#目次

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2008年04月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


新宿の歌

  まーろっく


かたくなな心を
あたたかい雨が叩く
旋律は燃える
今は遠い父の膝で
聞いていた
赤い新宿の歌

手を打つ
男らの丸い肩
裸電球の下で
揺れていた
私と湿った座敷と

歌っていた
赤い新宿の歌
父の胴を
のぼっていく声
雨にけぶり
暗い灯を灯す
漂う土地の名を

なぜあれほど激しく
焦がれていたのか
いまだ見ぬ赤い新宿を
酒は燃えて声は高まり
いつしか見えそめた
暗い海の広がり

初めて孤児となり
わたしは泣いた
途方もなく大きな
おとなたちの歌声のなかで
精一杯
誰にも気づかれず

夜は更けても
せつなく燃えていた
赤い新宿の歌
しぶく雨音に想う
遠い旋律の在り処よ


そら似

  まーろっく

季節の坂をのぼる
胸には美しく包装した
空き箱を抱き
歩幅のぶんだけ
地平はさがり

わずかに高まる
あなたの心音を想い
わたしは勾配の不安に
つまさきで触れる

春色はとうに
人にやってしまったから
花のかたちにおおわれた
道をくだる

軽やかに
脱ぎ捨てたというのか
モニターの素子の海に
白い横顔をいくつもの枝の
影がよぎり揺れる

春に逝ったボーカリストよ

ゆるやかな螺旋の内側で
交わろうとする架空線を
滑り落ちる歩幅よ
このすれ違う時間の先端で
裏返るひとひらの春

あなたがあなたであることも
わたしがわたしであることも
微風にすら耐えない
揮発する輪郭であったなら

わずかな歩幅のずれから
永久に遠ざかってゆける
世界があったなら

ああ
春に逝ったボーカリストよ

人影のなくなった坂道に
開け放たれたラジオから
あなたの曲が聴こえ

花びらより先にポストから
紅く色づきはじめ


さてと

  吉井


  さ

 三匹の猫はマグカップの絵付けのように
 まばたきもせずネメシアの花の遥かむこうを見ている
 語りつくした言葉のあとさきに長い行列ができ
 需要と供給の曲線が幾重にもよじれてしまった
 ――かじきまぐろのコトレッタ美味しゅうございました
 ――それはようございました


  さて

 むかえのベランダの柱が一本折れていて
 雨にろ過された水のにおいがする薄青緑のブラジャーが干してある
 みちのくの大物産展と春の聖火リレーをはしごして日本海に出た
 あっ当選応募はがきを忘れて来てしまった
 ――バンホーテンは粉っぽくていけない
 ――さようですか


  さてと

 電線に止まろうとした烏がこけて
 照れ笑いしながら鷹になりすまして滑空している
 突き出された言葉の穂先が160キロの硬球を刺し
 わかってるくせにと言って少年は頭を小脇にかかえて通り過ぎた
 ――豚しゃぶに使うお野菜キャベツではなくレタスにしてね
 ――はい奥様


星遊び 

  ポチ



 汗だくのアフリカで、裸になった友人から手紙が来た頃、僕の机の上では、数冊の本が同時に開かれたまま文字たちが飛び出している。友人の手紙が僕にこう言う「星に上がるのさ」と。彼が一緒に送ってきた人形はマヌケにも「Eureka!Eureka!」としか言わない。僕の祖父は、そう叫びながら家を焼いたんだよ、と彼が口にするまで、僕の部屋の扉は開かない。これはまじないなんだよ、ずっと昔からのまじないんだよ。
 
 星へ上がる

 星へ上がった人たちの瞳は青いから、とてもきをつけないといけない。僕がずっと昔に祖母に言われたことを信じていないから、青い瞳は、その人が死んだ後に、固まって青いものになるんだよ、と、静かに友人に語るけど、友人の瞳は黒いままで燃えているのさ。燃えたものは、白く冷えて土に上がる。上がってから、下がって、また黒くなるのさ。

 まじない

 まじないはいつも夜に、そして昼に、朝にはできるだけ控えて、そういう君はいつまでたってもそれをやめようとしない。まじないは、いつだって聞き分けがないから、耳をつけたまま走ったあの人のように、砂浜で首をかられるのさ、かられた首は笑ってアフリカに落ちる。落ちた首を君が拾って、またまじないをかけたら、それは星へ落ちるんだろう。君はそうやって何度も何度も夢を見た。


Eureka

名前を与えられなかった、
あなたや、わたしが、
くだけちったまま、
たまげる、
たまげるってのは、魂削るって書くんだよ、と、
知らない人が言付けて、
わたしは旋舞し、
あなたは戦舞し、
何度も何度も、
同じようにして、
見たままの、
開かれたもので、
同じように、
そしてや、また、から、
引き出された、
退きだされた、
靴や、
帽子を、投げ打って、
廻っては巡るままの、
呼吸の仕方や、
知らなかった、
場所に、
かえる、
そして蛙が、
帰らない内に、
私たちが
帰らない家に、
ことづけをして、
わたしたちや、
わたしは、
ゆっくりと、
渡っては、
渉り、
口笛を吹きながら、
屋根を葺いて、落ちた、
と、言われるままに、笑ったり、
下がったり、
転んだままで、
転ばないままの、
いしを、いしを、
渡して、
わたしや、
わたしたちの、
あおいままの、
ことばで、
いえへ帰るまでに、
孵らない、そして、
やっぱり返らない、
はだしで、見て

