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2009年01月分

月間優良作品 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


まるで魚のように(PCで見てください。)

  水瀬史樹

   きっと   がくふ   ほどに   そそぎ
それは   かぜの   とばす   あめは   いまあ
   くろく   くつに   ひびは   くずれ   さひに
あめは   そまり   ひたる   つきて   なまあ   うまり
   あかく   むねに   までは   はてて   くびに   いなな
ねいろ   かなで   しまう   さけび   しろい   わらい   いた
   どこへ   きえて   ひかり   たくて   やみと   おのの  と
あさは   ゆれて   つきの   あつめ   よるの   あすへ   いた 言う。
   あおく   うたい   なみだ   ながら   ほしと   はばた  と 
はねは   うみと   なみの   さがし   すなの   えがお   いた
   とおく   おどり   ことば   もとめ   ひびに   かがや
みちは   きみと   いまは   えがき   いつか   さえも
   せまく   ぼくで   ゆめを   もがき   ごおる 


ホーキンスさん

  一条

(1)

ホーキンスさんの顔はくしゃくしゃだった。ホーキンスさんをみているとこれくらいの年齢で人生を終わるのが楽ちんかもしれないと思った。外はまっ白になる一方で夕暮れになるとみんながそそくさと帰ってしまうこともしかたがないと思った。ホーキンスさんが眠りにおちるとあたしはアメリアを抱いて病室をあとにした。帰り道に厚手のコートが落ちていたらアメリアをほうりだしてあたしはたぶんそれを手にとってしまうような気がした

暴力団は水曜日になると決まった時間にやってきてあたしの家の近くでどんぱちをはじめた、あたしは人生のステップアップのために役に立つ資格をとろうとしてるんだけど、どんぱちが始まると勉強どころじゃなかった。それよりもあたしが言わなきゃいけないことは試験問題がじぜんにもれてたってこと。それはずいぶんとあとになってわかったことだけど、そのせいであたしの人生が台無しになったなんて嘘みたい


(2)

ホーキンスさんが病院でなくなってからあたしは毎日夢をみた。銃声がきこえて銃弾があたしの頭をかすめたり、銃声がきこえて銃弾があたしの頭をかすめたり、銃声がきこえて銃弾があたしの頭をかすめたり、銃声がきこえて銃弾があたしの頭をかすめたり、銃声がきこえて銃弾があたしの頭をかすめたりした。夢の中で起こることだってすこしくらいは現実になるのかしら、


(3)

アメリアは生まれたばかりの赤ちゃんだった。そしてアメリアはいまのあたしと同じ年齢になってそのころには午後三時にどこかへ出掛けるのがあたしたちのかずすくない日課でデパートの特売セールで購入した冷蔵庫が壊れた時に二時間くらい遅刻してやってきた修理工と結婚して生まれたのがアメリアでだけどもなんてことはなくてあたしは彼女にそのことは何度も説明した。だからといってあたしたちのあいだがぎくしゃくすることはなかった、

あたしがいくつかの届出をおこたったせいでアメリアにとっては不都合なことがつぎからつぎへと起きた。例えば彼女には本当の名前がなかったし、それであたしはアメリアと呼ぶことにしたんだけど、なんかの雑誌の表紙にのってたモデルの名前を借りたのだ。アメリアにそれを言うと、いつか返さなきゃ駄目なのって言ってたけど、アメリアに返すあてがあるのかはわからなかったし、ほとんど迷惑に思われるに違いない、どっちにしても。


(4)

ホーキンスさんの葬式が終わるとみんなはいちように退屈な顔で帰っていった。水曜日に葬式をしたのがそもそもの間違いなのだ。あたしたちは暴力団のどんぱちが気になってホーキンスさんの生前に思いをはせるまでに至らなかった。自分が死んだときには自分がどんな棺おけにいれられるんだろうってそんなことばかり考えてた。あたしもよとアメリアが言って、知らない女の子があたしもよとあたしたちのうしろから言ったのが聞こえた


(5)

ホーキンスさんが暴力団と敵対していたことは全国ニュースにもなったし世界中の誰もが知っている。それが原因でホーキンスさんは命を落としたのだ。


(6)

冷蔵庫の中には瓶がいくつかあって瓶の中にはピクルスがあった。それは家族のだれかの大好物でピクルスが合いそうなおかずの時にはあたしもよく食べたりした。瓶がからっぽになるとそれを冷蔵庫の中にもどして、あたらしい瓶がはいりきらくなってはじめていつくかのからっぽの瓶を捨てて、それを年中くりかえしているから冷蔵庫の中にはいつも瓶があった。そして瓶の中にはいつもピクルスがあった。


(7)

けっきょく、試験には受からなかった。筆記試験は三回目に合格してそのあと七回つづけて口頭試験でうまくいかなかったから。あたしが出会った面接官は合計二人でそのうちの一人とは街で何度かすれ違って気安く挨拶なんかしてみたけど、だからといってそれだけじゃうまくいかないもの。そのとき、事実上あたしは人生をはんぶんあきらめた。人生のはんぶんがどこからどこまでか決めることはもっと複雑だけど、とにかくあたしは人生のはんぶんをあきらめることを決意した

