぬ喜び。僕も死ぬ喜び。僕が死んだずっと後、僕の知らない何処かで「君」も死んでしまう喜び。ぽろろん、とピアノが鳴る。

 「小さくて温かくてもぞもぞするものが、抱き上げられて胸に眠る喜び。」と「君」は言って、アイスクリームが載るグラスの縁をかちんと匙で叩く、金の匙で。このレストランは冬枯れのブナ林に囲まれている。

 読者よ、知っているね。「君」が総ての読み手の核心に言及していることを。胸郭のリボンを解き、ラッピングペーパーを開き、上蓋を持ち上げていることを。その中には無邪気なものがひっそりと鼓動し、或いは今すぐにもぺちゃんと潰れてしまいそうなこと。そのことも。

文学極道

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