星へ上がらない、まじないを、
何度も、


恋歌連祷 6(仮)

  鈴屋

月は高く
植物は帰化する

あなたと手をつないで秋の花を観にいく 河原に泡立草と
芒を観にいく 明けるのか暮れるのか雲が垂れ込めいつま
でも仄暗い 対岸の丘陵の中腹にゴミ処理施設の煙突が見
える 鉄橋を電車が渡っていく なぜいつまでも暗いのか
クレゾールが臭う 河原一面泡立草と芒の金銀の斑がぼう
と浮いている 土手から河原に降りる 芒の葉陰であなた
の口を吸う あなたの顔が風に掃かれ白々瞬く 足許で人
が死んでいる 川岸でも半身を水に浸しながら人が死んで
いる その爪先が浮き沈みしている 土手の草の上で人が
死んでいる あちこち累々と死んでいる クレゾールが臭
う 上流の空の果てが傷口のように爛れている ゴミ処理
施設の床にも煙突の中にも死体が詰まっている 電車のシ
ートにも床にも死体が転がっている あなたと手をつない
で死体を見ていく 橋脚の下でわたしの母が死んでいる
波際であなたの姉が腐っている 姉の右の乳房が陥没して
いる 泡立草と芒の中に分け入り わたしたちは向かい合
ってしゃがむ あなたの口を吸う あなたの顔が風に掃か
れ白々瞬く 花を観に来たのだから 仕方がないのだから
わたしたちも死ぬ準備をする

尾長が叫ぶ どこかで
今日が始まる


  凪葉

昨日降り続いた雨は、まだ止んだばかりなのか、見上げた朝の空は、一面を巨大な黒い雲と白い雲とが点在する穏やかな空で、その僅かな隙間から、例年よりも幾分か熱い、太陽の光が降り注いでいた 
 
道の脇には、まだ耕されたばかりの畑が広がり、トラクターの跡だろうか、いくつもの窪みに溜まる水の中、ちょうど開けた空の青が、真新しく吹く風にゆられている
沸き上がる土の、どこか懐かしい匂い、街を城壁の如く囲み連なる山々には、雨上がりのせいか霧はなく、若葉の混じるその姿の上を、鳶が一羽、ぐるぐると気持ち良さそうに旋回を続けながら、高くたかく上昇していくのが見えた
 
 
行く道には、たくさんの花がばら蒔かれたように咲いていた
植えられたばかりの小さな桜の、淡い桃色や、畑と向き合うように流れる水路に咲く、名も知らない花の純白
まるで花束のように、一点に集中して咲く馴染み深いたんぽぽの、眩しい黄色と、
空を宿した瑠璃唐草の、澄んだ青色、はじめて名前を覚えたのだと、妻が微笑みながら言ったのを思い出し、しゃがんで、そのひとひらに触れた時、ふわり、と、あたたかい風が花をゆらして、いくつもの花びらの上から、雨の滴を落としていった
 
 
くねくねと続く道の先の、一番大きな曲がり角を越えると、またひとつ大きな畑が広がっていた
その畑の向こう側に植えられているりんごの木々には、黄緑色の若芽と、赤い色の小さな蕾が生え、その近くには、梨の木が白い花を咲かせている
畑の隣には別の畑が広がり、その隣にまた別の畑が広がる、その連なりの合間を縫うように、古い家が崩れそうな具合で建っていた
 
 
見上げると、さっきまで空に点在していた巨大な雲の群れは、薄く伸ばされ、消えてしまいそうなくらい透明になって、後ろに在る空の青が微かに透けて見えていた
ふいに、砂利を踏む音と共に、前方の畑に乗りかかるようにして停車してあった軽トラックが動きはじめ、私の進む先へと、ガタガタといびつな音を鳴らしながら走り去っていった
その姿をぼんやりと見送った後、ふと視線に見える山の麓辺り、目の前にある木の間から、光の曲線の一部がうっすらと見え、
よく見ようと少し場所を移動してみると、それはやはり虹で、山の麓から隣の山の頂き辺りまで、橋のようにかかっていた
 
 
軽トラックが消えた畑の中には、よくみると年輩の女性が、腰を屈めて農作業をしている
時折吹く爽やかな風に体を持ち上げるわけでもなく、ただひたすらと作業を続けている
虹、虹には気づいていないのだろうか、そう思いながら、さっきよりもやや歩調を落としつつ歩きはじめた
女性の横を通り過ぎた直後、ひとしきり強い風が吹いて、春のやわらかな匂いが轍となってやってきた
虹はまだはっきりと山から山へとかかっていて、しばらくそこで立ち止まり眺めていたら、急に、たまらなくなって、その場で振り返り、女性にむかって、薄い光が射す虹のかかる辺りの空を指差して、虹が出ていますよ、と叫んだ
すると顔を上げて、虹に気がついた女性は、すぐにこちらに振り返り、ありがとうと、手を上げて、帽子の下、しわくちゃの顔でにっこりと微笑んだ


