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2008年07月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  桃弾


雨の降りようゆうべには
いつも
目をあけてぱくぱくと息をとめてみます

あなたに
わたしに
バスを待つひとに
まっすぐに同じだけ降る雨がゆるやかに模ってゆく
傘をもたないわたしのあいまいな輪郭
そして波紋

とけてしまえたらいいのに、ね

息の白いお嬢さんがゆきちがいます
むこうにはゆらゆらと漂う魚がいるばかりで
しあわせな彼女の語尾も傘の下きらきらと とけてゆくことです

わたしは歩く
足裏にまとわりつくアスファルト
じゃりじゃりと重く
こころもとなく
背中につたわる雨つぶはぬるく
ますますのあいまいなわたしの輪郭だけつれて

ほら
見あげたらのぼってゆけるかもしれない
ゆきつくさきの雨ぐも
わたしがいつか海になったら
そしたら
そうしたらぜんぶ昔のはなし

それまでは濡れる

雨が降りようです
わたしたちを
明滅をはじめたネオンを
やわらかに萌えるくちなしを
まっすぐにびょうどうにぼやかしてゆきます

電線からしたたり
灰碧にしずむ街にゆきかう車は波の音でささやき
ビルの下とりどりにひらかれる傘は水母にすがたをかえて
わたしはまた
ぱくぱくと息をとめてみるのです


プラタナス

  黒沢



その夜、いえに帰って、おれは妻にせんこくしたのだ。
おれが、
さきに死んだら、
くちを、きけなくなった物質のおれを、
けっしてだれにも、神さまにもみせるな。
それが、おれの遺言だ。

おれは、酔っていたのか。
ふだんなら、そんな不吉にもとれることを、
この世でいちばん、こころが、
弱いであろう妻に、
いうはずもないのだが、
おれは、我慢ができなかった。



妻にせんこくを、おこなう前、
おれは、
恵比寿でのんでいた。

仕事のしり合いが、ろくにん、ほど居て、
ひとりは、
海外で商業デザインの仕事をしている有名じんで、
ひとりは、そこの営業まんで、
ひとりは、そこの子がいしゃの社長で、
他は、おれのかいしゃの部下たちで、
おれの隣りには、末っていう、
この世の終わりみたいな名前の、
気まじめな部下が酔っ払っていて、声がおおきい。

どんどん、酒をくみ交わし、うまい素材を、
うまい調理で、
つまり、カウンターの向こうの、
いちりゅうコックの手ぎわの鋭さで、
はらいっぱい食って、
夜はどんどん、ふけて熱っぽくなった。

おれは、それなりに快活に、みせて、
ばかもいったし、
それなりに、危なかしいことをいったつもりだが、
本当のことは、何もいわなかった。



さしみや、
しゃぶしゃぶは、淋しい。
どんな快活なおしゃべりをしていても、
くちにするのは、淋しい。

おれは、てかてか光る、
箸を、
まるで、器用にすべらせながら、
時おり、外の、ぷらたなすの樹をみていた。
まどから、さんぼん指のような、
みつ葉が、
みえて、緩やかにうごいていた。

かきが、出てきた。

話しは、
その、物質のけいたいに関係なく、
わかい、おんなとの火遊びについての、
ものとなったが、
おれは、遊びにん、のふりをして、おおいに食い、
のんで、おもい切り笑った。



おれは、ほうこく書でも、せいかつでも、
おしゃべりに見えて、本当にいいたいことは、
決していわない。

生きていると、言葉が、
にじむように、
湧きあがって、こみ上げてきて、
それを堪えるのは、なかなかに、辛いことがある。

いいたいことを、いわなくなったのは、
何時からなのか。
おれは仕事のせかいで、箸さばきほどに、
それなりに、器用になったし、
これでも、抜けめないやり手にみえるらしいが、
おれが、本当のことを、いいはじめたら、
こんなもんじゃない。



こころの弱い妻よ。

いいたいことを、我慢できなくなったおれが、
本当のことを、
いいだすのが、こわい。
生きているおれは、いわない言葉に、
みちていて、いわばそれは、
おれを生かしている内圧のようなもので、
おれの、おれなりの、
バランスなんだ。

