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2007年04月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


コミック雑誌

  みつとみ

その日、だれかに呼ばれたような気がして、家から外にでた。近所の、さくらの並木通り、書店でコミック雑誌を買う。花を見ながら、小学校の前を通りすぎ、病院へと向かう。となりのレストランの、外壁の大きな鏡に、通りすぎるわたしの姿が映った。

二十年前、ここを通ったときは、レストランはなかったが、この小学校も、通りをはさんだ病院もあった。わたしの前を小学生が走り去る。

わたしは少年の視線になる。
待ち合いの長椅子で、わたしはコミック雑誌を読んでいた。赤茶色の紙に、だぶった印刷で、絵が描かれている。父の個室から呼ばれて、雑誌を椅子の上において、部屋に入った。学校を見下ろせる、病室の窓に映る半透明な少年のわたし。休み時間になると、楽しそうな仲間たちの声が聞こえてくる。振り返ると、部屋の中央にベッドの父。明るい日差しの中で、わたしと母は、ずっと鼻ばかりかんでいる。ベッドの上の父を見下ろし、髪をなでつづけた。父はいつもと違い、微笑んではくれなかった。

医師の臨終を告げる声は、聞こえない。ただ空気でそれとわかる。めまいとともに、わたしの体は、宙にひきこまれそうになり、見えない渦にもまれた。
「どうしたの、ボク。さっきまで元気だったのに」
看護婦の声に、わたしの体は沈む。
「お父さんの体をいっしょにきれいにするかい」とだれかに聞かれ、わたしは首をふり、病室の外にでた。待ち合いの長椅子で、親戚たちが集まっている。空いている席に戻ると、読んでいたコミック雑誌はなく、そこで、わたしは大人の肩をかりた。
「お兄ちゃんの泣いているところはじめてみた」。
向かいの長椅子の、従妹の声が聞こえる。

四月十日、さくらの花は満開だった。葬儀を終え、三日して、わたしは登校した。みんなが校庭で遊んでいる。
「ねえ、みんなあ、仲間にいれてよ。ねえ」
微笑みながら、そばで大きな声で、何度も繰り返し、訴えたが、だれもわたしの方を、見ようともしなかった。ひとり、玄関の暗い廊下で、目を見開いて、足元を凝視していた。目に映るものが歪んでいた。
何日かあと、さくらの花が勢いよく散った。

病院の前で窓を見上げる。後ろの学校は静かだった。門のさくらの脇に、そっと、コミック雑誌をおいて、いまきた、さくらの並木通りに戻ろうとすると、後ろから吹く風が、わたしを追い越していった。

少年の声がわたしを追い越していく、あのときの、仲間にいれてくれるよう、訴える声、振り返ると、雑誌のページが風にめくれて、音をたてている。


ガンガーを抜ける

  ミドリ


これがインド洋ですよ そこに座っていた老人が
指をさして言った
さすが広いですねぇ
人っ子一人いやしない
ユリはジーンズの裾を捲り上げて
サンダルのまま 海の中へ入って行った

バラナシ空港に ユリが着いたのは
午後の2時半だった
空港から外へ出ると
ムッと吹きつけてくる風が
体を包んだ

200ミリのズームをいっぱいにして
ファインダーを覗いていると
空港からホテルへ向かう人通りの中に
一匹の仔犬がいた
彼は一軒のレストランの前で躊躇し
立ち止まって座り込んだ

強い日差しで
額の辺りから
汗がこぼれる

私は”ボーイハント”のつもりで
仔犬に声をかけた

ご飯でも一緒にどうですか?
仔犬は私を見上げると
おねーちゃんは中国人かい?って訊いてきた
日本人だよ
見てわかんない?

インドの暦で
3月と8月の11日は
1年のうちでもっとも重要な日なんだ
つまり今日
6月21日は この大切な日にあたる

腹はへってないからさ
一緒にガンガーへ行くかい?

ガンガーってなによ?
仔犬は私の手をギュイと掴んで
ズンズン歩き出した
有無を言わさない感じだった

街を突き抜けると
ふいに巨大な階段が立ち現れ
とても大きな
建物とつながっていた

何よ?此処
やーよ って私言うと
仔犬は私をにらみつけ
お前さっき日本人だって言ったよな
うん
だったらこいよ
ギューっと 引っ張られた私は
建物の中へ引きずり込まれた

なんだ此処 ラブホテルじゃないの?って仔犬に訊ねると
違うね
ファッションホテルって言うんだ
私たちはレセプションで手続きを済ませると
306号室に入った

ピンクの回転ベットと鏡張りの部屋
むかし大阪のミナミでタカシと行ったラブホテルとそっくりだ

ちゃっちゃと服脱げよと仔犬が行った
あなたから先に脱いでよ
俺はもう裸だよバーロ
ポコちんだってこのとーりさ
確かに・・・

私はもうブラを外すしかなかった
仔犬は器用に私の前ホックを左手で外すと
唇を押し付けてきた
やだっ
私ったら もう感じちゃってる!

