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作品 - 20110420_044_5152p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


朝にのぼせる

  葛西佑也

うまれてきてしまってから今までの間に
どれだけの嘘をついてきたのだろう
ひとつ ふたつ みっつ よつ……
「正」の字を書いて数える
広がる無数の「正」の字が私の前に広がり
思わず正義とは何だろうかという議論を
頭の中で繰り広げる
そういうタイプのやつが
一番嫌いだったはずなのに

(世間では簡単に
うざいと片付けられる
無数の言葉の残骸に埋もれてしまったものを
掘り起こす考古学者の
血の滲むような
努力
を讃えて。)

四画目を書こうとして急にペンを止める
周囲を見渡せば ほこり臭いヒーターが
こちらを見て不審音を響かせているだけで
他には何もなかった
(正確には、古びたヒーターと
鳴らない電話機と
見知らぬ女の足だけが
無機質に置いてあったのだが)
もちろんこの世界には「正義」などというものは
存在しておらず
いや、むしろ、生み出されておらず、
私の首筋を汗が流れていく
ゆっくり、と、ゆっくり、
と 指先で 水滴をなぞってから
口に含む
塩分が安心を生み出す

背中に文字を書き合って遊んだ
「ねぇ、なんて書いたかあててみて」
「え、わかんないよ、え、もう一回」
「だから、こう……」
「もっと、ゆっくり」
「じゃあ、これで、最後……はい」
正しさとは指先にあった
背中と指先との接点のあたたかさに
うれし泣きと言う時に
泣くと言うことからかなしみが
のぞかれてしまうように
皮膚と皮膚が触れあうとき
ぼくのからだからは
嘘という嘘が……

バスタブ一杯にためたお湯の中に
地中海土産のバスソルトをおとし入れる
気泡が浮き上がり
一瞬、白濁する
からだをしずめた、
ぼくのからだに接触する
お湯の中で自分の腕に、
「正」の字を書いてみる
泡がはじけて、水にかえった
ぼくたちにとっての安心とは
こういうことだったのか、と
安心する

文学極道

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