くちを、きけなくなった死体のおれを、
だれにも、みせないでほしい。



ぷらたなす、というのは、
アメリカから輸入された、街路樹らしい。
この国では、いほうじん、なんだね。
しらなかった。

まどの外の樹を、話題にしたおれは、
部下の末のおおきな声に、
いらいらする。
売り上げを、ろく倍にした社長さんのくしゃみに、
いらいらする。
ぷらたなす、といって、それきり、
大きぎょうの悪ぐちに話題をかえたおれは、
品のいい、
僅かばかりの炊きこみご飯を、くちにしている。

ぷらたなすのみつ葉は、
にんげんの指にくらべると、欠けている。
それが、
おれの内がわで、何時までもうごいている。



生きる、にあたり、
いちばん辛いこと。

死を、いたむこと。
名まえのある、ペットの死をいたみ、
名まえのない、野良犬の死をいたみ、
妻の死をいたみ、
しり合いの死をいたみ、
しり合いでない、すべての死をいたむこと。



話題がかわっても、
ぷらたなすは、ぷらたなすの、ままだ。

その、うごく、
みつ葉にみえる指のあいだから、
表皮の、剥がれた幹がみえていて、
それは、しろい、
くもった色をしていて、
いよいよ、街灯のじんこうの光りをうけ、騒いでいた。

部屋のなかは、どんどん熱っぽく、
熱っぽくて、おれは、はらが痛い。

おれの妻は、なぜあれほどに、
こころが、
弱いのだろうか。



恵比寿のみせを出ると、
そらの雲はものすごく、流れていて、
星がみえなかった。
とうきょうの明かりは、
おれの想像をいつも遥かに、うわまわるばかりだ。
商業デザインのその有名じん、とやらに、
おれはそっと耳うちする、
お、うえん、していますよ、と。

その夜、いえに帰って、おれは妻にせんこくしたのだ。
おれが、
さきに死んだら、
くちを、きけなくなった物質のおれを、
けっしてだれにも、神さまにもみせるな。

おれの遺言をきかされて、
思ったとおり、妻は、不安がったけど、
いがいにも、泣き出さなかった。

わかりました、と、
だけ、約束してくれたのだ。


新車

  りす

君が死にに行くというので
僕は道々に立って案内をした
長いつきあいだというのに
君は他人行儀に礼を言って
重たい頭を下げて通りすぎた
君の髪の甘やかな香りを
僕が覚えていようと思った

隣の斉藤さんは新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない
なんなら送ってくよ
ナビだってあるし
そう言って君を誘うけれど
車ではちょっと早すぎるので、と
君は丁重にお断りした

街灯に照らされる君の顔は
年々若返って青白くなり
薄暮と黄昏のあいだに溶けて
ときどき見失うようになった
それでも君が迷いそうな時間に
僕は標識のように道々に立ち
君の行くべき方向を
ひとさし指で示した

君が通りそうな道を
僕はどうして知っていたのか
後日、斉藤さんに尋ねられたけれど
それは僕にも分からなかった
僕のひとさし指がピストルに見えたと
後日、君は言っていたけれど
それは斉藤さんには言わなかった
新車の匂いってたまんねーな。
どっか行きたいとこあるかい?
斉藤さんはまた新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない


「穴」を巡る証言

  ミドリ


壁には一つの穴が開いていた
ただの穴じゃない
罪深い穴だ

ぼくはこれからこのたった一つの穴が
いかに”罪深い”ものになっていったか
それを語らなければなるまい

その前に少しコーヒーを
(´−`;)y−”

しかし今日ここに集まったみなさんの中には
たった一つ穴が(たった一つの穴ぼこがですぞ!)
それがどうして歴史的証言になりうるのか?
そういう疑問を持たれる方もおられるかもしれない
ひょっとしたら?
大半の方がそう思われているかもしれない

情けない話ですナ (><)

しかし当セミナーでは
3万円の会費が必要です
つまりみなさん方はおのおの3万円(一部の裏口の方を除いて)
払って私の講義を聴きにこられている

「穴」についての話で

(会場は爆笑!)

しかしこの穴がベルリンを東西に仕切っていた壁を
崩壊させたものだ あるいは
アポロ11号を月へ送り込んだものだと言ったら
みなさんは信じるだろうか?
前列の右から三番目のご婦人がズイブンしらけた顔をしてらっしゃる

(会場はまた爆笑!)

