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ゆえづ

選出作品 (投稿日時順 / 全13作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ビオトープ

  ゆえづ

庭は母があらたに植えた花々で賑やかだったけれど
ガーゴイルと仲良く膝を抱える花壇脇
日がな枯れたヒナゲシを眺めて過ごした僕は
言葉に忘れられた詩人のよう
横たわる風景に多くを望まなくなって
ただじっとひそかな企みを抱いている
くすぐったさが底から込み上げてくるような腹の中で今日も
君と僕が生み出した大きな悲しみを育てている

ひとりきりの夜は眠った
破かれる事もない白紙を抱いて
休まる時を知らない秒針だけがチクタクと笑っていた
僕のありったけを押し込んだ寝床で
こころというこころを殺しながら

こっそり君と待ち合わせた放生池へと
パン屑を片手に迎う真夜中には
目を細めた月が僕を見逃した
いつの日もたくさんの鯉が僕らの影を待っていた
君の黒髪に光るヘアピンが夜の森に走り消える星のようだとか
透けて見える静脈が街灯に浮かび上がる水中の河骨そっくりだとか
とりとめのないお喋りに夢中になっている僕を
虚ろな返事を水鏡に濁しながら
プリンのシール蓋を剥がす時の軽やかな手つきで君は
ヒナゲシの実をひらりと裂きちいさく笑った

そうして時間がどこまでも透けてゆくのを待った
二人して石像のように青ざめて
やがて息を殺した朝靄の中
鯉が水面に散らばる言葉を縫ってゆく
千切れる顔は掬うもたやすく舞い落ちて
音もなく沈みゆくパン屑のひらひらと招くその息づきを
死んでいるように見つめ合う池端
野犬の一吠えに水面が凍る

こぽりと洩らした君のあくびが
水面に伸びやかな円を描いてゆくのをただ
薄い胸びれの隙で待っていたんだ
眠たいフロストガラスに響き渡る声
胸びれに見え隠れして
ためらいがちに揺れる光彩の中
夢見のままに華やいで君
静寂の青さにくすぐられていた夏休み

(いつしか僕の庭は見慣れぬ花でいっぱいだった)

ちょうど吹き抜けた風に乗って
少年の胸ポケットへするりと忍び込んできた君を
僕はまた大層大事に育て始める


めくるめく角質

  ゆえづ

世界中のぬるみがピンヒールの尖先に削られて
壊れたスピーカーから途切れがちに
繰り返される気疎い脈動
カンカンカン
踏み切りの向こうには昨日がいる
明日とまったく同じ顔の

カラスが飛び立った電柱では
剥がれかけたチラシがひらりと揺れる
コンタクトをつまんで視界を剥がすが
なおも空は濁っている
ガリガリ
強ばる呼吸を追いかけ
スケジュール帳で割かれている
この不都合な身を
ひときわ四角い我が家へ再び押し込める

マンションの門扉には切れかけた灯り
夕闇のなか白々と
不規則に明滅するエントランス
剥き出しのコンクリートを一層不気味に見せて
体温は
階段のそれぞれのステップから
したたるように次々と
腕時計の秒針に刎ねられて次々と
ずり落ちる
ぬめらかに夜は肌へ垂れさがり

少し内側にへこんだドアを開けると
ブシュッと音をたて飛んでいく物
換気扇のフィルターか除湿剤か理性か
ゴキブリの一匹すら見かけぬこの部屋だ
はたして健康的なんだろうかね
クローゼットに本棚にはらわたと
あらゆる収納の中身は
すべてがゴミだったというのに

パソコンの隣で
ついにはサボテンがひからびる
メールの文字がパラパラと崩れ落ち
バランスを失った角質層みたい
くたびれた三十女が一人笑う
笑うも一層ひび割れて
褪せて乾く秋口の
スキンコンディションは最悪だ

だから一つ
ネズミの通路にも使えないその隙に
正しい言葉を一つ挟むなら
なるべく軽くて薄いものをと
じわりじわりと漏洩する私を
多い日でも安心ですと
両腕を広げて迎えてくれるような
そんなしなやかな朝を
腫れぼったい目でシュレッダーの中
今夜も探している

