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作品 - 20100318_625_4262p

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散歩者

  りす

 衰えるということは、反射の少ない冬の陽射しが人の正体を明瞭に透かす残酷な二月の午後のようで、時の傾斜がしだいに勾配を緩めて歩行を鈍らせる穏やかな日々が、流れる風景を視野に留め置く時間を少しずつ伸ばしていくのか、この眼に映る映像をけして忘れないという予感をとめどなく積み重ねはするものの、予感はことごとく裏切られ、私たちの足元に若葉の青さを演じながら舞い落ちてしまう。例えばそのとき一人の散歩者が不意に現れ、まだ瑞々しい落葉を平気な顔で踏みつけて私たちを追い越していくとしたら、私たちも足どりを早めて散歩者に追いついて肩を並べ、白い吐息と共に時候の挨拶めいた二、三の言葉を共有することはできるだろうが、彼を追い越して私たちの背中を読ませることは叶わない夢であり、衰えるとはそのように背中を失っていく磨耗の過程でもあるのだろう。夢といえば、途切れた夢の続きを、切れ切れの眠りの中で手渡していく儚い遊戯に慣れてくると、いよいよ夢は生活の暗渠として時間の裏側を流れはじめ、隙があれば逆流して鋭い波を立ち上げ、時間の表層を破ろうと荒れた表情を垣間見せるが、またしてもあの散歩者のほっそりとした大腿が夢の波頭を事も無げに打ち砕いていくので、私は私に向かって夢の続きを搾り出すように、まだしばらくは命令しなければならない。
 
 人がひとり増えたので、人をひとり捨てるのです、そう呟いた男は、小さな黒い影に手を引かれて暗闇に消えた。あれはいつかの夢か、あるいは編み込んだ記憶の綻びか、男が捨てるのか男が捨てられるのか、気がかりではあるが気がかりを確かめないままやり過ごす暮らしに慣れすぎた私は、未来へ赴く気配で過去へ遠ざかる男の背中に届くほどの、飛距離を備えた言葉を咽喉に充填することができない。人が人を捨てるには、理由という鮮やかな萌黄で自らを塗り潰し、晩冬の陽だまりに投身する華やぎが必要だとして、いったい誰が、その陰影の美しさを褒めてくれるだろう。増えたり減ったりすることが、私たちのあらゆる出発と終着を支配するのだから、いずれ誰もが廃棄される側の言葉を図らずも漏らすことになり、いつかは名前という重たい荷物をおろす場所を決めなくてはならない。口実という名の木の実を道すがら食べ零す小動物のように、立ち止まっては振り返り、立ち止まっては振り返り、自らの名残に発芽の兆しをあてもなく探してみても、ふたたびあの散歩者が華奢な足どりでふらりと現れ、私たちの退路を冬の林道のように踏み固めてしまう。

 蘇るということは、古井戸から這い上がって現世の縁に青白い手首を掛けるような運動神経の酷使ではなく、目覚めると見慣れた部屋に見慣れた朝の光が射し込み、天井の木目模様が少し違っていることに気付かないまま半身を起こして一日を始めるような、きわめて静かな振る舞いの中で起こるのではないか、そのような聞き慣れた言い回しを信用しないために、私たちはなにを信用すればいいのだろう。冬の次に訪れる相対的な季節の中で、中空の陽だまりから落下する重たい荷物を両腕でしっかりと抱きとめるとき、おそらくは臀部をしたたか地面に打ちつけた衝動で思わず叫んでしまう悲痛の言葉を、まずは信用してみようか。あるいは、人を捨てた男と、人に捨てられた男が、けして出会うことのないあの場所とこの場所で、まったく同じ口癖を呟いて日々の抑揚を同期させている奇妙な符合を、その口癖を私の唇でも真似てみることで信用してみようか。いずれにしても反復と継続が無効な挙措のささやかな閃きは、始まりも終わりもない夢の断片の乱暴な切り口のようで、その切り口に駆け寄ってはとりあえずの手当てをしている、その縫合の美しさを、いったい誰が、悼んでくれるだろう。

文学極道

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