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はるらん

選出作品 (投稿日時順 / 全10作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


rainy,rainy

  はるらん

rainy,rainy
工場のパイプラインに流れる雨の
しずくを受けとめるのは紫陽花
ただじっとうつむいて
ヘルメットの下の
あなたの笑顔を思いだして

rainy,rainy
あなたがいま 何処にいたって関係ない
あなたがいま 誰を抱いていたって関係ない
気温40℃の工場の中でただ今日も汗が流れ出す
眼に染みる化学液の匂いと蒸気で
私の心は芯まで ただれそう

rainy,rainy
あなたがいま 何処にいたって関係ない
気温40℃の工場の中でただ今日も汗を流し
陽気な男たちの笑いに囲まれて弁当を食べる
あなたが置き去りにしたこの町でガラス窓の向こう
パイプラインの雨が紫陽花に降り注ぐ

rainy,rainy
雨上がりの空に工場の終わりのサイレン響けば
遠くに架かる淡い虹
汚れた作業着のまま自転車に乗って家に帰ろう
大きな水たまり幾つもハネれば
空っぽの弁当箱がカゴの中で踊る

rainy,rainy
紫陽花の花びらに銀のしずく光って揺れて
明日の天気なんて もう気にしない
rainy,rainy,
うつむくのは もうやめて
遠くに架かる淡い虹