あたしはしばらく泣きそべった。だれのハンカチかしらないけどそれで涙をふいた。


(8)

いわゆる遺産というものはだれの手にもはいらなかった。それはホーキンスさんの遺書にも書いていないし、あとから知った話でもなかったけど、だれもがそう思ったのだから本当なんだろう。

ホーキンスさんがなくなる前の日にあたしはアメリアをつれてホーキンスさんの病室を訪ねた。なんにんかの看護婦さんに囲まれてホーキンスさんはとても楽しそうだった。アメリアは大好きな詩を朗読してホーキンスさんにきかせ、そのときだけはみんなしずかにアメリアの声をきいた。


(9)

暴力団はどんぱちをやめなかった。
それでも暴力団はどんぱちをやめなかった。



(10)

あたしはアメリアを寝かしつけるとドレスに着替え、家を出た。暴力団がどんぱちをやっていて、あたしは暴力団の中にはいって、

あなたたちのおかげで街はまえよりもずっとしずかになりました、ありがとうございます、感謝をしているのです、あなたたちがホーキンスさんと敵対していたことも知っているのですよ、ご存知のようにホーキンスさんはなくなりました、だからといってあなたたちがどんぱちをやめる理由などないというのもわかっていますしそれどころか気のすむまでおやりなさいなんてほんきで思っているのです、あたしは人生のステップアップのために役に立つ資格試験に何度もおちた女ですから、そんなおんながあなたたちの目の前でたいそうなことを言えるなんて思ってなどいません、だけど、今日があたしの人生の最後の日になる予感がしたんです、だからこんな色のドレスをあたしは着てるのです、考えてもごらんなさい、こんな色のドレスを正気で着れる人なんてだれがいましょうか、だけどもあたしはほんとうに正気なのですよ嘘とお思いなら撃ってくださいな、あなたたちがいつもやってるようなふうにあたしを撃ってくださいな、なにをかくそう、あたしは正気なのです、ただ人生のステップアップに失敗して、いまはこんなすがたなのにあなたたちになにかを言おうとしてるのです


(11)

その日は朝になってアメリアが目を覚ますと家にはだれもいなかった。ほんとうにここにだれかいたのかしらとアメリアは思った。もういちど寝ようとしたけどうまくいかなかった。もういちど寝ようとしたけどやっぱりうまくいかなかった。アメリアの部屋にはだれもいなかった。アメリアは起きあがるとホーキンスさんがむかしくれた手紙をつくえから取り出してよみはじめた。それはお母さんが昨日くれた手紙とまったく同じないようだった。アメリアは読みおわるとバカみたいって言ってもういちど寝ようとした、こんどはうまくいって、けっきょくバカみたいなのは


(12)

あたしだった


夏の隙間で

  草笛


胡坐をかいて縁側に座る。
今日はずいぶん日射が痛い。

妻の注いだダージリンティーは
もうすっかりまどろみ、
体液に近い温度になっている。
カップを掴もうとする手の歪さが、ふと滲んで
私はすっかり困り果て、
フローリングの溝をなぞる。

 *

幼い頃だった。
父はよく折り鶴をつくり、
くちばしの尖った部分で私の頬をつついては、
面白がって笑った。
表情は思い出せないが
頬にあるえくぼの影が怖かったのを覚えている。
いつかそのくらやみに
飲み込まれるような気がしたからだ。

 *

日が暮れ
夕飯の時間になると、
何故か時々、
皺皺でぱさぱさに乾いた玉子焼きを
母と私に、父はふるまった。
やたら甘くて苦手なんだ
とは、
言えないまま食卓をかこんだ。
むしあつい静寂の中の団らん。
扇風機がどこともつかない方向をむいて、
ひとりでカラカラと
音を立てながら、踊っている。

夕飯後は決まって、
父とお風呂に入った。
くたびれた手のひらで乱暴に私の背中を流す。
 (きっと背中には
 (赤い痕が水溜まりのように
 (浮いているのだろう
湯船につかりながら、
横に置かれたタオルがまるで、
玉子焼きのようで
その度に甘い唾が口の中に広がって、
やはり私は、全く
玉子焼きが苦手だと思った。

暖かい夜風が、
夏をやわらかく切り取っている。
かざぐるま、の音の響く
まっくらな木々の葉、
一枚、一枚それぞれが
さやさやと揺れている下で、
蛍光色の外灯が明滅している。

視力を失った鳥たちが、
一斉に旋回を始め
夜の隙間に挟まっていく

 *

父と私は家の前の溝に並んで、
せんさいな紙縒をつまみ
ひゅう、と
ロウソクから火をうつす。
あかりが、灯る。
線香花火の橙の玉をつくること、
父は
それだけはとても上手だった。
息をひそめて、膝をだく。

