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作品 - 20070728_685_2242p

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積み上がる子供

  疋田

朝になると、無数のくらげが砂浜を覆いつくす。それを眺める男の子は、粘土で手足のうんと長い猿をつくった。しかし粘土はみるみるうちに劣化して、それは猿ではなくなり、ざぶん、人間の形をした流木が海面から顔を出し、粘土を拾いにやってくる。そうして、その口と、目と、耳から、砂をこぼして、重そうな足取りで沖へと戻っていく。だだ暗い沖には、垂れ落ちようとする積乱雲を支える巨大な電信柱が、何本かあって、男の子は「落ちる。落ちる。」としきりに指を差している。指を差して泣いている。泣いている、何が悲しくて、この海岸線、朝はいつもこうだった。「おはよう。きょもあついなぁ。」


「もうずっとおんがくがなりやみません。」
「ええ。わたしにもきこえます。」
「たのしいですね。」
「いいえ。ゆるせません。」
「もう、ねむいんでしょう。」
「そうでもありません。」
「わたしなんかすぐにねむくなるのに。」
「とてもいいことです。」
「それでもにんげんはうまれます。」
「うまれます。」
「だからわたしは、おはようを、わすれます。」
「それなら、わたしは、おやすみを。」
「わたしは、わたしを。」
「じきにおんがくもなりやみます。」


莫大な人工林に空っ風が吹き抜ける。木木が。ぼそぼそと唸っている。女の子は、おやすみなさい、と呟きながら雑草であふれ返ったアパートの一室に駆け込む。その顔はずいぶん青ざめていて、やはり日も落ちかけ、何もかもが丁度、群青に染まっていた。おやすみなさい。ひび割れた窓に目を遣ると、もう半分以上枯れてしまった椚の木に、二匹の猿がいて、ぼんやり女の子を見つめている。女の子は今にも泣き出しそうな顔で。おやすみなさい。ぼんやり立っていた。ぼんやり。猿を見ていた。ぼんやり。そのすぐ後ろでは、人間の形をした倒木がやかんでお湯を沸かしていて。足元には大量の砂が在り。誰もが不在し。やかんを見据え。砂は積み上がっていく。おやすみなさい。やがてお湯も沸騰する。「ねえ。お化け電球がお父さんを連れてくるよ。」女の子はそう言ってその場に座り込んだ。「おやすみなさい。もうよるだね。」

文学極道

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