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作品 - 20100212_684_4169p

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或いは、この国のものたちへ

  はるらん

 
 曇り空の金網の向こうでは、空爆の飛行機が離発着を繰り返している。耳を劈くようなキーンキーンという高い金属音さえ、いつのまにか慣れようとしている自分がそこにいた。そして女である私たちは、アレを拾って、子宮の中に出来るだけ沢山、それを隠さなければいけない。しかし、入れるそばからそれは、おなかの中から突き上げてくるようで、終いには喉元からグエっとそれを吐き出しそうになるのだ。

 ダメよ、ダメダメっ!いま、それを口から出してはダメ!
ココを出てからならいいわ。ミサイルのように、それを発射させても。
 領内に立つ警備兵たちは、あちこちで目を光らせている。女たちが作業を少しでも休むと、彼らは銃で背中を小突いたり、髪の毛を鷲掴みにして、地面に叩きつけることもあった。

 羽虫の音が耳元でうるさい。ものすごい高速回転。周波数。誰かが私のことをスパイになって、探ろうとしている。こんな生活がいつから始まったのだろう。数週間前からのような気もするし、数ヶ月前からのような気もするし、あるいはもう何年も前から、こんな生活が続いているのかもしれない。日付はいつも、記憶の彼方にある。

 他の国には、どんな暮らしがあるというのだろう。私は子宮の奥にアレを詰め込みながら、いつか見た風景の記憶を探そうとする。固い土の中に、それは埋められていて、私はひび割れた素手でそれらを拾い、スカートの中で、もぞもぞする。それはインドネシアの小さな女の子のお人形だったり、誰かの父や母が幼い頃に吹いて遊んだかもしれない、おもちゃのラッパや、ところどころ錆びているハーモニカ。その多くは手のひらにすっぽりと収まるような、小さなものだった。それらを体の奥に詰め込むことに、どんな意味があるのか、私にはわからない。いつか、隣の女の子に聞いたことがあるが、やはり、彼女は首を振ったのだった。
 けれど私たちは毎日それを続けなければいけない。水鳥たちが川面に流れてきたジュースのキャップやビニールを飲み込むように。わけのわからないプラスチック、釣り針や釣り糸。人間が捨てたあらゆる様々なゴミたちを。彼らが死んだあとに、胃袋から取り除かれる、それらの死骸たち。あるいは、彼らは最初から知っていたのか。そうなる、運命を。

 私は今日も地面を掘る。アカギレだらけの指で掘る。なぜ、こんなにもたくさんのモノたちが埋められているのか。私は土を払って、拾ったものを確認すると、それは手のひらで四角を作ったくらいの大きさの木製のレリーフだった。小さな木枠の中には、丘の上に立つ、小さな家があった。何段か続く石段の上に半開きになったドアがあり、家のそばにある小さな木と木の間にはロープが張られ、洗濯物が風にそよいでいる。

 これは私の家ではないか。もう、ずっと帰っていない、あの家。
 数センチしか開いてない家の中は見えないけれど、このドアを開ければ、暖かい暖炉やテーブルがあり、その上にはティーポットや摘んだばかりの小さな白い花がコップの水の中に入れられている。風に気持ちよさそうにそよいでいる洗濯物は、私の愛する人のシャツであり、私のお気に入りのスカートだ。 私は思わず石段を駆け上がり、、数センチ開かれているドアを勢いよく開けそうになる。
 でも、私はふいに不安になる。ドアを開けて、もし違う人がいて、ここは私の家だ、と言われたら。洗濯物は、違う人のものであり、違う愛する人のものである。私の大切な人は、何処へ行ったのだろう?
 作業終了のサイレンが鳴るのと同時に、今度は大きなマリオネットの人形を見つけた。こんなもの、どうやって、子宮の中へ押し込めろというのか。バラバラにしろとでも。

 私たちは狭いコンクリートの中へ押し込められ身を縮めて、固い地面の上に横になる。20ワットの裸電球の光がまぶしく感じられる。それをじっと見つめていたら、一条の光が私の視線の斜め上を射していった。いや、私の頭の上の少し手前で、それは伸び縮みを繰り返し、一本だった光は数本の束になり、中心で交わり、交差し、それでもまだ、私の頭の少し上で止まったままで、それ以上、先へ進もうとはしなかった。何か目に見えない力によって、その光はそこで遮られているようでもあった。
 なぜ、もっと遠くへ行けないの。行ってしまえばいいのに。
 そう思ったとき、灯りが消された。消灯の時間だ。鉄格子の窓から夜空の星は見えない。