 散らばる線/集まる点
 輪郭がふるえる
 水中に落とされていく種
 生まれる 祈り
 のような呼吸で
 繰り返し 産まれては
 消える

明けない夜はないのだと
息をひそめて、膝を抱く

 *

日が、かげってきたのだろうか。
父のえくぼの影のような、
暗がりが、うっすらと
辺りを包み始めている
もしかすると、それは

おい、
と、妻を呼ぶ。
はたはたと足音が近づく。
右隣に座った気配がして、
指をそっと、重ねる。
歪な指である。
薄荷を含んだような清涼な風が二度ほど、
通り過ぎていった。


 お茶、いれなおしましょうか

 ―ああ、


頷き、
強ばった頬を僅かに緩ませる。
遠ざかる、
顔のない妻。
色とりどりの折り鶴が
後ろをついていく。

ふと、
とびきり甘ったるい
父の玉子焼きの香りが
立ち上っているような
気がした、夏の隙間で
視力のない鳥が
旋回を繰り返している。


給水塔の上で

  鈴屋


住宅では繋がれた犬が叫んでいる 
畑では白菜とキャベツが腐っている
僕は職業をさがしにいかなければいけない
それだから歩いている
切れ切れに飛んでくる黒い煙の
来し方見れば
給水塔の上で女が焼けている
 
黄ばんだ空にムクドリがつぎつぎ刺さっていく
電柱とビルディングが反りかえる
アスファルトのひび割れが刻々と近づいてくる
台所の小窓を閉めたかどうか
ガスストーブを消したかどうか
「アナタノイッサイヲアイシテイマス」
出がけにテレビが言っていた
郵便受けには極彩色のチラシが溢れていた
僕は職業をさがしにいかなければいけない

こめかみの方角
給水塔の上で女が焼けている
道路では街路樹が捻れている
路上に点在している人々が
バサリバサリとすれちがう
太陽はうす汚い
月は透けている
ふいの梅の香は
心底身に余る
この世は単純だ
僕が終われば
風景はない
僕は息をしている
風景を愛している

給水塔の上で
女の黒焦げの四肢が虚空を掻きむしっている
そのかたちのまま固定される
白いビニール袋が路面を滑っていく
2トントラックに轢かれ
しかしなにごともなく滑っていく
燻ぶりつづける女の
真っ赤な内臓のことをしきりに考える
舌がかってに口の中で動き回る
唾を吐く
僕は職業をさがしにいかなければいけない
それだから歩いている


見出された室内

  午睡機械

 
 
 
こう書くのに何年か
 
かかった
「雨が降っていて洗濯物を干せなかった
ほんとうにかかったのだ
何年も
ベランダまで
 
観葉植物も 
渇かなければ飲めないから
 
振り返る動作に力は要らない
肩はそのまま見るべきところと聴くべきひとを向き
ただ
後ろ手に
 
終助詞
そしてまた書くのだ
「誰もいなくなった部屋の扉を閉め――
 
おいで ああ
 
何年か向こうから誰かの立ち去る靴音が聞こえる
 
そして
また
 
 
 


    冬

  吉井


    I

加湿器の湯気が床を這っていて 
倒れている妻の背中を濡らし 
気がつくと
埃のついた二階の窓から 
新年を祝う汽笛に耳をかたむけながら
生あくびをしている
ぼくの首を 
硝子に映ったぼくが見ている

    II

岬に抜ける農道に立って
日の出を見た
手鏡に乗った裸電球のように
軽い光球だ
家に戻ると
枠にビニール傘をぶら下げた浴室の窓から
精神病みの男が侵入していて
四枚組の風呂蓋の上で縮こまり
顔だけを切り抜いた恋人の写真を手形のように差し出すのだ


冬の散歩道

  ゆえづ

色づいてゆく君は愛らしい
柊の爪が乾いた風を奏でる頃
二人して唇の端を切った
裏町の寂れた小路では
物憂げに軋る看板が私達を祝福していた
めくれあがる薄っぺらい肌の
所々陥没している様まで
でこぼこと哀れな私の胸そっくりで
骨の奥がくすりと笑う
力まかせに蹴り飛ばしたら
また一つかさぶたが剥げ落ちた

冬枯れの道をゆく私達は十六
ジーンズから放り出した脚が粉を吹いていた
いたずらに破かれた膝丈の自我と
ブーツの中で遊んだ踵

巨大な灰色の怪物が見える
町外れにひっそりと建つ博物館は
そう君みたいで好きだった
円形コートを囲うのっぺりとした打ち放しの壁は
空を飲み込む大きな口となり
外界の一切を阻んで吠える
頭上にぽっかり空いたインディゴブルー
くぐもった溜め息だけが響く
ずうんと重低音の海

明け方の遊歩道で君は町を出たいのだと言った
どこにも居場所がないのだと
あるよと言いかけたその時
吹き抜けた突風に驚いた君の羽根のような上着のケープは
思わず息を飲むほどの白を空高く翻し
置いてかないで
私は咄嗟に君の腕をつかんだ

まだるい眠気のように溶け残る雪を踏み分け
君の手を握りながら入ってゆく
しゃらしゃらと内気な寝息を立てる森
鳴けないミミズクが
口をぱっくりと開いたまま私達を見ている
声のない赤が突き刺さる
ねえ君はそのように叫んでいたの