知らない町で

  はるらん

夕陽を浴びたサイクリングロードに
自転車を乗り捨てて地面に這いつくばる人
それを見て地面から跳ね起きる
メタリックなアンドロイドの影が長く伸びる

ライオンとキリンが
仲良く草原で遊んでいる
無邪気にカンガルーに
エサを与える子供のそばで

イルカに頭を食べさせる外人
ひまわりに咲いた犬
ペットボトルの光が眩しい子猫
夕べ帰らなかった幸せの青い鳥

お湯を捨てるのに失敗して
食べ損ね流しに投げ出された
インスタントのカップ焼きそば
引越しそばの出前を頼む気にはなれない

新幹線のホームのベンチで
眠り込んでいるネクタイのおじさん
「本日の新幹線は終了しました」
のテロップが頭の上で流れている

パソコンのタスクマネージャーに
入っている家族全部の名前
パソコンにこぼれている
トーストの散らばった粉

二階の窓から遠くに見えるキャンパスの時計台
プラチナを散りばめたアスファルトの朝の輝き
新聞配達のバイクが窓の下で止まる音
ポストに名前はまだ書いていない

僕の朝はきっと
いま始まったばかり
この町にどんな人がいるのか
これから誰に会うのか僕はまだ知らない


桜色のトンネルで

  はるらん



桜の花びらが
流れてゆきます
僕の町を 君の町を

明日のことなど思いもしないで
つくしの子は伸び始め
僕らはいま確かに歩いています
桜並木のトンネルを

花びらがこぼれてゆきます
僕と君が手を繋ぐ指と指のあいだに
ときおり風に揺れる君の髪にも

若い夫婦がベビーカーを押す
赤ちゃんの膝掛けの上にも
桜の花びら
ほろりほろり
落ちてゆきます

スニーカーの少女たちは
はしゃぎながら笑い転げ
ときおり立ち止まっては
グループの記念写真を撮り

おだやかな春の陽射しが
銀髪のご主人のブレザーの肩に
ご婦人のレモン色の
カーディガンの袖に降りそそいで

ああ
もうすぐ日が暮れますね

夕暮れの風のなか人はみな
桜並木のトンネルを折り返し
僕は何も言わずに君と
手を繋いで歩いています

道は桜色のビロードを敷きつめて
ベビーカーの赤ちゃんはもう眠りかけ

車椅子を押してくれる
息子を母親はときおり
振り返っては微笑み

夕暮れの風のなか
誰も帰ろうとはせずに

ああ
もうすぐ日が暮れますね

桜色の風が微笑む
幸せな日曜日
明日のことなど思いもしないで
つくしの子は伸び始め

花びらはこぼれてゆきます
桜色のビロードを
僕らは
流れてゆきます

桜色のトンネルを


ネズミの上司

  はるらん

「おい、青酸カリをよこせ!」と、さっき捕まえたばかりの会社のネズミが叫んでいる。悪く思うなよ、俺がそう眼鏡の奥から声をかけるとネズ公は、茶色に錆びた鉄格子を両手で捕まえて鼻をヒクヒクさせた。俺はネズミ捕りを車に乗せて薄闇の河川に降りるだろう。
「お隣さんは帰りが早いのにどうしてあなたはいつも遅いの?同じ主任なのに」、と妻は味噌汁を吹きこぼしながら唾を飛ばす。俺が休日出勤する日曜日に、お隣の主任の彼は上司とゴルフに行き、俺はパソコンの前で冷めたコーヒーをすすり机には資料が堆く積まれる。
「青酸カリをこっそり作業着に入れても、誰にもわからないよ」
お隣の第一工場の主任はいつも俺とすれ違いざまにそう囁く。そいつは白く輝く結晶で、ドラム缶の中に裸のまま眠っている。ただのドロップじゃないか、カラッポのネズミ捕りからアイツの声がしたとき、お昼のサイレンが鳴り弁当屋のおばちゃんが軽トラックで配達に来た。

「そうそう、第ニ工場の主任さん、こないだ川原でネズミを殺したでしょ?」
振り向きざまに、食堂に飾ってあった花瓶がスローモーションで割れる。
床に広がる水と、散らばるユリの白い花びら。
飛び散る黄色い花粉は拭いきれず、その中でおばちゃんは動かない。
何だ、今の音は!
昼休みで工場から帰って来た社員達がエイリアンの目で後ずさりする。
頭を抱えて床に倒れたおばちゃん、血の滲む白いユリ。体中の血が逆流する。
「俺じゃない!」と叫びながら外へ飛び出すと、飛び出た俺の前を一台の軽トラがクラクションを鳴らす。
「ありがとうございました〜!」と、さっきの弁当屋のおばちゃんが笑顔で走り去る。まさか・・・
食堂の入り口に戻ると、粉々に割れた花瓶も広がる水も、白く散らばったユリの花も花粉も、そのままだった。弁当屋のおばちゃんだけが、そこにいない。
掃除のパートのおばちゃんが床をモップで拭いてくれている。
ケガは無かったかね?黄色い花粉は、なかなか除かないねえ、と笑いながら。

次の日、人事異動の発表があった。お隣の主任は工場の次長になり、おめでとうの花束を受け取る。俺は明日から人事部の主任に異動、と掲示板に告示されていた。
帰り道に広い構内を自転車で周り、人事部の一番窓際の机を確かめると、今日で早期退職する人事部の主任が堆く積まれた彼の私物の本をダンボールに詰めていた。彼は四季の主任と呼ばれ、来る日も来る日も窓際で本を読み、春には窓の外の桜吹雪を眺め、夏には木陰で昼寝をして、秋には枯葉を集めて焚き火をし芋を焼いてみんなに食べさせた。冬には構内の雪かきを日がな一日、ひとりでただ、黙々と。
窓の外から彼と目が合い、俺は思わず会釈した。
彼は軽く微笑み、また荷物をまとめ始めた。

作業着のポケットの中の青酸カリは戻しておけよ、
檻の中から数え切れない数のネズ公が親切に忠告してくれる。
明日からネズミ捕りをするのは誰だろう?
俺は掲示板に告示されていた第ニ工場の新しい主任の名前を思い出そうとしていた。


