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2009年02月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


月の見えない夜に羊は消える

  ぱぱぱ・ららら

雲が満月でも何でもない月を
隠している隙に
世界中の羊は一匹残らず消える
 
ポール・オースターの小説に出てきそうな
私立探偵エディは
謎の男から依頼を受けて
ひつじを探すことになる
 
やーい、ひつじやーい。
と、言いながらエディは
深夜の渋谷のスクランブル交差点を探しまわる
 
ひつじ飼いのエディは仕事を無くし
自らのアイデンティティーを
探し求め旅に出る
 
アフリカにある名前の無い国に
たどり着いたエディは
自らの名前を落としてなくしてしまう
 
ひつじについての詩ばかり書いていた詩人のエディは
創作意欲を失い
言葉を忘れ
自分のことをひつじだと思い込むようになる
 
エディはひつじの消えた
牧場に入り
メー、メー、メー。
と鳴いている。
 
前世がひつ
じだった風俗嬢のエディはとても長い黒髪がとても
素敵でとても人気があったの
だけれど
 
 
エディのはたらいていたお店はほうりつか何
かにいはんしてい
て営業てい止になってしまいエディはふ
つうのOLへと戻ることになってしまう
 
むかしむかし、ひつじなんていうなまえの羊なんていなくて、ひつじかいなんかもいなくて、エディなんてなまえのにんげんもいなくて、それがよかったのかどうかはわからないけど羊は羊だった。
あるよる、羊のもとにエディとよばれるにんげんがやってきて、羊のことをひつじとよび、それがわるかったのかどうかはわからないけど、ひつじかいはひつじをかうようになった。


我儘なスイートピー その翻り加減

  はなび

blablabla…blablabla…

ちかごろの飲み屋の女の子の文句とかバブルの頃のエトセトラ
バカじゃないのあんた あんたが悪いって言ったら
すごく悲しそうな顔になって
そっか俺がいけないのかダメだなぁ…なんて言った
その言葉は私を泣かせた
とても乱暴な言葉を言ってしまって恥ずかしくなった
泣きたいのは俺のほうなんだぜと彼が言うので
私は本当に恥ずかしくなった

ゆうべその人と寝た理由は水中花になったような
気分にさせる時間の経過だったのだと思う

私は
パーティーでまあるいガラスの水槽にシャンパンを流し込み
そこに金魚を入れる様な類いのパフォーマンスがあるクラブで働いていて
ママとか他の常連のお客さん達はそういう事が好きだったし
なんだかそういう事で人が興奮したり癒されている景色は
店内の雰囲気にとてもよく似合っていた

私は
自転車でその店に通った
雨が降って濡れて帰ってもお店の熱気が体中からなかなか抜けてくれない
どんなに酔って帰っても眠る前に牛乳を沸かして飲んだ
ミルク臭い匂いがすると高校の時付き合ってた男に言われた

このところ激しい暴風雨が続いている

私は
タクシーで自転車と一緒に出勤した
自転車にはカゴがついているから普通車が迎えにきたらトランクのふたは開けっ放しにしないとならない
この嵐の中文句ひとつ言わないこの運転手変わった人だけどいい人なんだと思いチップをはずんだ
彼はチップを断った 私が若い女だという理由で

私は
親切だからと渡したチップを丁寧に断られた
親切の押し売りはよくないわと運転手に言ったからだと思う
タクシーは私の自転車をびしょぬれにしながらトランクのふたをふわんふわんさせて
都心の国道をまっすぐ進んでいた
運転手がずっと黙っているので私はラジオを聞き流していた
ラジオから聞こえる日本語はアジアの音声として耳元を通り過ぎた
どこか違う国にいるみたいだった 毎日ひどい嵐

高校生の時好きだった男の子に赤んぼうみたいな匂いがすると言われた
いつも寝る前にきちんとシャワーを浴びてあたたかいミルクを飲む
そうしないといつまでもお酒や話し声や笑い声が聞こえて眠れない

品のいい調度品とお金持ちだけど淋しい人達が集まって
小さな赤いおさかなの動きに見入っている
黄金の泡だけが水槽の中で生き続けてる

私は
どの水槽に生けれられた花なのか
あの人の顔は魚眼レンズで覗いたみたいに広がって真ん中になるほどとても近付いて見える
私はとても恥ずかしかった

「おまえは無知で恥知らずで責任がないからそういう事が言えるんだ」
そして彼はこんな事二度と俺の口から言わせないで欲しいと言った

私は
それまで知らない男になんか興味がなかった
一瞬だけ水槽から出られる気がした
とてもきれいなピアノの旋律が聞こえたから


だんぜつの雨

  ひろかわ文緒

ほのぐらく透きとおった、雨が
砂浜に転がった壜を撫で、壜の中の蟹は身じろぎひとつしないまま。わたしは
わたしの喉は叫ばない。を知っている、知ってはいたのだと耳に手をやる。右耳にはひとつ穴が空いていて、それは壁のない家のドアのように立ちつくすだけで意味のない、ない、熱が、ない。貫通する金属をかろうじて、あいしている。

鴉が

衛星に
わたしの空のまんなかに
蜜柑の木の枝先に
かすれた羽音とともにこぼれていく少しずつ、積もり、さかいめができる、風になぞられて、はっきりと断たれていくそっと、手を合わせる、僧が、また背を向けていく、何故わたしたちは、違うのかということを考えている、振り向きはしない背骨に手を伸ばそうと、する、だのに周到に用意された解答をあなたはただ述べればいいのよとただそれだけなのよとお母さんは、へその緒をちぎっている、何故、