くしゃみをする間に朝がきて
柊を見下ろす歩道橋から
揃いのピルケースをせえので放り投げると
パステルの錠剤が逆光の中
君の笑い声と飛び散った
私は泣くのだけれど
また指切りをして泣くのだけれど


砂漠の魚影(或いは「父のこと」)

  右肩良久


 一、オアシスのバザール

海に面した白い城砦都市で琥珀の破片を買う。
バザールの雑踏に立ち青空へ掲げると
脚が一本欠けた蟻が封ぜられていた。

 二、人々が魚を食し、僕が魚を食する

砂漠を背にした街では風が強い。
辿り着いた、壁のない掘っ立ての料理屋。
皿に載る大きな煮魚には縞模様があり、
その肉片を口にすると、砂粒が絶えず混じり込んでくる。
空の、凶悪な青さの、際限なき支配の下で、
じゃりじゃりと
テーブルが光り、死んだ魚が光り、皿もフォークもナイフも、
父の記憶も、みな光る。
みながみな、光る。

砂に沈んだ石造神殿の残骸。
有翼神象の影が、傾いた石柱の上から
光を裂き鋭利に伸びる。
けたたましい猛禽の声。
キイキ・キイ・キイキキキイと鳴く。

黒ずんだケープの客が数人、黙って料理を口に運び、
彼らも僕も切なく飢えた悲しみを、
父殺しの光を、窪んだ目の奧に宿している。

 三、命題

始まらないドラマを待つと言うことは、
如何ともし難い恥を持つと言うことだ。

 四、僕らが殺してきた者たちと父の帰還

 突風がやって来る。目を閉じる。風。露店の軋む音、食器の落ちる音、割れる音。揺れろ。と思う。声に出した。誰も動じない。僕も動じない。ただ乾燥した木片のような手で自分の皿を押さえる。
 やがて砂まみれの陽が地平へ落ち、浸潤する薄闇の底、砂のあちこちに光を放つ魂が浮き上がる。鰯の大群が海中を遊弋するかのように、それらが膨大な数に増殖し、風下から尾をふるわせてやって来る。食事を続ける僕らの、手にスプーンやフォークを持ったままの体を、青白い発光体が次々と突き抜け、風の源泉へ向けて通り過ぎる。ひとつひとつの魂が貫通するごとに僕は、それらが持つ漠然とした感情に感染し、喜怒哀楽や恐怖や希望、もっと複雑な昂揚や抑鬱などを、皮膚や肉、骨や臓物で感受している。身に何ものももたらさぬ、しかし、なんと切ない奇跡か。温かい。食べかけの煮魚も、皿の上でわずかに尾を振る。僕らは僕らが生まれるために殺してきた夥しい同胞の、もう輪郭もないような魂に洗われている。「産めよ、増やせよ、地に満てよ」飛び散った言葉のわずかな断片としての僕が、人の魂に研ぎ直された小さなナイフのように、木の椅子の上に置かれ、ただ激しく光線を反射しているのだ。そうだ。
 誰もがみな黙って今日の糧を食し続ける。

 五、見てきた情景の先へ、見なかった情景の先へ

ホテルのベッドで、琥珀に封入されている蟻を見た。
足の欠けた蟻もまたわずかに発光し、
止まった時間を泳ごうともがく。
すると
数万年前の樹林が雨と光の中で震え揺らめき、
濃厚な甘さが僕を、
前後不覚に包み込む。
僕は剥き出しの孤独に赤く怯えた。
傍らに立つ父の手を固く握り
前方の情景を見る。
蟻の見たものよりも、
遥かに遠い場所に、視線の先端が走る。