仔犬はピチャピチャと下腹部へ舌を滑らせる
ホテルの窓の下の
路地を走り抜ける 人と牛と車のリキシャが
行きかう音に私の胸と呼吸は荒くなった

仔犬は私にヨガみたいな格好をさせたり
ハーレーダヴィットソンに乗るような格好までさせた
そしてマンゴージュースのような
ねっとりとしたキスまでくれた

そしてその夜
私たちはガンガーを抜け出した

青い火葬場の白煙を上げる
井桁を組んだ薪のまわりに
十数人ほどの白い服を着た人たちが
丸い円をつくって
燃えついていく遺体をじっと眺めてる

私の手を強くグッと握りしめて仔犬言った
此処がガンガーだよ
胸の内っかわを膨らませる
最高の喜びの場所だよと
仔犬は焼かれていく遺体を指差して言った

私はフレアスカートの裾を捲り上げ
ブラウスのボタンを外し
腰を屈めてパンティーを脱ぎ
腕をグッと掴んだ彼が耳元で囁くのよ私に 
最高に 君は綺麗だよって


正方形

  一条

恐れていることは、いまだ起こらないし、八時間したら私は大量に吐いていた。そして、私が、あらすじについて語りだすと、いつも決まって挫折した。明日からは、新品のセキュリティが私たちの生活を守ってくれる。呼吸が終われば、残されるものは、数えるほどしかなくなった。街には、取り返しのつかない顔をした取り返しのつかない連中が溢れている。まるで要塞みたいな私の部屋は、外壁が海の貝殻で覆われ、いくつもの扉を開かないと、誰にも会えない仕組みになっていた。あなたが本当に自分を利口な人間だと思うなら、その鍵の穴のどれかに指を突っ込んで、あなたが今までに獲得してきた全てを投げ出す覚悟でぐにゃりと捻ってみて欲しい。私は、あなたが来るまでの時間を利用して、近所の美容院に出かけた。どうやら見習い期間中の美容師が、右手用のはさみを左手に持ち替えて、右手に握られた左手用のはさみで、私の頭のてっぺんを正方形にカットした。私は、こんなに見事な正方形を要求した覚えはなかったが、待合席の男が、私の頭の正方形に見惚れているようだ。私は、規定の代金を彼に支払い、店を後にした。それから、私はいくつもの種類の乗り物を乗り継いだ。私が行き先を伝えると、運転手たちは奇妙な音色のブザーを三度鳴らした。お客さん、着きましたよ、と言って降ろされる場所はいつも同じで、代金の支払いに関しては躊躇した。いつも同じ場所で降ろされる私は、それでもいくつもの乗り物を乗り継いだ。試しに、行き先を告げずに席についても、終点は、いつも同じだった。後になって気付いたのだが、そこは、ちょうど、正方形の対角線が重なる点に過ぎなかった。私は、いつもそこから自分の意思で外れようとするのだが、正方形は、いつまでも私の後を追いかけてきた。私は、今夜の訪問客のことすらも忘れ、どこかをさ迷っている。彼らの協力がないと、どこにも辿りつけないなんてことは、とっくにわかっていた。郵便箱には、何枚もの不在票が捻じ込まれていく。その紙切れが幾十にも重なり合わされ、それは、私の頭のてっぺんの正方形にそっくりだ。お客さん、着きましたよ、と言われ、今度は、なんだかそのことが、私を愉快な気分にした。奇妙な音色のブザーや、いつも同じ場所で降ろされてしまう私や、新品のセキュリティや、あら、今夜の訪問客のことさえも、すっかり忘れてしまっている。私の恐れていることが、たった今、起きているのだとしたら、あの運転手たちにだって、きっと同じことが起きているに違いない。お客さん、お客さんの正方形に、なんだか知らねえけど、見覚えがあんだけどさ、と言われ、私は、あら、それは別の正方形よと答えた。この乗り物は、野菜畑を通り抜け、顔立ちのはっきりした子供たちが、全員例外なく上空に背を伸ばしている交通公園を何度も通り抜けた。何もかもが馬鹿げているようで、何もかもに見覚えがなかった。あるいは、今、この瞬間に、私が、すっかり馬鹿げてしまったとしたら。お客さん、着きましたよ、しかし、何度見ても、お客さんの、その頭のてっぺんの、正方形には見覚えがあんだけどねえ。例によって、私には、今、私が降ろされた場所の、その記憶しかなく、八時間くらい前に私が人気のない往来の真ん中に大量に吐いてしまったものが正方形となり、そしてその四つの頂点には、馬車、自動車、バス、電車が置かれている。


黄金町

  リヅ

友達と呼ぶ時
少し気後れしてしまうが
知り合いと呼んでしまうのは寂しい
私に黄金町を教えてくれたのは五つ年上のKさんだった
女子高生が一人で歩くのは危ないよ
彼はそう笑った

