#目次

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2007年05月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


SPRINGTIME

  軽谷佑子

わたしの胸は平らにならされ
転がっていく気などないと言った
そしてなにもわからなくなった
柳がさらさら揺れた

井の頭の夏はとてもきれい
友だちも皆きれい
わたしは黙って自転車をひく
天国はここまで

暗い部屋で
化粧の崩れをなおしている
服を脱いで
腕や脚を確かめている

電車はすばらしい速さですすみ
わたしの足下を揺らし
窓の向こうの景色は
すべて覚えていなくてはいけない

除草剤の野原がひろがり
枯れ落ちた草の茎を
ひたすら噛みしめている
夢をみた

そしてわたしはかれと
バスキンロビンスを食べにいく
わたしは素直に制服を着ている
風ですこしだけ襟がもちあがる


ユニコーン

  みつとみ

 日曜日にわたしは、レジャーランドで、クリスタルのユニコーンを買い求め、夜のバスで家に帰る。窓の外は、暗がりの裂け目。
 窓には夜の空。自宅の浴室でうっすらとしたヒゲをそり、黒いセーターに着替えた。まだ肌が乾かないうちに、わたしは、部屋の窓から外を眺めていた。駐車場に、広く雪が積もっている。街路樹がわずかに揺れて、雪が落ちる。遠く、馬のいななきがある。近づく、ひづめの音は、雪に消されるかのように、静かに。明かりに照らされる馬の背から、だれかが降りる。ほかにひとのいない道に、影が歩く。ゆっくりと、下まで来て、止まる。影は上を向き、わたしに向かい手を差しのばす。冷たい窓ガラスを通り抜け、わたしの手の甲に、指を置く。
 ゆっくりと甲から内側へと、指をすべりこませ、温かい。握りしめる。
(−−落ちる)
 わたしの体が、ガラスを突き抜ける。下の駐車場は、森に一変する。声を出せずに、わたしは影に抱きとめられる。弓のように、影はわたしを迎える。手を回す、影の背は、細い。その顔にかかる髪に、わたしは顔をうずめる。甘い香りがする。白い光がわたしと、女を照らす。金色の、ウエーブした髪に、白い肌の、大きな目が、深い。わたしは、女にもたれかかったまま、息は荒い。額に汗がにじむ。
 素足の下には低い草が生えている。森の開けたあたりに、馬がいる。白いその馬にわたしたちは近づく。女に身をよせる馬の頭には、角がある。
(わたしはどこに行くんだろう)
 先に女が馬に乗り、わたしは女の手に引っぱられ、その馬に乗った。
 地を見下ろし、ゆっくりと、白いユニコーンは進む。
 地平を揺らすのは、深い森と、ユニコーンのひづめで、わたしを揺らすのは、女の背中だった。
 女はわたしの手を自分の胸に持っていき、
 頭上で/鳥が/鳴きながら飛んでいく/発音した。
 わたしの喉は渇いている。
 泉の前で、ユニコーンから降り、深い緑の葉の上で、わたしたちはもたれあう。女が縁の濃い目で見上げる。女はわたしを見つめ続ける。わたしはそっと視線を落とす。

 自宅の前に立っていた。戸を開けて、息をひそめるように部屋に戻り、あるもので朝食を済ませる。薄いカップに紅茶を入れる。湯気は見えない。母は田舎に帰っていることを思い出す。リモコンでテレビをつけるが、ミュートにして音は出さない。低い音が蛍光灯から聞こえる。窓ガラスのそばにある水槽で熱帯魚が一匹、水草を背景に泳いでいる。テレビには森が映されている。一人の女が歩いている。女は、森の開けたところに立ち、こちらを振り返る。女は無言のまま、その目が痛い。
 カップをそのままにし、わたしは洗面所に行く。指を鼻の上にすべらせる。歯を磨き、それからテレビを消し、わたしはアルバイトに出かける。雪の残る道を、自転車を走らせる。風が吹く中、空は電線で区切られている。白い風景が次第に、固いアスファルトと、コンクリートの色彩に変わっていく。手の冷たさに、コートのポケットに片手を入れる。駐輪場の前で、自転車を降りる。いつもの場所に置いて、わたしは駅に向かう。歩いていると、首が寒いので、手を当てると、金色の長い髪が指に巻き付く。わたしは、そっと、髪を風の中に、落とす。

 わたしの前を車が走り去る。
 冷めた街で、わたしは、胸のポケットから定期入れを探す。深い緑の葉がでてくる。わたしは、ゆらりと改札口を抜けた。女の名前を頭の中で繰り返す。あごを、一人さすり、ホームの人混みにまぎれる。乗車位置に立つ。わたしは、斜めに空を仰ぎ、待つ。

 白けた街並が続いている、その裂け目に、ユニコーンのいななきが聞こえる。鳥が/ホームの上で羽根を散らす。その小さな羽がズボンにつく。触れると、ゆっくりと落ちていく。ズボンのポケットのふくらみ、手を入れる。中から白い紙に包まれた、クリスタルのユニコーンをだし、手の平で、陽にかざす。
 白銀の景色、降り注ぐ金色の/
 女の髪の中で目覚めた、その朝に−−。


サカテカスの殺し屋

  ミドリ

サカテカスの路地を
さちはトボトボと歩いていた
やっと思いで辿りついた
この町の丘の上にある宿の
スプリングの弾けたベットに 彼女はグッタリと横になり
スーツケースとパンプスを投げ出して
細長い部屋に白く塗られている
天井のペンキを見つめていた

あしたのバスで
メキシコシティまで 行こうかな?
なんてぼんやりと 思いながら

さちの泊まった宿は
サカテカスの町から 丘の頂上へと続く
舗装された道のどん突きにあり
部屋の窓からは
町がよく見渡せる
古くって
美しいはずのサカテカスの町が
なんだか
やるせなく見えた
公園や広場や 教会が眼下に広がり
まるで中世のヨーロッパを思わせるのに

そう さちが思ったとき
部屋のドアが ガンガンって
けたたましく鳴った
風かな?
なんて思ったけど
そんなはずはない

さらに何度も 何度も強くドアを叩く音がする
「誰?」
さちは恐々と声に出してみた
よくわからないスペイン語で
少年らしいその声の持ち主が 何かを叫んでる
さちはゆっくりとドアを開けた
ん?
誰もいないじゃん・・
そう思ったとき
冷たいものがさちの首筋に触れた

