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作品 - 20110502_438_5171p

  • [佳]  祈り - 葛西佑也  (2011-05)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


祈り

  葛西佑也

信頼するということを知らずに
疑うと言うことを知らずに
私は大人になってしまった
スプーンで砂糖を山もりに掬って
さらさら、さらさらと
ティーカップの中に落とし込んでいく
広がる香りの豊かさは
人格の貧弱さを補うものではなく、
私とあなたの距離感を忘れさせてくれる
世間一般の癒しのようであって、
覚めてはいない夢の続きのようなものであった

お父さん、お母さん、ごめんなさい
私のような不孝な息子は
いっそ死んだ方がよいのです
今度満月を目撃したなら
私は私の命を絶ちかねないのです
ごめんなさい
お父さん、お母さん、
私は心の中で、地面に額をついて
謝罪しているのです
このトレンチコートは、
おじい様とおばあ様のお仏壇に捧げたいと
本心から考えております
今度、銀座でお線香を買ってまいります
すべては今さらですが
雨の日に濡れて歩いてから
傘をさし始めるのが私と言う人間なのです
人は私を馬鹿だと言うこともあります
雪道を革靴で歩いて
中まで染みる、靴はダメになる
凍え死にそうになると
自業自得の災難に遭遇することなど日常茶飯事なのでした

異国のパリと言う街に暮らす友人に
今度パリに行くから案内を頼むと伝えたら
君にはパリは危険だから
やめておいたほうがよいでしょう
代わりにドライフラワーを差し上げますと
水分を思い切り奪われた
死んだ花を贈られた
誠実に贈られた、その死物は
私の部屋に飾られて
一緒に寝ていたあの人が
きれいなお花だね
とつぶやいてくれたことが原因で
もう二度とその人と会うことはなかったのでした

一緒に暮らそうよ
玄関にはいつも新鮮な花を飾るんだ
気持ちがよいからね
それと、お気に入りのアロマをたこうよ
家具も選びに行かないと
IKEAがいいよねきっと
一瞬、それらすべての台詞が
古びたラジオから聞こえてくるような気がして
私はラジオの音量調節のためのつまみを
親指を人差指とで挟み込み
少しずつ少しずつひねっていくのでした
それと同時にこの数カ月の出来事を思い出していくのです
私の罪深い人生のうちの数カ月はラジオの音と同じように
小さくなっていくのです
結局、無責任な人間なのでした
知らない人からの手紙をシュレッダーにかけました
それは何かへの別れだったのです
あるいは、別れたつもりだったのです
しかし、このことは私だけの秘密です
決して口外してはなりません

トレンチコートの裏地は宇宙の柄でした。
それは紛れもなく、星々でありました
手を伸ばせば届くものでした
気がつかないほどに薄いシミが
美しい裏地を汚しています。

文学極道

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