少しコーヒーを
(´−`;)y−””

みなさんにはこういう思い出がないだろうか?
子供のころ父親の運転する車の助手席に座っている
普段あまり会話のない父親と車の中で二人きり
話題に事欠いて気まずい雰囲気になる

こういう時
まず思いつくのがカーラジオ
車の中でのつかの間の父子のひと時
ラジオが家族の愛を支えるとは皮肉なものです
しかしラジオなどなければ
もっと言えば
車などなければ
そこにはもっと違った
しかるべき愛の形があった筈です

それではみなさん
「穴」についての話を始めましょう


まるごと入った

  ゼッケン

ひとりごとの多いフルーツゼリーであるわしの果肉は
先の割れたスプーンの先端でかんたんにすくわれてしまうのじゃ
しかれども
わしの正体はみなさんがお目当ての果実ではなく
ぐりぐりと掻き分けられる方のゼリーなのじゃ

最初からフルーツゼリーじゃと言うておったのに

情熱をあからさまに見せぬこと それが
情熱的に見せる秘訣じゃ わしの正体はゼリーじゃ 脆弱な蛍光色の
見た目とりすました繕いの みなさんが好んで剥ぎ取りたがる
奥のほうにあるものを真実と信じたがる
そのじつスケスケの猛アピールじゃ
ファンタジーをほおばらせるための