 この土地へ来たばかりの頃、愛する人と手を繋いで、満天の星を見た。初めて来た彼の故郷。それは、空を埋め尽くすほどのミルキーウエイだった。田舎は空気がキレイだからね。彼の手を離れて、ひとり、星に見とれていると、私の体はふわりと浮き上がり、自分も宇宙の中の星のひとつになれたようだった。銀色の海。遮るものは、何も無い。私はここで生まれ、ここで消えてゆくのだ。たぶん、きっと。
 けれど、満天の星を見れたのも、宇宙の銀河をひとり漂うことが出来たのも、これが最初で最後だった。それでも、星座は日々、動いているのだろう。少しずつ、その位置を変えて。いま、私は何処にいるのだろう。


 気がつくと、私は母と森林の中を散策していた。途中、右や左へ折れ曲がる道が何箇所もあったが、母はまっすぐの道だけを選んだ。いつの日も、母が、そうして歩いて来たように。
 ときおり、樹木の葉がさわさわと風に吹かれ、私の髪も、ときおり、風に撫でられていった。生暖かいような、どこか懐かしい匂いのするような、たとえばそれは、お帰りなさいの夕焼け小焼けのメロディが町中に響く中、群青色の空に届きそうなブランコを、いつまでも漕いでいた小学生の頃とか、角のタバコ屋さんの前でいつまでも友達とおしゃべりして笑っていた中学生の頃とか。子犬を抱いて散歩する川原の土手の上のクローバー。春の終わりと初夏のあいだをまたいでゆく、ほんのりと暖かい緑の風に揺られていたわたし。

 おかあさん、あれからずいぶん、いろんなことがあったんだよ。あなたが亡くなってから。いちどに、いろんな波がドッと押し寄せてきたの。夫が事故で失明して、瀕死の重傷を負ったこと。それから・・
 何から話せばいいのか、わからなかった。あれもこれも話したかったけれど、何も話さなくてもいいんだ、どこかでそんな気もしていた。
 おかあさん、あなたの好きだった、ヒトトヨウは、まだ歌っているよ。私の好きなkiyoshirouは、去年の5月に死んじゃったけどね。人はなぜ死に、なぜ、生きるのでしょうね。あなたが得意だった、肉じゃがは、私は未だに苦手なの。それから、父さんや兄さんや姉さんは牡蠣フライが好きだったけれど、なぜか私だけ食べれなかったよね。みんないつも、熱々の牡蠣フライを美味しそうに食べていたけれど。私がアレを食べようとすると、悪寒と鳥肌が一度に込み上げてくるのだった。食卓に残るレモンの果汁と、牡蠣の匂い。

 みんなが捨てた牡蠣の殻が、一度に地面から出て来る。その殻で私は指を怪我する。いつも同じ箇所を切り、その裂け目から血が滲んでいる。それにしても、おかあさん、戦争はいつ終わるのでしょうね。いえ、ホントは私、あの飛行機が何処へ飛んでゆくのか知りません。この国の名前さえ、ホントはわからないのです。

 でも、いつか私も、私の体の中から、小さなミサイルを発射させるかもしれません。 ああ、喉が渇いてきました。砂漠の中にいるようです。

 さっきまで一緒に歩いていた母は、もういない。そばに、モスグリーンの薄いスカーフが落ちていた。私がいつか、母にプレゼントしたものと、同じだった。私はそれを拾い上げ、自分の手首に巻いて歩く。森林の奥まった側には小さなカフェがあり、私はその中へ一人で入ると、店の中にはウエイターの男の子がいるだけだった。こげ茶色の木製のテーブルに座ると、おなかの中は、火の嵐のように燃えている、のがわかった。
 作業場へ戻らなくてはならない。キリキリと、子宮は激しく収縮を繰り返し、おなかの中は、オレンジ色のマグマが溢れ出そうとしている。 しかし、地面に流れ出ることのないマグマは、私の体の中で、燃え続けなければならない。或いは、私が二度と戻れない国の中で。私は私の子宮の中で、私の祖国を抱きしめる。まだ、一度も渡ったことのない海の向こう。

 オレンジ色のマグマは間断なく、子宮の中で暴れまくっている。いっそのこと、このまま眠りにつけたなら、どんなにラクだろう。私はおなかを抱えたまま、テーブルに顔を埋めた。ウエイターの男の子は、そんなことには、おかまいなしに、「お客様、ご注文は?」と、にこやかな笑顔で聞いてくる。私はテーブルの上に置いた顔をを横に向けたまま、必死でメニューを横向きで追いかける。

 喉が焼けそうに熱いのだ。何か飲まなければ・・
私は額に汗を滲ませたまま、だんだん霞んでくる瞳で、それでも、できるだけにこやかな顔で注文した。

「旅の途中の麦わら帽子を被った女の子の小さな宇宙のショコラムースを」、と。

文学極道

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