駅の改札を出ると空気の質ががらりと変わるのがわかる
この町の湿度は季節や天候に関わらずいつも高い
それはかつてここが風俗街だった頃
途切れることのなかった折り重なった男女の吐息が今も満ちているから
数年前に一斉摘発され空家となった何百件もの小さな売春宿と
シャッターが下ろされたまま残されている古い映画館が
なんとかその湿気をこの場所に閉じ込めている

Kさんは陽気な人でよく喋るが
たまに何度電話をかけても出てこないことがあった
精神科に救いはねぇな、手助けはしてくれるけどって缶コーヒーを飲む
高架下には三百メートルごとに警官が立っていて
おちおちタバコも吸えやしない

この町唯一のカトリック系の教会と付属の幼稚園は
ラブホテルから通りを一つ挟んだ場所に存在する
生命力の強い何軒かのソープランドとストリップ劇場は
錆び付いてネオンの光らない看板を掲げたまま営業しているけれど
外国人娼婦がカタコトの日本語で客を呼んでいたのも
アパートの一室で麻薬の売買がなされていたのももうずっと昔のこと
何もかも変わっていってしまう

黄金町へ来るとKさんはよく死んだ友達の話をする
八月のある日
その人は一度だけこの町で韓国人の女を買った
表向きスナックとして営業している店の二階で
彼は女と重なる前に並んで寝転び
何か話をしようとした
頭を撫でてやろうとした時
狭い部屋の壁に自分の左肩があたっていることに気付いて
何もしないまま家へ帰った
壁が冷たかったのだ
右隣の彼女の体温も扇風機すらない部屋の室温も高いのに
ひどく冷たかったのだ
その翌日
彼は京浜急行線の始発に轢かれた

女たちは生きていくために性を売り
男たちは生を買い求めてやってきた
欲望を持たないと生き残れなかった
生きることに疲れた人々は容赦なくこの町に殺された
自分の番がこないように
遺された人はいなくなった人の話をしない
涙も感傷も欲望を邪魔するものでしかないから

寂しかったんかなぁ
一人で死ぬのも寂しいよなぁ
俺が殺してやれればよかったのになぁ

Kさんが死んだ友達の話をする度に
私はいつも殺されたいのかと思う
だけど彼はこの町にそんなエネルギーが残っていないことを知っていた
金のメッキがはがされた町はもう誰にも関わらない
何もかも死んでいってしまう

Kさん
上手く言えないけど
たった一度の死でその人全部が悲しく塗り替えられてしまうなら
忘れてしまえばいいと思うんだ
寂しくなるだけだから

誰もが幼い頃は
明るく生きることがすべてなのだと信じていた
大人になれば
うまく社会と繋がれなかったり
大切な人が死んでしまったり
笑顔だけの日々がずっと続くわけがないことを知るけれど
それでも黄金町は明るく生きることがすべてなのだと言い切った

どこの売春宿だったんだろう
韓国人の彼女は何処へ行ったんだろうね
だけどどの店覗き込んでも彼の幽霊はいないよ
この町には生きている人しかいない
本当は
どの町にも生きている人しかいない

いつからか町の中心を流れる大岡川の水が澄んでいた
映画館は来月に取り壊しが決まった
空家になった売春宿の通りも住宅街になるだろう
湿度は消え皮膚感覚は失われていく
黄金町は死んでしまう
それでも私とKさんの生活はもう少しだけ続く
残ろうか
捨てようか
忘れようか
それから何処へ