とてもつめたいといった、しょうじょたちがもえさかるほのおのなかでつめたいと、てのこうをさすりあって、まったくつめたいと、くりかえして、かじかむ、けいたいでんわがふるえる、ぶるぶる、くろいぬのをかぶったろうじんは、ひめいとせいじゃくのひびくかいだんをころげおちながら、それでもじゅうようなみずをふところにかかえて、うみのむこうのなのはなのはたけのことや、こーひーまめをしゅうかくするしょうねんのこと、あたらしくえがかれるかいがのことをおもった、でんしゃにゆられるだんせいは、はんとしいじょう、すーつをきてしごとへむかう、ふりをする、かばんにはつまがつくったおべんとうをしのばせて、たいくつ、をかみころしている、あおいひとみのくろねこはだんぼうのきいたへやのまどぎわで、へいぜんとふるあめをみあげて、にゃー、と、ないた。

洗濯機がまわります。今日も快活に。
わたしからうまれなかった子どもは明日もぐんぐん伸びて健やかにふとることでしょう。やわらかい産毛を石けんに洗われることでしょう。わたしのなかの、うまれることのない子どもはたまに、癇癪をおこして濁った腹を蹴りあげます。そういうときは静かに血を吐いて、浴槽に体を折り畳むのです。うすいグレーを一心に見つめ、やがて。やがておさまるとわたしは浴槽から這い出し、瞼に紅を塗ります。かわいいね、と誰かが昔云ってくれたからたいせつ、なのです。


/きこえますか?


映像を、いつも待って、今も、待っているのだよ、そして君の。電話線よりも
ふぞろいの、波。波音だけがひびく、海岸で足跡ははるか遠くに忘れてきて、
しまって、いるのだよ、蟹が身じろぎひとつしないのはもう、あきらめてしま
っているからであると、雨はずっと壜を叩いて、いるのだよ、だから。


//きこえますか?


望遠鏡はぼやけて、何ひとつ映さないから、視力を。
夜、には虹彩の膜を破って、おはようを。
きこえて/いるでしょう?
途切れていく花。花、花にひかりを。
うまれる子どもに、まあたらしい
、歓声を。


詩人

  ぱぱぱ・ららら

「僕は詩人だ!」
深い崖の下で叫び泣いた
僕は
確かに僕だったと思う
 
波がきて
波が去る
その繰り返しが時間なら
僕であったはずの
僕は
退屈さの中で
死んでしまった
 
石ころだっていつか死ぬ
その頃には
ヨークシャテリアだって
哲学的問題を解き始める
 
「僕は詩人だ!」
って沈んでしまった太陽の光の
ように泣いたって
明日は仕事さ
 
むかし、詩人だった君は
白い月の下
イタリア製の高級スーツに身を包む
 
Xー700を冬の海に持って行き
世界を切り取る僕は
やっぱり詩人なのかな?
周りは
愛無き愛の物語
 
「助けてよ」
と言ったのは誰?
海を潜り、水難救助した僕に
待っていたのは部屋
に一つの死体
 
『鏡の街』
 
第一編・詩は死を呼ぶ
 
僕は探偵だ
だから依頼を受けて
事件を解決した
報酬を貰い家に買えると
死体が転がっていた
僕の彼女だ
死体は言った
これは報復なのよ
誰かを救えば
誰かが死ぬの
生命には限度があるの
人が増えれば
木々は死ぬ
僕は尋ねる
何で君が殺されなきゃいけなかったの?
犯人に聞けばわかるわ
 
第二編・センチメンタルに走る僕は非詩人
 
 豚丼を食べている僕は、間接的に豚を殺している訳で、彼女が殺されたからって、犯人を責めることは出来ない気がして、僕は時計を左回りにまわす。
 すると、海が見えてくる。寒い、どうやら冬のようだ。太陽は山の裏に沈んでしまい、橙色の光が山の裏から少しだけ、紫色した空を照している。波が来る。そして去る。波の音、久しぶりに自然の音を聞いた気がする。僕の隣には彼女がいる。彼女の隣には僕がいる。僕の隣には彼女がいる。それだけ。
 
第三編・わたしは貝になりたい?
 
 僕の隣には犯人がいる。
 僕は僕のじゃないみたいな、僕の口を機能させる。
 
あなたが殺したの?
そうだよ
どうしてですか?
ねぇ君って、哲学って信じる
信じるます
好きな哲学者は?
ニーチェ、ドゥルーズとか
それじゃダメだ、そもそも君は哲学についてどれくらい理解しているんだ? 哲学を哲学して、それでも君は哲学を信じるって言ってるのかい? 詩はどうだい?
詩も好きですよ。というか、僕はあなたに彼女を殺されるまで詩人のつもりでした。
でも君は詩人じゃない。
その通りです。僕は詩人じゃない。僕が書いてたのは詩なんかじゃなかった。もっと別の落書きとか、そういうものです。
わたしは詩が嫌いだ。詩は卑怯だ。いつも大事な局面では現れやしない。なぜアウシュビッツには詩人がいないのか、なぜネイティブアメリカンには詩人がいないのか、なぜアイヌには詩人がいないのか、君は答えられるかい? 答えられないなら、詩なんて書くべきじゃない。そうだろ?
そうかもしれません。ところで、あなたはゴダールの映画を観たことがありますか? 彼の映画にその事について言及しているものがあります。あなたは観たことがありますか?
さあ、どうかな忘れてしまった。本当に。言い訳じゃなく、わたしは記憶というものを持っていないんだ。
最近、チェ・ゲバラのアメリカ映画がやってるのは知ってるでしょう。二本あるそうです。二年前ぐらいかな、オリバー・ストーンがフィデル・カストロにインタビューしてドキュメン映画があります。でもそれはアメリカでは上映禁止になったそうです。これについてもっと考えてみるべきじゃないですか?
ちょっと待ちたまえよ、君は何が言いたいんだい?
僕が何を言ってるか分かったとしたら、それは僕の表現が下手だったという事だ。これはグリーンスパンの言葉です。彼は詩人でも哲学者でもない。経済学者です。でもこの言葉って詩だと思いませんか?
ちょっと待て。もはや詩なんてものは存在しない。現代詩ってやつを読んだことがあるだろう? あんなのがもう何十年も続いてるんだ。もう詩なんて存在しないだろ。わたしだって昔は詩を信じてたさ。だがヒッピーがただの金持ちの大学生の集まりだったのと同じことさ。ねぇ君は家畜の動物たちについてどう思う? ただ食べられる為にだけ、生まれ、生かされ、殺される。君が今持ってる缶コーヒーを作る為に一体どれだけのアフリカ人が搾取されてるかのか? これが世界なら、君が詩人だと言うのなら、これが詩の作り出した世界なのかい?
あなたは詩を深く考えすぎですよ。詩なんて無力なもので、詩で何かが変わるわけでも無いし、詩を誰かに伝えようなんて気もない、誰も。ねぇ、最近あまりにも批評家が増えていると思いません? しかも、すごく偉そうなんだ。たとえどんなにひどい詩だって、どんなに素晴らしい批評よりは讃えられるべきだと思わないです? ねぇ、詩っていつからただの文学的技術論になったの? 詩だけがただ唯一の、人に創れるものじゃ無かったのですか? 詩が世界を救える、詩が貧困をなくす、詩が人生の闇に光を照らす、そう考えちゃうのは、やっぱり僕が詩人じゃないからですか?