「そしてそのまま帰りません。」


ラオ君

  一条

あー、尊(みこと)ちゃんのお母さん、久しぶりやね、いやん、あいかわらず元気よ、そんでね、今度の水曜日、森本先生が見せてくれる言うてるねん、算数の授業、そうやねん、あけみ、算数いっこもわからんわーって言うから、心配なって電話したら、B組やったらええですよって、そうなんよ、A組はさすがにね、そんでね、B組やったら尊(みこと)ちゃんもおるし、ラオ君もおるし、そうそうインド人の、えー、そうなん、ラオ君死んでもうたん、どこでよ、なんでー、ほんまに、うわあ、あけみそんなんいっこも言えへんから、なんでそんな死にかたしたん、いじめられとったん、いつからよ、えー、いややわー、ショックやわー、この前、ラオ君のお母さんダイエーにおったよ、あのひと、ラオ君のお母さんやと思うねんけど、ここらへんインド人なんてラオ君のとこだけやし、あー、でも、ほら、ちょっと前にラオ君のお母さんって駅んとこの本屋さんで万引きして警察につかまったんやって、警察よ、日本の、えー、知らんかったん、有名な話よー、警察に連れて行かれたん見たんよ、いや、わたしやなくて、旦那さんは知らんわ、あ、でも一回ダイエーの家電売ってるとこで会うたことあるよ、そうそう3階んとこの、えー、あそこつぶれたん、ほんまに、いややわー、ショックやわー、そんでね、だからつぶれる前よ、ラオ君もおったからこんにちはって挨拶したら、そう、変な日本語しゃべってたわ、新しい冷蔵庫をね、そう、なんか、サンヨーの冷蔵庫が壊れたとかなんとかで、新しい冷蔵庫をね、東芝のを買いに来たんやって、ちょっと怒ったかんじで、そうよ、そこにおったんよ、奥さんおったんよ、警察につかまる前やと思うけど、あれ、ほら、なんていうの、インドの服、着物みたいなやつ、そうよ、それよ、だらしないやつ、それ着ておったんよ、旦那さんはスーツかなんか着てきちっとしてたんやけど、そうやねん、カレーのにおいがすごいするのよ、カレーばっかり食べるのよね、インドの人って、そうなん、あけみ、そんなんいっこも言わへんから、家でラオ君の話なんて聞いたことないよー、訊いても言わへんもん、だって、そんな死にかたしたらふつうの子は言うやん、そうよ、わからんわ、わからないわよ、え、お墓、お墓でしょ、インドの人も、死んだらお墓やんね、いややわー、ショックやわー、そうやねん、いっこもわからへんねんて、算数、お墓ちゃうよ、尊(みこと)ちゃんは大丈夫やわ、かしこそうな顔してるもん、ほんとよ、旦那さんに似たんよ、男前やもん、ブルース・ウィリスに似てるもん、あんたちゃうよ、あけみはあかんわ、ラオ君に教えてもらえばよかったのに、算数、算数よ、万引きちゃうよ、わたし、そんなんよう教えんわ、ぜったいそうよ、でも森本先生も困ってはったんちゃうかな、ラオ君、算数の時間、ずーっと目つぶってるねんて、ほんとよ、ずーっとよ、知らんかったん、有名な話よー、最初から終わりまでつぶってるねんて、そんでいつもテストは100点なのよ、そうよ、気持ち悪いのよ、そういうこともいっこも言わへんのよ、痛かったやろねー、そうそう今度の水曜日、B組ね、B組のほうよ、あけみはあかんわ、わからんわーばっかり言うてるのよ、算数よ、ラオ君ちゃうよ、なんやいうたら、算数わからんわーって、そればっかりよ、もうね一日中、わからんわーわからんわー言うてるのよ、いっこもわからんわけないわよね、なんかわかってるはずなのよ、そうよ、ぜったいよ、尊(みこと)ちゃんはわかってるのよ、あけみもほんとはなんかわかってるはずよ、そうよ、わかってるのにいっこも言わへんから、そういうことは、いっこもよ、そうよ、算数いっこもわからんわーって、ほんとよ、いややわー、ショックやわー、しっこもれそうやわー


今日、私の日本語から一切のかなしみがほろびる

  祝祭

南西から、
深い雨が、
始まった、
長い、乾期の、
終わり、
ここは、沼地の、
中にできた、
ひとつの、瞳、

―砂で、
瞳を洗うようにして、
清められるもの―

唇を、
噛み切った、
言葉の、
始まりから、
多くの夢を見た、
人たちの、
声に、
口を開くようにして、
耳を開いて、

私たちは繰り返す、
ふるいまじないを、
新しい言葉で、
日曜日がくるたびに、

(一つの、祝祭が、投げ込まれた、
 ここからは、多くの野が、
 水浸しにされて語られ始める)

不思議と、
明るさが、
増した、
私たちは、
この世に、
落ちた、
千の亡霊を、
一人残らず、
すくうようにして、
唇を、
噛み切る、

この世を、
渡る、
一つの、
端が、
均衡を、失い、
消えかかっているのを、
見つめている、

瞳が、手を、
映し出した、

今日、私の、日本語から、
一切のかなしみがほろびる、

(ここで、ルビを降らせる)

真新しい黒いカーディガンや、
白い、シャツに、
降る、ルビの、数々が、
開かれて、
落ちていく、

そして、
発話が、
始まって、静まった、

息は白く、
かなしみは、もはや、
遠い、

今日、私の日本語から、
ほろびた、悲しみの、一切が、
体に宿る、

千の、
亡霊の、
首が一斉に、とび、

私は、
唇を噛み切るようにして、
言葉を、
かなしみに分け与える、


ミクララムラハウスのこと

  はなび


1-1 真夜中の温度計
ミクララムラハウスの電話が鳴る
時計の針は深夜1時25分
温度計の針は摂氏23度
湿度計の針は75%を指している

1-2 湯沸かし器
笛のついたヤカンを火鉢に掛けておくので
年中湯の沸きたつ警笛のやかましいこと
青白い口火が酸素を奪うので息苦しいよ
「そのままでいいのよさわらないで」
「いいこだからそのままさわらないの」
「いいこね」