サイクル祖母

  宮下倉庫


墓は遠い
それは栃木のへその辺りにあり
そこには誰もいない
現在地のような顔つきで
祖母は循環を続けている
あ 地震
昂ぶれば昂ぶるほど
地震嫌いの妻のもとに
駆けつけなければならない
なにぶん墓は遠く
生きている者は傲慢だ


暑い日だった
木立の階段を登りながら
前後左右でみな押し黙っている
やがて蝉の声ばかりになり
今墓を目の前にして立つ
向こうで石工は新しい名を刻んでいる
ここには誰もいない
そこかしこに散在している
こめかみをちょっと押してみる
まったく暑い日だった
石工も汗びっしょりになり
やがて冷たい水となって流れていく
お参りの最中に地震あった?
どうだろう
揺れていたのは
僕たちだったのかもしれない
東京では微弱な震度が観測され続けている


呼び名について考えている
堆積する祖母の傍らで 孫は浚われていく
血の名付けというのはあやふやで
黴臭い幻想なのかもしれない
この部屋は祖母の部屋だった
今は子孫たちに埋め尽くされ
焼けて黄ばんだ畳の上には
半分だけの煎餅
少し湿気たそれを齧る
見送られるのは好きじゃなかった
なにひとつ引き受けずに南下を開始すると
誰かが新しい名で僕を呼ぶ
 


無題

  凪葉

わたしの中に、あると思っていた、永遠や、愛や、そういうものすべて、混ぜ合わせて包んだような、ひかりとか、抱きしめていた、朝、からだの奥深く芯から、じわりと滲みだした黒いなにかが、
指の先や、鼻の先、とにかく、先という先へ向かっていくのを感じて、
どうにかしないといけないのもわかっていたのに、どうすることもできないままで、
ただ、立ち尽くしたまま、
 
 
 
ここに居てはいけない、
そんな気がして、また振り払って、くりかえしを、くりかえして、
頭上を見ることができなかった、いつもみたいに、空を仰ぐことができなかった
不思議と首が上がらない
このまま、脱力する前に、と、耳元にはめていたイヤホンを強く押しこんで、いつもより音量を何倍にも上げて、なんとかして、思考をねじ曲げたかった
愛すること、そのことに、溺れそうになりながらも、胸を張る
爽やかに吹きぬけていく風にさえ、倒れたくもなる
 
 
 
鳥の鳴き声、雲が描く風の姿、草木のさざめく音の群れ、
生憎のくもり空が心にしみた
求めることが失うことなら、と、なんど思っただろう、あれからずっと、見つめ続けている長い時間
何気ない野花が愛しく思えて、触れようと伸ばした手の、ささくれた指先に、わたしの海に落ちていくわたしが加速していくのを、必死になって、固めるように、つよく押し止めてから、また、歩きはじめて
 
 
 
怖いのは、崩れる前に壊れてしまうこと、からだの中から破けてしまうこと、何も感じなくなるなんて、そんなこと、無いと思って、いたのに、悲しいうたばかりうたうようになって、悲しいうたしかうたえなくなって、手の届くせかいから遠ざかってしまって、それから、それから、わたしはどこへいくのだろう
 
 
 
あの朝も、いつもと同じ眩しい朝で、きっと、これからも続いていく朝で、それでも、ひとつずつ何かを失っていって、そうして、何かが生まれて、いつの日かわたしがわたしで無くなる時がくるのだろうか、と、張りつめていたものを緩めて、解して、このまま、
わたしがわたしで在れたなら、と 
 
 


春に流れる

  如月


草の香りを織り込んだ風が
優しく空を広げていく

あたたかくつもる雪の
内側から開く胎児の呼吸

どこまでも昇る手に
さしのべられた太陽が遥か

 *

水がすくわれていた
どこからか流れついた水が
泥まみれで遊ぶ子供らに

紫外線を照り返す川で
いくつもの
私たちがせせらいでいる

名前も知らない花
知らされる事もない花

すくわれなかった私の指先から
てんとう虫が飛び立とうとしている

 *

沈んでいく今日を
許していくような夕暮れに
溢れていた声が
いっせいに帰っていく

コンクリートに跳ね返された
声たちだけが
置き去りにされている

知られる事もなく
知らされる事もなく
そっと

 *

たんぽぽだけは
ちゃんと区別が出来る子供

流れていった水
すくわれなかった声
過去も、また現在も

風に吹かれて
羽ばたいていく
たんぽぽの種に憧れている子供

いつまでも
種だけを見つめ続けている
私たちが
風が無音として
響かせている空へ
ゆっくりと
いっせいに流されていく


[栞の代わりに挟まれる]