「アミーゴ おとなしくしな!」

背の高い男がさちの背後にまわり
ドスの効いた声で彼女を脅しつけ
首にアーミーナイフを突きつけてる
声も出なかった・・
男はゆっくりとした調子で言った
今夜 ティアナの森で集会がある
お前も一緒にきてもらう

だって あのすいません
あたし・・
そう言いかけたとき
男はさちの体を離した
乱暴して悪かったよ
俺はソルトといって
要人の暗殺を専門に手がける殺し屋だ
勿論 ソコんとこ暗号ネームだから心配すんな
さちは思い切って訊いてみた

「殺し屋さん ソルトさんでいいのね?暗号ネームだけど
あたしに一体なんの用があるっていうんですか?」

彼は押し黙って
胸のポケットから葉巻を取り出して
その質問には答えられない
おとなしく従ってくれ
それ以外の要求は俺からはしない
それが俺の仕事だからね

さちは 男の顔をじっくりと見ようとした
「一本でんわを入れるから 窓から離れて
立っていてくれ」
男はそういってケータイを取り出し
早口でまくし立てた
「何?」
不穏な空気に さちの背筋は震えた
でんわを終えると男は
ソファーに深々と腰を掛けた
そして葉巻にマッチでボっと火を灯した

「今 ピザを頼んだところだよ
トマトとピクルスは抜いてあるから
心配すんな」
「なんであたしの嫌いなもの知ってるんですか?」
さちがそう言うと
殺し屋は不敵な笑みこぼし
指に挟んだ葉巻を軽く上げてみせた
キューバ産だぜ

「質問してもいいですか?」
「答えられる範囲ならな」

「人を殺めるって
とっても悪いことだと思うんですけど・・
あなたは」
そう言いかけた時 殺し屋はさちの質問を遮った
「その質問は後回しにしてくれ」

葉巻の煙をくゆらしながら男は
ポケットから取り出した
レイバンのサングラスを素早く掛けた
そして浅めの位置へ腰をずらすと
ソファーの中でニヒルに笑った

「じゃあ いいいですか ソルトさん」

彼は大袈裟に両腕を広げ
かまわんとジェスチャーで示した

「好きな女のコのタイプとか教えて下さい!」

ソルトは葉巻の煙にゴホゴホとむせ込みながら
「俺は女に興味はない」
「じゃ ホモってことですか?」
「ホモとか言うな コラっ!?」
「だってホモじゃないですか?」
「・・・」
「ホモっ!」
「アミーゴ 俺は14んの時に 初めて女を抱いた
マリアと言って 姉貴のダチだった・・」

「すいません その話し
全く興味がないんで 次の質問に移らせて頂きます!」
「・・・」

「休日とかは どうされてます?」
「そうだな〜」 ソルトは気分を取り直して
グラサンのブリッジを何度も中指で押し上げながら
メッチャ 遠〜い目をして 静かに語り始めた

「まずはアレだな 教会へ行って 牧師の説教を聴く
遠い故郷の母に 強く想い馳せながら近所の湖畔を散策する
それから自宅プールサイドで 哲学書を読みふける
そして行きつけのバーで テキーラを煽りながら・・」

「すいません その話し長くなりそうですか?」
「タブン」
「じゃー もーいいです もう結構です!」
「・・・」 
「では次の質問に移らせて頂きます」
ソルトは眉間に皺を寄せた

「ソルトさん 暗号ネームですよね」
「暗号だ!」
「じゃー 本名を教えて下さい」
「アミーゴ 俺は世界を股にかける
チョー大物の殺し屋だ」
「だからなんなのよー」
「・・・つまりだなっ」

その時 部屋のドアがバンっ!と乱暴に蹴破られ
5、6名の男たちがダっと!なだれ込んできた

「CIAだ!ソルトだなっ!」

男たちは一斉にソルトに向かって拳銃を身構える

ソルトは微動だにせず 葉巻をくゆらしていた
そして彼はさちの方へ顔を向け
「つまり・・俺には時間がないってことだ」とそう言った

「ソルト!その女から離れろ!」
CIAの一人が低い声で言った

彼がサングラスを外し
ゆっくりとソファーから立ち上がると
複数の拳銃から一斉に 鉛の弾がソルトに向かって飛び出した
さちは その轟音にギュッと目瞑った

ここがティアナの森だよ
さちの肩の上で 男が言った
見上げるとサングラス掛けたあのソルトが キュッと前を見つめていた
さちが彼の目の先に視線を移すと
真っ裸になった男女が 丈高に組まれた櫓の周りを取り巻き
その数ときたら
ザっと百万人はくだらない感じだった

「アミーゴ 君も裸になれよ」
「やーよ」

ソルトはさちのブラウスのボタンに手を掛けた
「ヘンタイ!」
さちは彼の頬をパンっと叩いて サングラスが飛んだ
ソルトは地面に落ちたサングラス拾い上げ
さちの肩をグッと抱いて 「いいパンチだ」
そう言って唇を重ねてきた
その力強い感じに さちは抵抗できないでいた
彼の胸の隙間からさちは言った

「あなた鉄砲の弾に当たったんじゃ・・」
彼は例の不敵な笑みを浮かべながら

「俺について 君が知りたい
最後の質問のことだが」
「人を殺めること?」
「だったよな」
「そんなこと もうどうだっていいよ・・」
そう言ってさちは
彼の胸ん中に強く ギュッと頬とおでこを うずめていた