生きてるって奇跡だ
山手の丘で誰かが言った
死んじまう奴がアンラッキーなのだ
十年前の黄金町ならきっと笑ってそう言った


動物屋

  高岡 力

『動物屋』

動物屋へいった
小さいながらも庭を持ったからには
その庭に生き物を飼いたいと    
妻がせがんだのだ
手間がかかるじゃないか
世話ならあたしが
と ひかない
ならば 見るだけ
と 坂を下ったのだが
庭とは云わず座敷で飼いたい
人並みに服なんかも揃えてやりたい
と きたるべき未来について 妻は 夢想しだした
和むわ 和むわ 溢れる妄想の庭に
陶酔の夫婦が いるらしく
ほら 和むでしょう 軟らかく頬をゆがめて
団欒を繋ごうとする つがいがいい 仔ができて
庭を駆けて回る姿が
ありありと脳裏に 開かれているらしく そうよ名前よ
考えていてくださいな うつくしい響きを
次々と空に並べはじめ 考えてくれていますか
どれにしますか こんなんでいいんですか
優しい響きがいいでしょう こんなんではどうですか
ねえぇ と 踞りはじめた私の背に
沢山の名を刻みつけてくる
動物屋に 入れば 
旺盛ですか 多産ですか
適応性はどうですか
何と何がかかっていますか
お乳などはどうなのですか と
主人を 追い回してる 私の姿が映り込む程
大きな瞳の黒い仔が じっと こちらを 伺っている
私はつとめて優しく ほら視て御覧
従順そうだよ 元気そうだよ きっと和むよ ほら・・
いや! そうじゃない これはちがう あれはちがう
どこにそれはあるのでしょう? と主人に詰め寄っている
なあ 聴いてくれよ おまえ 
小さいながらも
庭を持ってしまったからには
その庭に 木を植えたいよ 手間はかかるが
世話なら私が きっと和むよ 溢れる妄想の小さな庭に
一本、木が生えて来て 適応性はどうだろう
たくさん葉をつけるだろうか 虫など 湧かさないだろうね
そうだ 花もいい
南国の花だよ 咲き乱れる光景がありありと
脳裏に拡がって来て 和むよ 和む・・・ 
杭を打って 仕切ろうよ 
繁殖だよ 旺盛だよ
さあ おまえ 植物屋に いますぐいこうよ
と 云ったが 聴かない
こんなんじゃない こんなんじゃない
あたし達の仔は こんなんじゃない
それはどこにあるんでしょうね と
かたっぱしから物色してる 
私はつとめて優しく ほら視て御覧
四つ足だよ 毛だらけだよ 牙だって
ちゃんと生えてるよ
来るはずもない未来について
妄想を止めぬ妻の肩が
度を越して震えだした
ぞろぞろと頬を濡らしてしまうと
つられて 私もほろりと零した
手を取って崩れてしまえ
手を取って崩れてしまえ
そうすればひとまづ治まるじゃないか
と おもっていると
いやちがう いやちがう
あたしの仔は こんなんじゃない
取り合った手を 振払い
和むわ きっと 和むわ
かたっぱしから物色を また
一から はじめた


鰐の仕組み

  りす

空ノ広サハ ソノヒトノ心ノ広サニ 正確ニ一致シテイル
ナンテ アンタガ余計ナコト 言ウカラ
アタシ 空ガ恐クテ 上ヲ向イテ歩ケナイノヨネ


今日 雨ガ降ッテキテネ
ツメタイ雨ガ降ッテキテネ
傘ナクテ
鰐ガ居タノヨ
クロコダイル ダカ
アリゲーター ダカ
知ラナインダケド
口ヲパックリ開ケテネ
少シ休ンデケヨ ナンテ言ウワケ
食ベラレチャウ ト思ウデショ?
鰐ノヤツ 上手イコト言ッテ
アタシヲ食ベル気ナンダッテ フツー 思ウデショ?
デモ 雨降ッテ ブラウスガ濡レルト イロイロ アレデショウ?
ソウ アレナンデ トリアエズ イツデモ ダッシュデキルヨウニ
アタシ 右足ニ体重ヲ乗セテネ 雨宿リシタノヨ


ソレガ 案外 イイ奴ナノヨ
誰?ッテ 鰐ヨ 鰐 鰐サン
食ベナイノヨネ アタシヲ
ジット口ヲ開ケタママ動カナイノヨ
デモ 安心デキナイジャナイ?
アタシガ気ヲ許シタ途端ニパックリ ナンテ
アリガチジャナイ? アリガチヨネエ
ソレガ意外ト ナイノヨ
何ガッテ? 
パックリトカ ムシャムシャトカ
ソノヘン? ナクテ


鰐ガ言ウノヨ
モウ一人クライ 入レルカラ 呼ンデオイデ
優シイノヨ 鰐ッテ
ソレデ アンタヲ呼ンダノ
ナノニ 傘モッテコナイノネ アンタ
ソウイウトコ キライ
ウソ
ソウイウトコ スキ
ホラ 鰐 食ベタリシナイデショ?
コンダケ大丈夫ナラ 大丈夫デショ?
アタシ ココデ 産ンジャオッカナ
アタシ ココデ 死ンジャオッカナ
ウソ


アタシ サッキ 久シブリニ上ヲ見タノヨ
鰐ノ歯ガ スゴクテ 虫歯ガネ スゴクテ
コレジャ 食ベタイモノ 食ベラレナイモノ
カワイソウヨ カワイソウジャナイ?
歯医者ヘ? 行ケナイデショ 鰐ダモノ
往診ヨ 往診 ココニ歯医者ヲ呼ブノヨ
アンタ 電話シテクレナイ?
アタシ 説明トカ苦手ダシ
アンタ 電話シテクレナイ?
患者サンハ 鰐ダッテコト
アバウトニ 伝ワレバイイカラ


こっぱみじんこ パート2

  一条

少女マンガが、どっさりおさまった本棚を指差して
「あれよ」
と言った。舌はひりひりしている。

「あれよ」

昔から、ゆううつだった。おねえちゃんが死んでしまってからも
ずーっと、ゆううつだった。

そんなことを空想していると、
アパートはぐらぐらと崩れ落ちそうになっている。

やがて、少女マンガを両脇に抱えたおねえちゃんが
すっかり生き返っている、
「あんた、まだ生きてたのね、ぐふふ」
ぐふふってなによ。
でも、ここ、ぐらぐら揺れているんだけど。

