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作品 - 20110509_778_5194p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


静物とは言い切れない一連の様態

  右肩

 今日、焼かれた鰤の死骸を箸でちぎり口へ。米粒と一緒に切断し、擂り潰す。さらに擂り潰して、嚥下。消化と言われる活動が始まる。消化、という言葉で理解される一連の活動全体に、不安が兆している。言葉は総て不安なのだから、と納得して立ち上がろうとしたら、すでにもう一人の僕が立ち上がっていた。それが肉体である。

 明治時代に爆殺された兵隊の、指のかけらが頭の中に転がる。

 おとといは挽きつぶされた牛の肉が、刻まれたたまねぎと一緒に自分の手でこねられるのをじっと見た。その後、強い熱を加えた。それがその時の僕だった。加熱される肉とたまねぎを見ていると、顔が火照り、刺激臭を感ずる。夢幻の大地が割れて崩れた。死んだ牛も僕自身も既に幾つかに割られているが、そのことは牛はもちろん、僕にも他の何かにも全く影響を与えない。

 ピュッと短く指笛が鳴った。此岸と彼岸。二枚の世界を貫通すべく飛来する、矢羽根の音。

 TVではピアニストの指が直線的運動を反復する。だが、今この瞬間のどこにも音楽はない、と考えている僕。「ピアノは0.3光年ほど先、銀河系内を震えながら漂流している。」と書いても、その中途半端な現実性が僕を苦しめるだろう。だが、書く。真空。加熱と冷却、宇宙線、重力の作用などにより、ピとアになってノを生まぬまま、つまりピアノだったものが、ピアノになれないまま空間を彷徨している。そう書いて「確かにそうだ」と確信してしまったとき、僕は静止していた。ほんの一瞬だが、幸せなことに僕は一切動いていなかった。

 平坦な雲の大陸。太陽が裏側に回ると、その疎密や濃淡が過度に明晰に浮き上がる。

 花は視覚を持たない。自分の色を色としては知覚していない。視覚以外のすべての感覚においても、人間とは異なった自己認識で世界を構成している。
  藤波の宙を飛びかふ眼や無数
植物に限らず、他の生物と人間は決定的にずれた世界を共有している。三日前この句を作ったとき、僕は藤の花になって世界を知覚した。「飛びかふ眼」とは、藤の花の意識が捉えた外部世界を人間の意識に翻訳し、そこへ仮定的に言葉を割り当てたものだ。

 月面には石と記憶が転がっている。見分けがつきにくいが、記憶には総て血が付着している。

 やがて死ぬ指が、やがて死ぬ胸へ動いて、やがて死ぬ乳首へ隆起をたどった。やがて死ぬ者がやがて死ぬ者へ、やがて死ぬ声を上げた。やがて死ぬ感情。感情とも言えぬ感情から、やがて死ぬ者を産み落とすために僕は生きる。この日、シーツに転がる重量は、やがて別の重量に換算されて死にます。
 やがて乾いてしまう汗。やがて拭われてしまう愛液、脳内分泌物。よかった、と津田さんは言いました。気持ちいいと。
 総て嘘だった。カラッとした濁りなき空気が空間をかたちづくる、例のあそこへと、やがて僕ら、みな走る。ステンレスのシンクの排水溝へ、引き寄せられて滴が一滴また二滴と走る。
 パイプの向こう側のあそこについて、「きっちりした場所です。あなたはわかっているはずです」と津田さんは言い、ほら、と足の間の尿道口や膣口や肛門を開いて見せる。やがて死ぬものたちの、やがて死ぬための直截な営み。僕は僕の総ての骨格の現在形を意識しながら、股間へ屈み込んだ。それはやがて死ぬ者がやがて死ぬ者として産み落とされてしまったことを、やがて死ぬ者に対し謝罪する姿勢であった。やがて許されるでしょう、と津田さんは言った。

 二十六度の室温、七十一%の湿度、知覚されるものとされないものとその中間との、数十種類の匂いが微かに部屋を満たしている。

文学極道

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