獣をください

  中村かほり

 獣と歩いている。なるべく遠くへ行く。鋭そうな長い爪、全身を覆う灰色の毛、感情表現のできない尻尾をもつ、獣と歩いている。
 晴れた日に獣は踊る。雨のときは木陰で歌をうたう。獣のうたう歌はふしぎだった。踊りはもっとふしぎだった。そういう習性なのだろうか。雨の日も風の日も、獣は同じ回数だけ息つぎをし、同じ角度でポーズをとった。
 獣が踊っている時、あるいはうたっている時、わたしは食べられそうな果物を探す。女はいつだって生産的なのだ。獣は、長い爪で器用に果物を食べる。皮と実のあいだがいちばん美味しいんだよ、と笑う。獣の口からしたたっているのが、果汁なのか唾液なのか、わたしには分からない。
 獣は土を掘り、食べられない種を埋める。再生を願うその姿を、うつくしいと思った。獣の手によって、埋められた種のおおくは死んでしまうのだと、いつだったか教わったことがある。この種は、はたして発芽するのだろうか。たとえしたとしても、そのころにはわたしたちは、どこか遠いところにいる。
 夜になると、獣はわたしをはだかにする。長い爪をたたんで、わたしの肌に泥がつかないよう、汚れた手のひらをなめる。わたしのはだかを見て、獣はああゆかいだと叫ぶ。はだかはゆかいなの?ああはだかはゆかいだ。わたしの乳房にふれてみる?ああ乳房はもっとゆかいだ。獣の唾液が、清潔なわたしの肌のうえで回転する。回転し、落下してゆくさまを、わたしは暗闇のなかで見る。
 獣が寝つくまで、わたしが何かお話をしなければいけないというのは、金木犀の季節からの約束だった。獣は、悲しい話ばかりを聞きたがった。誰かが死ぬ話はとくに喜んだ。わたしは即興で話をつくる。母親が死ぬ話。赤ん坊が死ぬ話。子犬が死ぬ話。処女が死ぬ話。はなしながら、わたしは獣が寝返りをうつ回数をかぞえる。1回。2回。3回。4回。8回目に到達するころには、獣は眠りはじめる。つまりそういうしくみだった。
 ときどき、獣は西に向かって吠える。何に威嚇しているのかは、わたしは知らない。林檎を与えても、葡萄を与えても、獣は吠えつづける。興奮し、わたしに牙をむきさえするとき、わたしははだかになる。暗闇の中に、突然ぼうとうかびあがった、わたしの白い肌。ひるんだ一瞬のすきをついて、獣のひたいを、両の乳房に押し付ける。そうしてそのままふたり倒れて、のどが渇ききるまで眠るのだ。
 獣と歩いている。なるべく遠くへ行く。鋭そうな長い爪、全身を覆う灰色の毛、感情表現のできない尻尾をもつ、獣と歩いている。獣とわたしが、いったいどこへ、何をしに行くために歩いているのか、いまとなっては忘れてしまった。乳房のあいだにある頭を、力まかせに抱きしめると、獣は細い弱い声を出す。それが鳴き声なのか泣き声なのか、わたしには分からなかったが、あらゆる光が上昇するなかに、獣を怯えさせるようなものは、何一つ無いように思えた。もうすぐ朝になる。はだかのわたしは獣の頭を抱えたまま、西に向かって吠えた。


ホスピタル

  葛西佑也

「あいしてるよ、
 あいしてるよ、
 (読みかけの
 本、数ページ
 滲んだなみだ
 ぐらいに。)
 ほら。」

世界は、残酷だね。

もし、私が凍結された、子ども(お父さんの)だったら、
私の言葉 全て医療行為のおかげ/なのですか? (医
療行為は無意味の中に意味を発見することだった。/の
ですね。)いつも私には無関心そうなあなた、大きな背
中、何か刻ませて、ください。(それは、医療行為では
ありませんよ。/ネ)

お父さんと同じ
洋服
来た男に、
「あなたはお仕事する格好じゃあない。」

言わなければなりません/でした。
(私は、
 それが間違いだって
 知っていた/のに。)
お父さん、
お父さん、
今日も
ご苦労さま

ビール持ってくるからね
お父さん。

あなたは
いっつも寂しがりや
で、
弟を腕の中で
ぎゅっ
ぎゅっ と
することで
満たされていましたね
(ふたり、そっくりだ。)

真っ暗な夜なんて、私は知らなかったけれど、あなたは
きっと知っている。/にちがいない。世界の全てを敵に
まわしたかのようなまなざしあなたに向けて/あなたは、
もう、そこにはいなかった。私は遠い冬の日、生まれた
日、あの日からずっと本州最北端のまちで凍結されたま
まなのです。/か?

あの病院には
今も
転がっている
私の無意味
これからの人生

医療ミス
として
歩んでゆく
/のは
嫌なんだ!/です
だから、
意味を欲した/のかも

(医療行為は病院で受けるものです/か?)

私は私を
偽ることで
(凍結されたまま、
 なんですよ。 と)
あなたの息子で
ありえるのです
/でした。
だから、
理不尽に殴られたって
凍結してしまったんです。/よ

お父さん、私はきっと偽り続けなければならない。あ
なたの前で。私、(私は遥か昔、もうとっくに、あな
たの望まない形で、医療行為を受けていたんだ。/で
す。あなたは、きらい?)

それでも
あいしています
お父さん
だから、
あなたの背中
いつか
刻ませてください
ありがとう
ありがとう
「ぼくは
 医療ミスなんかじゃ
 ない!/よ」

世界はやっぱり
残酷だ/ネ


African Space Craft

  宮下倉庫


5時。影と影のからまりに鋭角に切れ込む指の先の厚くしなった爪から始めら
れる背割りの朝。

鶏卵の白身のぬくみ。暗闇を探し路上をうろつき歩くジャッカル。土壁の小屋
の暗がりで眼をぎらつかせながら、切り裂かれていくからまりから零れ落ちる
卵黄を汚れた掌に受ける、黒い肌の男たち。

駆け出す。極彩色の荷駄を満載したトラック。そのひとつひとつから漂う甘い
香り。ギネスの空瓶を路上に投げ捨て、煙草に火を点ける運転手。サイドミラ
ーに映り込んだ背割りの痕。ギアを上げる。半開きの窓から煙が流れていく。
規則正しい回転運動の後、瓶は音もなく軟着陸する。転げ落ちた荷駄のひとつ
は硬い土の地面に叩きつけられ、露わになったその果肉の内にあめ色の真珠を
輝かせている。

旧市街の中心で古びている時計台。太腿のような長針がジャック・ブーツで文
字盤を踏みしめている。簡素なスタンドで朝刊が購われていく。鐘の音さえ途
絶えてなくなる方に、伏目がちに白い通勤者たちは向かっている。メトロの放
熱が朝の輪郭を撫ぜる。太腿と鈍角を成す短針に、昨晩の号外が突き刺さって
いる。