  香瀬


[栞の代わりに挟まれる]



   on
    女はパソコンの前に座っている、パソコンには文字列が書かれているが意味がわか
   らない、どこにも届かない文字が配信されている、光の粒となって配信された文字列
   は女のイメージを灯すことはない、部屋はパソコンの明かりにだけ照らされて女の顔
   だけが浮かび上がっていた、左手で缶チューハイをあおる、女の影だけが少し濃く見
   える真っ暗な部屋です、クリック、
                   真っ暗な部屋で一人晩酌をしている女が主人公の
   小説を半分まで読んで、女は乗り換えのため電車を降りた、次に乗るためのホームは
   陸橋を渡らなければならず女は本をたたみ小脇に抱え人波に泥みながら流れた、光の
   流れが見えるように駅は埃が立ち込めており、ブラウン運動? そんな理科の用語も
   思い出したりしながら、この陸橋を渡る黒い頭のひとつひとつが微動しているようだ
   ろう、と階段を下る女とすれ違った、
                    女は女子高生の格好をしており、戦闘服である
   セーラー服を着こなしている女子高生であること自覚していた、最新のヒット曲はま
   ったくわからないけれど、ひとつひとつの音の流れが鼓膜に届いてくるのは感じてい
   た、「切り取ってよ一瞬の光を!」、切り取られた女は黒い粒粒した波に同化してい
   く、そんなのに似た女がいくつも束になって突き刺さってくるような気分さ、ヘッド
   フォンは汗ばんできている、
                女の鼻腔をくすぐるのはなんだろうか、駅から出られな
   い女の夢を見ていたような気がする、電車の中で目覚めるとそれだけ思い出した、鼻
   先を掠める匂いはまるで女子高生の耳から流れる汗のようで、噎せるようだよ、鼻粘
   膜の湿り気はセーラー服を着ていて、きっと耳たぶにはシルバー925のトカゲのピアス
   があるはずです、トカゲは夢の中で歩き出し女のほうに近づいてきた、女は電車に揺
   られている、女の耳飾が少し動いた、
                    食べられたい/食べさせられたい、女の唇の上
   で誰のかわからない液体が光っている、銀色に光って、銀色の小動物が漏らしたおし
   っこのように光っている、女は舌を伸ばし、舐めた、しょっぱい、舐められた女はト
   カゲに舐められたのではないかと錯覚するほど気持ち悪く感じていた、全身が鳥肌立
   つぜ、おしっこをしたあとのように身震いしている、本当は気持ちいいのかもしれな
   い、しょっぱい、って股の下から言われた気がした、
                           爬虫類に犯されている女の気分
   で夜が明けると、ベッドの横で眠っていたはずなのに誰かの上で腰を振っていた/振
   らされていた/ていたかった、壁を這うように密着した接合部が泡立つ、小ぶりな胸
   の先端をつねられる、いたい? 冷血動物の体温で愛撫されている、
                                  自ら跨って腰を
   振っています、という演技をしているビデオを見ていた、ビデオの女は大して興味も
   なさそうな顔をしてタバコに火をつけた、上の口でも何かを咥えずにはいられないの
   だろう、なんだそれ? いたいよ! 無理矢理つっこまれたことに憤慨した女はタバ
   コをもみ消しシャワーも浴びずに着替えて部屋を出て行った、女に出て行かれた部屋
   は暗く、一部だけより黒い影が壁に映っていて、一瞬だけ女だった、
                                  失敗したセック
   スの後のような顔の女が店に入った、キャラメルマキアート、出てきたコーヒーはブ
   ラックで、一気に飲み干した、今日のコーヒー、しょっぱい? 胃袋が灰色になりそ
   う、頬が湿っているのは湯気のせいだよ、、という形の煙が換気扇に吸い込まれるの
   を見届ける、灰皿には三本の吸殻があり口紅の跡が目立って見えた、赤い唇の跡は血
   のように赤い、女の首筋に同じ唇の跡があった、気がする、
                              乱暴に吸われ、吸い口に
   血がついていそうなタバコの煙の匂いがする汗、女子高生はヘッドフォンのボリュー
   ムを上げ汗の量を増した、電車の中の戦闘服はどれもこれも揺れている、パンストの
   付け根は少し湿っていて乗客は清楚です、座っている女も吊り革を掴んでいる女も何
   かを咥えているから、どこから出てきたのかわからないような液体の匂いがして、禁
   煙席のほうまで春の匂いを届けそう、
                    銀色のトカゲが揺れているのは、どの席も揺れ
   ているからです、耳を穿とうとする空気が灰にまみれていようが、どうせ消えてしま
   う、諦観した鼓膜が呟く声も聞こえてきそうさ、「写真になれば古くならん?」、新
   しいって何のことかもわからないくせに、すぐに音を拾おうとする女のような真似は
   やめる/めろ/めて下さい、その耳たぶを下さい、
                          いくつもの女が音とか匂いとか味
   とかで流れていく消えていく満員電車女子高生蜥蜴腰振珈琲煙草、そんな光景を見せ
   られている女だった、光景は消える圧縮、本を閉じる、on/offの「/」みたいな栞 は
   失くしたところだから、栞の代わりに女が挟まった、送電線笑う、パンタグラフが上
   下するのと同じ速さで視線を動かす、動かした先に何が見えるの? その「?」に追
   いついたところでまた離される女、クリック、
                        クリック、ページを下にずらしながら
   女は缶チューハイを飲みなおす、無味無臭、透明な液体を音もなく飲む、そろそろク
   ライマックスじゃないかしらん、パソコンの前でそう思った、意味のない文字列を目
   で追っていくよりも早く退屈している、書き終えて書き終わった文字を目で追う、追
   われる女の空き缶は消え持っていた左手も消えて女は主電源を強く長く押しながら消
   えた、「ここ」まで女を読んできた___((も消えそうで、)どのパソ コ  ン
   の  前  か ら   も     k i   e    t    .   、
                                        off