やがてゴミ山でのた打つ朝が
バインダーのとじ具から逃れ
やっとのことで這い出してきた本能
まだかろうじて使い物になるだろうそいつでもって
私の日常をめぐる
世界のメンテナンスは行われていた

胸につかえた昨日は
ぬるいエビアンで流し込み
くすんだ鏡の前
きゅっとリップクリームを一塗り
入り組んだ雑踏の中
携帯もタバコも砂利銭も
この皮膚のようなポケットに
よく馴染むってことの
何が悲しくて泣かなければならない

 飛んでいったペットボトルのキャップは
 誰かの日常を挟んでいただろうか

仰いだ空は晴れあがり
飛行機雲がただ白い
背筋をぴんと伸ばしたまま
今日も私は健やかで
プリーツスカートのまっすぐな折り目を
それは美しく歩く


イエネコ

  ゆえづ

僕は倒れやすいけれど折れにくい
世間ではそれを図太いともいうらしい
僕は角じゃなく円
線じゃなく点
この肉球を見れば分かるだろう

君はなかなか倒れないけれど折れやすい
世間ではそれを人間というらしい
君は水平じゃなく垂直
曲線じゃなく直線
それもなぜかって知っているよ
君は
たとえその肉体が果てようとも
立っていなければならなかったからだろう
ああそうともさ
それは僕を守るためにでもあったね

だけれどね
そんな君が倒れるような日は
とても修復の利かない

確実にラストだと思うのだよ
そのときクッション代わりになれるのは
僕しかいないじゃないか
なぜかってそれは
バランスを取ることが僕の特技だからさ
こう
尻尾をうまく使ってね
サーカスの玉乗りのように
空間をグニャリとひん曲げてやるのさ

食っているか寝ているか
そうでなければ毛繕いしているだけだって
のんきなことを言うのじゃないよ
それもこれもれっきとした僕の務めじゃないか
君を包み込むための
にんげんをにんげんたらしめるための
僕は
そのためにやってきた神様の使いなのだからね


そう
君が倒れるような日は
君が倒れるような日は


こんな夢を見ているのだ
窓辺でひなたぼっこしながらね
だけれどまだ内緒だよ
だってこれきっと愛だもの
救いようもなく転んじゃっているのは
僕かもしれないからね

はじめから寝転がっていたけれど


ハイプ

  ゆえづ

洗面台で蛇口をひねる午前5時
鳥のさえずりは黄色に跳ね
カルキ臭が洗面ボウルにつうんと鳴り渡る
窓から眺めるアパート前の公園は
つけっぱなしのパソコン画面そっくりに
生臭い陶酔とわずかばかりの現実感を持って
うす暗い浴室をしらじらと照らしあげる

8時の窓から眺める公園はハレムだ
垣根のトケイソウ群が
しなやかな手足をぐねぐねと金網に絡ませ
大きな瞳をしばたたかせている
擦れ合うながい睫毛から立ちあがる
甘く切なげな香りが
今にもこちらまで漂ってきそうだった
私はうやうやしく髪を結いながら
窓枠にもたれかかり
通りを過ぎる大きなランドセルを背負った少女達の
その痛ましいほどの細い身体を
ただ口惜しげに見送っている

午後になるとすり鉢の錠剤を砕く
それから完全に粉末になったこれを
スプーンで瓶口からさらさらと落としていく
瓶を片手に画面をスクロールする
ミルクシェイクをあおるたび
並んだ文字列がガラスの中を落ちていく
タバコの先で腕に印をつける
今日で253個目となるそれらは
皮膚で規則的な模様をつくっていた

廊下に散乱するビデオカセットを蹴り退け
再び浴室へ引っ込む午後4時には
充満する蒸した藁のような匂いが
柔らかな雨を知らせていた
全身に泡立てたボディソープを塗りたくる
眉から脚にかけての体毛という体毛を
執念深く剃り落としていくカミソリ
刃は大抵1週間で駄目になる
キャビネットの香水の空き瓶には
錆びた刃が累々と積みあがり
青臭い感傷という名のこのオブジェを眺めながら
浴槽のクレゾール石鹸液に沈むあいだ
私はしばらく死体のふりをしている
窓をびたびたと打ちつける雨
吹き溜まる妄想
常に苛まれている私が
なによりあなたを高揚させただろう

