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作品 - 20090406_886_3445p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


彼岸花

  ゆえづ

空に刺さった数多の指が
イチョウの葉を撫で
さわさわとくすぐったい風を奏でる頃
ばあちゃんのか細い腕を引き
ぼくは歩いていた
首筋をつたう汗に苛立ちを感じながら
となり町の病院へと続くこの畦道を
耳を澄ますと緑が染む
じっとりとうるさい陽射しは
ぬるんだ水田を跳ね
ただ申し訳なさそうに笑うばあちゃんと
夏が少し悲しかった
焼けた肌にぞわりと吹き抜ける
いたたまれないわびしさ
見知らぬ国の風景画のようだ

花びらを千切った
きみは生まれたての指先で
人はなぜ忘れてゆくの
知るためさ
それなのに日々はまだ
永遠のような顔をしてぼくらを追う
それなのにひとりぼっち
明けない夜に打ち拉がれ
赤い花のしたたり落ちる歌と
いまだ暗い血を掬って

母にばあちゃんの付き添いを頼まれ
ふくよかだったばあちゃんのひと回りもふた回りも大きくなって
ぼくはこの小さな田舎町へと帰ってきた
いつもの透析治療を終えると
ありがとうなありがとうな
ばあちゃんは何度もそう繰り返しながら
両手でぼくの腕をさすっていた
河川敷には青白い乙女たちがぞろりと立ち並ぶ
何百メートルと続く彼岸花の群生だ
それぞれ華奢な喪服にその身を包み
色づいたつぼみを高々と掲げ
帰路に長い葬列をつくっていた
どこまでも透き通るそのまなざしは
あまりに美しく
ばあちゃんそっくりで
ふと足を止めてぼくは見入ってしまった
水を打ったような静けさの中
ばあちゃんがぼそりと呟いた
何もかもよかったんだよと
最後の夏だった

きっとまだ許せないでいる
放射状に散った背中の爪痕と
ぼくらにまつわる一切を
あいの悪戯により
気が狂れたきみに困り果て
ごめんねとも言えず
ただぼくはもう死ぬんだとうそぶいて
ひとりぼっちのこころをしかと傷つけた
きみはきみを忘れてしまえばいい
そしてぼくはぼくをどうか許さないでいて

小さな影がぺたりぺたりと
真夜中の冷たい廊下を歩いてゆく
そして突き当たりの洗面所までくると
月明かりに鈍く反射するカミソリが
やがて胸に埋めたカテーテルを
それは静かに切る
叔父からの連絡により駆け付けたその朝
ぼくの目に飛び込んできたのは
ばあちゃんの白い長襦袢に咲いた
たくさんの彼岸花
見るなと父に目隠しをされたけれど
本当にきれいだったよばあちゃん

終わりを見ている
まぶたを開いたときから
忘れていられるあいだのぼくらでも
よかったんだよ
つぼみのまま枯れてゆく花よりは

文学極道

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