キザイア。その名は北からの/南からの。エボニーの2弦ギター。黄色い大地
を眼下に臨みながら着陸体勢に入るジェット機。辻ごとに立つ、逆さの錨のよ
うな体躯の警官たちが、轟音のする方に顔を向ける。今朝、白い建物の前では
誰も唾を吐かない。建物を囲う鉄柵の前、ティアドロップ・サングラスの奥か
ら辺りを睥睨する警官がガムを噛み締める。朝刊の1面にはKeziahの文字が踊
り、通りを舐る熱は束になり流れ出そうとしている。

ほつれ。からまり。繰り返す。厚くしなった爪が弦を叩くと卵黄が焼け焦げる。
ベースラインを肩にかけた法衣の男が、白い建物の前で誰かの到着を待ってい
る。弾圧の夜の後、焼けつくような静けさの中で、噛み潰されたマンゴー・フ
レイバーの酸味が広大な街の隅々にまで行き渡っている。

ひらけていく街の極彩色の中を古いイギリス車が滑っていく。革張りのギター
ケース。3人編成のバンド。後部座席に痩身の男。見送る少年のひとりが、轍
に散りばめられたあめ色の真珠をつまみあげ、傾き始めた太陽にかざし、汗染
みの浮いた警官の背めがけ投げつける。

路上では全てが空冷だ。石造りの歩道に、未だ結露を始めず、飛び立つための
熱を呼ぶ黒い宇宙船が冷ややかに佇立している。後部座席に深々と身を沈める
男。その右手の人差し指に走る傷口は、昨夜からの規制が解けきらない渋滞の
幹線道路―――



   覚束ない足取りで道路を横断する若い男が黒いドラムの音圧に弾き
   飛ばされアスファルトに叩きつけられる音もなく現れた四つ肢の獣
   が既に果実となった男をくわえこちらを一瞥して走り去る赤く脈打
   つベニン湾の上の空で静かに息絶えていく背割りの朝は



ヨルバ。アングロ・サクソン。ラゴスからロンドン。ロンドンからラゴス。黒
い眼になって、男たちは偏在を(または散在を)始める。黒いボディに張りつ
めた2本の弦が束になって流れてくる熱に舐られ、歪む。暗がりから囁くよう
な会話が聞こえてくる。法衣の男がひとつも違えずに弾く4弦。E すぐにG。
すると急に渋滞が解け、ドラムが幹線道路を踏み鳴らしながら駆け出す。


African Space Craft


今ゆっくりと縫い合わされるようにとじていく夜のほつれの中に、通勤者たち
が帰ってくる。誰一人昨夜のことを口にしないまま、頭上に冷たい射精のよう
な軌道を描きながら加速していく宇宙船を、見送っている。土壁にひとつだけ
設えられた窓から流れ込んでくる雨の匂い。そして5時を告げる鐘。


US 40

  コントラ

街が途切れてだいぶたった。僕は暗闇なかを、ギアを4速にいれて走っていた。ふとなにか思うことがあって、対向車線の空き地に車をとめようと思い、ハンドルを左に切る。何をしたかったのかは、よく覚えていない。水を飲みたかったのか、地図をたしかめたかったのか。数秒とたたないうちに、車は深い雪のなかに傾いてとまり、車輪は空転した。ノブをひくと重みでドアが開き、雪にはまってとまる。真っ暗な2車線のハイウエイの、空き地の向こうに、2、3軒の民家があり、いちばんむこうの1軒には明かりが点いている。

ふらふらと、明かりの点いているポーチに近づく。ドアをノックしてしばらく待つと若い女性の声が少し待つように告げ、やがて背の低い黒人の男が現れた。彼は、僕の肩ごしに、20メートルばかり向こうに傾いてとまっている車に目をやる。物音ひとつしない、冷えてゆく平原の真ん中で、空には星がいくつも見える。そこは小さな木造りの家で、リビングルームに大きなスクリーンのテレビがあり、どうやら白人の女性と、黒人の男性の、おそらくはカップルしか住んでいないようだった。ロードサービス会社が、車を路面まで引き揚げるためのトラックでここまで来るのには40分くらいかかりそうだった。

天井に吊られた白熱球が淡いひかりを落としていた。女性は、ソファーに僕から少し離れて座り、紙箱のなかからいくつものアルバムを取りだしはじめ、「ユースケ」がここに来たのは、いつのことだったかしら、と男に聞いている。「これがユースケよ」といいながら僕の前に写真を差しだす。そこにはメガネをかけた二十歳前後の、痩せた日本人の青年が、照れ笑いとも苦笑いともつかない表情でピースサインをしている。「これはいつの写真?」と僕が聞くと、「たしか95年だったかな、もう10年も前だ」と男が言う。「カレッジにはいろんな国の留学生がいたよ。みんな1年くらい居たあと、すっかり帰ってしまったけどな」。顔にフットボールのチームカラーをペイントした青年たちや、深夜のパーティーでおどけた表情の女の子たち。いくつもの写真が、黒い厚紙に貼られ、白いマーカーでコメントが上書きされ、それらは、糊のあとがついたアルバムのなかに大事にしまわれていた。

やがて男の携帯電話のサインが青く光り、彼はドアを開けると、僕に合図する。空き地のむこうには青と赤のランプを点滅させたトラックが止まっており、作業服の男が車にワイヤーをくくりつけているところだった。暗がりをはさんで、男と作業員が書類にサインしているのが遠くから見える。「500ドル!」と男がにやにやしながら僕の背中をたたく。僕はなんだかぎこちなく御礼を言い、ロードサービス会社のメンバーシップについて、すこし言葉を交わしたあと、車をターンして、木造の家をあとにした。幹線道路には灯りひとつなく、黄色い反射板がヘッドライトに浮かび上ると、道が徐々にカーブして、僕が住んでいる大学街の灯が小高い丘の木々の合間から、ときおり見え隠れする。やがて車が街の郊外にはいると、僕は大型スーパーの駐車場に車を止め、ラップトップを立ちあげて、いま、この文章を書いている。大陸の中央部にあるこの街の外には、無人の平原地帯がどこまでも続いており、それは今さっき僕に起こった出来事も、彼らのアルバムにしまわれた記憶のひとつひとつも、暖かい暗闇のなかに飲みこんでしまうような気がしていた。


白梅

  ピクルス


かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいました

家族、いなくなる為に準備をして
汚れた服を着るほかないのなら
いぶかしそうな視線に
それでも
違います、とは云えぬまま静かに会釈をして

手に入れた人は語り始める
喪った人は黙り込む
この人でしょうか
その人ではありません
手紙には感謝の言葉ばかりが並んでいたそうです

前髪に月が触れる帰り道
給水塔には鳥の神様がいらして
遠くの河を覗き込んでは
死ぬるよりマシだ、と呟かれた
そういうふうに出来ている

かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいますか

笑ってる写真には見えない水が巡る
重なった祈りは唇から黒髪から滑るように溢れ
数を忘れた指先から散りゆく鳥達の色
綻び始めた春の星空に
安心したように灯りを消して
また、ひとひら浮かべては
未だ、触れられずにいる
たくさん謝って、こどもになった人達は
夢の中で
おかあさんの掌を探します
滲んだ溜息の最初からおしまいまでが
いっせいに、いっせいに許されてゆく

かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいたとしても


「 蟹。 」

  PULL.