変身

  殿岡秀秋

忍術を覚えて
小学校の教室から消えて
塀の外に出たい

煙を出しているうちに
周囲の囲みを抜ける隠遁の術を
授業では教えてくれない

せめて眼のスクリーンに
映るものを減らそう
乱暴な男の子は
画面から消して
側にいるのを忘れよう
平和そうに見える
女の子だけを見る

眼は耳と違って蓋ができるが
そのままでは歩くことすらできない
仕方なく瞼を開くと
見えてしまう男の子
ぼくは頬かむりをはがされたように
うつむく

もっとも見たくないのは
教室の席に座ったまま
石像となって動かない
ぼくの姿
天井から見ると
周りの人の輪から
小島のように離れている


囚われている教室から
黒板を見たまま
抜ける術を覚える

教室の景色を
眼の縁で小さくきりとって
眼の内側に貼っていく
頭がぼんやりとして
眼は焦点を失う
先生の影が動き
声は耳に届いていても
理解はしていない
見える先を丸く小さくしながら
芋虫のように蛹になる

その中は戦国時代
ぼくは黒装束を身につけた
強い忍者になる


迷宮体

  黒沢





そう、帰結となる印象は、永さ…、まるで無限ともいえる永さだ。どれほどの永い時間、ためらい逡巡しながら、ここの沈黙に堪えてきたのか判らない。この迷宮は、誰の手によるものなのか。粉っぽく、湿度を孕んだ砂まみれの石畳には、大規模なわたしの影が写り、ゆるやかに伸び縮みする。きわめて制約され、繁殖力を殺された若い多年草が、地面の割れ目から、ちょうど踝の高さまで、茎を生やしている。ぴったり、同じサイズ。同じ嵩のひらいた葉。視界は、荒れ果てた壁にぶつかり、紆余、曲折する。

壁についても、いいたいことがある。堪えがたく、迷宮の迷宮たるうんざりする悪夢を、絶えず、海鳴りのようにもたらす、脱色された煉瓦の壁。その色は白というべきか、黒とよぶべきなのか。比喩すら難しい暴力によって、内側から破壊された感のある、全体の判らない伽藍の蓋い。光はさしてくる。むき出しの梁の間から、確かにそらや風の気配が見えるが、もう何百年も、わたしをじらし続ける上からの光は、迷宮の輪郭を嫌にはっきりさせ、ここの空間を計りなおしている。機械的に、捕捉し続ける。

この迷宮に、夜がないのかといえば…、違う。ありとあらゆる割れ硝子の間から、顔を覗かせ一時停止している若い多年草。ちょうど、一日の三分の一だけ、辺りのそれが、突然死する。そらから、風が一撃で奪われ、まるで津波の気配に似て、見果てぬ悪意と予感において、上からの光がいっせいに衰微する。このような仕打ちに、永遠の昼と、夜の刑罰に、堪えられる存在があり得るというのか。崩れ落ちた梁の一本が、わたしの不安定な寝床を脅かしている。おそらく、前任者のものと思われる意味不明の道具の類い、布や、石や、紙の表面に、星の光が降りそそぐ。



さて、何十万の文字と、何万の改行でなる日記を、わたしがここでものにしたか、判らない。迷宮は、今も、今に至るこれまでの間も、とても静かだ。なおも脱色している煉瓦の壁と、意図の知れない梁の破壊。ためらい傷に似た足跡だらけのこの構造体の向こうに、つまり、悪意に満ちた闇のそらに、らせん状星雲が見え隠れする。大きなリングを、二つ垂直に重ね合わせた設計のはずだが、わたしの視角からは、丸い、ぼんやりとした真円にしか見えない。理論上の振動ベクトルと、特定周波数の不可視の光に、侵食され続けるのは大いなる慰めだ。

わたしの日記は、らせん状星雲を写し取るだろう。比喩、としての修辞でなく、文字と、改行でなるその内部では、星雲が死に、膨大に渦巻くだろう。まもなく…、周囲の多年草が起き、息を吹き返す。もはやこれが、何度目になるのか判らない。昼がきて、上からの光がこの迷宮を照らしだす。わたしは再び、永さ、永さと、喚き散らすばかりだ。見覚えのない坂路が現れ、わたしの伸び縮む影の近くで、生きたように全く動かない。わたしの迷宮は、つまりこんな具合だ。こうなのだ。



突然の曲がり角に会うと、わたしの内部で水がわき、涸れるのが…、判る。やがて、わたしは死ぬだろう。わたしの髪の毛の一本一本が、星雲の細やかな光を形づくるだろう。


建築

  シンジロウ


人々は建築を見ずに
ぞろぞろとホールに向かう
お出かけモードで
この国の人々は皆
清潔をもって良しとする
不浄は悪である


不浄へのコンプレックスが
お出かけモードを醸し出す
その実、不浄を隠すと言うよりも
隠した不浄を楽しんでるのだから
相当な変態サン達だったりする
その汁、自分が変態だということを
認めないという事に
かなりのマゾっ気で挑むのだから
さらなる奥深い
ハイレヴェルな変態サン達であり
一方で普通のごく初歩的で健全な
明るい変態さん達を
かなりのサドっ気で追求するのだから
その実やはり立派でオールマイティな
最強の変態サン達なのである

