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作品 - 20101029_963_4791p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ひかり

  yuko

水銀灯に群がる虫たちの祈りが、浅い眠りを引き延ばしていく。夜の有効速度をとらえた複眼の瞳と、加速していく世界とが擦れあって、白い花びらが舞い散る。萌黄色でふちどられた半透明の羽が、ざわざわとあたりをしならせていく。同心円状にひろがっていく光の波に世界が色を変えて、ゆらゆら揺れる。

***

世界をつつむ、やわらかな光。舞い降りていく、花びらと世界の狭間を、私は歩いている。夜の冷気が、喉元を優しくひっかいて、通り抜けていく。道端の水銀灯を曲がると、小さな公園があって。塗装のはげかかった黄色いアーチを、少しだけ屈んで通りぬける。息をとめたまま進んだ。公園の一番隅っこのブランコに、遠慮がちに腰掛ける。ここにはもう、水銀灯の明かりは届かなかった。小さく体を揺らすと、ゆらゆら、ゆらゆらと、白い吐息が夜の羽ばたきに紛れていく。ブランコの揺れにあわせて、夜の住宅街が揺れる。ぽつぽつと明かりのともる家々と、工事中のマンション。このまま、どこかへ突き抜けてしまいたいような。そんな気持ちで、ブランコをこぎ続けた。一番高いところで、手をかざす。白い花びらをひとつひとつ、受け止めていく。

***

「簡単な、ことだよ。」
あなたはそういって駆け抜けていった。簡単な、ことだった。あなたにとっては、簡単な、ことだった。幾度となく繰り返してみる。簡単なことなのだと。

***

心臓をすり抜けていく無数の視線に、闇が増幅されていく。ポケットのゴミを投げ捨てて、ライターに火をつける。少しだけ滲んだ夜に、ブランコからふわりと降り立ったあなたの顔が一瞬、膨らんだスカートがうつしだした風のかたちみたいにうかびあがって、消えた。小指の爪にだけ塗られた赤いマニキュアを弄りながら、あなたは千切れた色紙みたいに笑っていた。震える指先からなにかが飛び立って、取り残されたブランコだけが世界をくゆらせていたあの日に。あなたは、あのマンションに登って、どんな顔をしていたのだろう。律儀に靴をそろえて、指先さえもみえないほどの闇をいったいどんな気持ちで、突き抜けていったのだろう。あの日から、マンションの建設作業はストップした。ふいに鳴り響いた救急車のサイレンを、私はまだ覚えている。サイレンの光は、ライターの光なんかよりもずっと強く、夜を滲ませただろう。熱を孕んでとけて、こぼれおちた世界の輪郭はもう、元には戻らない。

***

まどろみの底で、
鳴り続ける、
音に、
耳を塞いで、
許しあった指先を、
虫が這う、
散り続ける、
花が、花が、
季節が、
巡り。
あなたを
忘れない
ことは、
出来ないかもしれない、

***

小さなころ好きだったメロディーを口ずさむたびにあなたは日常の色彩にまぎれていくから、そのたびに慌てて息継ぎをして、そのたびに私はどこまでも空に、投げ込まれていく。眠れる夜の淵から、もつれた足先がゆっくりと沈んでいくのを、点を重ねるたびに、ゆっくりと小さくなっていくのを、わたしはただ見つめ続けている。わたしたちの眠りの果ての果てで、あなたが振り返ったような気がした。かすかに、頭をさげたようにも見えた、胸元のファスナーをつかむ。左ポケットをまさぐる。自転車の鍵がジャラジャラと音を立てる。どこにも、どこにも。ひとりでは繋がれないんだよ。ブランコから飛び降りた瞬間に見えた、小さな隙間。振動する世界の裏側で、あなたは、

今。

一歩を踏み出した瞬間から、指先の熱が奪われていく、耳の奥で鳴り続けるサイレン。近づいたり、遠ざかったりしながら、少しずつ皮膚を傷つけていく、ブレーキの音。どこか遠くで、消失しゆく光と、ふたたび生まれゆく光とがかさなりあって、色をかえながらゆらゆらと流れていく。いつだって世界はおなじように生まれて、死んで、あなたの横でわたしは小さなこどものようだった。わたしたちのてのひらが、広げられることで、わたしたちははじめて、世界と、交わった。交わることが、できる。舞い散った花びらが、深海をおよぐ小さな魚の群れみたいな、ひかりが、
みえる。

花びらを噛む!

ゆっくりと今、ほどけはじめた夜にいくつもの光が縒りあわされて、空をささえるひとびとの呼吸のほつれへとあみこまれていく。無数の虫たちの祈りに螺旋をえがいてまきこまれはじめた花びら。そのきしみに、小指の爪が割れる。虫たちは一斉に水銀灯から飛び立ちはじめた。虫たちの羽音がはじまりのうたになる。きっと、誰もひとりなんかじゃなかったんだよ。わたしは、はじめて泣いた。簡単なことだ。あなたは、ここに、いる。わたしは、生き続ける。

***

白い花びらを手向ける。太陽のしずくに溶けはじめた世界を、踏みしめるごとにあたらしいひかりが生まれていく。ゆっくりとわたしは走り始めていた。ポケットのちっぽけなライターを握りしめて。

文学極道

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