(無題)

  一条



2月には雨の降るように、その少女の、赤いカーネーションは炎に、
詩人たちが、きりもなく例にもちだすこのテーブルの形状、車椅子、
布切れの片隅に記された、無限回の演算、 8番のバスの路線に沿って
、あかりがいっせいに消えるとき、赤/青のセロファン、右上のノン
ブルに、ケツの穴に、さあ指を入れてごらん、この詩に書かれている
物乞いが訪れる時間だ、



 Q.またぞろ詩を書くのは、御免だよ
 A.ないと思うよ、うん、ないな
 Q.君、すぐ赤面するほうですか
 A.畜生!……あいつら、あいつら……、
 Q.私なの、これは?
 A.まったく、なにか知りたいんだ



押しつぶされた、こえは、いつまでも、平行的な文彩が、互いに結び
合う意味を、少女は、追いかける、ことばは、よその家のあかりに、
照らされ、いっせいにつき刺さる、ゆがんだ音、のきれはし、正しい
筆づかいで、そして、ちいさく映る、馬車の中の、フィルムに焼き付
いた、乱脈のくびきに、すみれ色の刺が、クレジットされた日付の先
に進むことのない行き止まりの、光を



 Q.今夜もおあずけかしら
 A.退屈なんだもの
 Q.人でなしになるのが怖くないの
 A.君、嘘じゃないってば
 Q.ここの大家はいないの?
 A.みんなキューバ人さ




わたしは、バイクをかっぱらった、好きなときに運転できるように座
席はむきだしにされ、陽射しのなかに立ちつくし、オレンジ色の皮膚
、好んで語るのもひとつのやり方かもしれないがね、と医者は言った
、空港の建物の向こうに病院が見えた、夜明け間近、ふくれ魚に含ま
れた毒を、青たんに塗って、脳なし親の群れが、なにが欲しいかなん
てわからない、目がひきつって、頭のまわりの霧が、ついに、サル食
いの網をほどき、そしてそいつは立ち上がると、ちっちゃな、ほとん
ど荒唐無稽な怒りを、赤毛の男(にぶつけ、)(少女は、売春で暮ら
してはいないよね?)夕食を共にする間、長い銃を持って、わたしは
、およそこんな具合にしゃべり、働いているのかと訊かれると、いっ
しょに薬屋へ行きましょう、と答えた、ハトの死体が保存され、星は
炸裂して、ねずみ講のように増殖して、骨のぶっちがいが、あきれる
くらい長く伸ばされ、バザールで踊って、わたしは懐中電灯を駆け抜
けた、Z医師は、黒いろのポリ袋に、せっせと詰め込んで、スピード
違反とカルテにカイテ、ヨタ歩くデブを尻目に、わたしは口をきかな
かった、



時計を見る必要もなく、今が0時だとわかった、ぼくは、死体置き場
に行って、死体を見た、少女の死体が、ぼくに、永遠ってことばは、
ケツをなすりつけてうまれたのよ小便するのと同じね、って教えた、
理由はわからない、兵役を終えた脱獄黒ん歩が、自分がつめられたポ
リ袋を持ち上げた、もはや自由じゃなかった、石の塀にもたれ、黒ん
歩は、パンツをおろしたまま、誰かに尻尾を舐めて欲しかった、ぼく
は、新聞紙のきれはし、子供がひとり、もうやるべき仕事なんてなか
ったから、金持ちのいるところへ、あるいは洞窟へ


 これからが冒険だ
 しかしながら、  胃と腸がぼろぼろになるまで吐いて
 人間のすべてを
 まるで愛しているみたいに
  
  旅とEnzymes



   でないと、
     ただのおしゃべりになってしまう


マリエロの海

  ミドリ


牛乳ベースのスープにレチェが入った鍋に 
菜箸でつまんだカモノハシを一切れずつ入れる

黒いショールを纏い
髪をぞんざいにまとめたデニムのパンツに皮のブーツの女が
カモノハシに続いて鍋の底へ右足から入っていく

女が鍋の中で肩を震わせ
さめざめと泣いた後 鍋は十分に沸騰し
カモノハシも中までじっくりと煮込まれた

鍋底には
アスファルトで舗装されたばかりの幹線道路が一本通り
グァバ菓子工場へと木箱を作りに行く女の子たちが
郊外へ向かうバスに乗り込んで行く

<それはきっかりと 朝の7時半のことだ>

マリエロの港に
十数名ほどの密出国者のグループが居ると言うので
早朝からぼくらは見に行った
彼らは小さな漁船に乗り込み
かしぐ波間で
祖国に残していく家族や親類や友人たちと手を取り合い
熱く抱擁を交わし
涙を流している