つなぎ寝巻の袖から伸びたごつごつした手指が
静かに録画ボタンを押す午後6時
窓ガラスにぼやりと映るおさげ髪の中年男
これはまた派手にやらかしてくれたね
蹴りあげた鉄格子の向こう
7時の面会にやって来たあなたが微笑む


冬の散歩道

  ゆえづ

色づいてゆく君は愛らしい
柊の爪が乾いた風を奏でる頃
二人して唇の端を切った
裏町の寂れた小路では
物憂げに軋る看板が私達を祝福していた
めくれあがる薄っぺらい肌の
所々陥没している様まで
でこぼこと哀れな私の胸そっくりで
骨の奥がくすりと笑う
力まかせに蹴り飛ばしたら
また一つかさぶたが剥げ落ちた

冬枯れの道をゆく私達は十六
ジーンズから放り出した脚が粉を吹いていた
いたずらに破かれた膝丈の自我と
ブーツの中で遊んだ踵

巨大な灰色の怪物が見える
町外れにひっそりと建つ博物館は
そう君みたいで好きだった
円形コートを囲うのっぺりとした打ち放しの壁は
空を飲み込む大きな口となり
外界の一切を阻んで吠える
頭上にぽっかり空いたインディゴブルー
くぐもった溜め息だけが響く
ずうんと重低音の海

明け方の遊歩道で君は町を出たいのだと言った
どこにも居場所がないのだと
あるよと言いかけたその時
吹き抜けた突風に驚いた君の羽根のような上着のケープは
思わず息を飲むほどの白を空高く翻し
置いてかないで
私は咄嗟に君の腕をつかんだ

まだるい眠気のように溶け残る雪を踏み分け
君の手を握りながら入ってゆく
しゃらしゃらと内気な寝息を立てる森
鳴けないミミズクが
口をぱっくりと開いたまま私達を見ている
声のない赤が突き刺さる
ねえ君はそのように叫んでいたの

くしゃみをする間に朝がきて
柊を見下ろす歩道橋から
揃いのピルケースをせえので放り投げると
パステルの錠剤が逆光の中
君の笑い声と飛び散った
私は泣くのだけれど
また指切りをして泣くのだけれど


鶏頭

  ゆえづ

ゆらゆらと灼けたタイルテラスで
靴底を鳴らし踊るきみは
場違いなジーン・ケリーだったけれど
その耳にはぼくの声すら届かない程
空っぽなメロディが響いている
だってほら吸い込まれそうに遠い

たんたたんたん

脳みそのヒダにこびり付いた昨日を
皮膚へきっちりと縫い合わせ
ぼくは日に日に折れ曲がる
赤いサイレンが耳鳴りのように唸り
溶けだした太陽は暗く笑う

たん

ベルベットの風を纏ったフリルスカートが
8の字を描いてスイングする
糸の切れた凧のように舞いながら
息の上がったきみの頬で
柔らかに光っている金色の産毛
指先が撫で上げる午後には
口を大きく開けたまま
野ざらしの内臓が
花壇一面に張り付いている

陽炎が手招きをする
きみはもう死んでいるのに
たたたん
鮮やかなダンス

いくつものダンス


アノレキシア

  ゆえづ

浜辺には灰色の流木が転がっている
ひょろりといびつな形をした
いやそれは私だった
私はじっと横たわったまま
誰かが抱き起こしてくれるだろうと
ただ待っていた夢の中