建築は白々と建っているが
そこにエロを感じないでいられるところは
驚きをもって認められるが
やはりこの国の人々の国民性である


海とカンガルー

  ミドリ

擦り切れた絨毯の上に、一匹の黒猫がいた。
カンガルーはホテルの風呂に浸かり、ドアノブの隙間から、
客室係に厳しく朝食の注文をつけている。

朝、ベットに入ったまま、カンガルーはかつて栄えたこの海岸沿いの、
リゾート地のことを考えていた。
タオル地のガウンにくるまり、部屋の電灯の下でクロワッサンを頬張る。
テーブルの上の、市街地図に目をやると、カンガルーは持っていたコーヒーを
思わず零してしまった。

窓ガラスの隙間から潮騒が入り、匂いが、鼻腔をついた。
彼がこの日エージェントと会うのは午前の11時だ。
腕時計に目をやる。
黒猫がカンガルーの膝の上に飛び上がる。

電話がなった。

「あたしだけど!」

女の声だ。

「なんだ!」

カンガルーは答えた。

「あんた今どこにいるのよ!」

ノックもせずに、客室係が入ってくる。
「小エビのポタージュでございます」

カンガルーは眉間に皺を寄せ、女にこう言った。

「海さぼくと君の海さ、胸の中に、ちゃんと居るよ」


アネモネ

  草野大悟

よっつのかぜが
なかよく
てをつないでいる
あおぞら

たいようが
にこにこと
かがやいて
ひかりのなか

ぼくたちが
どこからきて
どこにゆくのか、など
うみにほうりこんで

ただ
ただ
くもとあそんでいる
いま

よっつのかぜは
きゃんばすのなかで
あのころとおなじように
よにん、てをつないで
うみをわたってゆく


ギニョール

  

 星が点在する夜空の下、僕は巨大なテントの中へ入っていった。この星にはまともな人間は僕しかいなく、テントの中に組まれた劇場の中にも、僕以外誰もいなかった。僕はその為か、入場料を払うのを忘れて、入り口のカウンターに戻ると、「入場料は無料です。ですが、催しが終わった後に、あなたの中の何かが失われると思いますよ。それが入場料の代わりです」と羊皮紙には書かれていた。
 劇場の椅子に座ってじっとしていると、突然暗くなって、ぱっと舞台の中央にスポットライトが暗闇を切り抜いて奇妙なメイクを施したメタボリック症候群の中年男性を照らし出した。「いらっしゃいませ。私がこの劇場の支配人です。此処では、貴方の望み通りのものを観ることができます。宇宙がホクロのように見えるこの惑星にはもうずっと前から居座っていますが、お客様は貴方が初めてです。見たところ、貴方は世界旅行者のようですね。さて、何をご覧になられますか?」僕は突然そんなことを言われたので頭が真っ白になって戸惑っていたが、支配人は僕の心を見透かすように不気味に微笑み、「分かりました。たった今ご用意させて頂きます」と言って、指を鳴らすと彼に当たっていた照明が消えて、静寂が訪れた。
 その瞬間に、今度は三つの照明がステージ上に点り、最近視力の悪くなった目を懲らして見てみると、白いワンピースを着た君が立っていて、僕の鼻腔に君の肌と照明の熱と渦巻く空間の幻臭を感じた。僕は衝動的にステージに上がり、君を抱き締めた。
「私、貴方にずっとずっと会いたかったのよ」
 僕もだよ、と込み上げてくる涙を我慢せずに流し、更に強く抱き締めた。君も涙を流しているようで、大きな泣き声で、?僕の台本通りのセリフ?を延々と喋り続けた。それは存在しないはずの観客達を魅了した。良い雰囲気を壊すように、支配人が、観客席で手を叩いた。僕が支配人に振り向き返ると、「いいですよ、いいですよ、その調子」と彼は不気味な笑みを零して劇の進行を促した。
 暫く、あたかも本当に役を演じて第三者に見られているようにこの空間の隅にまで響き渡るように声を大にして感情を吐露していたけれど、何も喋る事が無くなり君をじっと見下ろしていると、君は同じように僕を見上げ、僕の次の一声が出るまで沈黙した。僕は先程のように再び戸惑い、頭の中を整理していると、支配人が「おい、どうしたんだ! 早く?劇?を続けろ!」と突然性格を豹変させて、野次を飛ばした。支配人は、既に観客の一人と化していた。僕はそのことにびっくりしたが、ずいぶん間を置いて、感情を何の変換も無しに言葉にして、「死んだ君といつまでも一緒にいたい…」と支配人を見返すように、大きな涙声を観客席に届かせるようにセリフを発した。
 しかし、君は無言で首を振った。そして、静かに背伸びをすると、僕の唇にキスをして、キラキラと輝いて消えていった。その瞬間、スポットライトが消えた。
 再びステージ上にスポットライトが点くと、僕は元の客席に座っていた。照明の下には支配人がいて、僕は拍手をすると、彼は丁重にお辞儀をした。「ご観覧、有り難うございました。確かに貴方の中の、?恋人の死による喪失感?は頂きました。またのご来場をお待ちしております」と言った。僕はテントの外に出て、船に乗り込み、この星を立った。