カモノハシとぼくは
波打ち際のテトラポットの縁に腰を掛け
ポテトチップスをゆび先で摘みながら
ハンカチをギュッと握りしめ
そいつを見ていた

その日も
夕刻に近づき
マリエロの繁華街に立ついつもの娼婦たちが 
畑帰りの農夫のニンジンやジャガイモを握りしめ
「遊んでイカナイ?」などと耳元で甘く囁き巡る時間に

牛乳ベースのスープにレチェが入った鍋は
香ばしい薫りをさらにたて
グツグツと煮込まれていく

カモノハシとぼくとが
交互に鍋の蓋を開けて仕上がり具合をみると
わっと湯気がキノコ雲のように広がり
キッチンから見える西の空が茜色に染まる
守るべきものと 愛するべきもの全てを
一望のもとに眺めることができた

<女は煮えきったカモノハシの肉を 菜箸の先っちょでまだ執拗につついている>

ぼくはそいつを眺めながら
葉巻に火を灯し
茜色に染まった西の空の意味について
カモノハシと語り合っている

牛乳ベースのスープにレチェの入った女の手料理が
このマリエロの海のように
全てを穏やかに 受け止めるわけではないことについて


恋歌連祷 11(仮題) 

  鈴屋

そしてすべてが黒い

恋人よ いまあなたはこの世界の人である 2007年9月
東京 立川市曙町の舗道であなたはケイタイを耳にあててい
る あなたの唇の端から笑みが広がり手をふる プラタナス
の葉がいっせいに翻る そしてすべてが黒い 河だけが光っ
ている 恋人よ いまあなたはこの世界の人である 曙町の
アパートの三階の窓からあなたが呼ぶ 笑顔が翳る 河だけ
が光っている かぼちゃのスープおいしい? わたしは肯く
スプーンの手を休め わたしはわたしのあなたへの愛につい
て説明する あなたは指先のマニキュアを見つめながら頬笑
んでいる ルージュが伸び縮みする 鉄橋を電車が通過する
そしてすべてが黒い 河だけが光っている 立川市曙町の舗
石の隙間に一本の螺旋形にねじれた草が生えている 岡野歯
科クリニックの前であなたのヒールの尖り具合についてから
かう あなたはわたしの脛を蹴るまねをする わたしたちだ
けが笑っている 恋人よ いまあなたはこの世界の人である
アパートの三階の窓からあなたがわたしを見送っている 恋
人よ わたしはいぶかる あなたの顔が指に見える 指紋が
渦巻き そしてすべてが黒い

曙町は普通だ
河だけが光っている


暁の、flims

  DNA

陥没した緑の層 その淵へと
   菌糸のたぐいの 声、上げ ている
翻って
(朝の驟雨 
 夜光虫の群れの、鉄の赤錆を舐め



放たれた熱、少女は接触ガラスをその 黒い瞳
に植えつけ 畑のヨコで 滲んだ白い煙をハミ、
乱れ舞っている 

(隣接する鈍色の 木簡に 一昨日、螺旋をくだっていった少年の日録が記されていた

「結露区にて月、
   光の 三拍子になるまえに
  帰路を急ぎます」



調律を回復せよ



「暁の、真理値 
   薄らいだ空き箱に
     絶対主体の振幅 とその欠片を
   正確に 写しいれてください」



フロンティアはきみの 背中の後ろ側にいつまでも開けており 辿ってきた
土地の、たとえば野生の猫とマムシの、真昼の決闘が森林公園の側溝で目撃
された翌日から きみの 背中の後ろ側にいつまでも開けており 一歩ずつ
歩をすすめていくというのは最初から獲得されるはずのない誤謬なのだ あ
たらしい挨拶のかたちは 空気孔のあちこちにあいたぼくたちのからだのほ
うから流れ出していく



谷と谷のあいだの瓦礫その 底辺でゆっくりと少年は切断面を探索している 
計測器は微細な菌糸にハミ 侵されてはいるが 一面の銀色に熟れた建築群
を暁の、野良犬たちが端から舐め尽くし 煙のなかに生息する少女の吐き出
した唾が ぼくたちのうすい月 の光に照らしだされビヨオン、ビヨーン落 下。



「地下の     空洞にて
     狂い だした
   真空計測器
       の
    いま  絶 叫
       が
   鳴っている」         


六月の景色

  がれき



景色が象の背中をして落ちてくる
日の単色
常緑樹の呼吸をまるめ込み
おおかみ少年の天層の下 置き傘の雨は
見えない水車を集めつつふる

数えだすなら 堆積を続ける
庭に映された鷺とその足跡と爪
のもたらす 二年はずれた夏の午後
ごむ質にかかわらず剥離され
永続される雲 それに間隙

いることはつらい
橋のスロープにつらなるのは辛い
雨と背中をこすりながら そして
感傷に盛られた食欲に手を置き
歯から背中 胸から首にかけて耳をすます

少女の鼻のその高さに構築されて
空はまるごと酸素をのむ その記憶も構成されて
食道の粘膜に落ちる
その音が聞き取れず 景色は象の目をして
なわとびの弛緩の中にしゃがみ込む