1-3 発酵
年中イーストを水に溶いて
窓際へ置いてあるのが疎ましい
ブクブクブク

1-4 部屋の中の蘊蓄
彼女の平衡感覚によると
この部屋は右に25度傾斜しているそうだ
試しにビーダマを転がすと
そのガラス玉は斜面を登る

2-1 蓄音機
彼女はレコード盤が終わったあとの
同じ周期の雑音がゴソゴソいう音で
オルガスムに達すると言う

2-2 アフォガート
溺れなくちゃ助かりっこないじゃない
溶けてしまいなさいよ

2-3 溺れる夜光虫
phosphorescence

2-4 風上の炎上
海水から塩分を
人間から骸骨を
搾取せよとの指令

3-1 星の百貨店
ご希望のビームを暮らしの中に

3-2 宇宙三輪回転木馬
宇宙は「キャバレー 牧場」のホステス送迎運転手の職に
もう少しで近づけそうだったのにあきらめてしまった
自分をこのまま三輪車の上で傷つけてしまいたかったが
勇気がないので今日も回転木馬の肩代わりをして
西部劇ジョニーのネルシャツのほころびを縫っている

3-3 腹上死
上原大五郎氏、念願叶ったり
煙草を燻らすユミコ
受話器に手を伸ばす
窓の外ではいつでも戦争をしている
爆撃の振動で上原の二の腕がふるふると揺れている

3-4 上原大サーカス団大観覧車御礼祭 
上原は派手な男であったので金に任せ妻に猛獣を飼育させていた
熊や虎や大蛇はみんなミクララムラハウスの庭へ連れてこられた
庭で鎖を解いてやると遠くの遊園地の観覧車が仕掛け花火の様に
順番に爆発を始めた。裏の神社からお囃子の太鼓や笛が聞こえる。


幸子ちゃん

  しょう子

(幸子は椅子に座らない)


「幸子ちゃーん」

担任のめぐみ先生に呼ばれた幸子は
ケケケっと高く笑って
地を蹴って走る
タタタッと乾燥した砂が舞って
砂煙が飛行機雲のようにもくもくと上がった


幸子と同じ桃組のけん君やあっちゃんが
鬼ごっこに夢中だったり お団子作りに夢中な時
幸子は蛇口からリズムを刻んで落ちていく水を
真剣に眺めていたりする
そして突然思い出したようにケケケッと笑うと
またブーンと手を広げてタタタッと走りだす



幸子が入園した時 幸子のママは
「幸子はカレーしか食べないんです」
と人の良さそうな笑顔を浮かべてにっこりと言った
幸子にとってカレー以外の食べ物は食べ物ではないから
給食はいつも吐いた


幸子は時々めぐみ先生を「マンマ、マンマ」と呼ぶ
「先生はお母さんじゃないよ」
そんな時めぐみ先生は苦笑して 優しく幸子を抱きしめる
そうすると幸子はまたケケケっと笑って
すぐに嬉しそうに走るんだ


休日 幸子のママはいつものように幸子を連れてやってくる
「今日はお休みですか?」と 尋ねると
「ええ」
と幸子のママはにっこり微笑む
幸子はママの手を離れると いつも通りケケケっと笑って
タタタッと走って行った
小さくなる幸子の後姿を 幸子のママは知らない


幸子は走る
大きな運動場を ブーンと手を広げて

(砂煙が飛行機雲のようにもくもくと上がっている)