空ばかり見ていた

  はるらん



電車を3つ乗りかえ
坂道をトボトボ歩き
季節の花束を抱えて
会いにきてくれる少女に
僕は何がしてあげられるだろう

君が来る前の日には
いつもモカを200g求め
3本99円のポンジュースを
カゴいっぱい買うことに僕は
何のためらいもなかった

八百屋で奥さんと呼ばれると
君はテレくさそうに笑い
その笑顔はミモザの花が
咲いたように明るかった

ボブ・マーリーの歌なんて
わからないと君は言ったね
僕の好きなものすべてを
好きにはなれないと

それじゃあ君は何が好きで
何になりたいのかと聞けば
自分にもわからないのよと
君はクスッと笑ったね

あの日 最後に君を抱いた日
何かが ちぐはぐだった
君を抱いた瞬間
何かがいつもと違うと感じた

2階の開け放した窓から
見える青空に浮かんだ
白い雲がキレイねと君はいい
どこか遠くを見ているようでもあった

こんなことが前にもあった
初めて君を抱いたとき
君はやはり四角く切り取られた
この青空を眺めてそう呟いたのだ

君の中で果てたあと僕は
本屋に行くからと君を
ひとり部屋に残した
いつものことだから
気にも止めなかった

本屋でカメラ雑誌を見て
今月のコンテストもボツだった
ことに大して落胆もせずに
けれど僕はなぜか急な
胸騒ぎがして部屋に戻ると

君はもういなかった
いつものことじゃないか
けれどそれ以来君が
僕の部屋を訪れることは
二度となかった

君がいなくなって3ケ月後に
カメラ雑誌を手にすると
僕の写真が初めて載っていた
「空ばかり見ていた」

それは君が初めて
僕に抱かれた日
空ばかりみていた
君の物憂げな顔を撮った
あの写真だった


飛行機とポテトチップ

  はるらん



床にこぼれたポテトチップを
拾おうともしないで
すぐにいつも新しいのを
買って来る、それが
僕の暮らしのすべてだった

部屋がゴミで一杯になると
僕は足の裏の汚れを
少しだけ気にしながら
ドアを閉め すぐに新しい
マンションの鍵を手に入れた

そんな風に女のコたちと
サヨナラするのは いとも
たやすいことだった
僕がサヨナラと口に
したわけでもないのに
女のコたちはいつも

「あなたは嘘がつけない人ね」
と、笑いながら、しかし、
そのスカートの下に隠してあるものを
二度と見せてはくれなかった

持てるカードはすべて使い
新しいマンションに引っ越しても
ポテトチップはやっぱり床にこぼれ
なぜだろう、僕は初めて
背を丸め、それを拾い
その瞬間、涙が零れ落ちた

部屋に散らかっている沢山のゴミ
いつか缶ジュースの空き缶の
博物館を作りたいと本気で
倉庫を借りようか、なんて思い

ジーンズやTシャツを買ったときの紙袋
スニーカーの空き箱や壊れたアンプ、
ライブのチケットや、切れたギターの弦
そんなものすべてが僕の足跡だったなんて

少しだけ泣いてから
部屋のゴミを燃えるものと
燃えないものとに分けて
Yesだけではダメですか?
Noだけではダメですか?
答えをいつも先送りにしていた僕だった

汚れた服やタオルを洗濯機に放り込んで
グルグル回る泡を見つめながら僕は
先週の母からのメールを思い出す
「お盆は、いつ帰るの?」と

僕はその返事を、たったいまメールした
「飛行機が取れたら帰ります」と、
こぼれたポテトチップを口に入れながら


夏のパレード

  はるらん


手術しますか、しませんか?

夏のパレードは
いまを盛りと
銀のシンバル打ち鳴らし
白い入道雲が湧き上がります

じいちゃんに三度目の
腫瘍が出来ました
今度は首です

まだ何も知らない
稲穂たちはその
背丈を揃えようと
束になって緑の風に流れます

鉄塔の向こうに湧き上がる
白い入道雲にセミの
精一杯の泣き声が重なります

セミを捕まえては逃がす
子ども達の歓声に
医師の声は重なって
よく聞き取れない
本当は彼を連れて
帰りたいのだけれど

手術しますか、しませんか?
私は帰っていつものように
彼の着替えを
洗うでしょう

今日はじめて
じいちゃんから
娘と呼ばれました
私が嫁いでから
はじめてのことでした

夏のパレードは
いまを盛りと
銀のシンバル打ち鳴らし
白い入道雲が湧きあがります

手術しますか、しませんか?
明日の夜には電話を、
明日の夜には返事を、


4月4日、その日の君は、

  はるらん


4月4日の土曜日、空から落下物が落ちてくるかもしれない、という
「落下物が落ちてくることはないと思う」ので、
皆さんはいつもどおり仕事をしたり、どうか普通でいてください、
とラジオのニュースが言っている
アメリちゃんは、まだまだ届かないわよっ、と余裕をかましている

「N領土内のA〜Fの上空を通過する」、
可能性に疑問符を残したまま、に赤い波線が立つ
落下物って、なによ?
落下傘、ピーナッツ、パラシュート
「海に落ちるはずなので、心配は無い」と思います

元外交官の奥さんは屋台で焼きたてのフランクフルトを売っている
華やかなドレスはもう1枚も残ってないのよ、と
ときどき美しい鈴が鳴るような声でコロコロと笑う
運河で船を待つカップルはフランクフルトとコーラを片手に
深いグリーンの水面を見つめ、
もっと透明になればいいのにね、と願っている

忘れ物をしたんだ、無くしちゃったんだ、何処で落としたのかわからない、
もっとよく探してみろよ、電話はかけたのか?
見つけろよ、何千、何万の中から
でも、どうやって?