どこかで谷に集まる母音
そこに水車がじゅうりんして
椿の指や 孔雀さえ
裂けたならば
ただれるものなら

いつか日が顕われ今度はそらに
せり上がる むしろ
光は色を象に託し 背後にずれると
鎮まった傘の下からも 皮膚の
よりふかい雑木のこだまからも癒着した


愛と歩いて、町を行く

  一条


ボストンの二階でコーヒーを飲む。見たこともないチャリんこが商店街を通り抜ける。シネ五ビルで外国映画を観る。大阪湾で吊り上げられた猫の名前はクリス、かれは夏に向かって歩いている。ゲームは、途中で、投げ出さずに、最後まで、根気よく、プレイしたい。高円寺のうどん屋で働いているインド人のアニルと店が終わったあと、焼き鳥ルーレットで遊ぶ。チューリップが開いてカワを渡る。スーパーは妻たちでごった返している。コンビニで買ってきたおもちゃの鉄砲を発砲する。夜行バスに乗って大阪に帰りたい。ヨシミちゃんが阿波を踊っている。今日も金がよく回ってハメ撮りされて中出しされてから顔射される。マンホールの蓋を開けてヨシミちゃんは何もかも落としている。商店街のアーケードが途切れる。ボストンの二階でコーヒーを飲む。白昼堂々と移動する。味方の戦車が作業員が遊園地が札束が夏草が。ランチを食べ終わった栗栖はアンケートに素っ気なく答える。電気的な棒がいっぽん喉に引っ掛かって庭に花が咲いている。駅から五分の距離を海の天辺から見上げている。栗栖はその金でペンダントを買って家族旅行に出かける。もう二度と帰らない。雨が降っている、チューリッヒはすぐに電話をかけ直すと言って駅前のデートクラブに行ってカヒミ・カリィを指名する。ガス爆発の匂いがする。ニールはネクタイを巻かれて西荻窪に浮かんでいる。今日もよく回って最後まで投げ出さずにプレイしている。



* タイトルは豊田道倫の同名曲から。
* http://jp.youtube.com/watch?v=MR82RsL1l5E


ままごと

  古月

 /始めに線を引きます

「ここはおだいどころ
「ここはわたしのへや
「ここはげんかんね

思いつきのような約束事を
ひとつ ひとつ 確認していくと
なんだか不思議とそう思えてくる

 /同じことを何度も繰り返して

小さなテーブルを二人で囲んで
ひとり ひとり どこか遠くを見て
お互いに違う夢を見ている

 /ふたりで同じ嘘をつく

泥をこねてお皿の上に盛り付けて
口に運ぶまねをして美味しいねと笑う
君から見えないようにそっと捨てる

「あなた いってらっしゃい
「はやく かえってきてね
「こんやは あなたのすきな たまごやきよ

僕は手を振る君に背を向けたまま
ポケットから一つ飴玉を取り出して
口に含む 甘い

君はたいへんたいへんと呟きながら
お洗濯をしたり 掃除機をかけたり
お人形さんにおっぱいをあげたりして

 /たぶんそれは欠落した、君の

舌の上で転がす飴玉はいつまでも溶けずにいて
僕にはそれがずっと気がかりだったはずなのに
気がつけばざらついた舌の感触だけが残っている

「ばいばい
「またあしたあそぼうね
「ばいばい

 /どこまでも続かない、日常の風景

いつの間にか生まれていた僕と君の子供は砂場の片隅に埋もれていて
明日にはきっともう名前さえ思い出せない

もしかしたら名前なんて 最初からなかったのかもしれない

 /そんな遊びです


街灯が途切れたさきには

  犀樹西人


とぼとぼと歩いていた
いとしい人の帰りを待
ちくたびれた夜に、ひ
とつふたつみっつ、ひ
とり、街灯をかぞえて

ジーンズの右ポケット
小銭と部屋の鍵が、規
則的に音をたてている
よっついつつむっつ、
足音が、リズムをとる

うたをうたう人は、愛
を叫び、それをきく人
もまた愛を想う、なな
つやっつここのつ、街
灯が途切れたさきには

とお、街灯が途切れた
さきに、そこにうたは
ない、愛を叫ぶ人もい
ない、私だけがただ、
とぼとぼと歩いている


 


鶏頭

  ゆえづ

ゆらゆらと灼けたタイルテラスで
靴底を鳴らし踊るきみは
場違いなジーン・ケリーだったけれど
その耳にはぼくの声すら届かない程
空っぽなメロディが響いている
だってほら吸い込まれそうに遠い

たんたたんたん

脳みそのヒダにこびり付いた昨日を
皮膚へきっちりと縫い合わせ
ぼくは日に日に折れ曲がる
赤いサイレンが耳鳴りのように唸り
溶けだした太陽は暗く笑う

たん

ベルベットの風を纏ったフリルスカートが
8の字を描いてスイングする
糸の切れた凧のように舞いながら
息の上がったきみの頬で
柔らかに光っている金色の産毛
指先が撫で上げる午後には
口を大きく開けたまま
野ざらしの内臓が
花壇一面に張り付いている

陽炎が手招きをする
きみはもう死んでいるのに
たたたん
鮮やかなダンス

いくつものダンス


「 トカゲの日。 」

  PULL.



一。

 トカゲの日には皮を被る。皮は前の晩から窓際に吊し風を通し、皺を伸ばしておく。ただの革ならまだしもこの皮は生きた皮なので、扱いにはいつも神経を使う。一度ヒトガタの方に吹き出物ができて困ったことがあるが、その時はトカゲの皮の方にも影響が出て、半年間トカゲの日は吹き出物だらけの皮を被ることになった。


二。

 皮を被る前の晩はヒトガタを解き、裸で眠る。トカゲの日はヒトガタの時とは違い、服は身に付けない。
 トカゲの皮だけで出歩き、過ごす。
 だから皮にはヒトガタの時に身に付けた服や下着の跡、それにヒトガタそのものの跡が出る。夫はそんなもの誰も見ていないし気にしていないと笑うが、やはりいくつになっても女である。身嗜みには気を付けておきたい。


三。

 夫が、わたしを求めてくるのはこんな夜だ。さっき誰も見ない気にしないと言っていた舌と同じ、ざらざらとした舌で、執拗にヒトガタの跡を舐め、歯形を付けようとする。わたしはやめてと言うが、夫は構わず、皮の上から跡が出そうな所ばかりきつく、噛む。わたしは身を捩り夫の歯から逃れようとするが、そうすればするほど夫の力は強くなり、強くなればなるほどわたしは身を捩りさらに強く、夫の歯を求めたくなる。
 夫の歯が、わたしを破る、わたしはかたちを忘れずぶずぶと、夫に破られて、ゆく。