朝起きると、
夫の蟹を食べる。
水のきれいな土地で生まれ育った夫の蟹は、
沢蟹に似た味がして、
なかなかの珍味である。
蟹は大抵、
夫が寝ている間に、
湧いて出る。
一度などはひどく寝坊をして、
夫の顔の右側面に蟹が、
びっしりと張り付いていたこともある。
あの朝はすべての蟹を食べるのに、
一時間近くも掛かり、
さすがのわたしも夫の蟹が少し嫌いになった。

蟹を食べ終えると、
夫は目覚める。
新婚の頃と変わらない、
いつもの朝のキスを交わし、
夫はキッチンで、
ふたりの朝食を作ってくれる。
夫の作るプレーンオムレツはおいしく、
蟹でもたれたわたしの腹を、
やさしく、
いたわってくれる。

夫を送り出すと、
わたしは家にひとりになる。
ひとりに、
なると、
誰もいないキッチンの隅やそこかしこから、
蟹が、
わさわさと、
湧いて覗いているような、
そんな気分になることもある。
そんな気分の時は、
少し化粧をして、
夫には見せない顔になって、
外に出掛ける。

蟹は外にもいる。
蟹を張り付かせたまま出歩く男も、
近頃は増えてきた。
蟹たちはわたしを見つけると、
ぶくぶくと泡を噴き、
わたしを、
誘う。
わたしは慎重に指を出し、
すれ違いざまに、
釣り上げる。

釣り上げた蟹は、
近くのホテルでじっくりと味わう。
街中でじかに味わうのも時にはいいが、
それなりに人目も気になるし、
何より、
外では時間が掛けられない。
やはり味わう時は、
じっくりと時間を掛けて味わいたい。

若い、
ファーストフードで育った蟹は、
夫のそれとは違い、
ひどく、
舌に残る。
そのあまりの後味の悪さに、
わたしはいつも後悔する。

前に、
遠い海の向こうから来た蟹を、
食べたことがある。
褐色の甲羅のその蟹は、
とても濃厚でどろりとしていて、
今まで食べたどの蟹よりも、
おいしかった。
あの味を思い出すたび、
わたしの指は悪戯になり、
また蟹を、
釣り上げる。

夫は蟹のことを知らない。
いや、
男たちは誰も、
蟹のことを知らない。

わたしたち女は、
女だけで集まって、
蟹について話すことがある。
そんな時、
わたしたちは、
わたしたちがどれだけ満たされていないのか、
ひどく、
確認し合うのである。






           了。


すみれレイン

  キメラ

遠ざかった
昼過ぎの暑さきびしく
伸びやかにあれど迫り来る
車輪きえず
心すれ違い赦すことばかりが増え
いつしか
灰色が世界の四季だと知る

なんのいみもなくて
かざぐるまのように
力無き部品を彩る自動車の加速
国道から海沿いの辺鄙に
船の博物館があった
蒸し暑い9月の熱風
揺ら揺らとあの世とこの世を遊ぶ
勤務時間内だし抜け
人影もまばらな博物館は
まるで死への入り口のようだった

ここをでたらおわらせよう
ここで終らせる

おびただしい
すみれの雨がふる
虚妄色した喜劇どものパントマイム
根付いたものを愛した幼少
ふと船幽霊の文献に目がとまる
目がはしる
さいごの興味は質素な海の話
食い入るように博物館を覚える

だれもしらない午後の
だれもしらない絶望
だれも
息をすい
空中に冷気パラパラ綺麗


ぼくだけの雨は
すみれレイン

いま解ったよ
うまれたときから
そとは晴れていたんだ


理論

  高岡 力

『理論』

なにのたうちまわってやがんだか。だるーい独楽が止まる事を知らねえ。賭けるでもなし、いっちょまいの男が四人現場でウンコ座りして、だるーい独楽を黙ってみてる。が、一人これ独楽かなーとおもってる男が思い切って言ってみる。これ独楽だよなー。ああ、独楽だ、と一人がこたえる。だがよ、小一時間、止まりそうで止まらないてえのは独特の独楽だーねと言う。元来の独楽じゃねーんだろうなと兄貴がこたえる。ほら、幾分浮いちょるよと兄貴が屈む。えー、と三人が屈み。確かにと三人が口を揃える。これ最初に見つけたの、誰だー。あー、俺だーと手を挙げた男が、最初っから、だるーく廻ってたーと笑う。もうそろそろ、家、ぶっ壊さなきゃなんないけんども あー さすがに きになるー と三人は立ち上がろうとする。その時アルバイトが言う。これは物理的におかしいと思うんですよね。あー、さすがインテリだ!と兄貴が言うと、こいつ馬鹿にしてんですよね俺たち、と言って、やっちゃいますかこいつと立ち上がるのを制して兄貴が言う。なーつ、君、これがどう物理的に可笑しいのかを僕たちに説明してくれないだろうか。アルバイトは、えー、みなさん ご案内の通り、この物体は先程より宙に浮き続けております。さて、推進力はなんでしょうか。あのだるーい回転でしょうか。ノンです。重力と言う呪縛をいとも容易くといているこの物体は、理論上在ってはならない存在です。これは、何かの啓示なのか。否、ひょっとして、これは、永久機関?ああ 僕らは幸運にも、奇跡に立ちあっているのです!もー家なんかぶっ壊してる場合じゃない。これを誰かに知らさなければとアルバイトは砂塵と共に走って去る。ノンだってよと、一人が言う。啓示だってよと、一人が言う。理論上在ってはならない存在かー、と兄貴が言う。ならば、無いんだな、これ、と兄貴が言う。無い、無い、と一人が言う。無い無い尽くしの無い尽くしと、一人が立つ。さー、ぶっ壊すぞーと、兄貴がシャベルカーに乗り込む。屋根が落ち、壁が崩れ、柱が折れる。家が物理的に無くなっていく。理論上在ってはならない存在は、だるーい回転を続け、止まりそうで止まらず、幾分宙に浮き、やはり、そこに、在る。