窓の外では野良猫がえずいている
ゴミ袋を突くカラスを見て
その声に目覚めるとまた金縛り
差し込む夕陽が病室を焼く
壁から不意にずり落ちる掛け鏡
ふと気配を感じ横目で確認すると
窓際にひとがたをした流木が立っている
24インチのジーンズを履いたそれには
よく見ると足がなかった
「だって死んでいると温かい」
ベッド下に捨てられたふくらはぎを拾って
手足をかくりかくりと鳴らしながら
流木は冷蔵庫の方へ向かった
針が同じ時刻をなぞるばかりの
電池の切れたアナログ時計のように
かくりかくりと奇妙なリズムを刻み
冷蔵庫のミルク瓶を手に流木はやって来る
そして乱暴にパジャマの胸元を掴み上げると
拒絶する喉へミルクを流し込んだ
そこで私は再び眠りに落ちる

ずきずきと収縮する病室は腫れたようなオレンジ色
テーブルにはホイップまみれのバスタオルが
また床にはごっそり抜け落ちた頭髪と見覚えのない錠剤
それから私のものらしき顔がばらまかれ
時間も何もが剥がれ飛んでゆくのを
やはり私は横たわったまま見ていた
目覚めても鼓動は遠いさざ波を奏でている

面会にやってきた父親は
私に冷ややかな一瞥をくれると
ソファーに万札をひらりと落とし
そそくさと病院を後にした
一枚きりの万札をベッドの中で握りしめ
何もなかったかのように死ねたらいい
できれば私は私に戻りたい
昼は学校でフツーに笑い
夜になれば脂臭い街へ踊りにゆく
ありふれたフツーの女の子に


彼岸花

  ゆえづ

空に刺さった数多の指が
イチョウの葉を撫で
さわさわとくすぐったい風を奏でる頃
ばあちゃんのか細い腕を引き
ぼくは歩いていた
首筋をつたう汗に苛立ちを感じながら
となり町の病院へと続くこの畦道を
耳を澄ますと緑が染む
じっとりとうるさい陽射しは
ぬるんだ水田を跳ね
ただ申し訳なさそうに笑うばあちゃんと
夏が少し悲しかった
焼けた肌にぞわりと吹き抜ける
いたたまれないわびしさ
見知らぬ国の風景画のようだ

花びらを千切った
きみは生まれたての指先で
人はなぜ忘れてゆくの
知るためさ
それなのに日々はまだ
永遠のような顔をしてぼくらを追う
それなのにひとりぼっち
明けない夜に打ち拉がれ
赤い花のしたたり落ちる歌と
いまだ暗い血を掬って

母にばあちゃんの付き添いを頼まれ
ふくよかだったばあちゃんのひと回りもふた回りも大きくなって
ぼくはこの小さな田舎町へと帰ってきた
いつもの透析治療を終えると
ありがとうなありがとうな
ばあちゃんは何度もそう繰り返しながら
両手でぼくの腕をさすっていた
河川敷には青白い乙女たちがぞろりと立ち並ぶ
何百メートルと続く彼岸花の群生だ
それぞれ華奢な喪服にその身を包み
色づいたつぼみを高々と掲げ
帰路に長い葬列をつくっていた
どこまでも透き通るそのまなざしは
あまりに美しく
ばあちゃんそっくりで
ふと足を止めてぼくは見入ってしまった
水を打ったような静けさの中
ばあちゃんがぼそりと呟いた
何もかもよかったんだよと
最後の夏だった

きっとまだ許せないでいる
放射状に散った背中の爪痕と
ぼくらにまつわる一切を
あいの悪戯により
気が狂れたきみに困り果て
ごめんねとも言えず
ただぼくはもう死ぬんだとうそぶいて
ひとりぼっちのこころをしかと傷つけた
きみはきみを忘れてしまえばいい
そしてぼくはぼくをどうか許さないでいて

小さな影がぺたりぺたりと
真夜中の冷たい廊下を歩いてゆく
そして突き当たりの洗面所までくると
月明かりに鈍く反射するカミソリが
やがて胸に埋めたカテーテルを
それは静かに切る
叔父からの連絡により駆け付けたその朝
ぼくの目に飛び込んできたのは
ばあちゃんの白い長襦袢に咲いた
たくさんの彼岸花
見るなと父に目隠しをされたけれど
本当にきれいだったよばあちゃん