そんなふうにして、近所の墓地に久しぶりに行った。
土をほじくっている管理のおっちゃんが
「いやあ、お揃いですか」だって。
おっちゃんにちゃんと愛想して
わたしたちは、墓地を後にした。

「おっちゃん、あんたに気持ちがあるみたいよ。」

喫茶店に行って、湯気の出るコーヒーを注文した。
気持ちの悪いウェイトレスが膝を抱えている。
だけど、実は、あの子もとっくのとっくに死んでるのよ、
とっくのとっくっていつなのよ、
コーヒーがこぼれて染みになった、この服、台無しじゃん

アパートに戻ると
アパートはこっぱみじんに崩れ落ちていた、
スーツ姿の男性が、神妙な顔をして土をほじくっている。
「いやあ、どこもかしこも、こっぱみじんで、機材不足なんですよ」
そんな、世の中だそうで。
そんな、世の中に みんな生きてるんだそうで。

「あれよ」

「あれよって、なによ」

「あれ、あれ」

あの頃は、いつも、こんなふうだった。

久しぶりにおねえちゃんのマンコを触った。
それは、とっても冷たくて
それは、とってもゆううつな感じだった
おねえちゃん、やっぱり、死んじゃうのね
馬鹿ねえ、ぐふふ

「あれよ」

「あれ、あれ」

「あれってなによ」

「あれだって」

おねえちゃんは、それを
ゆっくりと指差して
振り返った、

舌は かわいている、あの頃とおんなじだ。


夜ヲ泳グ。

  紅魚


【序幕:東ヘ向カウ】
呼ばれた気がしたから
振り返る、
ソラミミ。
カイヅカイブキのうねるような影に怯えて、
足が竦んでしまったのです。
バスの接近知らせるランプが、
少女を酷く不安にする橙色の点滅で急かすから、
彼女は、
揺られる眠りを諦めてしまった。
東向き、
ふらりのお散歩。
背中の空が紅い、なら、
振り返ったかも知れない。
助けて、
と、
呟けたかも、知れない。
けれど刻限は、手遅れ。
いくら睨んだところで、
烏は隠れてしまった。

【第一幕:星ヲ呼ブ】
青い、青い、
星座の夜です。
水瓶の少年。
あふれる水に魚は泳ぎ、
魚尾の山羊が葦笛を吹く。
天馬の羽ばたきに不思議の星は揺れて、
金の羊は、雨季に溺れる。
(あ、あ、おぼれて、しまう、よ)
囁きは海風に散って、
少女は、さみし、かなし、と俯く。

南の夜空に手を伸ばして、
掴む仕草。

(あれ。あのほしが、ほしいの)

彼女には空が高すぎて、
両脚揃えて少し跳ねてみたり、する。

(でねぶ・かいとす。くじらのしっぽ、)

光、包んだつもりの両手、
大切に、胸許。
尻尾掴んで引き寄せたら、くじら、降りてくるのじゃないかしら、と、
幼い空想に少し楽しくなって、
少女は、ふ、ふ、と笑ってしまう。

進路、変更。
くじらを追って、
南へ。南、へ。

【第二幕:星ノ弔イ】
金木犀の垣根、延々。
むせ返る馨に酔って少女はしゃがみ込んで。
あ、あ、の声。
足許、一面、
花、花
花。
(きんもくせいって、あきのそらのみずにおぼれた、ほしの、しがい。たくさんたくさん、ふる、のね)
指先、馨染めながら、
一つ、また一つ、
拾い集めて、ハンカチに包む。
(ねぇ、あたし、ないて、あげても、いいんだよ、)

仮装の子らがゆきます。
ゆらゆらとランタンを下げてゆきます。
楽しげな声、声。
(おかしなんか、いらないわ、いたずらが、したい。あぁ、ちがう、ちがう。そう、あれはきっと、そうれつ、なのです。)
光まとう電波塔へ向けて、子供らはゆきます。
ゆらゆらと、ぼわぼわとゆきます。
後をゆきながら、少女は、
集めた花をぱらぱらと散らす。
踏みつぶして、歩く。
散華。
星の、埋葬。

【第三幕:夢ノ月ノ水】
月。
半分より少し大きい。
(あれはきっと、きみにあげたぶん、ね、)
泳ぎ疲れた少女は、
車窓から、ぼぉやりと見上げている。
きっと、あの水気を含んだ象牙色は、
口にすれば蜂蜜の味なのだと信じている。
いつしか、微睡み。
(みちたこれは、やさしいやさしい、つきのみず、かしら、つつむみたいな、こえ、が、)
柔らかな声を、夢に聞いて眠る、とろり、とろり。
あんまり夢が幸せだから、
終点告げる声まで、
彼女はいったりきたり、
ゆらり、由良、由良。