(無題)

  鈴木

丸ノ内のOLさんが高層ビル郡の隙間に見つけた小さなベンチで
体をちっこくしてお弁当を食べているのを見ると
あの子も遠くの町からやってきたのかなて思ったり
仕事終わってカラオケ行って「東京は愛せど何もない」って歌って
日曜日はどこにも行きたくなくて
ピザをとったらピザ屋の彼女になってみたいんだろうか
19万も持っていない君が東京で着ている服は高すぎないんだろうか
そしたら誰かが君を殴ってくれるんだろうか
東京は今にも雨が降り出しそうだけど
君の地元はどうなんだろうね そんで、おれの地元はどうなんだろう


笛を持つ警吏

  殿岡秀秋

眼にはいると
同時に足がすくむ
あの店に似ている
突然
笛が鳴り
その日その時の
味覚と
怒りと
映像が
脳のスクリーンに
再現される

街を歩きながら
古い日の苦い液体が
当時のままに
食道からぼくの喉へせり上がってくる

立ち食い蕎麦屋の
厨房の中の
白い帽子を被った
初老の男の動きが変だ
手元は見えないが
どんぶりの中の
食べ残しの蕎麦や
汁をあつめていると感じた
それがぼくに来なければいいと願った
やがて食べ残しだけで一人前が
できあがる
それが運悪く
ぼくにだされた
ぼくは一度口にいれたが
濁った汁をどんぶりに戻して店を出た

二度と来なければいいや
とおもって
怒りを無理に
喉から食道へ飲みこんだ

ぼくが失ったものは
空腹の腹を満たさなかった蕎麦一杯と
その値段だけではない

街角に
似た店が眼にはいると
胸では大声を挙げたいのに
うな垂れて
店を出ていったことが
呼びさまされて
ぼくは唇を噛む
怒るべきだった
何も言わなかったことを
ぼくを監視する警吏が許さない

警吏は大きな十字路で
笛を吹きながら交通整理をする巡査の格好で
銀色の笛を持つ

別のことを考えながら歩いているのに
立ち食い蕎麦屋が眼にはいると
警吏が現れて笛を鳴らし
あの日あの時が
呼びおこされる

ぼくの眼は街を受けとめているのに
警吏は
駅前のあの店の中にぼくをおいてしまう

怒鳴ろうか
それとも
客が大勢いるので
変な目で見られたら恥ずかしいので
やめておくか
「こんなことしていいとおもっているのか」
あるいは
「新しいのととりかえろ」
と言いたい
混んでいる店の中で
食べ残しの丼が出たのはぼくだけだ
ぼくが何かいえば
しかし
周りの客が
怒りだしたぼくを
不思議そうに見るのではないか
かれらに
何を文句言うのかといわれたら
背中から声をかけられたら
ぼくは店主に
文句が言えなくなってしまう

何もしないで店を出る
それが失敗だと
警吏はぼくを責める

その店は数年もしないで潰れた
しかしぼくの失敗は消えない
似た店は都会の駅の近くにはどこでもある
メトロの階段を昇り
四角い空が
ひらけるとともに
眼に飛びこんでくる店の看板
とたんに警吏が現れて笛を鳴らす

あの日あの時が
映像とともによみがえり
叫びたくなる

ぼくは忘れたいのに
笛を鳴らす警吏
かれを初めに雇ったのは
幼い日のぼくだ

手を握ろうとしただけなのに
機嫌が悪いときの母は
ぼくの手を振り払う

手が空をさまよい
ぼくの気持ちは暗い井戸に落ちていく
からだは地上で母の側にいても
ぼくの気持ちは井戸の底から
遠く小さな空をながめる

母の不機嫌を
浴びないために
母よりも
先に笛を鳴らしてぼくに注意をうながす
警吏をぼくは必要とした

かれの戒めを聞いていれば
機嫌のいい母だけを見ることができる
と期待した

ぼくは大きくなって
母の手を握らなくなった
ところが警吏は
ぼくの監視を続ける

何か失敗したとおもうと
繰り返しぼくは責められる

ある日
幼いころに
かれを採用しことをおもいだした
ぼくをいつまでも苦しめているのは
衛生的でない立ち食い蕎麦屋ではなくて
ぼくにつきまとう警吏だ

「おまえを罷免する
笛を持って出ていけ
二度とぼくの前に現れるな」

ガラスのドアを閉める
警吏は何か言いいたそうである
ぼくは立ち去ろうとして振り返る

まだ銀色の笛を持って
ガラスドアの向うに立つ
警吏の顔は
ぼくに似ている


(むだい)、

  緋維

手の平からするすると逃げていく透明に輝く砂糖がある日とてつもなく愛おしく感じたのは決して嘘ではなく、
あるいはそれが(例えば悲しみを伴うものだったとしても)(例えば許しを乞うものだったとしても)(憎しみを促すものだったとしても)、