終わりを見ている
まぶたを開いたときから
忘れていられるあいだのぼくらでも
よかったんだよ
つぼみのまま枯れてゆく花よりは


クロリス

  ゆえづ

君はエプロン姿の小さな確信犯だった
それはとても可愛らしい
庭で摘み取ったケシの実を
エプロンの前ポケットにたんまり詰め込んでは
買い物に出た先々で
気の向くままにひねり潰してゆく
膨らんだポケットでもてあそぶ
ごろごろとしたこどもの世界は
はち切れんばかりのまるこい手から
砂粒のようにこぼれ落ち
町中へパステルのざわめきをばらまいた
僕はそれを花束にして
いつかのこども部屋に飾ろう

クロリス、クロリス
そよ風にゆだねた君の裸体
たまらず僕は走りだしたんだよ
ナナハンにまたがり
雨の降りしきる田園地帯を
あのしたたかな秘密を引っ剥がし
横殴りの雨の中を走り続けたんだ
蕾のような吐息を抱いた
なまっちろい奇跡は
クロリスがそっと僕に口づけすると
ビニ本モデルの上気した頬よりも
艶やかに咲いたよ

雨宿りがてら立ち寄った給油所で
濡れたシャツにぽてっと止まったのは
上翅いっぱいに星を抱えたてんとう虫だった
黒光る半円形のフォルムが美しい
おまえも翅を休めに来たのかい
ああ見ろよ虹だぜ
吐き捨てるようにそう言い残し
てんとう虫は飛び去っていった
ヒンジの緩んだジッポで
しけった煙草に火をつけると
僕はまた煤色の風になる


飛田新地

  ゆえづ

つつましく正座した少女らは
灯籠の薄明かりの下
客引きのおばさんが手招く先々で
剥製のようにしゃんとすましている
浮世絵さながらの色街
一枚の座布団だけが優しさで

僕は今月一枚きりの万札を
ぎゅっとジーンズのポケットで握り締め
時代に取り残されたこの一画へと足を踏み入れた
すれ違う宿はどれも泥垢に塗れ
ゆらめく街をまっすぐに見据えている
空ろな眼差しを投げ
路上で膝を抱えるホームレスそっくりに

ここは極彩色のどぶ川だ
ゆらゆらと水底を踊るコースティクス
逆さまに仰ぎ見ている少女は
糸の切れた風船だった
焦点の定まらない眼が天井を泳ぎ
遠い空を漂ったまま帰ってこない
だらしなく濡れそぼる膣口は
ぱくぱくと力なく開閉を繰り返し
透ける身体は屏風や僕にぶつかりながらも
水流の勢いに乗って浮き沈みする
今にも死にそうな魚のように

誰が少女の傷みを慮るだろう
酒の酔いもさめる頃
せめてもの心付けと砂利銭をかき集め
無様な善人を装う僕こそが救えない


浮かび上がる赤は鯉の死骸だ

ぐあぐあ
インディゴの夜空いっぱいに翼をひろげた白鷺が
冷たい大人になるなと鳴いている


オレンジ

  ゆえづ


セピアに染まる線路沿いの廃ビルが
ゆらゆらと踊っていた
陽炎立つ夏の暮れ
夕空のほころびからひり出された果実は
情熱の膿を孕んだまま
でっかい車輪に牽き裂かれる
あれがありふれた青春の末路です
あれが母さん私であります
似つかわしいと笑うてください
私達のほとんど総ては悲しみで出来ていた
またその延長線上に見つけるほとんど総てが幻で
かさぶた、じんじん滲み出す血漿の
橙色したうろこ雲は
空一面にばらまいた夕陽の薄片

月を眺めていました貴方の中
でっぷり肥え太った月
架線にぶらんと垂れ下がった
高架上のあの激しく脈打つオレンジを
覗いた天体望遠鏡の中の怪物
あれは貴方に似た
密に張りめぐらされた血管の
律動するさまが不気味に美しく
貴方に似た、