A Daydream of Jumpin' Jack

  午睡機械

 
 この気恥ずかしさをなんとかしたいと思った。
 あんたみたいなやつがうたわないから、あたしがうたってる。ア
イリーンはそう言った。でも、あんたがいまさらうたいだしたって、
あたしは静かにしてやんないからね。
 あたしはかつてとてもきれいな声をしていたと聞かされた。けれ
どあるときひどい風邪をひいて、それが治るとからからになってい
た。それでもポリープをとればきっと良くなるってお母さんは何度
も言った。お兄ちゃんはあんなにうたが上手なんだからって。
 でもそれはうそだと思う。たとえ声がきれいになったところで、
あたしは音痴だ。お兄ちゃんはよく言う。お前は思い込んでるだけ
だ、何でも練習だ。お兄ちゃんは音楽だけしかひとに認められなか
ったからがんばってきたって言う。っていうより、音楽やってるひ
とをとくに尊敬してたから、彼らに認められたいと思ってがんばっ
てたって。必要があったらひとはどんなことでも一生懸命になれる
し、うまくなっていけるって。たぶんほんとうだと思う。そしてあ
たしにはその必要がない。
 あたしがうたいだすことはない。だからアイリーンを見て、怖が
らなくてもいいのにと思った。でもアイリーンはテレビのなかにい
て、あたしは現実という物語の登場人物だからアイリーンと関わる
ことはないので、アイリーンがあたしを怖がるはずはなくて、あれ
はアイリーンの弟に言ってるだけだ。まだテレビ画面は弟の視点の
ままで、アイリーンをじっと見つめている。何よ。アイリーンは少
しひるんでそう言った。あんたは思い込んでるだけ。アイリーンは
お兄ちゃんと同じことを言う。視点が切り替わって、アイリーンか
ら見た弟が映る。やさしそうな弟は、きっと姉を傷つけまいとして
ことばを探している。アイリーンが怖がっているのは、きっとそう
でなければいけなくて、もしも怖がらなくなってしまったら、お姉
ちゃんのうたはだめになってしまうかも知れないと弟は思っている。
きっとそう思っている。弟は視線をうつむける。ここでカメラがま
た切り替わって、映し出されるのはだまって立っている姉と座って
いる弟。そして奥の扉が開く。
 なに、またこれ見てるの。智子が入ってくる。あたしは静かにう
なづく。りっちゃんも好きだねえ、私はこれ、なんか、気恥ずかし
くって。日本人てほら、こんなに、しゃべんないでしょ。はいこれ
りっちゃんの。智子は二人分のカップをテーブルに置きながらそう
言う。ありがと。あたしは画面から目を逸らさない。アイリーンは
言う。ジャック、あんた何か言ったらどうなの。そうだね、でも気
恥ずかしいから、家で見ちゃうんじゃないかな。あたしはそう答え
る。気恥ずかしくないのは、家で見なくたって済むじゃん? ジャ
ックは黙っている。智子はコーヒーに口づける。あっちち、家っつ
うか寮なんだけどさ、でもりっちゃんちょっと毒されてるね。アイ
リーンは言う。まあいいわ。
 出て行く後姿。切り返しショット。怖がらなくてもいいのに。そ
う言わなくて済んだことで、ジャックはすこしほっとしている。き
っと、ほっとしている。智子はすこし飲んでふうっと息をつく。も
うひとがんばりだわ。あたしは画面から目を逸らさない。ジャック
の静かに諦めたような横顔。その横顔に透明な紙をあてて輪郭をな
ぞりたいと思う。智子はつづける。明日までに間に合いそう。りっ
ちゃんもう出したんでしょ。さすがだよね。あたしはうなづく。ジ
ャックは遠くを見る。そのまま目を逸らさない。智子は思い出した
ように尋ねる。りっちゃん、あさってさあ、私の彼氏来るの覚えて
る? あたしはうなづく。画面が切り替わって、ジャックの視点に
なる。窓の外には田園風景がひろがっている。あたしは目を逸らさ
ない。だいじょうぶ、ちゃんと時間までに出かけるから。あたしは
目を逸らさずにそう言う。よかった、お願いね。智子は席を立つ。
だからね、怖がらなくてもいいんだよ。え? 何か言った? 智子
は冷蔵庫からチョコレートの袋を取り出したところで、画面のこち
ら側にいるあたしのほうを振り向く。
 
 


闇よ

  小禽


何が欲しいと聞くな

あの月明かりが欲しい
あの街灯りが欲しい
夜道の全てと夜空の全てを私は欲する

けれどお前が買ってくれるな
お前は何も買ってくれるな
私のものに触れるな
近寄り話しかけるな
私の目に映るな

この夜から出て行け


「またね」

  ミドリ


今はっきりと定義できることがある
グラスを突き出したミミに
ぼくは言った

バーの窓から見える
道端の畑に
馬鈴薯の花が開いているのが見え
ミミの目は
潤んでいた

彼女の赤いふくらみに
指を差し入れることができるのは
ぼくをおいて
他にいない

ミミの肩から
ストールがはらりと落ち

まるで砂漠に日に一本通う
満員のバスに乗ろうとして
取り残されそうになり
不安げな顔をしている
小さな少女のように見え

それがぼくが躊躇う
本当の原因だということを
まだ
何も知らない小さな女の子のように

ミミは
他の子とは
どこか違っていた
それを説明するのは
とても難しいことだ

バーの喧騒から
たった一つだけ
音色の違った声が
ぼくの耳に届く
それを説明することができたなら
ぼくはきっと
詩人になっていたことだろう

またね
そう言って
グラスをカチンと合わせる
それがぼくとミミの関係を定義できる
唯一の言葉だということを
説明することすら
ぼくにはできない
ついぞ繰り返される
ありふれた風景の中のふたりに

また産み落とされる
「またね」と
「じゃあね」が
ホロリと床に砕け落ち
涙のように潰れては消える

ミミ
聴こえるかい?
ココロとキオクは違う
オモイデも
ココロの一部でしかない

だから
明日を約束しよう
またね
うん じゃあねってさ


罪滅ぼし

  丸山雅史

皆様 今まで 「アニメ 丸山名作劇場」をご視聴なさって下さって誠に有り難う御座いました 当番組は今週をもって最終回とさせて頂きます 理由につきましては当番組を長年御支援して下さっていた 「ツブラヤ食品」の倒産による提供撤退の為で御座います 次週からは新番組 「はじめの スポーツバラエティー!!」をお送り致します

テロップが流れ終わり CMが始まると プロデューサーは暫く呆然としたまま立っていた かと思うと突然肩を震わせ 涙を留め処無く流した 丸山雅史が亡くなってから早三十年 丸山の死後 彼の「ショートショート」ともとれる詩の評価は国際的に高まり 多くの詩集が押し絵付きで出版され 日本だけに止まらず 世界各国で翻訳され 大変な売れ行きを見せていた

