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作品 - 20091222_375_4034p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


小品(抜け落ちているもの)

  破片

 海が見えている。
 くすんだ緑にも見える、という形容を聞いた。その人は、同じように探し物をしている人だったのだろう。そして海は、空を探している。断絶の果てにはきっと鏡があると信じている。動揺は沖の僅かな海流で、少しずつ膨れ上がり、打ち上げられた時に外向という性質を含み、まるでほんものの声であるかのように泡へと、また泡へと砕け溶けていった。これは、海の感情であると。その発露であると。考えることは自然なのだろうけれど、右隣から声が投げつけられた。
 そこに、誰もいなかったはずの空間が埋まり、佇立するひとかげが生まれ、声が波の音に乗り、旋律じみた流れを持つ。
「、感情を描かない。描けない。描けるのは、そうぞうする感情だけ。所詮言語を能動的に持たない何かを言語で表現しようという試み自体が―――」
 まるで筆談しているかのような口調の声は、笑いながらためらった。途切れた言葉、その続き、行方を捜すも灰色に溶け込んでしまったのだろう、欠片も掴ませなかった。
 ひとかげに、質量はなく、それは影なのだから当然なのかもしれないが、とにかく存在していると認識させる要素が希薄で、しかし目か首を右に回せば、ずっと見えている。視認できるということ、最大の認識をおぼえているにも拘わらず、その影は見えているのに、見えなくなりそうで、瞬きを意識するのだがそのひとかげは嘲笑っている。
「、実体がない。、たとえば筆をとることもない。、お前に見えているのか」
 答えようとした。最後の言葉は質問だった。だから応じようとした。海だけを見て。安心させてやるかのように、不安に揺れる海を見ながら、純度の高い綿に抱擁されているような色彩の世界で、わたしは、首を向けた。
 何故、見えなくなったのだろう。ほんの何秒か前までは視野の右隅で、あなたを捕らえていたのに。今では両の目で正面きって見据えようとも、空振りでしかない。ずっと昔に感じられる、空白に、私の右隣の時間は戻ってしまったようだった。けれど、とうめいなひとかげは、確かに存在していたのだと、私の視覚器官が、葛藤し揺れる脳細胞に必死に訴えていた。
 どれほどの時間を、海を見て立ち尽くすという行為に傾けていたのだろう。何時間前かもわからない天気予報では今日いっぱい、雨は降らないまでも、雲は飛んでいかないと伝えていた。しかし、目の前の海には一条、また一条と日が差し始めてきていた。目に見える光線を何本も、数え切れなくなるまで見ていた。背中に通っている道路からも、時速四十、五十キロ程の速度で滑っていく視線を感じた。迂遠に言い回すことも、婉曲に言い並べることも必要なく、ただ、壮絶で荘厳であると。そう呟いていた。
「見ろ、あれほど淀んでいた海の緑が晴れていく。サファイアのような青が光りだしていく」
 声は唐突だった。しかし首はおろか目すらも回すことはなかった。ひとかげは、消えてしまったのだ、行方も掴ませないまま。躊躇ったままに置き去った言葉に倣って。しかし、声は続く。聞こえ続ける。姿が見えていた時よりも饒舌に、かつ色濃く存在して。
「わたしは、かがやくために、あなたを、さがしていたのです」
 私は弾かれたように、首を、目を巡らせた。
“わたしは 輝くために 捜していたのです”
 海は、捜し物が見つかって、凪いでいた。雲は、じきに晴れるだろう。胸を軽く膨らませて、すっと肩を落とす。わたしは、胸ポケットから煙草を取り出した。金色の箱にPeaceとあるパッケージが、遅れて出勤した太陽の寝癖を指摘した。

文学極道

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