五。

 子供は三人卵で生まれ、末の子だけがひとり、ヒトガタで生まれた。卵で生まれた三人はわたしには似ず、育つにつれより、夫に似たものになった。夫に似た子供たちは上から順に巣立ち、それぞれ夫に似たものたちと平凡な、家庭を持った。
 最後にヒトガタで生まれた末の子が残った。
 末の子は上の三人とは違いなかなかかたちが定まらず、苦労した。トカゲの皮を嫌がり、眼を離せばすぐにヒトガタを解き、あいだのものになろうとした。わたしは根気強く、末の子にこの世のことわりや、わたしたちの在るべきかたちについて諭した。時にはお互い声を荒げ、時にはお互い手さえ上げそうになったが、最後には親として子として、何より同じものとして、解り合えたと今では思っている。
 そんな末の子ももうすぐここを出て、自分の家庭を持つことになった。先週連れてきた相手は、わたしや末の子と同じ、似たものたちだった。
 明日は末の子たちと一緒に、トカゲの皮を被り、沼にゆく。


六。

 沼で何をしているのかと訊かれたことがある。
 末の子が生まれてすぐの頃だ。むずかる末の子に乳をやっていると後ろで声がして、そう訊かれた。ねばっこい、はじめて聞く感じの夫の声だった。
 わたしは何もと答え、夫はそうかと言った。
 しばらくしてふり返ると夫の姿はなく、翌朝いつものように出掛けたきり、帰ってこなかった。
 一週間後、ふとふり返るとそこに、夫がいた。一週間前と何も変わらず、まるでそこでずっとそうしていたように、夫はいて、末の子に乳をやるわたしを見ていた。
 あれから四半世紀経つが夫はあの日以来一度も、それについて訊いてこない。はじめは不思議でしかたがなかったが、段々、そういうものなのだろうと思うようになった。
 今日も夫は何も訊かず、トカゲの皮を被るわたしのかたちをじっと見ている。わたしは気付かないふりをしてトカゲの、皮を被る。ぴんと張った皮の上に、夕べの歯形の跡が浮き上がる。見られている。ざらざらとする。皮の下がざらざらと、する。


七。

 出掛けに夫が尻尾を踏もうとするが、いつも上手くいかない。わたしは尻尾の先で軽く夫の足を撫で、扉を閉める。扉の向こうで細く、また帰ってきてくれよという声がした気がする。わたしは尻尾でバランスを取りながら沼に向かって、駈けていた。沼への道は似たものたちで溢れかえっていて、トカゲ臭い。隣に末の子たちがいる。わたしたちは鱗を擦れ合わせ沼へ向かっていっしんに、流れて、ゆく。




           了。


カセット(4:06+∞)

  丸山雅史

僕達はMaroon 5、「Sunday Morning」の歌詞の「彼女」に決して近付けない。彼女は尊い存在で、歌い手と一緒に雲の上を限りなく続く夕暮れの空に向かっていつまでもドライヴしている。
僕の漠然とした「Sunday Morning」の聴後感。思わず瞼を閉じたくなるようなこの夜の沖縄の波音。詩投稿サイト、「文学極道」の2008年2月の月間優良作品、「次点佳作」に選ばれた「はじめ」という人間の「サンデーモーニング」という詩。収まらぬ興奮から、君から借りた時代遅れのカセットを何度も巻き戻し「Sunday Morning」を聴き、諸々に散った意識の行く先を心配している空虚な日々の隙間にある曇りの日と晴天の日。
君の父親はCD屋を営んでいて、海岸沿いの国道をオープンカーで疾走する妄想を君に話すと、「『サンデーモーニング』の影響を受けたのね」と棚卸しをしながら笑った。空は黒雲に覆われて雨が降り注ぎ、僕の妄想は溶けてしまった。雷が鳴る中僕は家路を急ぎ、オープンカーにひっかけられた泥水を自宅のシャワーで洗い流すと、再び「Sunday Morning」を流し、鏡の前でまだ暗唱できていない箇所を「エアボ」で誤魔化した。
数日間、雷雨が続いた。その間、僕は今にも擦り切れそうなテープの黒粉を肺に取り込みカセットの角を囓り、それを瓶に詰めて、異界へ通づる海へ流す妄想を2、3度した。キーボードを叩く僕は本当は沖縄なんかにいなくて、「Sunday Morning」を聴きながら懸命に頭を捻って詩作に励んでいる「はじめ」という人間なのかもしれない。彼は何処にいるのだろう? 「此処」にいるのだろうか? その見境が無くなると、時に混乱し、時に素晴らしい発想が生まれたりするものだ。夜深くクラブで歌い続ける流行歌。君。僕の手から離れてしまった君。僕は「Sunday Morning」のAメロよりもサビを熱唱し、休み休みに詩を書き続ける。
他人の詩を拝借し、「サンデーモーニング」を朗読したものを「Sunday Morning」の後に入れる。自分で朗読した詩を聴くのは面白いものだ。ほんの微かな罪悪感で心が塗ったくられる。オープンカーのオーディオの中で熱を持ち、朗読で満たされたカセットは空までも茜色で埋め尽くしそうで、物凄い速さで空を這う雷雲は壮大な鼓膜の世界のオープニングを盛り上げる。長いスパンだけれど、生涯忘れそうになさそうな12ヶ月常夏の恋。
君は東京で頑張っているだろうか。沖縄の大学院を出て、就職が無く、都内のコンビニでバイトを始めたとまでは噂で聞いたけど、暗闇の中の無数の光の中の一つを掬い上げてそれを空に浮かべ、日曜日の朝ぐらいはゆっくりしてくれ、と願う。僕と逢ってくれ。僕の妄想で微笑んでくれ。「Sunday Morning」のサビの間だけ、僕とオープンカーに一緒に乗ってくれ。「暮れ」、くれ。下さい。
あのカセットは君への想いで一杯になった。また今度、贈るよ。そしたら、君が歌って塗ったくられた「Sunday Morning」と「サンデーモーニング」、無理なら、片方だけでもいいから、送り返してくれよ。それはきっと僕のお守りになって、テープを引き伸ばして首から掛けていてもいいし、お互い大嫌いなメールの代わりに今度はもっと想いを込めて歌うから……さ。
君の街から届いた、角が欠け、つるつるのテープのカセットからは君の髪の毛の匂いがした。君の街から届いた、角が欠け、つるつるのテープのカセットからは君の髪の毛の匂いがした。


