#目次

最新情報


選出作品

作品 - 20100227_025_4208p

  • [優]  十三夜 - 坂口香野  (2010-02)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


十三夜

  坂口香野

道は工業高校の前を通って
青渭神社の森へと続く
市民農園には大根が植わっている
春先の青首は塩によくなじみその薄切りは霙にも似る
酒蒸しにおけるあさりの断末魔および釈迦涅槃図との関連について
菌床しめじ社会における養分格差および古代原木への憧憬について、等々
ひょろ長い二本の脚でせっせと歩を進めつつ
君は熱心に話してくれる
ご自慢のパンクロッカー風ブーツはよく光っているし
お話はとても興味深いのだけれど
等々や云々がにょきにょきと並び立ち
雲がうようよ増えて空はすでに真っ暗だし
月はいまどこにいるのだろう

 繰言は果てなき千の海鼠雲
 君よ蹴破れ光浴びたし

うーん
どうかなあ
やってみてもいいんだけど
なにせ俺はアキレス腱が弱いしさ
こないだなんか右足の平目筋がひらっと砂にもぐっちゃって
足首がぶらぶらになっちゃってまあ、困った困った
知ってる? 平目って白身だろ
白身の魚って全身が速筋繊維なんだぜ
速筋はつまり瞬発力に関わる筋肉ってこと
砂に隠れて近づいた獲物を捕食する魚だから
すばやい動きが重要なんだな
だけど平目筋は遅筋繊維が著しく優位な抗重力筋、つまり赤身の筋肉なんだぜ
矛盾してると思わない?
そんなわけで動きの鈍い俺の赤い平目は
すぐまた捕まえられたんだけどさあ

いやもう君の話はわかりにくいし
わたしは空腹で目が回りそうなのに
天は食用に適さない鉛色の海鼠だらけで真っ暗だから
いますぐお願いしますよ、ええ
うーん
しかしなあ
俺こないだ平目に逃げられていらい右足に捻挫ぐせがあるし
中・高と帰宅部だったし
この靴だし
いいからいますぐ
アレグロビバーチェ・コンブリオ
はなはだ急速に活気をもってよろしく頼むわ、というと
君は小さく唸り
それでもきっちりアキレス腱のストレッチを行ってから
平目に逃げられていないほうの左脚で土を踏みしめ
ひょろ長い右脚を振り子の要領で蹴り上げた 
パンクロッカー風ブーツ(スコットランド製)がしずかに宙を舞い
海鼠の群れに吸い込まれていく
君はぽかんと空を眺め
私もぽかんと待ちたかったが
間が持たないので雑草をむしることにした
どくだみの赤い根は柔らかくまた深い
靴はきっかり三十七秒後に落ちてきて
大根葉の間を数回バウンドしたのち
すっくと土の上に立ち上がった
はるか頭上に肉眼で五円玉大の穴が穿たれており
そこから月夜の青がのぞいていた

君は得意そうに鼻の穴を大きくして
こっちを見ずにブーツの泥を払っている
ありがと、というと
そんだけ? という顔をする
だって驚くことじゃない
広辞苑にだって書いてあるよ
子どもは風の子だが
じつは男子は一生を通じて風雨の王であり
いついかなるときも大気を動かすことができるのだと
そんな記述見たことないぜ
ああ、これは辞書の本文じゃなくて
巻末付録の品詞活用表だとか旧国名地図とかの後についてる
「この世のしくみ」っていう薄い袋とじ別冊に載ってるのよ
ほんとかなあ
ほんとだよ

いまや群雲は靴穴を基点に真二つに裂けて
十三日目の月がそのつややかな輪郭をあらわす
空の道ははるかにひらけ
どこかの窓から青菜を茹でる湯気の匂い
ついでに言っとくと
女子の役割は日月のすこやかなめぐりを守ること
だからね あの月はわたしがのぼらせたのよ
そうか そいつはまことにお役目大儀
今宵はひとつ互いのわざをたたえあい
菜の花とあさりの辛子和えかなんかで
きゅっと一杯やろうではないか
異議なし、しかし
唯一残された問題はあさりの調達法のみ
空の浅瀬で獲れるものかどうか
菜の花はここに咲いてるのをちょっと失敬するとして
大丈夫、調布パルコの魚屋さんがまだ開いてるだろ
閉店は九時だよ
間に合わない
走るぞ
うん

 騒ぎ立つ雲の波間をゆく月は
 腹の底までpinkgold也

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.