もう雨には濡れたくはないのです
弱り切った身体を死に至らしめるには
十分すぎるほどに冷たかったその日の雨
ぼくはごくありきたりの苦悩を抱えて
(生きている意味がぼくにはあるのですか)
梅雨の長雨に打たれて、
知らない街の知らない道を
ただひたすらに歩いていました。
「やまない雨はない」
「雨に宿りがつくと、あま になる」
「……」
「久しぶりだね」を生温かい夜の風に乗せて突き付けてきたあなたに、「久しぶりだね」とそのまま反復して返しました。絡められた指がほどけて、役に立たなくなった電子機械は地面に落下する、その、瞬間。
(音はない)
昨日会ったばかりなのに
「久しぶりだね」なんて
おかしいんじゃないの?
そう思ったのはほんの一瞬で
ぼくたちは
その短いフレーズで
全て了解しあった/のです。
……不在着信二件、先ほどまでそのように表示されていた携帯電話のディスプレイは、今ではすっかり寂しくなった。
たくさんのものを失いすぎたぼくたちは、もう「無」と呼ぶには溢れすぎていて、あふ、れ過ぎて、い、て、なにも始めることのできぬまま、夜が明けるのを何度も何度も待ち続けるだけなのです/でした。(誰かが言ってたんだ、「ぼくたちは待つことをわすれてしまった」って。でもね、断言するよ。忘れてなんかいない。忘れてなんか。ぼくたちはいつだって待っているんだ。ひたすら。ただ、ひたすらに。ほら、たとえば雨がやむのとか、夜が明けるのとか……)
街を歩けば国籍不明の男たちが大声で歌っている、彼らはもうすでに少年ではありません/でした。(いつかの少年は女装をしていた。正確にはもう少年という年齢ではなく、女装をすることによって女装をした少年のように見える青年になっていたんだ)
歌声は音声であり、音色からは色が失われ、切り取られたたくさんの風景があちらこちらにちりばめられてい、る。
もう、いやだよ、
と誰かがつぶやいて、ねぇ/聞こえますか?お電話の向こうのあなた/ねぇ、聞こえますか?どんなに悩んでいたって、眠気には勝てないよ。
男たちは大合唱をやめて、ぼくの前を無言で通り過ぎていくのです/でした。(かれらはぼくを軽蔑するような目線で……ああ……)
ぼくには彼らのことばがわからないけれども、少なくとも彼らの考えていることはわかる。これは通じ合っているということではない/ありません、雲の間から差してくる夕日の、日差しのその光度如何で、ぼくたちの明日が決められてたまるか!
落下したら電子機器からは音声ではなく、声が歌うような声が、ぼくを染める声が、ひびいてい、る。
「負けんな」
「負けんな」
「負けんな」
「負けんな」
役に立たなくなったと思い込んでいたそいつを拾い上げて、電池パックのある面をズボンの太もものあたりに擦りつける、それからぼくは
「久しぶりだね」とひとことだけ言ってみた/る。
最新情報
選出作品
作品 - 20110117_179_4971p
- [優] いちじつ - 葛西佑也 (2011-01)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
いちじつ
葛西佑也