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作品 - 20091021_666_3883p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


舌切り雀

  ゼッケン

おれの半分程度の年齢に見える若い金貸しはスズメと名乗り、
審査と称しておれに手を見せろと言った
おれが掌を差し出すとスズメはおれの手首を掴み、
大きなナイフの尖端ですばやく器用に掌をひとすじ裂き、血を舐めた
すくんだおれの顔を見てスズメはいくら欲しい?と聞いた
おれはもう帰りたかったが別の業者の取立てがあるので金が必要だった
たいへんだね、あんた。他に大麻の配達の仕事あるんだけど。やる?
これからも追われ続けるであろうおれはとにかく金が必要だったので
やる、と答えた

スズメは血の味でその人間がうそつきか正直なのかが分かるのだと言った
うそつきは大麻を持ち逃げするのでスズメは信用しないのだそうだ
おれは正直なのでスズメに雇われて大麻の配達の仕事を始めた
スズメの部屋には大小ふたつの冷凍庫が置いてあり、
注文が入るたびにおれは小さいほうの冷凍庫の蓋を開け、
ジップロックに小分けされた乾燥大麻を取り出して配達した
おっさん、大きいほうを開けるなよ? スズメはおれに念を押した
大きいほうの冷凍庫の蓋には錠がかかっており、もともとおれには開けられなかった
おれにはスズメがなぜ、おれを罠にかける予告をするのか、分からなかった

ベえ、
口を大きく開けたスズメは
おれに向かって舌を出して見せた
舌の先には横切って一本の筋が走っていた
小さい頃、母親に虐待されたのだと言った
はあ、そうですか、とおれは言った
はさみで切り取られた舌先は医者がくっつけたが
腕がよすぎたのかね? それから味がすごくよく分かるようになった
なんの味ですか?
人間の味
はあ、人間にも味があるんですか
スズメはがっかりしたような目でおれを見た

朝の注文が入り、いつものように冷凍庫の蓋を開けると大麻の袋が入っておらず、中は空っぽだった
それでおれは大きい方の冷凍庫の蓋を開けた
開けてから、いつもはかかっている錠が外されていたことに気づいた
罠の解禁と発動が意味するものは
今日はスズメにとってなにかの記念日なのだろうか
誕生日? 舌を切られた日?
大きいほうの冷凍庫には凍った女が入っていた
むろんスズメを虐待していた母親にちがいないが
生きているうちに閉じ込められたのだろうか
おれはこんなことになるだろうと思っていたような気がする
おれは頭をかきながら
蓋の底面を睨みつけたまま凍った女と対面しているうちに
意外にも女の顔を思い出した
スズメがおれに隠していたのは女の死体ではなく
女の素性だったことを悟った
二十年前におれと同じ部屋に住んでいた女だった
女が妊娠したのでおれは部屋を出た
すると、おれがスズメの父親か
すると、小さいほうの冷凍庫にはおれが入ることになるのか
ばらばらに解体されなければ、おれが入ることはできない
スズメなら入るかもしれない
いくら味覚が敏感になったからって、血を舐めてうそつきか正直かなんて分かるわけないじゃん
後ろに立っていたスズメが言った
おれと同じ血の味がする男を探してたんだよね、オトウサン
スズメはおれのことをそう呼んで、ナイフの尖端で空中に四角の枠を描いてみせた
おれの手足を切り落とすぞというのだろう、それから
舌を出してナイフを滑らせ、舌も切断することを表明した
スズメが自室の壁一面の鏡に向かってこの場面を何度も練習している光景を
おれは思い浮かべた

おれはスズメの部屋を出てドアに鍵をかけた
もうどこからも出血していないことを、そこでも、もういちど確かめる
廊下に血痕は残らないだろう
幼少時に受けた虐待がその後の成長にも悪影響を与えたのは
スズメの小柄な身体を見れば分かった
体力に恵まれずに育ったスズメの骨は簡単に折れた
馬乗りになったおれの身体の下で
スズメはげらげら笑っていた
おれはこのとき、自分はスズメといっしょに笑ってはいけないと思ったので笑わなかった
つられてにこりとすることもなかったと、いまでも言うことが出来る
スズメが最後の場面でおれを背後からいきなり刺せなかったのは
復讐心を満足させたいという欲に負けたのだ
おれはというと、だらしないが強欲ではなかった
おれはスズメの首にかけた両掌に全体重をかけた
スズメの笑いは止まった
代わりに、
おとうさん、

おれの顔を真下からまじまじと見つめながら
スズメの唇はそのように動いた
どす黒く顔面を膨れ上がらせながら
充血した眼球を飛び出させながら
スズメはおれの顔の中に自分と似ているところをもういちど探そうとしたのかもしれない
それにしても本当におれが父親だったのか?
親子でこれほど体格差があるものなのだろうか?
本当はスズメは誰でもよくなっていたのではないのだろうか?
おれは何と言っていいか分からず、すみません、と言った

スズメの部屋からは大麻も通帳も現金も持ち出さなかった
口座にはたっぷりと残高があるので部屋代も電気代も引き落とされつづけるはずだ
冷凍庫が止まらないかぎり、スズメの死体も女の死体も匂わない
おれは以前と同じ無一文であり、スズメの本名も誕生日も知らない
なにも変わったことはなく、
おれは安全だった
気がかりといえば、スズメはどちらの冷凍庫に入れて欲しかったのだろう
母親といっしょにして欲しかったのか、それともまだ
憎む、
と言うのだろうか
部屋の鍵をジャンパーのポケットに突っ込みながら廊下を歩き、
マンションのエレベーターに乗り込み、
1階へ降りるボタンを押してその扉が閉じた後、
狭い場所に立って目的地に着くのを待っている間、
暇だったおれはひとり、そんなことを考えた

マンションを出ると早朝、そこは繁華街の反吐くさい路地で
角を曲がってすぐのコンビニで値引きされた弁当を買う
おれが降りたエレベーターは
おれの代わりに誰かが乗り込むまでじっと
扉を閉じている

文学極道

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