商品じゃ、わしって

ふぉっふぉっふぉっ
ぷるぷるぷる

わしはフルーツゼリーじゃ
木にはならん


キャベツのしくみ

  小川 葉

 
虹のようなところに
キャベツが生えている

抽選でもれなく
誰でも食べることができた

今日はマリーという人が
当選した

まだ生まれたばかりだった
 


草花の目

  殿岡秀秋

秋の庭の草花たちは
人が寝静まると話しだす
その声は虫の合唱にのみこまれて
部屋の中ではよく聞きとれない

夜中に目覚めて母を揺する
行っておいでと眼を瞑ったまま母がいう
ぼくは温かい布団から立ち上がり
障子をあける

月光を反射する草花の目がいっせいにぼくを見る
突然の侵入者に驚いたのか
人の様子をうかがう野良猫のように
目だけを光らせている

黄色い花の奥や
葉の中央の窪みに
その目はある
日光の下では閉じて月影に開く

縁側の狭い廊下を歩くぼくを
日に向かうひまわりのように
追ってくる目
ぼくは視線を背中に感じて振り返る

うずくまっている集団が
今にも立ち上がりそうな気配
虫の合唱が
一オクターブ高くなる

ぼくは廊下を走って
便所の戸をあけて
急いで用をたして
戻るためにおそるおそる進む

草花たちは目を細めて
そ知らぬ顔をしている
来たときは吼えて
帰りは無視する番犬みたいに

障子を閉めると
噎せ返るように熱い母の胸に手を置く
目を瞑ったまま母は
ぼくを抱き寄せる

障子の外で草花たちのひそかに笑う声


琉球硝子

  はらだまさる

日々の風景が
柔らかい布で
硝子の小鉢を撫でている

堆積する繁華街の雑音と
踏み付けられたスニーカーの踵と
人知れず花びらを千切る風、

この窓の外側では
子供らの笑い声と家族の灯りが
少しずつ消え

肩を揺らして笑っている、
硬化した記憶の
忘れ去られた孤独

もう戻れないのだ
決して戻れやしないのだ
幾ら悔やんでも悔やみ切れない

どうにかなりそうな
薄い気泡の上で虚勢を張っている姿を
シーサーはじっとみおろし

珊瑚を砕く波や
空に浮かんだ雲は
興味がないといった素振りで

海の汐を
舌のふくらみで味わい
わたしたちは両手を合わす

泡盛が
くるりくるりと
廻っている

静かに目を閉じれば
小さな波紋が幾つも重なり
それが何かを知る

陽が滲んだ
瞼の裏側が温かいうたを
遠く、きく


おこのみで

  裏っかえし


ゆりかごは無人で、白い錠剤に埋めつくされてる。あたしは肺を病んで、背中は苔むして
る。そこをロバが通ることもある。すると、シャッターチャンスだって、連中はいっせい
にカメラを構えるから、あたしは満面の笑顔、林檎みたいなピースサインを送る。ドラッ
グストアは眩しくてとてもきれい。夏休みの3分の2を費やしてもいいって思うくらい。
だってここでこそあたしたちのけんぜんなたましいは育まれるんだから。部屋のすみっこ
でドラッグストアの紙袋をひっくりかえす。とっさに数が知れるほどの錠剤と、さんまの
蒲焼の缶詰がころがり落ちる。ねえ、知ってる。ロバって場所によっては「性的放縦」っ
て意味になるんだって。それって、ドラッグストアには売ってないよね。あそこで売って
るものじゃないと、もう追いつける気がしないし、だいいちあたしらって何を追ってるの
かよく分かんないし。あたしは、それでもいいと思ってる。肺病みの身には、この部屋の
空気は澄みすぎてるし、そうじゃなければ、残りの3分の1でやっていける気がしないし。
苔むしたあたしの背中を、さっきのロバが尻をふりながら歩いてく。連中ったら、オペ用
の極薄てぶくろを頭にかぶって、象徴的に踊りはじめてる。あたしったら、さんまの蒲焼
の缶詰を、ひどく乱暴にしたい気持ちになる。だから、まず、ゆりかごで眠りたい。もち
ろん錠剤はどけるし、夏休みの終わりには連中を、一粒残らず、やっつけるつもりでいる。


神様

  泉ムジ

背骨がゴムみたいに頼りない。あたしの膣に、太いピアスをした男が前から出入りしなが
ら汗を流し、感覚が無いのに敏感に反応するあたしの乳首を、腕のひょろ長い男が後ろか
らいじりながら、何かをささやいてる。
                  あたしは、あたしは、3軒目の居酒屋でミーコち
ゃんとバイバイして、まだ十時だから、飲み足りないからって雰囲気の良さそうなバーに
飛びこんで、バーは、愛想のいいマスター、と、あ。耳がぞくぞくする。頭悪そうな声で
腕ひょろが、何かをささやいてる。太ピアスの出入りが激しくなり、もうイクもうイクっ
て叫んで膣から抜いて、あたしの髪を引っぱって射精する。精子まみれになったあたしの
顔は、きっと、親でも見分けられない。
                  あたしは、あたしは、彼氏が迎えに来たミーコち
ゃんとバイバイして、愛想のいいマスターが勧めるままにじゃんじゃん飲んでたら気持ち
悪くなったから、マスターにトイレまで連れてってもらって、喉の奥に指を入れて全部、
全部吐き出してると涙が止まらない、あたしの、背中をさすってくれる、マスターが、お
水、飲みな、って、あ。耳がぞくぞくする。床にぶっ倒れて肩で息してる太ピアスに代わ
って、後ろからおぶさってくるような格好で、腕ひょろがあたしの膣に出入りしながら左
手で器用に乳首をいじり、何かをささやいてる。ちゃんと聞こうとして左を向くと、デジ
カメを構えた男が立ってるのに気付く。
                  あたしは、あたしは、彼氏とは別れたいミーコち
ゃん、仕事は愚鈍なくせに恋愛はやり手なミーコちゃん、と、バイバイして、飛びこんだ
バーで泥酔してしまったから、我慢して飲んでたこと全部吐き出して、吐き出してもちっ
とも気分良くならない、ならないよマスター、ねえ、どうにかしてよ、マスター、がくれ
た、お水、飲んだら、背骨がゴムみたいに、なっちゃって、あ。あ。あ。顔面に、ぶちま
けられた精子で、あたしは二目と見られない。マスターが、デジカメを近付けて、ほーら、
笑ってー、笑ってー、って満面の笑みで、太ピアスが、俺もう復活したからもう一回いけ
るぜー、とか笑って、笑って、腕ひょろは、海と山、どっちが好き?って、ささやいてる。
海なら、ロープで足を縛って、捨てるし、山なら、ハサミでアキレス腱を切って、捨てる。
神様、は、どこにも、いない、いない、
                  あたしは、あたしは、あ。あああ。ミーコちゃん、


月影の出口

  殿岡秀秋

家と家とがひそひそ話しができるくらいに
寄り添って並ぶ街
三十年を経てぼくは生まれた家がある小道に立つ
すでに他人の家である

家の前の袋小路は
老いた母の背中のように萎んでいる

その昔
袋小路の草や水溜りは
月の光に輝いた
そこが宇宙から見つけられるように
ぼくは蝋石で塗りつくそうとおもった
青白い反射光が
星明かりのように月に伸びていくだろう