4月4日、その日は友人の結婚式なの、
あさっては葬式で、今日は仮通夜さ、
4月4日、その日はウチのコ、一人で留守番なんです、まだ6歳なのに、

4月4日、土曜日、その日、自分は休みである
ドラえもんの映画が見たいと子どもにせがまれている
春休みだから町に唯ひとつの映画館は混雑するだろうな、
お金も無いしな、でもたぶん、出かけるかな、と思う
4月4日、緑のカバンと黒のカバンを持って、
あの日が近づいて来る


これは夢、yume

  はるらん


湖畔のベンチに寄り添うふたりの
頬をを若葉の風がやさしく撫でていった
いつも綱渡りのような、あなたと私だけれど
ときおりこんな風が吹いてくれるなら
明日もきっと、おはようが言えるだろう

春の甲子園で地元の高校はPLに勝って
ベスト8まで進み空はまだ青空のままだった
私はあなたとおそろいの金色の時計と
じいちゃんの新しい髭剃りをトライアルで買った

娘の新しい筆箱を探しにゆめタウンまでゆこう
右手には手芸屋さんがあり、左手にはファミレス
「おまえ、たまには運転しろよ、俺がいなくなったら、どうするん?」
私は笑いながら、そんなことはまだ何十年も先のことと思っていた

彼は小学生の時に左目を失明している
同級生にバットで殴られたのだ
それでも普通に大学を卒業し就職し結婚もした
ひとりで何でも出来ると思っていた

けれど父をアパートへ引き取ってから
実家は廃墟同然になり家を建て替えるお金も無い
彼はせめて土地を荒らしてはならないと
周辺の草を刈りジューンベリー、ナツメ、ユキヤナギ、
いつかここをフラワーロードにするんだと
休みの度に苗木を一本一本植えていった

彼がとても疲れていることを知っていた
車で2時間半もかかる実家に行って欲しくなかった
けれど、「俺にはもう、時間が無いんだ」と、
口癖のように言う彼を止めることは出来なかった
娘とあなたと3人でお花見をしたその1週間後に
あなたは実家の山の高い杉の木から落ちた

なぜ、あの日に限って電話しなかったのだろう?
あの日私は娘と夕方まで鍵盤ハーモニカで
無邪気に遊んでいたんだ
お風呂を沸かそうね、
そうしたらパパがいつものように帰って来るよ、

そのとき私の携帯が鳴った、パパからの着信
けれど、それは違う男の人の声だった
後ろにはざわめく人の声、
「いますぐ来てください!ご主人が大変なんです」

娘は私が何も言わないのに、もう泣き出していた
「最初に言っておきます、目のことはあきらめてください、もう光も感じません」
うそだ、
天井がグルグル回った

娘を抱きしめて泣いた
何年も会っていない親戚の人が病院まで送ってくれると言った
ATMはもう閉まっていてお金は下ろせなかった
着替えは3日分、いつ帰れるかわからないけれど
「当分の間、休ませてください」、パート先の店長に頭を下げた

車に乗ってだいぶ経ってから気づいた
サンダル履きでカバンの中には充電器だけ
携帯はテーブルの上に置いたままだった
空に星が出ているのかどうかは、わからない


或いは、この国のものたちへ

  はるらん

 
 曇り空の金網の向こうでは、空爆の飛行機が離発着を繰り返している。耳を劈くようなキーンキーンという高い金属音さえ、いつのまにか慣れようとしている自分がそこにいた。そして女である私たちは、アレを拾って、子宮の中に出来るだけ沢山、それを隠さなければいけない。しかし、入れるそばからそれは、おなかの中から突き上げてくるようで、終いには喉元からグエっとそれを吐き出しそうになるのだ。

 ダメよ、ダメダメっ!いま、それを口から出してはダメ!
ココを出てからならいいわ。ミサイルのように、それを発射させても。
 領内に立つ警備兵たちは、あちこちで目を光らせている。女たちが作業を少しでも休むと、彼らは銃で背中を小突いたり、髪の毛を鷲掴みにして、地面に叩きつけることもあった。