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チューブレストランバースデイ(草稿)

  枷仔


マカロニにんげん
管を、
すいこむようにくちにくわえて
すいこむように しろいものを
したでからめとって なかみを
ああ にがいにがいといいつつ
すいこむようにくちにくわえて
すいこむようにくちにくわえて
くだった白く濁ったものだった
下る
さかみちを、
坂道のしたでは戦争
ずっとそらがちかかったせいか
膝に負担が掛かる下り坂
背中が徐々に汗ばんでいくのがだるい
だるい
気だるい
靴底に穴を空けるまで歩き続けることが目的だ、
と、豪語する風と
近似的な気持ちを抱いていた弾丸
まさかかすめるとはね
風切音
くうかんのだんれつ
その すきま
いま、一瞬ひらいた  空白
そこをうめつくすような  空白
の群れ
おそろしいほどの親近感
どうせ歩くことしかできないのだから
深海魚と大して違いはないのだ。
けずりとられたマカロニの内壁を
外から修正
(ここはどこかしら)
絡ませたソースは
くちのなかいっぱいにひろがる咀嚼
おいしくいただく
  いただきます。
  めしあがれ。
  ごちそうさま。
  おそまつさま。
米と異なるものへの変貌を予期して
トイレへ、
便座をひらき
   すわり
   いたし
   ふき
   たち
   ながす
でていった
はいっていた
マカロニのソースを嚥下する
ひっかけた のど
ねばねばしてすこしこまる
見限られる
さかな
アンコウ
食欲に見限られる
浮上に伴う膨張
凝縮する骨
崩壊する肉
堕落する鱗
くりあがった視界
あたらしい海
海面が深海
二本足の深海魚の町へ出荷される
すくわれないものを前提に
いま、箱舟が出航する。
(どこも嵐にちがいなく)
とが
稀に含まれている とが
うそです
と  とが
常にです
と  とが
歯にあたった とが
ことば
口偏に愛
はじきかえされた とが
ふたたび内臓を
浸す
(逆流する 塩酸  、

こうもん/くちばし
出口のちがいなど些細なことだ
(  。
入り口ではない、と誰が言い切れる)
輪も
もしくは和も
もわもわも
わたあめのような不安
堂々巡りする灰色の砂糖
とける
「はなれられない
がびがびのティッシュ
糖度もしくは
蛋白質が凝固した
死骸
もとはここにはなにもなかったのですよ
マカロニがソースに絡まるように
餌が糞になるように
つうかぎれい
つうかぎれい
つうかぎれい
つうかぎれい
出たり入ったりしていれば
そのうち 出ますから
そのうち 入りますから
(放屁)
たゆたゆとたゆたい
くたも
((皆そこでたゆたいたいったい!
水底
くうきに圧殺される
圧殺されない
まいごになったら子宮にお帰り
魚は水中
人間は空中
水に濡れた魚から見たら
空気に濡れた人間が見えるのかしら
胎児には羊水なんて見えなかったのだろうね
排泄(テーブルの上には
排泄(鮟鱇のから揚げ
排泄(肉は美味いが
排泄(骨は硬い
排泄(食欲を拒絶するほどの生命力
排泄(のぞんでいない
排泄(変化を内包する卵に祈るのだ
排泄(もう決して、うまれてきませんように、と。
排泄(……………………
まもなく、戦場


クオリア

  キメラ

虹をゆめだと信じていた
やさしいカラメルとパンの朝
七月のゼリーにミントふりかけ
自転車の海岸線には真白い花束をかざろう

朦朧と浮かび
流れる知人やら故人の顔
なにもない巨大な空白と午後に
風が香りを覚え
さし伸ばされた手のひら
摘みとられたすみれ色のしずくが
透きとおった陽光に耐えながら揺れてる


こんな離別

きえたはずの鳥
青い鳥のテーゼをしる

宝石がつぎつぎに触れて
零れるくちびるなら
夜の半ば
風はあまりにうるさく
ぼくは手探り水銀灯の明滅に
儚き蝶をえがく

月あかりに突き放した
怜悧なさざなみが託した
とめどない涙
涙よ


ゆめじゃなかった
きみだった


風を釣る

  Canopus(角田寿星)


風のなかに
釣り糸を垂らしている
それはおぼろげとなってしまった古い
記憶をせめて呼び醒ますよすがではなく
かなしい決意でも無邪気な思いつきでも
その日の飢えをしのぐための
投げやりな衝動でもない
そう 映画はつい先頃終わってしまったんだ

セミの声も
カエルの歌もまだきこえない
森の下生えにはやわらかな地衣が
灰とも靄ともつかない細かな粒子が
濡れそぼった銀幕の名残が世界をひそかに凌駕して
あるいはこのまま暴発を待ってる
「このままじゃ 囲碁も打てないねえ」
栗坊主頭の童子がふたり
いかにも手持ち無沙汰ふうに
眉をさやかに寄せて笑っている 実のところ
囲碁も碁盤もまだ発明されてなかった
それどころか
クヌギもセキレイも
木挽の小屋から立ち昇る炊煙さえもまだ
名札を失くした卵のように
眠っていたんだ

ふふん ふんふん ふん ふふん
ふふん ふんふん ふん ふふん

世界が少しづつ鼻唄で充たされていく

ぼくはこれから生まれてくるだろう
ろくでもないものどもについて思いを馳せる
ぼくは笑う
ぼくの意思にまるで関係も頓着もなく
生まれてくるだろう ろくでもない
愛おしくも騒がしいものどもを
ぼくは待ってる
ぼくは目を閉じたままでいようと思う
釣り針の尖 きらりと何かが光ったけど
それはきっと気のせいなんだろう
草原のロウソクに
いっせいに灯りが点ったけど
それもきっと風のいたずらなんだろう