虫たちの音楽に誘われて
玄関から覗く
月影の袋小路は
世界への出口だった

竹馬をしたり
石蹴りをしたりしたそこは
今はコンクリートで固められ
大人の足で二歩も歩けば
隣の塀に突きあたる

雪の翌朝
りんごの眼
バナナの鼻
炭の眉をした雪だるまを父が作った

相撲取りのように大きな雪だるまは
父が置いていった長靴を履いて
歩きだすのではないかとおもった

暗くなって
袋小路を出ていく雪だるまの背は
街灯の下で青白く光り
月にまで光の筋が昇っていく
その後ろ姿を追っていった
子どものぼくは
どこへ行ってしまったのだろう


アカリ

  みつとみ

 月明かりのなか、わたしは狼を抱きかかえていた。眼鏡の片方のレンズが欠けている。暗くてよく見えないが、石や枯れ枝があることが、靴を通した感覚でわかる。すこし離れたところで、炎が風にあおられる音がしている。狼の毛並みは血で汚れ、濡れている。ときおり、遠く獣たちの吠える声が聞こえてくる。まだぬくもりのある狼の体。狼の半ば開きかけた口から、舌が垂れ下がり、息を吐いている。強く抱きすぎないよう、気をつけながら。
(こんなにも痩せている)

 枯れ枝が火で弾かれる音がした。振り返ると、あちらこちらの枝や草に飛び火している。
 膝が崩れた。わたしは狼をかばうが、体が横に倒れそうになる。体をねじってみるが、転がってしまった。地面に石が散らばっている。体が重く、力が入らない。しばらくの間、狼を抱いたまま、目を閉じ、背を丸める。獣に追いつかれたら、と思うがもう動けなかった。ここで襲われたら、もう終わりだろうけれども。

 閉じた目の暗やみから、わずかに戻り、首を振ってみる。まぶたを開こうとするが、おぼつかない。どうやら、つかの間、眠っていたようだ。
 狼の顔を見る。眼鏡の欠けたレンズのせいで、うまく焦点が合わないが。狼の目は開き、濡れていて、まだ光はある。思えば、この狼に名前をつけていなかったので、呼ぶこともできなかった。獣たちに囲まれているときの、背中に電気が走る感覚が戻ってくる。いつも狼は向こうからやってきてくれた。体からは、体温が伝わってくる。意識が夢の側に行こうとするとき、温かな感じがして、現実の側に戻ってくるとき、わたしは痛みで眉をひそめる。口のなかは錆びた血の味がする。手は火傷でこわばっている。手足は獣に噛まれたせいで、熱い。そしてまた眠りのほうへ、意識が漂う。

((わたしは草原を見下ろす。眼下に一頭の狼が駆けている。群れの狼らに追われて。一匹狼は大抵、群れの狼によって、殺されてしまう。そう本で読んだことがある。狼は草地を抜け、岩場を越え、遠く走っている車に向かっていた。追われている狼は車に近づいた。が、車のほうが早く進み、離れてしまうが、懸命に追いかけていった。この狼が生き延びるにはそれしかなかったのだろう。
 車はやがて止まった。どうやら燃料切れらしい。獣たちは追いつき、車の周りを囲みながら、車内をうかがっている。
 朝日が地を照らすころ、獣たちの姿はなかった。車のなかから青年が出てきた。倒れてしまう。肩の高さの草に隠れ、周囲に獣たちがいないことを確認して、一頭の狼がゆっくりと向かった。
 倒れている青年のジャケットの肩の部分をくわえている、狼は、起きあがるよう、うながす))

 胸がうずき、わたしは目を覚ました。痛みに、動悸がする。狼がわたしの肩の部分をくわえている。そして、目でうながす。狼の頭に手をあてる。その指先に、触れず、狼の頭は地に落ちた。半身を起こし、狼を抱き起こそうとするが、重くなって四肢が垂れ下がってしまう。いくら抱え直し、揺すっても、揺れる足先以外は、もう動かなかった。

 風が強く吹くせいか、月に、草地の火が燃え移り、青白い炎に包まれていた。ぼんやりとわたしは月の光を見上げていた。
 わたしは“アカリ”という名前をこの狼につけた。暗がりに、ひとりでいたわたしを照らし、よりそっていてくれていた。

 風がやみ、炎が消えたころ、白くぼんやりとした光が地を照らしはじめた。わずかな霧雨が降り始め、土を湿らせ、火を鎮めていた。わたしは硬くなった“アカリ”のために石で穴を掘っていた。ポケットのなかの梨の欠片を取り出し、“アカリ”と一緒に埋めた。土で汚れた、なえる手に、力をこめて。