それは冬の太陽を感じさせる優しさでこの部屋を包み、
排水溝に渦巻く垢を撫ぜながら、
そしてすべての人類からあらゆる慈愛とを受けながらも、
反射してちらちらと輝くそれは、ゆっくり溶かしていきます、溶かしていきます、

色のないこの部屋に、
それだけが色を成すようで、
しかしその感覚は錯覚だということ、
それは悲しみではなく、
まして喜びでもなく、
するすると、ああ逃げていったと、そういった事実だけがぽおんと無造作に放り出され、
色のないこの部屋は、
相変わらず色を成さないまま、正確に時間を刻んでゆきます、

重ね合わせた両の手の、指と指の生むわずかな隙間から逃げていくそれは、まるでそうすることが一番良かったのだと、優しく囁くように風に消えました、
夢を見ることでしか生きられない少女に、一瞬の甘美な夢を与えながら、

肺に溜まった空気を
嘆きながら
じいん、と、吐き出すの、です 。


本当の蝶はこの世に四匹しかいない

  右肩良久


 僕が郵便局から振り込みを終えて出てくると
 コンビニの前で中年の黒衣僧が三人、立ち話をしていた
 三人はみな妻帯者で
 一人は草刈り機の事故で右足の小指を失い
 一人はヘッジファンドへ投資して資産を倍増させ
 一人は幼女へ性的暴行を働いていたが今は改心している
 赤すぎる唇が三つ、蝶が羽ばたくように動く

 僕が今から四年後に
 吐き戻したカツ丼の飯粒の中に顔を突っ込んで死に
 翌朝隣人に発見されることを知っているのは
 この三人だけで、僕もそのことは知らないが
 彼らが話題にしているのはそんなことではない
 胃液の、少し酸っぱい匂いは漂うものの

 彼らの横に燦然と桜の裸木が立つ

 「私らの生得のイメージの中には、
  完き紺碧というものがありますよね」
 「それそれ。もの凄い流れが
  髪の芯まで染めるほどの冷たさで」
 「阿弥陀浄土はいわば角張った玄武岩の欠片だから、
  紺碧の奔流から眼を開いたまま拾い上げなきゃな」

 この世は僕の知らない秘密で充ち満ちている
 やがて三人は西友の前にある地下鉄入り口の階段を降りていった
 僕は誰にも告げられない悲しみに縛られたまま
 背中に広大な面積の翅を開く
 言葉にならない呟きで唇が震えるように
 二枚の翅が少しづつ動き始め
 やがて大きな開閉を繰り返し始めると
 僕の足は徐々に透水舗装の歩道を離れようとする
 翅の下を、吹きこぼれた悲しみが煽られて対流し
 圧力差が不安定ながら徐々に浮力を産み出すのだ

 誰の心の中にも完き紺碧というものはある
 遥かに離れてみると、そもそも地球が紺碧の真球なのだから
 そう思ってみても僕にできることは
 きつく目を閉じてみる、ということ。それだけだ

 なぜだろう、それは?
 ふと気を抜くと、つい
 この詩を読んでしまったあなたに問おうとしてしまう
 そんな破滅的な展開があっていいはずはない
 それでは僕は涙すら流すことができなくなる
 そうではないか?

* メールアドレスは非公開


宛先人不明

  ぱぱぱ・ららら

青い車が
僕のおばあちゃんに
どーん、と
ぶつかってくれたお陰で
僕のおばあちゃんは
死ぬことができました
たしか
八十四歳だったと
思います
 
僕は
二十四歳にして
初めて
葬式に出場することができました
 
昔、まだ僕が
七歳か十一歳の頃
僕は
サッカー選手として
日本代表の試合に出るのが
夢でした
 
そして、
現実では
葬式に出た訳です
 
僕は今、
満員電車に乗っています
東京の。
本当にパンパンです
 
僕は
アウシュビッツに向かう
ユダヤ人のたくさん乗った
列車だって
こんなにパンパンでは
無かったんじゃないかな
とか、考えたりします
 
あなた様は
どう思われますか?
 
まあ、僕が言いたかったのは
僕のおばあちゃんが
どーん、てなって
フラッ、と逝ってしまった
ということだけです
 
うまくあなた様に
伝わってなかったら
僕としては
光栄です


(無題)

  んなこたーない

八月が来て最初の雨は
いつも季節はずれにひどくつめたい

あなたをのせた客船は
すべるように岸からはなれていった
はなやかな号砲も
色鮮やかな紙テープの用意もなく
みずからの影にひきずられるようにして
しずかに岸からはなれていった

たとえば愛が終わるとき
生牡蠣色に塗りつぶされた心が
果たせぬ航海の夢を見送るとしても
ますますひろがってゆくばかりの距りの
そのとりかえしのつかなさに比例して
雨脚はいよいよ強さをましてくるのだ

どのようなちからがあなたを去らせたにせよ
ぼくが泣きたくなるのは
冷めない微熱のその悩ましさのせいではない
ぼくが泣きたくなるのは
この海景のしずけさのせいだ

ファインダー越しに覗いたぼくらの場所は
HereでもThereでもEverywhereでもない
パンフォーカスされた静止画のなかで
雨だけがかわらずに降りつづいている
乾いた八月の雨だけが
いつまでもかわらずに降りつづいている

文学極道

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