リリーフ

  れつら


ぼくはもう駄目だからあとは頼んだ。このゲームがいつまで続くのかはわからないけど、行けるとこまで行ってくれ、投げたくなったら投げればいい。一度降りたら戻れないのは分かってるし、それなのに君に任せるっていうのもなんだか無責任に思うかもしれないけれども、いいかい、責任は生まれるものだからね、ぼくや君がどう感じていようがそれは問題じゃないんだ。ほら、ごらん。魔物がいるよ。手を振っている。楽器を吹き鳴らしている。手を振り返してあげな。彼らはゲームから降りたんだ。うらやましいんだよ、君が。

たぶん、そろそろ最終電車が出る。ここから出て行く奴もいるだろう。君も帰りたいかもしれない、申し訳ない。どこへ帰るのかはぼくは知らないが、随分いいところなんだろうね、目を見ればわかるよ、少なくともここよりは。切符はあるのかい、あるね、君のポケットの中に、いつでも仕舞ってある。失くしてないかな、気になるだろうけれど、今は確かめないほうがいい。砂埃で汚れてしまう。汚れたら受け取ってくれないよ、皆気にするんだ、そういうのを意外と。

サインを決めよう。指一本で真っ直ぐ、二本で曲がる、三本と四本は使わない、五本でもう勘弁してくれ、これだ。遠くになるから分かるように高く、高く上げてくれ。それでも見えるかどうかは分からないが、手を高く上げたら肩から脇にかけてのストレッチにもなるから気にするな。急にあげるんじゃないよ、ゆっくり時間をかけて、でも決めたらもう変えるな。どうせ君が決めたことだ、色々言うやつはいるだろうがサインは3つだからたかが66.6パーセントだ、3割打てば上等なんだから分の悪い話じゃない。とにかく、高く、高く上げる。頼んだぜ。

今まで一度も言ったことがなかったと思うけど、君の球は魅力的だ。思わず抱きしめたいくらいに美しい。だからきっと受け止めてくれると思うよ、彼は、どこへ行っても。好きなほうを向いて投げればいい。君の仕事は向こうまで届ける、それだけだ。簡単に思えるだろう?けれど、それが時々すごく難しく感じられることもあるんだ。打ち返そうとしてくる奴が気になるかい?ぼくも気になった、けれども居るんだ、奴らは。いつもそこに居る。君の隣にいつも居るけれど、だが、よく考えてくれ。奴らも振ったり振らなかったりする。怖いんだ、風を切るのが、手もつけられない速さに身体が持っていかれて、空を泳ぐのが。ぼくだって怖かったさ、だから、ちゃんと受け止めてもらえるようにしておくんだぜ、高く、高くだ。

よく見てくれよ、ぼくはもう無理だ、腕がない。飛んでっちまったんだ、向こう側に。吹っ飛んだ腕はそのうち地面に落ちるだろう。砂埃で汚れて、壊死してしまっている。サインが出せないんだ、左手はグラブがあるから。グラブを外せばいいって?無茶言うなよ、球が受けられなくなるじゃないか。あんまりぼくの楽しみを奪ってくれるなよ。君の球は増えるんだ、何十個、何百個、何千、何万。手伝わないといけないからね、ぼくも、魔物になるんだ。球拾いをするから。サインを、頼んだぜ。上げられるところまででいい。高く、高く。


ヒヤシンス

  丸山雅史

 大学図書館の出窓で俯く私
 太陽の傾きに合わせて
 体を捻ってエネルギーを浴びる
 しかし太陽が沈むと
 どうしていいか分からなくなり
 1人貧しい環境で勉強している
 貴方を照らす蛍光灯を見つめている

 校庭で他の雑草と一緒に
 刈り取られそうになった時
 眼鏡を掛けた表情の暗い貴方に助けられて
 図書館の出窓に
 なけなしのお金で買ってくれた
 貴方にしては可愛らしい花瓶の中に私を
 入れて置いてくれた それが私の初恋の始まり

 毎日夜遅くまで図書館で勉強している貴方
 お腹を鳴らしては時々
 恥ずかしがり屋な私を見て
 分厚い六法全書をノートに書き写している
 
 ある日 あの ろくでもない人達が
 私の元にやって来て
 嘲笑しながら私の体をへし折って
 花瓶ごとゴミ箱に捨てられた
 激痛が走る体に耐えながら
 悲しみに暮れながら
 太陽の沈む黄昏の街並みの光をずっと見ていた

 やがて蛍光灯が灯り
 鬱気味の貴方が窶れた表情でやって来ると
 私が出窓にいないことに驚き
 図書館中を探し回った
 そしてようやく私をゴミ箱の底で見つけると
 割れた花瓶ごと持ち上げて
 構内を走り回り 1人残らず不慣れな尋問をして
 ついにあのろくでもない連中を探し出して
 今まで見たことのない憎悪を秘めた表情で
 罵倒し始めた
 彼らは一瞬間があった後
 へらへら笑いながら貴方の周りを囲み始め
 貴方の顔面を殴り飛ばした

 散々殴られ蹴られた後
 鼻から血を流し 体中に痣ができて
 罅が入り 眼鏡が割れた貴方は
 心配そうに見ている私に
 にこやかに笑い返して
 花瓶と共に貴方のアパートへ
 連れて行ってくれた

