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作品 - 20070602_793_2111p

  • [優]  落下 - みつとみ  (2007-06)  ~

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


落下

  みつとみ

 荒れ地に伏していた。身体の自由が効かない。目を開けると、そばに灰色の蛾の死骸が見えた。風でうすい翅がゆらめいている。翅の鱗粉がかすかに光る。蛾の数本の細い脚が、宙をつかみ損ねていた。

 日が暮れはじめ、濃さをます闇に蛾が見えなくなる。自分の放りだされた腕、手、指も見えなくなる。暗がりのなかでわたしは呼吸をしている。石が当たるので、身体を反らす。風が周囲で、湿った音を立てている。枯れ草が互いに触れ合い、傷をつくる。胸が痛い。眼鏡のレンズを通して、暗い空を見つめる。

 息をする。まだ生きているらしい。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、真上の闇を見続ける。あの闇の厚みはいったいどれくらいあるのだろう。次第に闇は深さをましていく。
 湿った風が額をなでる。ほとんど何も見えない。
 落下してくる。まだらな雨が降り出した。顔や地面に当たる。指先にも。眼鏡のレンズにも雨粒が落ちる。周囲に音がつぎつぎとあがる。
 雨の激しさが加速する。体中にあたる水滴が痛い。耳元で破裂する。わたしは強く目を閉じる。閉じたまぶたから水がしみこむ。永く続くかのように、降りそそぐ水の玉。つかのま身体は熱く、そして次第に寒くなっていく。もう空腹感はない。麻痺したのだろう。濡れた体の重さ。地に埋もれる。わたしの重さで、地平がゆっくりと傾いていく。あの蛾も、きっと流されてしまったのだろう。
(わたしも、このまま雨に流されてしまってもいい)

 雨音が聞こえなくなった。目を開けると、眼鏡のレンズに雨が当たっている。けれども、自分の呼吸の音しか聞こえない。眼鏡のレンズは水に覆われている。耳元に流れる雨水。
 
 わたしはまた目を閉じる。ふたたび熱い。自分の体が熱をおびている。
(このまま燃えてしまってもいい)
 やみが自分を中心に渦をまく、そのくらみのなか、だれかが、わたしのジャケットをひっぱっている。が、動きがとれない。その闇には、光の帯がゆらめく。閉じた目を開き、首をわずかに曲げる。
 見ると、一頭の狼がわたしのコートの肩の部分をくわえている。食らう気はないのか、狼の目が、わたしに起きるようにうながしている。この狼は、月の目をしている。
 手を、伸ばす。濡れた狼の頬に触れる。柔らかな毛から水がわたしの指へと伝わり、しずくとなって落ちていく。狼は鼻をわたしの首筋におしつけ、匂いをかいでいる。手の感触で、狼が痩せているのがわかる。地に手をつくが、起きあがれない。手を伸ばすと、狼が自らの頭で下から支えた。

 稲光がして、地上にもたれるわたしと狼を照らした。流水で枯れ枝が流されていく。雨のなか、ふたり息をしている。地から仰ぐ、その雷光が、雷鳴とともに、わたしたちに向けて墜ちた。突き刺す槍に弾かれ、音もなく発火した。

 地上には、わたしたちの姿が見える。ひとりの人間と、いっとうの狼と、そしてあたりを包む暗がりと。ふたつの身体から炎だけが、闇のなかに舞う蛾のようにゆらめいている。

文学極道

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