窓の外、
海も、眠っています。
粘性のとぷりの底に、
哀しい魚を閉じ込めた海。
濁った水の底にも、
と、いつだったか、彼女に呟かせた、海、です。
水面のぎらぎらを見たくないから、
少女は、醒めても目を開けません。
睫毛を微かに震わせながら、
額を窓につけている。
振動が優しく頭を揺さぶるので、
そのまま、また、
とろとろと眠りに落ちてしまうのです。

【終幕:夜満タス燿】
雲の白。
いつの間にかふるふると。
雨は降らせない雲です。
流れながら淡く光る、
夜空の水母。
月と、遊んでいます。
少女は細く、細く、歌を唄いながら、
眠たい顔。
さみしくなって
わ、と走ってみたり、
不意に立ち止まって、
月に手を振ったりしている。
ブランコに乗りに行こうか、と考えたり、
こんぺい糖を、しゃりり、とかじったりする。

握り締めた手の内に、
やがて、鼓動。
夢に聞いた柔い声を思い出して、
嬉しくなって。
ふわ・り
少女、は、微笑む。
(おかえり、なさい。おかえり、)
淡い発光に夜道を透かして、
ゆっくりと家路を辿り始めます。
お散歩はおしまい。
この上なく優しい、夜の、始まりです。


雪が溶け始める季節

  犀樹西人


そして、母は笑った/雪が溶け始める季節。

 僕は毎年そうするように、この時期になると庭の決まった位置を確かめる。自分の部屋の窓の下にある花壇/
 そこから左を見ると
 赤い花を咲かせる
 紫陽花が植えられている。
 「死体が埋まってるのよ」
 と言った姉の言葉を
 僕は信じていた。
 その頃も怖くはなかったけれど
 今思うとベタだな、なんて/姉のセンスを少し疑う。

 僕は玄関から外に出ることはあまりない。物心ついた頃から、窓/
いつものように僕は僕の玄関で、きつく結ばれたひもをとく。元は白かったはずのスニーカーに、ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう足を詰め込んで/
 「もっと小さい靴にしなさい」
 と母は言うけれど、
 大きい方が絶対いいと
 僕はいつだって思う。
 僕の父は足がとても大きい/両足がスニーカーに入ると、再びひもをきつく結びなおして窓の外を見る。
まぶしいなあ、今日はもしかしたら出ているかもしれない。

 飛ぶとき気を付けなきゃいけないことは、花壇に着地してしまうのを防ぐことだ。前に一度失敗したとき、叱られたのがかなしかったのではない/
 かなしみは常に自分に
 向けられていて、また、
 全く逆をも向いている。
 笑っても泣いてもどっちみち、
 きっとかなしいのだ/ただ母が微笑むだけで良い。
花壇を飛び越えるフォームをほめてくれたのはいつだったろう/姉も笑っていた頃だったろうか。

 花壇の前にしゃがみこむ/近くで犬が吠えていて、しかしまあそれを別段うるさいとも思わない。父が買ってきた黒く毛なみの良いシェパードは息が臭く、そして、なかなか僕になつかない/
 それでいいとは思う。
 去年の正月に死んでしまった犬を
 僕はもう一度飼いたい。
 庭を出て坂をくだったところにある、
 大きな栗の木の下。
 そこにいるのは
 わかっているのだけれど、
 いや、もういないことも
 わかっているのだけれど。
 あの犬が、僕は好きだった/その後に父がシェパードを買って嫌な気持ちになったのは僕だけだったのだろうか/栗の木に赤い花が咲いたら少しは笑えるかもしれない。

 花壇にかぶった溶けかけの雪をよける作業は、素手で行う/たいてい外は暖かい。ひんやりした雪をやんわりつかんで脇によけるその作業を僕は結構好んでいたりする。父も姉もやったことはないであろう作業を、僕は母のために行うのだ/
 姉が妊娠したときのことを僕は忘れられない。昔から軋んだ関係ではあったのだけれど、目の前で崩れてゆく日々はみんなを泣きたい顔にさせた/
 父は毎晩酒をあおり、怒鳴り
 姉は泣いて叫ぶ。
 誰かの名前を呼んでいるのだ。
 僕は母のことを考えていた/母が涙を流したのは、あのときがはじめてかもしれない。

 雪をよけてゆく手をはやめると、だんだん黒い土が見えてくる。そして、手に何か固いとがったものが触れるのだ。それは、春だ。母にとっても僕にとっても/
 姉は子供を産んだ。
 ちょうどこんな季節だった。
 それから父は、
 姉とあまり言葉を交さない。
 それでも父は、
 姉の子供に愛情を注ぐ/どっちみちかなしいのだ。だから母は笑うのだろう/時間は流れるもので、同じ時間を刻んだりはしない。

