ボーンチャイナの皿を見ている。霜の朝。 皿に、食べ終えたトーストの破片が少しと。溶けたバターのしずく。しずくが数カ所で凝固している。凝固。霜の朝。
魂が皿の周縁を歩く。魂が円周を慕うのは、行き止まらない道程が転生の履歴をなぞるから。だから。
歩く。足の底が持ち上がると、白磁の地表から光が照り返す。僕をその輝きとする。すると、僕はその輝きとして宇宙のへりをなぞっている。
歩けど。歩けど。皿は。皿。
意識から切り分けられた骨。骨が粉砕され、その粉末が焼結する。
僕はかつて、大野城下の寺の蛇であった。境内の庭の隅、灌木の下で玉になって絡まりあう数十匹の蛇。そのうちの一体が僕だった。濃緑の、丈の高い苔のにおい。蛇であった僕の骨が、ここで皿の光となっている。
密集した鱗の擦れる音。皿の縁に沿う青い唐草文様。
唐草の文様が伸びれば伸びるほど、皿の肌理が光るほど、光れば光るほど、僕が歩くほど、歩けば歩くほど。
記憶の生理が過去を導く。生理。
僕は大抵のことは信じない。が、既に起こったことが未来に投影されるとき、確信される記憶の触感。触感が掌を濡らす。濡らすのだ。何事もない生活。その生活から吹き出た血液のように。
しかし引き締まった寒気が僕を硬く包む。しかしまた。そしてまた、関東平野、痩せた小枝の先でも、ものの芽を二重三重の外皮が締め上げている。ものの芽を。外皮が。どうにもできない曇り空が窓ガラスに密着している。吸着している。
僕は人のひと滴。ひとり。ヒタリ。パン皿のへりを滑る。るるる。未来へ遡る。未来。投影された未来から、食卓の椅子の上から。見ている。どこか。どこだ。バターのにおいがする。
(いつだったか、女の子と始めて舌を絡め、長いキスをした。キスしていたのは町外れの河原だった。唇を寄せるとき彼女も僕も、目を閉じた。キスはほんのりとバターの味がする。目を閉じてしまっているが、さほど水量のない川の中に青鷺が立ってこちらを見ているのがわかる。その鷺と僕らを一直線につないだ川向こう。そこに人物が一人立っていて、やはりこちらを見ている。男か女か、おおよその年、服装もそのときはわかった。が、今、それを思い出すことはできない。キスはずっとずっと続く。終わらない。鷺の目がこちらを見ている。川向こうの人が鷺と僕たちを見ている。キスの相手の彼女も、実は瞬きもせず目を見開いて僕を見ている。僕の視界は二〇メートルほど浮き上がってこの構図を見ている。空の一点を中心に地上の風景が回った。僕と彼女と鷺と、川向こうの人も回った。回るうちにゆっくりと形がなくなって、瞼の裏に薄明るい闇を揺り戻した。)
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選出作品
作品 - 20110214_559_5026p
- [優] テーブルで一人パンを食べるということ - 右肩 (2011-02)
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テーブルで一人パンを食べるということ
右肩