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作品 - 20080514_975_2765p

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吠える(修正)

  みつとみ

 低く吹く風に睫毛がゆれた。乾いた土の香りがする。閉じていた目をあける。ずれた眼鏡の位置を正す。朝の光に、うっすらとまどろみが消えていく。徐々に、物の輪郭が確かになっていく。遠くにある山は、幾筋もの亀裂が頂きから麓まで走っていて、その向こう側から尽きることなく風が吹いてくる。わたしの喉の奥まで。喉を痛めていて、咳を二度繰り返す。連れだっていた狼はいるだろうか。かたわらの狼の毛を手でさぐる。けれども、その背に手が触れない。見ると、狼はいない。代わりに、昨夜拾ったペットボトルに手が触れた。底にいくらかの水が残っている。

 のぼり始めたばかりの日の青い色彩、空には白い雲がうすくひろがり、地には風にそよぐ陰り、草むらがある。風の音がしている。石の転がる地の、その離れたところには風にそよぐ草が見える。草の輪郭がぼやけたり、くっきりとしたり。その中央に、捻れた木がひとつ佇んでいる。その木をぼんやり見ていた。
(わたしはまたひとりになったらしい。いつものことだ)
 
 空腹を感じ、わたしは腰をあげる。立つしかない。ふらつきながらも、足を進める。何か食べる物はないか。石の転がる地は、やがて草に隠れていった。木の実でもあれば、わたしはそう思い捻れた木に向かって歩いた。ジャケットのポケットから手袋をだしてはめる。腿までの高さの草で隠れる。その枯れた草地を、ひたすら進む。遠く岬へと続いているはずなのに。しばらくすると、足がしびれた。ペットボトルを抱くようにして、片膝をつく。そして、体を丸め横たわる。
 乾いた風が吹くなか、わたしはうつらと一頭の狼となる。前脚を伸ばし、枯れ草の地に立つ。脚は白い毛で覆われている。草から頭ひとつ出る。そんな断続的な光景を見ては目を覚ます。

 影が動いた。見ると、白い素足があった。視線をあげると、裸の女が立っていた。まぶしいのは、背後の陽の光のせいか。女は正面に立ち、わたしの肩に手を置いた。意識がぶれる。女の髪は乱れており、灰色で一部に黒い色が混じっている。その髪が風でなびいている。
 女はわたしの肩に手をまわし、背に顔をふせる。女の髪が、肩にかかる。果実のような匂いが漂う。女の指がわたしの無精ひげの頬にふれる。女はもう片方の手にしていた果実を差し出す、その甘い香り。

 目を開けると、いつの間にか、あの木の根元にたどり着いていた。見上げるが木の枝に実はなかった。背後の空が青白く見える。ふいに肩を押される。振り返ると、狼が後ろ脚で立ち、前脚をわたしの肩にかけていた。狼は口にくわえていた果実を落とし、鼻先で押す。わたしは果実をうけとった。乾いた梨だ、実を手につつむ。たったひとつの果実の重さ。香りをかいだ。
 
 いつのまにかまた眠っていた。閉じていた目をあける。月の光に、蒼い地が照らされる。物音のしない夜だった。

 周囲に光がちらつく。ときおり押し殺した息が聞こえる。わたしと女は互いをかばい合いながら、見渡す。狼の群れだ。どうやら追いついてきたらしい。数頭か、十頭か。わたしは足下に手をはわす。石か棒きれかなにかないか手で探る。ペットボトルに触れた。わたしの背に、女は背をつける。群れの一頭の狼が、吠える。ペットボトルをつかみ、投げる。軽い音が鳴る。もう片方の手にあった梨を投げる。群れの一頭の額に当たり、小さな悲鳴がある。女の狼がわたしのジャケットの裾をひっぱる。わたしはジャケットを脱ぎ、ポケットからライターを出す。暗がりにライターをかざす。乾いた音を二度三度たてる、その指が熱い。ライターの火がつく。焦げた臭いがする。その火にジャケットをあてる。火とともに煙がでる、ジャケットを振り回す。熱さに唇をかむ。そのわたしの背後で、女が、うなる。
 わたしと女は、吠えた。

 青い月が、狼の群れに囲まれ、暗がりの草原で、火に包まれたジャケットを振り回す、わたしたちを見ている。
 そして、暗がりをにらみ、世界中の獣が吠え始めた。

文学極道

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