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作品 - 20100731_368_4577p

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蝶の葬儀

  しりかげる

 
 
 
ささやかに腐敗させてください、と。酸性の雲の下、わたしの少女が祈る。どこかで目にしたことのある風景、慟哭、白波、ハーモニカ、あらし。
雨音。鳴り止まない歓声が、いつまでも記憶の片隅に座している。弱酸性の黒い雨粒が、石畳にぶつかって跳ねる。停滞する梅雨前線。けぶる街の幻影を、わたしの少女が遊泳する。幼いころの落書きは押し入れにしまわれたまま、風化して、輪郭だけがおぼろに、ぬるい水面に浮かんでいる。
汚れたガラスの容器には、塩水が貯められている。容器の底には、溶媒にとけきれなかった塩の塊が、緩やかに、緩やかに、けぶる街の幻影を遊泳する。わたしの少女は泣いている。その傍ら、少年は曇天を見上げ、無表情、黙り込んだまま、少女の縁を規則的に周回している。

ささやかに、雨が降りしきる初夏の夜、ささやかに、弔いの花は添えられる、献花台に献花台に献花台に、わたしは眠る、ささやかに、わたしは目覚める、変貌することのない蛹たち、ささやかに、踏み潰す、ささやかに、花弁は力を奮いはじめた、

夏。わたしの腕が届かない絶妙な距離で、ふわふわと浮遊する蝶。(踏み潰された蛹から産み落とされる骸と、)うつくしい翅。握りつぶしても乾いた音しか立てない。乾いた音で死んでいく昆虫。わたしの少年は、骸から産まれる骸を次々と殺戮していく。かさかさ。炎天下の真昼、少年は無表情で虫を殺す。殺す。殺戮の底(で、少女は両手を胸の前で絡めて、祈りのかたちを司る、贖罪、涙を流しているのはわたしですから、彼を許してあげてください。
、と、おままごと。

塩水、ねえ塩水、清らかではない悲しみのなかで、強烈な日差しが乱反射している。塩水、わたしとわたしとわたしとわたし。溢れだす言語は世界に溶け、やがて見えなくなる。巨大な水溶液、その底に沈められた文字列。

夏は実りだけを抱きしめていたいから、と言って突き放してほしい。鼓動も、音楽も、循環も、すべては嚢が伸縮を繰り返すように、少女と少年の、希望だとか、交わりだとか、わたしの、二人の、独りのすべてを、抱擁しながら、それでも世界が世界としてあるというのなら、溢れる光条、意味なんて必要ないから。と言って、言って、せめて、意味のない周回に、花を添えて、弔いの、手向けとして、抱いて、すべてを死なせてもなお回り続けるというのなら。

梅雨が去って、ほとぼりが宿される赤子の、骨の組織、無機質な生命、肉塊、紛糾する理性、熱気に包まれるわたしの少女は夢を見ることを止めない。わたしの少年は虚ろに宙をさまよう。赤子は踏み潰され、踏み潰された赤子から夏が羽ばたく。極彩色の蝶紋。回転。ああ、わたしとはこれほどにうつくしくいきている。骨、骨、骨、積み上げられた骸、乾いた音を立てて死ぬわたしと、成り代わる骸の。ささやかに花を手向けて、ささやかに、そうして、またささやかに、踏み潰された蛹の血が、頬に垂れて、どうして、ほら、こんなにも塩辛い。
 
 
 

文学極道

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