 羽虫の音が耳元でうるさい。ものすごい高速回転。周波数。誰かが私のことをスパイになって、探ろうとしている。こんな生活がいつから始まったのだろう。数週間前からのような気もするし、数ヶ月前からのような気もするし、あるいはもう何年も前から、こんな生活が続いているのかもしれない。日付はいつも、記憶の彼方にある。

 他の国には、どんな暮らしがあるというのだろう。私は子宮の奥にアレを詰め込みながら、いつか見た風景の記憶を探そうとする。固い土の中に、それは埋められていて、私はひび割れた素手でそれらを拾い、スカートの中で、もぞもぞする。それはインドネシアの小さな女の子のお人形だったり、誰かの父や母が幼い頃に吹いて遊んだかもしれない、おもちゃのラッパや、ところどころ錆びているハーモニカ。その多くは手のひらにすっぽりと収まるような、小さなものだった。それらを体の奥に詰め込むことに、どんな意味があるのか、私にはわからない。いつか、隣の女の子に聞いたことがあるが、やはり、彼女は首を振ったのだった。
 けれど私たちは毎日それを続けなければいけない。水鳥たちが川面に流れてきたジュースのキャップやビニールを飲み込むように。わけのわからないプラスチック、釣り針や釣り糸。人間が捨てたあらゆる様々なゴミたちを。彼らが死んだあとに、胃袋から取り除かれる、それらの死骸たち。あるいは、彼らは最初から知っていたのか。そうなる、運命を。

 私は今日も地面を掘る。アカギレだらけの指で掘る。なぜ、こんなにもたくさんのモノたちが埋められているのか。私は土を払って、拾ったものを確認すると、それは手のひらで四角を作ったくらいの大きさの木製のレリーフだった。小さな木枠の中には、丘の上に立つ、小さな家があった。何段か続く石段の上に半開きになったドアがあり、家のそばにある小さな木と木の間にはロープが張られ、洗濯物が風にそよいでいる。

 これは私の家ではないか。もう、ずっと帰っていない、あの家。
 数センチしか開いてない家の中は見えないけれど、このドアを開ければ、暖かい暖炉やテーブルがあり、その上にはティーポットや摘んだばかりの小さな白い花がコップの水の中に入れられている。風に気持ちよさそうにそよいでいる洗濯物は、私の愛する人のシャツであり、私のお気に入りのスカートだ。 私は思わず石段を駆け上がり、、数センチ開かれているドアを勢いよく開けそうになる。
 でも、私はふいに不安になる。ドアを開けて、もし違う人がいて、ここは私の家だ、と言われたら。洗濯物は、違う人のものであり、違う愛する人のものである。私の大切な人は、何処へ行ったのだろう?
 作業終了のサイレンが鳴るのと同時に、今度は大きなマリオネットの人形を見つけた。こんなもの、どうやって、子宮の中へ押し込めろというのか。バラバラにしろとでも。

 私たちは狭いコンクリートの中へ押し込められ身を縮めて、固い地面の上に横になる。20ワットの裸電球の光がまぶしく感じられる。それをじっと見つめていたら、一条の光が私の視線の斜め上を射していった。いや、私の頭の上の少し手前で、それは伸び縮みを繰り返し、一本だった光は数本の束になり、中心で交わり、交差し、それでもまだ、私の頭の少し上で止まったままで、それ以上、先へ進もうとはしなかった。何か目に見えない力によって、その光はそこで遮られているようでもあった。
 なぜ、もっと遠くへ行けないの。行ってしまえばいいのに。
 そう思ったとき、灯りが消された。消灯の時間だ。鉄格子の窓から夜空の星は見えない。

 この土地へ来たばかりの頃、愛する人と手を繋いで、満天の星を見た。初めて来た彼の故郷。それは、空を埋め尽くすほどのミルキーウエイだった。田舎は空気がキレイだからね。彼の手を離れて、ひとり、星に見とれていると、私の体はふわりと浮き上がり、自分も宇宙の中の星のひとつになれたようだった。銀色の海。遮るものは、何も無い。私はここで生まれ、ここで消えてゆくのだ。たぶん、きっと。
 けれど、満天の星を見れたのも、宇宙の銀河をひとり漂うことが出来たのも、これが最初で最後だった。それでも、星座は日々、動いているのだろう。少しずつ、その位置を変えて。いま、私は何処にいるのだろう。