「ア・カ・リ」。


日没

  鯨 勇魚。



『境界』
春の砂浜にも眠気がありました
くるぶしあたりを行き来します
つめたいって声がよく笑いすぎる
何度だって挨拶を交わしながら
波打ちたくなる感覚に
初めて足の親指を口に含まれ
不意に悶えてしまう流れのようです



『声』
睫毛も疲れて滲むのでしょう
童顔した人の名前にもたれ掛かり 
乳首に爪を立てられたあとの
優しさで感じる事という曖昧は力無く 
聞こえないふりをしていたら
たもっていけるものか
大丈夫なはずがない
とにかくあれだ
大丈夫なはずがないんだったら



『連結』
そっとしておいて欲しいと
車窓の向こうを見つめ
移りこんだ素顔が邪魔をして
余計に世界が滲むように
思えませんか
透き通っている
淡い光は流れて残光
どこかしらに集まり
ひしめき合いながら
夜も余白のように
輝いてしまうのですか
唐草模様した線路沿いだけが生きています
目線足元景色に巻きつきながら
ぼやけて過ぎていきます
人間との関係に似ている
巻きついてみようか悩む硝子は硬いって事



『@依存』
遠くに波打つ一線
とくん。と、
脈打つ首を指先愛おしいのだけれど
静かに火がありますから
つめたいね、それは
海岸線のむこうがわ
地平線との境
あの境界線境界線きょうかいせん
今日描いた線それぞれの今
窓のほとりまで押し寄せた
宵闇の子供達の言う
「あのね」に集まる
たくさんの
ミリアンペア海路
奇麗なのだけれど
だからと決めつけながら
帰れなくなるのじゃあないだろうか
列車が巻き起こした風に動き
冷えたコロッケをほお張り
そう慕う



『トニック!』
もう涙は一直線に床に落ちていった

(大丈夫なはずはない)

気にかけるなんて
卑怯すぎる秘密がひみつ
うつむき目を閉じて
生きてる事を体感しながら
記憶のピントが
眠りのふちで雪が降って
不思議に暖かく
耳たぶを紅くしていた



『強制』
ノックしています
入ってます
もうすぐ出ます
能動と受動が遊泳している
あのね、あのね、あのね
言葉がおいつかない
もどかしい失望感
忙しいんだから
あとにしてくれないか
あまりにも憐れな鳴き声に
耳を塞ぐ事ができない


コントラスト・サンダーマン

  ぱぱぱ・ららら

平日の夕方、たかひこはテレビを観ている。隣には女が座っている。
外からは止まることの無い工事音が聞こえてくる。
ガガガガガガガガガッ。
 
『コントラスト・サンダーマン』
そんなタイトルの特撮もの。
昼間は家でのんびり、音楽を聞いたり映画を観たりしているひき籠もりがちな青年だが、夜は別人。コントラスト・サンダーマンに変身し、悪の怪人を倒していく。
そんな物語だ。
ちなみに武器はサンダー&サンダーロッド。昼間のうちに洗濯物と一緒に干しておいて、太陽光を貯めておき、夜、怪人に向かってサンダーを放つ。
太陽光。エコだ。
 
「今週も大活躍だね、たかひこ君」
と、隣の女が言う。
「そうかな、普通だろ」
と、たかひこは答える。
テレビの中のたかひこは怪人と戦っている。
 
『コントラスト・サンダーマン』が終わり、テレビはニュースを流し始める。
いくつかの事件、事故、それからスポーツ。
いつもと変わらず、進んでいくニュース。
 
「ここでたった今入ったニュースです」
と、女性アナウンサーがいかにも焦っていますといった感じで、冷静に言った。
「あと、三時間前後で世界が終わります」
 
「ねえ、どうしよう?」
と、テレビを観ていた隣の女はたかひこに聞いた。
「どうもしないよ、別に」
と、たかひこは答えた。
「世界が終わるのよ。どうにかしてよ、たかひこ君」
と、隣の女は言った。
「関係ないよ、そんなの。終わりたきゃ終わればいいさ」
と、たかひこは言った。
 
工事音が止み、静かになった。
隣の女は声を出さずに泣いている。
ベランダの洗濯物が風に吹かれて揺れている。
たかひこの服。
女の下着。
それからサンダー&サンダーロッド。
 
