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作品 - 20111115_689_5698p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


シナガワ心中

  黒沢



星が、縺れ
ひきつりながら後退していく
瞳の表てに 何かが
写り、
母と呼ばれる無限のそうしつの
暗いどよめき

― 私と貴方は、同じ階段を、べつべつに下りていく。
上空、どれほどの高さだったか。ほそ長い階段が、ぶきように延ばされた飴細工のように、闇を伝い、宙づりの影を縫って、彼方の市街地へと下降している。色とりどりの立体灯火。貴方は途中、何度も足をやすめながら、軌道の向こう、 滲んで見える品川の全景を、しつこく指差した。



もう 此処でいいですか
かあさん やはり違うんです

― 風が、うごく。
予想外の焦点のゆれ。遅れてきしむこの階段を、何時から下りはじめ、いつになったら、私と貴方は辿り終わるのか。それを考えるにつれ、謂れのない疲労を感じた。

此処でいいですか



年老いた彼女は、汚れの目立つ手すりに掴まり、己れの足運びを何度も反芻して、思い返すみたいに、時間をかけて前へ進んだ。

息をのむ近さで、馬や、ラクダや、いて座や、近未来や、有り得ない生きもの達の星座が流れ、右やひだりを遷移していく。母は時折、見えづらいはずの瞳を伏せ、やみ雲に光りを追いかけて、名前を与える。



教えられる、
発話のしかた
事物の名称
世界のふところ
内奥、
ということ

― 父の顔を捜していた。
彼女に聞かされたその投影は、この上空の何処を求めてもない。あれは、ばら色星雲ですか。私の声を受けて、母がかさねる。あれはお前に、ずっと昔にくり返し教えた、にくの欠片。



かあさん やっぱり違うんです

階段は品川の、時代遅れのネオン街に下りたつ。地上で立ち止まると、却ってぐらぐら視線がみだれた。かあさん、少し、よりすぎだよ。

― よりすぎですよ。
パチンコ屋の裏口が見えた。仕事を終えた勤めにんやら、休憩時間の店員やらが、ごみのバケツを覗き込んでいる。電線の向うには、曲りくねった化学照明が吊るされていて、夢の名残りを辺りにばら撒く。かあさん、ここではないですからね、私は先回りした。



明りのなかで見ると、貴方はぞっとするほどの生めいた瞳だ。水の淡いで星が泳いでいて、ゆれやすい生きものを形作る。父ではない、他のにんげんの顔が横切り、私は嫌悪からでなく、怖れのために先を急いだ。地下道にはいる。銀の移動体が通りすぎていく。列車、だったか。

もう 此処ならいいでしょう
未だなのですか
はは、とは
彼女は
呼び名ではなく、



改札では、足もとの覚束なかった彼女が、今では黙って後ろを歩いている。地下道は、線路を伝い、行方のわからない排水溝や、非常経路を縫って、もう暫らく続くのだろう。見しらぬ花が、咲いている。私はそれに言及しない。綻び、きえた風の見取り図。頭上で駅員のアナウンスが、ひずんだマイクで拡大された。

― 暗いどよめき。
終端にきて、地べたのマンホールをずらすと、また、内奥から闇があらわれた。私と貴方のうす寒い目前に、べつの階段があり、それは飴細工のように、ぶきように引き延ばされて、さらに深くへ下降していく。かあさん、未だまだ、終わりはこないようです。



星が、見える
生きものは
かたむき 死滅して
渦を巻いている
無限のそうしつと
発話したのは私だったか だれ、
だったのか

おそらく品川のビル群が見える。遥か足下で、識別灯が、気が遠くなるほどの疎らさ、じれるような間隔で、明滅を続けていた。

文学極道

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