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作品 - 20090119_632_3271p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


A Daydream of Jumpin' Jack

  午睡機械

 
 この気恥ずかしさをなんとかしたいと思った。
 あんたみたいなやつがうたわないから、あたしがうたってる。ア
イリーンはそう言った。でも、あんたがいまさらうたいだしたって、
あたしは静かにしてやんないからね。
 あたしはかつてとてもきれいな声をしていたと聞かされた。けれ
どあるときひどい風邪をひいて、それが治るとからからになってい
た。それでもポリープをとればきっと良くなるってお母さんは何度
も言った。お兄ちゃんはあんなにうたが上手なんだからって。
 でもそれはうそだと思う。たとえ声がきれいになったところで、
あたしは音痴だ。お兄ちゃんはよく言う。お前は思い込んでるだけ
だ、何でも練習だ。お兄ちゃんは音楽だけしかひとに認められなか
ったからがんばってきたって言う。っていうより、音楽やってるひ
とをとくに尊敬してたから、彼らに認められたいと思ってがんばっ
てたって。必要があったらひとはどんなことでも一生懸命になれる
し、うまくなっていけるって。たぶんほんとうだと思う。そしてあ
たしにはその必要がない。
 あたしがうたいだすことはない。だからアイリーンを見て、怖が
らなくてもいいのにと思った。でもアイリーンはテレビのなかにい
て、あたしは現実という物語の登場人物だからアイリーンと関わる
ことはないので、アイリーンがあたしを怖がるはずはなくて、あれ
はアイリーンの弟に言ってるだけだ。まだテレビ画面は弟の視点の
ままで、アイリーンをじっと見つめている。何よ。アイリーンは少
しひるんでそう言った。あんたは思い込んでるだけ。アイリーンは
お兄ちゃんと同じことを言う。視点が切り替わって、アイリーンか
ら見た弟が映る。やさしそうな弟は、きっと姉を傷つけまいとして
ことばを探している。アイリーンが怖がっているのは、きっとそう
でなければいけなくて、もしも怖がらなくなってしまったら、お姉
ちゃんのうたはだめになってしまうかも知れないと弟は思っている。
きっとそう思っている。弟は視線をうつむける。ここでカメラがま
た切り替わって、映し出されるのはだまって立っている姉と座って
いる弟。そして奥の扉が開く。
 なに、またこれ見てるの。智子が入ってくる。あたしは静かにう
なづく。りっちゃんも好きだねえ、私はこれ、なんか、気恥ずかし
くって。日本人てほら、こんなに、しゃべんないでしょ。はいこれ
りっちゃんの。智子は二人分のカップをテーブルに置きながらそう
言う。ありがと。あたしは画面から目を逸らさない。アイリーンは
言う。ジャック、あんた何か言ったらどうなの。そうだね、でも気
恥ずかしいから、家で見ちゃうんじゃないかな。あたしはそう答え
る。気恥ずかしくないのは、家で見なくたって済むじゃん? ジャ
ックは黙っている。智子はコーヒーに口づける。あっちち、家っつ
うか寮なんだけどさ、でもりっちゃんちょっと毒されてるね。アイ
リーンは言う。まあいいわ。
 出て行く後姿。切り返しショット。怖がらなくてもいいのに。そ
う言わなくて済んだことで、ジャックはすこしほっとしている。き
っと、ほっとしている。智子はすこし飲んでふうっと息をつく。も
うひとがんばりだわ。あたしは画面から目を逸らさない。ジャック
の静かに諦めたような横顔。その横顔に透明な紙をあてて輪郭をな
ぞりたいと思う。智子はつづける。明日までに間に合いそう。りっ
ちゃんもう出したんでしょ。さすがだよね。あたしはうなづく。ジ
ャックは遠くを見る。そのまま目を逸らさない。智子は思い出した
ように尋ねる。りっちゃん、あさってさあ、私の彼氏来るの覚えて
る? あたしはうなづく。画面が切り替わって、ジャックの視点に
なる。窓の外には田園風景がひろがっている。あたしは目を逸らさ
ない。だいじょうぶ、ちゃんと時間までに出かけるから。あたしは
目を逸らさずにそう言う。よかった、お願いね。智子は席を立つ。
だからね、怖がらなくてもいいんだよ。え? 何か言った? 智子
は冷蔵庫からチョコレートの袋を取り出したところで、画面のこち
ら側にいるあたしのほうを振り向く。
 
 

文学極道

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