 気がつくと、私は母と森林の中を散策していた。途中、右や左へ折れ曲がる道が何箇所もあったが、母はまっすぐの道だけを選んだ。いつの日も、母が、そうして歩いて来たように。
 ときおり、樹木の葉がさわさわと風に吹かれ、私の髪も、ときおり、風に撫でられていった。生暖かいような、どこか懐かしい匂いのするような、たとえばそれは、お帰りなさいの夕焼け小焼けのメロディが町中に響く中、群青色の空に届きそうなブランコを、いつまでも漕いでいた小学生の頃とか、角のタバコ屋さんの前でいつまでも友達とおしゃべりして笑っていた中学生の頃とか。子犬を抱いて散歩する川原の土手の上のクローバー。春の終わりと初夏のあいだをまたいでゆく、ほんのりと暖かい緑の風に揺られていたわたし。

 おかあさん、あれからずいぶん、いろんなことがあったんだよ。あなたが亡くなってから。いちどに、いろんな波がドッと押し寄せてきたの。夫が事故で失明して、瀕死の重傷を負ったこと。それから・・
 何から話せばいいのか、わからなかった。あれもこれも話したかったけれど、何も話さなくてもいいんだ、どこかでそんな気もしていた。
 おかあさん、あなたの好きだった、ヒトトヨウは、まだ歌っているよ。私の好きなkiyoshirouは、去年の5月に死んじゃったけどね。人はなぜ死に、なぜ、生きるのでしょうね。あなたが得意だった、肉じゃがは、私は未だに苦手なの。それから、父さんや兄さんや姉さんは牡蠣フライが好きだったけれど、なぜか私だけ食べれなかったよね。みんないつも、熱々の牡蠣フライを美味しそうに食べていたけれど。私がアレを食べようとすると、悪寒と鳥肌が一度に込み上げてくるのだった。食卓に残るレモンの果汁と、牡蠣の匂い。

 みんなが捨てた牡蠣の殻が、一度に地面から出て来る。その殻で私は指を怪我する。いつも同じ箇所を切り、その裂け目から血が滲んでいる。それにしても、おかあさん、戦争はいつ終わるのでしょうね。いえ、ホントは私、あの飛行機が何処へ飛んでゆくのか知りません。この国の名前さえ、ホントはわからないのです。

 でも、いつか私も、私の体の中から、小さなミサイルを発射させるかもしれません。 ああ、喉が渇いてきました。砂漠の中にいるようです。

 さっきまで一緒に歩いていた母は、もういない。そばに、モスグリーンの薄いスカーフが落ちていた。私がいつか、母にプレゼントしたものと、同じだった。私はそれを拾い上げ、自分の手首に巻いて歩く。森林の奥まった側には小さなカフェがあり、私はその中へ一人で入ると、店の中にはウエイターの男の子がいるだけだった。こげ茶色の木製のテーブルに座ると、おなかの中は、火の嵐のように燃えている、のがわかった。
 作業場へ戻らなくてはならない。キリキリと、子宮は激しく収縮を繰り返し、おなかの中は、オレンジ色のマグマが溢れ出そうとしている。 しかし、地面に流れ出ることのないマグマは、私の体の中で、燃え続けなければならない。或いは、私が二度と戻れない国の中で。私は私の子宮の中で、私の祖国を抱きしめる。まだ、一度も渡ったことのない海の向こう。

 オレンジ色のマグマは間断なく、子宮の中で暴れまくっている。いっそのこと、このまま眠りにつけたなら、どんなにラクだろう。私はおなかを抱えたまま、テーブルに顔を埋めた。ウエイターの男の子は、そんなことには、おかまいなしに、「お客様、ご注文は?」と、にこやかな笑顔で聞いてくる。私はテーブルの上に置いた顔をを横に向けたまま、必死でメニューを横向きで追いかける。

 喉が焼けそうに熱いのだ。何か飲まなければ・・
私は額に汗を滲ませたまま、だんだん霞んでくる瞳で、それでも、できるだけにこやかな顔で注文した。

「旅の途中の麦わら帽子を被った女の子の小さな宇宙のショコラムースを」、と。

文学極道

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