生前の丸山は売れない詩人で しかも病弱であり 一度も定職に就いたことがなく こつこつと新聞配達のアルバイトで貯めたお金で一度だけ自費出版をしたことがあるのだが その出版社で 当時丸山の担当を受け持っていたのがこのプロデューサーだった 彼は─というより 出版社社長との暗黙の了解だったのだが─自費出版した人間と契約当時の利点─全国何百店舗に必ず本が置かれる等─と悉く欺いて 莫大なお金だけをせしめて後は知らんぷり というものだった 当然約束と違うと激怒した被害者達はその出版社に対して裁判を起こすとネット等で立ち上がったが 何しろその出版社の後ろには闇社会の巨大な組織が構えていたので 被害者達は脅迫等ですっかり意気消沈してしまい メディアにも取り上げられず その事件自体 闇に葬られてしまった 彼は勿論丸山も欺き 莫大なお金を手に入れた 病身の丸山は彼の教えてくれた通りの書店に行って自分の詩集が置かれてあるかどうか確かめたのだが 何処にも置いておらず きっと売れ行きがよくて売り切れてしまったのだなという半分期待と やはりネットで言われているように騙されたのではないかという絶望が混合して 複雑な気持ちで書店を出た

詐欺に遭ったと分かった後 丸山は二度と出版しなかったが 短い一生の間に数え切れない程詩を書いた 死の直前 「自分は再び生まれ変わっても この人生をもう一度やり直したい」という旨の遺言書を書いてこの世を去った 彼は生涯 天涯孤独だった 

丸山が死んでから 十年程経ってようやく彼の白骨化した遺体が発見されると 傍らには膨大な数の詩のノートが遺されていた 警察は生まれつき肉親のいない孤児院で育った丸山の過去を洗いざらい調べて 生前に唯一出版社から自費出版をした詩集を担当した元編集者 時効が成立して今は転職してTV局でプロデューサーをやっている男にその膨大な数の詩を渡すと 彼は初めあの時の罪悪でその受け取りを拒否したが 罪を報いる為に 心を入れ替え 丸山の生涯のドキュメンタリーを制作した その名を全国に轟かせると 丸山の詩集は爆発的に売れて ほぼ同時に丸山のショートショートともとれる詩をモチーフとした子供から大人まで楽しめるアニメ番組を企画し 毎週二本立てで開始した

現在彼はTV局を退社し 故郷の田舎へ帰り ラジオ局のプロデューサーとなって深夜一時に 丸山の詩の朗読番組を受け持っている


la respiration d'un dormeur 寝息

  はなび


ねいきのといき
あたたかいゆげみたい

といきのすきまから
ゆめがみえる

ゆだんしている
すきまから

くちをあけて
よだれをたらした
そのすきまから

うしがくさを
たべてるゆめが
よくみえる

うしのゆめなんかみて
ゆめのないおとこ

どうしたらわたしが
ゆめにとうじょうできるか
かんがえているうちに
あかるくなって

しろいひかりのなかで
とりになったゆめをみてる
わたしもにたようなもの


クマのヘンドリックの「才能」

  ミドリ

窓ガラス越しに
空を透かして見てたとき
クマのポケットから
バナナがポトリと落ちた
つっかけの ビーチサンダルの上に

なんだお前 バナナなんか持ってきたのかよ
島のバナナは最高さ

指先でバナナをつまみあげると
彼はそいつポケットに戻した
ペンションから眼下を見下ろす
南の島の緩やかな坂道は
なだらかに海へと向かう
ぼくらが出逢ったのは
この集落に一軒だけある居酒屋だった

浜辺へ降りるとクマのヘンドリックは
海水に手を伸ばし
ギュイと魚を掴んだ
青い小さな魚の群から 一匹だけ
彼には妙な才能がある
長く一緒に暮らしていると
時々驚かされることがある

あるとき仕事で一緒に大阪に行くことなった
満員の地下鉄でヘンドリックはつり革につかまっていた

初めてかい?
ギュウギュウじゃないかっ

ぼくらは小声で囁きあった
満員電車の中で
大柄な彼は
お腹まわり人ふたり分の空間を占め
苦しそうに肩をすぼめてた

こんな仕打ちを受けるなら
一緒にくるんじゃなかったよっ

吐き捨てるように彼は言った
どのみちヘンドリックは
どこへ行ったって不満を口にする

あぁ確かに人間の乗り物じゃないね

クスリと笑いながらそう言ってやると
ヘンドリックは鋭く毒を吐いた

今の明らかに差別的発言だろ!

その時だ
小さな女の子が ヘンドリックを指差し
ママ!クマさんがいるよと言った
母親は困った顔をし
次の駅で降りましょって 眉をひそめた

ドアが開くと女の子は
母親のバックにしがみつき
こちらを見ながらヘンドリックに手を振った
ヘンドリックもまた
女の子に手を振りかえしてた

彼は
何もわかっちゃいない
おかしな奴だ
一部始終をそれとなく見ていた
周りの乗客たちが
顔を伏せ
笑いを押し殺しているのがわかった

ヘンドリックは
ドアが閉まって
電車が動き出した後も
女の子の小さな背中に向かって
手を振っていた

文学極道

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