太陽が少しずつ沈み、空は少しずつ暗くなっていく。
カラスは家に帰る時間だ。
「心配しなくていいよ、もうすぐ夜が来る」
たかひこは隣の女の髪を撫でながら言った。


屋根の上のマノウさん

  Canopus (角田寿星)


空にはいくつもの泡のような放物線が
とんびが 海のむこうの出来事が
屋根の上にはマノウさんが
わたしたちは
目を閉じて見上げよう
歩道沿いにはあやめの花壇が
街角のアパルトマンには大きな鏡が
わたしたちは

そうしてマノウさんは屋根の上にいる
むくどりが少しやかましい
あるいはホイッスルかもしれない

山からの風がふく
タバコの灰がぱらぱらとこぼれる
砂に埋もれるようにわたしたちは眠る
「ちいさな善意や励ましや何気ない笑顔が
 どれだけ人を傷つけているのか
 考えたことがあるか」と吐き捨てられる

そうしてマノウさんは屋根の上にいる
かるい会釈だけのあいさつをする

昼下がりには真っ赤な鉄塔が
夕焼けには緑の浮き島が
夜には汽車が
わたしたちは目を閉じて見上げよう
屋根の上には マノウさんが


八十八夜語り

  吉井


     ー首夏ー

 八夜
  古びた民家の窓枠に鴉がしがみついていて 網戸を掻きこする嘴が 深紅に
  染まっていた 跨線橋の欄干の四隅にぶら下がっている無国籍の照る照る坊
  主が 踏切りを渡るまいと遠回りして帰る私の進路を 夜露の滲む風の脈動
  に合わせてトリミングしている

 九夜
  剪定した珊瑚樹の隙間からつくつく帽子が遊びに来だした 電源を切った液
  晶の画面に映る生成りのレースのカーテン つげの枝に絡んだビードロの風
  鈴が 踊り 無名童子の笑い声が発熱しては冷めて行く テトラパックの珈
  琲牛乳を転がし 私は昨日に向かって走った

 十夜
  白蟻に齧られた隣りの猫が くずれた後ろ脚で愛撫をしながら うちのうみ
  ゃー子に求愛している 軒下に干した木べらがカタカタ鳴って 地震と心中
  しながら今年の夏が訪れようとしている 簡易ベットに接した壁を 二匹の
  子蜘蛛が素早く平行に下りてくる


     ー梅雨ー

 十一夜
  二日前に買ってきた食パンに黴が生えている とうとう今年も山桃の実がな
  らなかった 鼻をかむと 沢山の子蜘蛛が人中に出てきてうっとうしい 首
  を斜め45度に傾げた障害者作業所の連中は 玉がところどころ抜けた数珠
  のように繋がって アルミ缶を回収している

  
  


唯の夢 その四

  菊西夕座

学窓という母体にとらわれていたころ
唯の生きかたはまるい卵のように
友好的でおとなしく
上品な自制のかたまりだった

まわりの男女は見境もなく
とがったペンをもちよって
くろや黄ばんだ先端で
唯のまるみをつっついた

教師はざらつく手のひらに
唯をすっぽり掌握し
むやみに手中でころがして
油性の指紋をおしつけた

初恋相手の先輩が
ウィンクしていた右目には
トイレにしかけた盗撮の
画像がレンズにかくれてた

演奏クラブのライバルは
高価な銀のフルートで
調和をたもつ唯の音を
ななめ上から威嚇した

扉をあければ階段が
廊下の隅からなだれこみ
一段いちだんランダムに
宙をさまよいせめてくる

眠りにおちるそのたびに
唯のこころの殻が割れ
おさえつづけた感情が
でゅろでゅろでゅろでゅろ歌いだす

もだえる芯から棘がはえ
ウニそっくりに変形し
怒りにくずれた卵巣が
でゅろでゅろでゅろでゅろ歌いだす

幻想という世界にとらわれているとき
唯の外界はかたい卵のように
友好的でおそろしく
嘘つきな自衛のかたまりだった


ミンミ十字路で、ぼくらは微笑んだ

  Canopus (角田寿星)

すこし涼しいね エマさんがささやく
たしかに風が吹いている 夜からの風だろう
もう七月で冬の足音がきこえてくる
いろとりどりの十字路 ここは見晴しがいい
少し背伸びをするだけで
100キロ先の海が見渡せるところ
エマさんの髪もトマムの長いコートもみえる
十字路のはじっこで三角形に並んで
ぼくらは 互いの名を呼びあった