 すべての雪をよけ終えると、僕は家のなかにいる母のところへ急ぎ足で向かう。母はお昼ご飯を作っているようで、台所には僕の好きなソース焼きそばの匂いが、充満している。/

 「今年も水仙の芽が出たよ」

そして、母は笑った/雪が溶け始める季節。


しろひげ

  宮下倉庫


安心してほしい。おまえの成長を顕微鏡越しに見ている。おまえは
毎日数ミクロンずつ成長して、やがて俺の中を駆ける極小の兵隊に
なり、最後は革命に殉じるのだろう。たまったものじゃない。

牛乳が未だに届けられる。新聞屋にもリフォーム屋にも宗教屋にも
断りの電話を入れたが、牛乳屋にだけはなぜか連絡がつかず、こう
して今朝も牛乳瓶が2本届けられる。死んだはずの母が奥の部屋か
ら現れ、牛乳は毎日飲みなさいじゃなければ大きくなれないわよと
、いつも牛乳瓶を傾けながら話すものだから母の口からはだらだら
と牛乳が零れて顎を伝い、まるでしろいひげを蓄えたかっこいいお
じいちゃんみたいだ。ところでおじいちゃんは奥の部屋でくろこげ
になっている。そして1本目の牛乳は一滴も俺の口に入ることなく
しろい水溜りになり、牛乳瓶の中には干からびたへその緒が残され
ている。父の顔を俺は知らない。

顕微鏡を欲しいと思ったことは一度もないのに、プレパラートの上
の俺は超一流だった。であるからして、眼医者に行っても歯医者に
行っても俺は標本扱いなのだ。そして俺がシナプスの極小の間隙を
抜ける度、奴らは地団駄踏んで悔しがったものだ。しみだらけの尿
道のような路地を駆けて家に戻る。すると母は2本目の牛乳をだら
だらと零し続けていて、しろい水溜りは始原の海の風景を現しつつ
ある。俺はほんの数ミクロンの成長のために膝を壊し続けている。
誰か父の背中越しの風景を俺に教えてやってほしい。

禁忌は奥の部屋で犯される。俺の体臭は女のそれだ。顕微鏡で仔細
に眺めると、海岸線は向こうの岸壁でとぎれ、岸壁は幾星霜をかけ
て穏やかな波に洗われ続け、女の腰から肩にかけてのごときカーブ
を描いている。それで欲情すると、奥の部屋からおじいちゃんが現
れてはシングルなスタンダードで俺を殴りつけ、その度に俺はあか
いひげを蓄えて革命を誓うのだった。安心してほしい。もう始まっ
ている。


「水性学」のためのジャンク群

  浅井康浩

鉄路

ひややかな夜明けはどこまでもぼくたちのやすらぎを束ねていってしまうから、かぎりあ
る鉄路はなにげない眼差しのまま見限ることとして、さりげなさからはすこし離れたよう
にばらまかれていた繊維質のしなやかさへと視線をそのままにして、けだるそうに逸らせ
てしまうことも、あなたとなら、できたにちがいない
たとえば、曇った日の午後、小鳥のさえずりが聴こえるなかで、

学区

眼を閉ざしてゆく
あなたのいない歴史の時間はつまらなくって、
ポーランドのポーっておとでねむりがはじまる。
教室でねむるあなたに会うために、
キャラメルのとろけるはやさのすこし遅めで、と、いいきかせつつ眠れ、わたくし。



あたしのやさしさを拠りどころにするまえのあなたを見ようとして、息をひそめてしまう
ごとのキュッっていう鳴き声は、空気にとけてゆくたびに、立ちくらみへと変わってしま
う。うとましくおもうこのからだの、そのすべてをめぐる酸素から、うるおいを消してし
まった水分の粒子を受けとってしまうあたらしい予感が、わたしをどこまでもうつむかせ
てやまない。はやく、みみたぶの裏側へと、だれにも知られることなくさみしさを溶け込
ませてゆくあまやかなそぶりに身をゆだねてしまいたい。

教会

祈るとき、あなたの咽喉からこぼれだすやさしいうたは風にほどけて、かぼそいほどの雨
だれとなる。そしたら、ゆるやかなあまさへと滴ってゆく調べからすこしずつとりのこさ
れる約束をして。そして、くちずさむ速度でちりばめてみて。

湖畔

ほとりへとしずかに、ながされてしまうことのおぼつかなさに、そっと、わたくしに芽生
えはじめていた襞はふっつりと消えいってしまって、もう、溺れおわったあとにあらわれ
てくる、あのいちめんの深さがなによりの眠りだと感じてしまうしかない弱さというもの
を受けとめることさえできなくなってしまう。ねぇ、いちどだけ、ふりかえりさえすれば、
こんなにもさりげなく口笛をふいてきたあかるさというものを見させてくれるような気が
するから、ねぇ、もうすこしだけ、


