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作品 - 20071130_819_2474p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


不眠温度

  黒沢




・舟ぎらい・

夜を劈く、
不眠を巡るなめらかな舟。
それは星でない何か、
かぜでない震えや、
人でなしの基底音を受けて、
波をぬう蜜腺のはざ間を降りては浮いている。
影の終端におんなの指のような、
ひと巻きの塔が居残り、
降りては浮き、
それもずれていく。
ふみんの夜を彩る絶対の声は。


・きつね鏡・

眠りをまねて鏡を抱く。
凶の字が部屋の外で荒れ狂い樹の枝や時間が飛び去る。
轟く雷鳴さえそこらに反射され狐ですら贋ものの月に愕くだろう。

それからお前を呼ぶ。永劫の雨にも狂わない狐を。九の字となるその化生の愉
悦。その汗ばむ無言は逆さの行だろう。汗ばむ程の夢の過剰だろう。若しここ
ろが時間を持つのならば滅ぼす。いま私の袖を引くお前。引かれる窓の輝きの
底に猶もあの鏡が見えている。凶の字や九の字そのほか書体にならない不眠の
写しが。


・夜ふくろう・

ふたたび私は夜ふくろうに就いて考えそれは思うよりも恐怖をなお追認するに
過ぎないのだが翼を拡げゆくあの希少種が真っ直ぐ私を見返してくる大いなる
目。鉤爪は暗く燃えるみたいだし何より夜ふくろうは捕食せずじっと安定した
三角形のような幾何学的精密さで夜の静寂を卵さながら温めている。たちまち
私は湾をなす海なんか忘れ揺曳する集合マンションの制約に縛られて呼吸すら
できないのだ。断じて私は叫ぶ。これは断じて眠りではないと。

夜な夜なの死。それを曲折して来ない限り蘇生があり得ないというのは一体誰
ぞの約束事なのか。こんな時間に唄いだす星も鉄道もなく夜ふくろうの鳴き声
は車輪のきしり音に似て私を幻聴に誘い込むばかり。私をじっと見ているあの
大いなる目は傷みを伴い後悔やら羞恥すら伴って瞬きを繰りかえす。まるで
延々と。終わりなく。私はみたび湾をなす海の沸騰を思いそこを徘徊する身体
的自由に悶えながらまた初歩の地理的な制約条件に揺りもどされ塩からい涙を
流すのだ。

夢は眠りを真似る私の意識を誰かが真似ようとするプロセスに過ぎないから私
は思い切って夜ふくろうを除こうと思う。誰が何を言おうと夜な夜な私のもと
を非礼にも翔び立ってゆくあの夜ふくろうの羽ばたきを私は断じて許すことが
できない。


・ひと魂・

幼い日に見たひと魂は雨を裂いてやや崩れるような片隅で細く燃えていた。庭
の暗がり。夜ごと蛭のように火花を吸っては成育するそれを私は懐かしく見て
いた。

いま時間を経るごとに水の温度は赤から青へ緑から黒へすべてが私とは何ら関
係なくまた紫へと見つめ返す天蓋の一瞬の閃光が庭の暗がりの個人的な感慨を
さむざむと反芻している。生きながら見ていたそれは。


・ひつじ数え・

息をつき息を吐く。
ふたたび息をつき息を吐く。

それらが
ふみんの辞書において声を生成し、
転記された波紋が終に、
みよ子というよそ者を標榜しはじめるのを、
私は万感の悔いやら歓びを交え、
許すのだろう。
みよ子が数えたてる羊はひつじひつじと檻から放たれ、
中二階になった、
きびしく触媒された私の愛惜に似て、
木枠の柵を何度も越えていく。

羊が一匹ひつじがにひき羊が、
一匹ひつじがにひき。
丸ごと鋳造されては投げやりにされた喉。
声という、
とうてい私には容れられないお前が、
しんみり深爪されていく窓枠。
みよ子が数えるたび浮き上がり、
熱を奪われるたび
沈み込む、
ひつじ達のむげんの跳躍を星でない青空が視ていた。

息をつき息を吐く。
ふたたび息をつき息を吐く。

文学極道

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