ヘヴンリーブルー

  浅井康浩

ずっと遠いむかしの、あのなつかしい序曲のひびきを聴けば、たよりないころのわたくし
にもどってしまいそうで、いまはおもいだせない名の、それがどうしようもなくめぐらせ
てしまう、わたくしのからだをひろがってゆくやさしさを歌えば、ひとはまた、さらさら
とこぼれおちてくる静けさをともなって、すぅ、といきを吸ったっきり、どこまでもうし
なってゆくことのやまない・・・



魚たちの表面に沿ってゆけば、やがて、ほどけるようにすいこまれてゆく
すこしずつこぼれてゆく酸素を、さらわれてしまう悲しみとして、いだきながら、ほとり
へと、ながれついてしまうそのときまで、しておくべきことをわすれてしまわないために
わたしのからだのすみずみへと、芽吹くほどのはやさで、やさしさを、しみこませるよう
にそっと、めぐらせてゆき、ひれを衰弱させてゆく。



やむことのない雨が水面にうちつけては、はじけて、雨の外側をおおっていた水の膜がは
がされてゆく。そうして、内側の水滴が均質にひろがった水面下へと降ってくるのだが、
しだいにその丸さも、まわりの海水へと拡散をはじめてゆき、そのわずかに沈潜してゆく
水のたゆたいが、わたくしの皮膚感覚のなかへと、ゆるやかにしみこもうとすることを知
るときがくる、そしたら、あとはにじみはじめるだけであとかたもなく溶けさってしまう
そのような不定形なひろがりの、その濃度のほんのすこしうすかった場所に沿って。



ねぇ、この閉ざされたガーデンで、水の記憶はどこまでもたゆたっていたのかもしれない
そっと、くるみこんでいたうるおいを、うちよせていたその場所が岸辺とも知らずに、く
りかえし、手渡そうとしていたのかもしれない



あめつぶにとけこんで、すいめんにしずんでゆくものたちをながめていれば、すこしずつ
消えたようにしてこぼれてゆく花粉は、砂のかたちをとりはじめて、みずうみの底はゆっ
くりと揺らいでゆく。いつの日にかこの湖畔で、あなたは産卵するのだと、人はいうけれ
ど、そうでなくても、ここにいることが、なんとなく好きだったから、みずうみが消えて
しまう日だって、わたくしはなつかしんでしまうこともできた。そのために、いずれくる
孵化という日が、かかえきれないほどのくるしさをともなってしまうのだとしても、「い
け」や「ぬま」へと、その姿をかえたっていいよ、みずうみ。



たしかに還流は、わたしたちをつつみこんで、わたしたちのすすむべき進路をどこまでも
見えなくしてしまっているのかもしれない。たしかに、潮流にながされてしまうこと/そ
うでないことは、いまこの夜のなかを泳ぐものたちにとって、ひきかえすことのない変化
へとみちびいてゆくことになるのかもしれない。けれどもわたしたちは、知ることのない
ままに、知っていたとしてもこの夜の潮の流れのままにひれを濡らしてゆく。そこにはも
う、水脈との交流がはじまっているのだし、流れに沿ってゆくことだけに賭けることしか
できないわたしたちの過程もそこにしかないのだから。



つつましく消えてしまうものたちのなかで、すこしずつときはなたれてゆく自然の水系
うっすらとほどけてゆく時間は、さやさやと響くうすあおい音楽とともに、みずうみの
底へと遍在してゆく。



そして、水中に乙女座、獅子座の浮かぶ夜、軌跡の消え去る音さえ聞こえなくなったあな
たに、恩寵のようにソネットは降るのだろう、やさしそうにゆるやかにあなたのひれをす
りつぶすように。



湖畔にて、悼むことをやめない小鳥であることも、あまいかおりの眠りにほどけて。
それでも、小鳥のくちばしをつつみこむように、しずかに水はあふれはじめる


群馬のイタチ

  りす

きのう桐生市(群馬県)でイタチに出会い
お前に惚れたと言われた

そんな大事なこと 
突然告白されても困ると追い払い
国道で路線バスを待っていると
イタチもバスに乗りたいと言いだして
僕の隣に並んだ

錆びた背の低いバス停を挟んで 
僕とイタチはしばらく無言で
国道を歩いて横断する 一匹のトノサマバッタを見ていた
「あいつ、バッタの癖に殿様なんだぜ」イタチが言う
「ちがう、殿様の癖にバッタなんだ」僕は反論する
中央分離帯の陰に トノサマバッタが消えた時
お前に惚れちまったんだ
イタチがまた繰り返す

ひとめ惚れか?
そうだ。
イタチにも可愛い子はいるだろう?
いないね。
出会いが無いわけじゃあるまい?
ないね。
考え直す気はないか?
ないね。

トノサマバッタは中央分離帯によじ登り
首を傾げながら 左右を見回している
「あいつ、なんで飛ばないんだろう?」僕が呟くと
「そりゃ、家来を探してるからさ」とイタチが答える
車が激しく行き交う車道へ
トノサマバッタはまた 歩き出していく
僕とイタチは無言で見守る
黒いタイヤの流れの隙間に
見え隠れする緑色のトノサマバッタ
「飽きないね」とイタチ
「飽きないね」と僕
トノサマバッタは近づいてくるが
バスはなかなかやって来ない

お前に惚れちまったんだ
イタチは懲りずに繰り返す

僕はイタチを問い詰める
本当はバスに乗りたいだけなんだろう
僕に小銭を貸して欲しいだけなんだろう
東京にはイタチがいないから寂しいぞ
いたとしても群馬出身とは限らないからな
同じイタチでもこうも違うものか!
なんてイタチ同士の温度差にショックを受ける
なんてことは東京ではよくあることだぞ

イタチは悲しそうに僕を見上げる
そういう嘘でお前を諦めたイタチは多い
お前に惚れた
この気持ちを大事にしたいんだ

国道を渡り終えたトノサマバッタは今
僕の横でバス停によじ登っている
このあたりではバス停の上が
一番見晴らしがいい
「バス停の名前を隠すなよ」
イタチがトノサマバッタに注意する
「バスが停まらない可能性があるからな」

やがてバスがやって来た
扉が開くとイタチは 
イタチのようにシュルルとバスに乗り込み
後部座席にコロンと寝そべる
バスが発車すると同時に
バスを追いかけるように
トノサマバッタが飛び立つ
僕はバスに乗らなかった
隣に別のイタチが立っていて
お前に惚れたと言っている