 セロテープでへし折れた私の体を固定して 
 直した花瓶に台所で水を入れてくれて
 段ボールの机の上に飾ってくれた
 言い表せられない感情が茎を締め付けて
 私は花瓶の縁をそっと転がって
 眼鏡を外して泣き腫らした顔で
 机の上に突っ伏して眠っている
 美しい貴方の頬にキスをした

 意識が戻り
 太陽が再び空に出てくる頃になると
 私は陽の光を浴びて
 温めの水を根から 千切れた道管を通して吸い上げた
 誰かに花弁に触れられて振り向かされると
 貴方はセロテープで修正した眼鏡を掛けて
 その奥の瞳が何故か潤んでいた
 どうしたの?
 という言葉すら発することのできない私は
 ただただ貴方を見つめ
 自分が花として生まれたことを
 心から後悔した
 
 意地悪な大家さんが最終通告をして出て行った後
 具合の悪そうな貴方が
 優しく私の花弁を撫でていううちに
 あまりの気持ちの良さにすっかり微睡みかけ
 忌まわしい記憶や悲しみ 苦しみの蠢く
 意識の届かない場所で 私は人間となり
 貴方と花畑をどこまでも駆け続ける夢をみた

 再び目を覚ますと
 貴方は夕暮れの真っ赤な逆光の中
 太いロープで首を吊って死んでいた
 段ボールの机の上には遺書が置いてあり
 其処には自殺した貴方の恋人に対する想いが綴られていた
 私はその眩しい光の中で
 影となっている貴方を見て
 傷口から初めて涙というものを流した

 数日間貴方は誰にも発見されず
 私の香りと貴方の死臭が
 まろやかに混ざり合って
 次生まれ変わる時には
 貴方の恋人になりたいと強く神様に願った
 隣人や大家の通報で警察官がやって来て
 蛍光灯を点けた瞬間
 意識が朦朧とする中 私は天井を見上げ
 其処に天国を見出し
 今 まさに
 命の炎が静かに燃え尽きようとしていた


枕返し

  右肩

 蓬莱橋までの散歩を終えて宿に帰りました。ちょうど夕飯の時刻になっています。給仕に現れた客室係は七十歳くらいのおばあさんでしたが、少し色褪せのある紺の着物をこざっぱりと着こなしていました。そして、私たちがあのやたらと長い木造の賃取り橋を往復してきたところだというと、夕刻の蓬莱橋に近づくものではない、とのこと。どうしてなんですか、と夫が笑いながら聞き返しましたら、彼女が鍋物の火の具合を見ながら言うには、「蓬莱橋は彼岸と繋がりますから、夕刻は色々とへんなものがついて来るじゃないですか。」
 私はそういう話が嫌いではないので、「橋の向こうはあの世なのですか?」と、話の先をせかすようにしますと、彼女は真顔で、
「あの世ではありませんよ。向こうも普通の土地です。何にもない普通の土地ですよ。あの世であるはずがありません。お客さんはおかしなことをおっしゃる。」そう言いますから、私もそれ以上何も話しませんでした。

 疲れていたので早めに床に就き、明かりを消し目をつむって眠りに入ろうとすると耳元でかすかな音がします。あまり小さな音なので、最初は気のせいだと思ったくらいです。でもどうしてもそれは現実の音なので不審に思って半身を起こしてみると、その音はもう聞こえません。外からも風の音一つなく、新月の静寂が部屋を包んでいます。それでいてもう一度枕に頭を載せると、ほんの少し、かすかにゴゴゴという唸るような音が耳に入ってくるのです。「起きてる?」と私は声が響かないように細心の注意を払って、声帯を震わせずに夫に話しかけました。「うん」というこれも微かな返事が聞こえたので、「枕から変な音がする」と言ってみました。眠りに入る前の時間をかき乱したくなかったので、その声も独り言のように妙にか細くなってそのまま消えました。「枕というものはね」と夫の声が返ります。やはり小声ながら父が子にするような、優しく包容力のある声でした。
 「枕というものはね、遠い場所の音を伝えるんだ。遠いからほんとうに小さな音だよ。ごとごといっているよね。これは石造りの建物が崩れる音なんだ。タクラマカン砂漠には千数百年前の隊商都市がいくつも廃墟になって放置されている。砂漠の真ん中に何本もの石柱が立って、ひび割れた日干し煉瓦の壁がいく棟も残っているんだ。それは千年以上の時間をじっとそのまま耐えてきているんだけど、今ようやく寿命が来たんだね。建物はみな時の流れを耐えた仲間だからさ、一つが崩れると、ああ、もういいんだってもう一つが崩れる。たくさんの建物が、鎖がつながるように、一つ一つ荘厳に崩れていくんだよ。崩れて砂に埋もれていく音が遠く遠くこの枕に繋がるんだね。」眠りに入ろうとする私の頭の中に、青空を背景にして大きな柱がスローモーションで倒れかかってきます。柱の上部には輪郭のぼやけた神像のレリーフが表情のわからない横顔を見せ、それもやがてゆっくりと砂塵に紛れてゆきます。一本の柱が倒れるとむこうがわの壁が崩れ、透明な太陽光の中で都市は徐々に美しい最後の時を迎えるのでした。

 翌朝目覚めると、私の枕がありません。探してみると部屋の障子を半分ほど開き、そこから廊下に這い出ようとして力尽きたように戸と柱に挟まれ倒れていました。朝食を給仕に来た若い娘が帰った後、夫にきのう砂漠の遺跡の話をしなかったか、と聞くと、
 「そんな話、してないじゃないか。そうじゃないだろ?」と言います。
 「君がアマゾン川の源流は泉じゃなくて、葉っぱから落ちる雨の雫が集まっているんだ、って話をしたんだよ。こんな夜にはその雫の落ちる音が聞こえるってさ。またなんだって昨日はそんなことを言い出したの?」

文学極道

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