しろい大きな道をくだっていく
かつてここで新種の恐竜が発掘された
鏡のむこうに鎮座する十字路
白鳥の北十字星はここからみえないし
太陽は西からのぼる
ネイティヴは言いたいことが言えないので
みんな笑顔が貼りついている
ぼくらは通過した 通過する者にふさわしく
いろとりどりのまぼろしの十字路を
地元の慣習にならうように
沈痛の微笑みをたたえたまま

いつか船は出航したのだろう
しろい砂のなかを
どこまでもどこまでもどこまでも
エマさんはベンチに腰かけて編物に余念がなく
トマムは緑の丘でながい杖にもたれて立ちつくす
通過する者は
通過する者たちと視線を合わせない
果てはあるが終点のない
夕闇があたりをつつむと
もうすぐ朝 空を見おろす
南をさした十字路の舳先でぼくはおおきな伸びをする

すこし涼しいね エマさんがささやいた
夜からの風をふかく吸いこむ
かつて十字路で肩を組んだ記憶
距離と時をおいてトマムもぼくも振り返り
ああ 涼しいね 
同意のことばを漏らす
いろとりどりの十字路で
ぼくらはいつか再会し 微笑んだ


(無題)

  マキヤマ

鳴っているもの
肩のそばで青く
きみのがわへ、
晴れて
編みこまれてゆくものが
まだ
震えてる

いつか交わされた
言葉たち
名づけられ
見はなされたものたちが
そこここに彩られ
まばたけば
まばゆく
手にとればまた
新しい

人と人とが結ぶ
口約束のさなかに
きみのがわへ、
晴れて
編みこまれてゆくもの
いつか
そうあったもの
肩のそばで青いもの


海と天ぷら。

  おっさん



 一人で稼げるようになったら、
 
 家を出よう。

 年をとって、わがままになった母を置き去りにして、
 
 兄夫婦にも有無を言わさずに、

 
 海の近くに家を借りるのだ。
 
 あらゆるものが白っぽく浮き上がる午後に、

 潮の匂いがどこまでも追いかけてくる様な、

 夜は、孤独で暗い自分の寝床に、

 ひたひたと波が進入してきて、幻の海の底で眠れる様な、

 そんな場所を探して。


 休日は、細かい路地を抜けて

 海でも見ながら、

 天ぷらを齧ってみたい。


風底

  DNA

        風が、風が吹いているのだ、
         と不意につぶやいたなら
             きみは風たちを
       一歩遅れて知ったというのか

                たしかに、
        風は吹いているのであった
           台所の窓をあけると
               白い物体が
       滑って流しにおちたのだった

          きみはもう風にのって
     風が吹いているのだという手紙を
          風たちの色の自転車で
     風が吹いているのだという手紙を
            運んでくることに
     まっすぐな〈嫌悪〉をむける術を
          身につけてい たから

(細かくふるえながら
ぼろきれと
なっていく左手

     気が違ってしまった老いた犬と発
情、悪い情熱が次の(/)熱を呼びよせる三
度目の乾いた性交のあと、風の吹かない時間
を逆さまに思い出して、その左の手で弱々し
くぼくが作り上げた北斗七星の影絵に、きみ
が、蛇口から降り注ぐ、愛とか哀しみとかの
透明な水と砂まじりの海水とを注いでくれた 

(そっと
置いていかれる
裸子植物の
小さな種子

歩くことと息を継ぐことを
同じ
低さの営みとする
その習俗に触れ

もうずっとぼくらは下手になってしまった

           うっすらくぐもった
              視界の内奥に
             とどまっている
               ひらかない
               風色の草原

(むきだしの生、半裸の棕櫚

             遺体の整列した
      安置(/息)のための体育館で 
      いつまでも鉛筆を削りつづける 
              百草のような
             ぼくときみとの
         おわらない会議が開かれ
              そこにも、風

                 たとえ    
                  /ば
          柔らかい夕刻の腐臭や
           オールドバザールで
             少年たちの齧る
            フルーツトマトは
           風たちの色に乗って
          やってくるということ
                 それを
           信じてきたのだから

「どうか恐れずに」
 
                風たちの
                吹いた、
             たしかに吹いて
            いるの、であった

文学極道

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