 私は待っていた
 あらかじめ私のために揃えられた世界の
 はっきりとよろめくそのときを
 同時に忘れて泣いているのに
 なおも世界の喧しい揺らぎを歌いながら

飛び乗る列車に月の胎動を聞いたんだ
群青に抱かれている私の肌のわななきと
ぽっかり浮かんだ夜空の車輪あれが
まさに今日の私達であったことも知らず
運ばれるままに敷かれたレールを辿ってゆけば
はりつけにされたオレンジが潰れた私達を踏んづけ
ぎしぎしときしり音を立てて走っていた

朝焼けに染まる列車から
目まぐるしい万華鏡を眺めている
錆びついた嗚咽は
のびやかな波紋をつくる川面で
まばゆい黄金の子宮を描く
予感に揺らいだ光彩と
膿んだ球根の匂いが満ち満ちた
このあたたかなオレンジエード
私達またでっかい炎の車輪となって転がり帰ってゆきます
そうしてすべては回っていましたか母さん


17時のヴィーナス

  ゆえづ

肉感的な体つきの女たちがひしめいて
終礼後の女子更衣室はさながらトドのハーレムだ
中でもひときわお尻の大きな婦人が
衣服や文庫本が乱雑に詰め込まれたわたしのロッカーをちらりと見て
「まあひどい」と朗らかな笑声で言い放つ
そして脱皮の如く制服を床へ脱ぎ落とすと婦人は首を振りながら呟いた
「わたし小説家の嫁にはなりたくないわ」
「わたしも嫌ですねえ」
後輩のわたしは続く
「いつの日か認められるに違いないわなんて酒浸りのヒモ男を延々養い続ける根性ないもの」
「それは面倒ですねえ」
婦人のほんのり赤みがかった頬は馥郁たる香気を放ち
そばに寄るとほとばしる若さが目にしみてならない
しかしそのふくよかな唇から零れ落ちる言葉は
覗き見していた老警備員をむせ込ませてしまうほど酸っぱいものだった
「独りもんじゃないんだからいい加減落ち着きなさいよって説き伏せてやるわねわたしなら」
たわわに実った乳房をゆっさゆっさと揺らしながら間に割って入ってきたのは
ルノアールの裸婦画を彷彿させるこれまた巨大な婦人だ
「それすごいですねえ」
「だって子供でもできてみなさいよ、しっかりしてくださいなこの子のためにもなんて大きなお腹をさすりながら泣くつもり?」
「ああ! 馬鹿馬鹿しいったらないわ」
「それこそ小説みたいですもんねえ」
「男は稼いでくれなきゃねえ」
「ええ本当」
「でもそんな細い腰じゃだめね」
「へ?」
「育たないわ」
「ああ、子供ですか」
「恋がよ」
薄っぺらい胸がチクリと痛んだのは何故だろう
チャリンチャリンチャリン
わたしは着替えをするたび小銭を床にばらまくので
そのうち婦人たちの間でカーニバルと呼ばれるようになった
「おお。カーニバル! 今日はまた一段と派手ね」
毎度の如く申し訳ないなと思いながらもわたしは
足元の小銭を拾っている婦人たちの様子が『落穂拾い』に見えて
にへらと微笑まずにはいられないのだ
「ところでAさん、最近料理を始めたんだそうで」
「まあね、これといってすることもないから」
彼女らの燦然と輝く健やかな魂は
わたしという暗く湿った不毛地帯に
今日も惜しみなく注がれて


はばたきのうた

  ゆえづ


ネムが唄っているよ
ながい睫毛にファンキーピンクのマスカラを乗せ
南国の貝殻細工のように唄っている
クジャクの羽の耳飾りは
遥か楽園の風を織っていたね


さみしがりのきみは小鳥の言葉で話した
舌の上でしゅるしゅると空気を束ね
土の匂いに喜ぶ猫みたいに

さようならしかないのに
なんでこんにちはしちゃうんだろう
わたしたち

とろんと微睡んだ夕陽は
地平線へ伸びやかに流れだす
見惚れていたぼくらは
ついばんだ木の実をうっかり落っことしてしまう


痩せた肩をひとり抱く夜は
まだ捨てきれない秘密を
ぶきっちょな毛布にくるんだ
みんなすっかり透けてしまう朝にも
目覚めたがらないきみとぼくで

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どんぐりあげるよ

文学極道

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