人を送る

  軽谷佑子

口をきかずとも
人は知ることをまなべ
うつくしい目のひとよ
どこにあっても
救いのあるように

したたるみどり
穏やかなひざし五月の
最もうつくしいとき
心はずむままでいけよ
戻る必要のないように

机のうえの紙いちまいにも
たましいのやどる昨今だ
気をつけていけよたましいに
心を痛めすぎないように

なにも残すものなどなく
きみはどこにもいなかったといえ
できることなら
きみひとり安らかであるように
うつくしい目のひとよ


おっちゃんの詩

  シンジロウ


おっちゃんの人生は
大正区のある家で終わった
警察は当初 殺人の疑いを
おばちゃんに持っていた
いや それはただの事務的な手続き
だれも おっちゃんは殺されたんやと
怒ってくれなかった
たとえ事故でも

正直俺も悲しくもなんともなかった
だけどおっちゃん
あんたは女に惚れたことがあったか?
あんたは女に惚れられたことはあったか?
女の本当の媚態を見たか?
女を本気で抱いたか?
たぶんおっちゃんはそのどれも出来なかった
だってシャイだったから
そんなことが出来るほど
おっちゃんは図々しくなかったもんね

おっちゃん
おっちゃんが買ってくれた寿司
旨かった・・・たぶん
おっちゃん
「おっちゃんこんな人間やさかい」って
俺はあのとき おっちゃんが何を言っているのか
わからなかった

なあ おっちゃん
今は俺の胸にちょっとだけ おっちゃんがいる
おっちゃんのせいで
悲しいもんがちょっとだけな


鳥たちは鳴いていなかった

  丘 光平



鳥たちは鳴いていなかった
鳥たちは五月の朝空を忘れて
がらんとした道端で
夜の落穂をつついていた


 白い花のしずかな匂い、
たくさんの働き蜂が
そのちいさな口を黄いろにして
白い花のちいさな朝を頬張っていた


僕は振り返らなかった
遠くで山々が緑に燃えている
ここで世界が燃えている
僕は振り返らなかった


 すこし渇いたのどを
朝の冷たい光でうるおわせて
季節はずれの枯れ木のように
始発の駅に立っていた


まだ、目を覚まさない

  犀樹西人


てのひらに画鋲を
ひとつ、ひとつ、
刺してゆく
生命線をなぞったり
チクリ、チクリ、
動きはやさしい
痛みはかなしみではないから
いいのだとひとりごち
イタイ、イタイ、
どこが痛いのかなんて
もうとっくにわかっていた

カン、カン、カン、カン、
あなたは
氷が溶けて薄くなったコーラを
白くて冷たいタイルに叩きつけた
コップ、買わなきゃね。
とアタシはつぶやく
猫がタイルを舐め
タイルは赤く染まる
外では
汽車がアタシを笑っていた

少したつと
てのひらにはびっしり
画鋲が刺さっていた
はじのひとつをゆっくりと抜く
ズキズキとてのひらが
痛みのリズムをともなって
だらだらと
水のようなものを溢れさせた
それは奇妙な光景だった
知らないうちにアタシの血液は
透明になっていたのだ
ぺろり
アタシは透明な血液を舐めとる
塩っぱい
なんとなく、これは涙だ
そう思った
知らないうちにアタシのからだは
涙で満たされていたのだ

カン、カン、カン、カン、
ふと金属の匂いがした
その匂いは
正常な血液を思わせた
ゲットアップ、
あなたは
呼びつづけている
浴槽のなか
少女はまだ目を覚まさない
外で汽車は走りつづけていて
アタシは
舌を切った猫のかたわら
誰かの
しずかな泣き声を聞いていた

アタシは、全ての画鋲を
抜くことにし
まばたきをひとつ、した
抜くときの痛みが
ジワジワと
アタシを責めたてる
痛みはどうして涙を
つくりだしてしまうの
もうずいぶんと前から痛んでいる胸は
ドクン、ドクン、
からだじゅうに
涙を
はいしゅつしている

カン、カン、カン、カン、
あれは警報です。
鳴りやまないまま
アタシとあなたを
責めつづけている
そっと猫をなでると
毛が濡れて光り
アタシは泣きたくなる
知らないふりをして
優しい人間になりたかった
浴槽からあふれる、

もう、きっと
優しくはなれない

あなたは繰り返す
ゲットアップ、
ゲットアップ、
アタシは
画鋲を浴槽に投げ入れる
少女が目覚めたら
アタシとあなたも目が覚めて
またいつも通り暮らしましょう
あなたを
こころから愛しています

カン、カン、カン、カン、
見慣れた背中が
震えていて
ゲットアップ、
少女はまだ目を覚まさない
アタシのてのひらからは
涙が流れつづけている

夢ならいいのに。
背中がつぶやいた
アタシもそう思った
あなたの名前を呼んでから
アタシは、少し泣いた


 

  やぶさか

 城/だった

 ひらがなにあふれて・
 うなだれた、ふたつの視線の
 はぐらかされて、ふと
 立ちどまった先

 *

 波うちぎわに
 ロウソクを立てる、いくつか
 ぼくと、足あとの、離されていくから
 針と、糸が/必要だった

 *

 上質さについて
 虎を思うとき・
 それぞれのサバンナに触れて
 針を刺していかなければならなかった

 *

 ヒンデンブルグは堕ちた
 紙面の上、砂をまいて
 香るのだという・
 ぼやのように、ふと
 早朝

 *

 刺すなら
 右のほうからにしてほしい」
 きみはささやいた・
 ひらかれたドアの先を見て、ぼくは
 ゆれながら、傾いていた

 *

 右のほうには
 まず、何もないから」と
 きみの輪郭は
 ぼくと重なりたいのだった

 *

 海はいま
 一枚の紙きれだから
 あぶなく、鋭いんだ」

 *

 影が
 きらきらと、宝石を追って
 サバンナを走っている

 *

 猿の目
 いつだって静かだった
 殺すために、しずかだった

 *

 ぼくは閉じられて
 きみと、猿について/針と、糸を手に

 *

 一分は/きざまれた
 城の、脆さと
 
 失明していくときの
 一分と・

文学極道

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