  ためいき

   夜


増殖する緑の液体が
部屋の壁に這い上る
電話が鳴り響き
妹の死が知らされる

部屋の隅で
顔のある植物が窓を見つめる
何処までも暗い空
静かに進む喪の儀式

深夜
疲れ果てた家族が
部屋に帰ってくる

自分が死んだことも知らずに
妹は静かに微笑む
植物は苦しみを頬に浮かべながら
いつまでも夜の窓を見つめていた



   緑の群像


微光に包まれた境界に
その道は消え去る
その道は失われる
夜を繁殖し続けた緑が
幾つかの顔を織り上げたことも
やがて忘れ去られるだろう
これを朝だと告げるためには
針の声がすでに
光の萌芽を貫いていた
祭りの後の荒れた道は
まだ夜を分泌する裏通りへ
ゆるやかな曲線を描いていた
最後の言葉は
腐敗した妹の陰部のために
織り上げられた
死の網目の向こうから
不意に曲がってくる声
鏡の破片
ざわめく緑を半身に透かしながら
わたしの足跡は微光に途切れる


布巾

  T.T

『布巾』

布巾を濡らして発言者の顔にのせる。太郎が右腕 次郎が左腕 三郎が右足 四郎が左足 五郎が胸に股がり 身動きがとれない発言者は布団の上 濡れた布巾の下 発言した口ともども 鎮められている。六郎が発言者の頭部を抑え 七之助がカーテンを開け 天気予報 外れたね と言う。発言者の口が布巾の下 まだ何かを発言しようとしている。なにを今更言ってるの?と金魚鉢を覗き込んでいた花子が言う。金魚がパクパクしているようなものさっ、とピーターが花子の手をとる。ピーターが花子を抱き寄せる ピーターと花子が見つめ合う ピーターと花子がステップを踏む。ピーターの腕の下 花子がくるくる廻っている。あそこの煙突 なくなるんだって、と七之助が言う。でも煙が出てる まだ燃やす物があったんだ、と七之助が言う。あの煙突の向うは泥の山だ、と六郎が言う。その泥の山の向うは海だ、と五郎が言う。でも、狭い海だ、と四郎が言う。埋め立てるんだ、と三郎が言う。あの観覧車もとりこわすんだ、と次郎が言う。もーそろそろ、と太郎が言う。もーそろそろ、と太郎がもう一度言う。ピーターと花子が踊り終え 会釈し 離ればなれになっていく。布巾の下 発言者の口が動く事をやめている。ブルドーザーがたくさんあったねー、と太郎が思い出した様に言う。さてと、僕は何をしようと、と次郎が言う。さてと、僕も何をしようと、と三郎が言う。僕はこの左足を放す、と四郎が言う。僕はこの胸から立ち上がる、と五郎が言う。僕はこの布巾を剥ぐ、と六郎が言う。七之助がカーテンを閉め 花子が発言者の顔を跨ぎ ピーターが鍵をしめる。


公園跡地

  流離いジロウ



個体発生は、けいとう発生をくり返す。行く方のわからない高速道路の、その
高架下で私は、意外な近さの噴水を見ている。幾何学的な、暗がりにある装置
と、周りにならぶオブジェの群。水の湧きあがりに息をのむ私は、都市の片隅
のこの空き地から、どうしてか動くことが出来ない。

幼いとき、私は黒点で、長じてからは日時計になった。等間隔にある木製のベ
ンチの、そのひとつに位置どった私は、意味もない頭上の交通と、ビル風の衰
弱とを交互に比べながら、飛沫の揚力と、光りの切断面について考えを巡らせ
ている。

貴方は誰なのか 貴方では
無い
とされる私は
知っている他人であるのか
それとも 奪われた
あまたの夢の痕跡なのか

都市の地図を手もとに拡げると、色のパターンに眩暈がする。覚えのない地名
が散在し、それらをひとつずつ結び付けていく私は、ひとの生きざまと対立に
ついて、ときに言葉を失くすらしい。

彼方では重機がこだまし、日に晒された街路の、午後二時の喧騒の何処かには、
面白くもない誕生とかげがある。くり返されるなぞ掛けの営為。私はしだいに
下降する反射板よろしく、ひくく騒ぎだす微生物や、塞ぎこんだ原始の昆虫の、
呼びあう声の静まりを聞きとる。乱雑に置き捨てられた引き出しの玩具と、入
れ子構造のじかんの内奥に、火竜のえら骨が隠されている。

噴水
その輝きを
いうことが出来るか その怖れのような 
石の眠りに触れたことがあったか
貴方は
大規模に肩をふるわせ
ひきしまった青空のただ中で
ちっぽけな水の器官が 果てから
中央へ
そらから
波紋の底へと わたされている

翼竜が、奇怪な焔を吹きだす前に、コンクリートの地面でじたばたする。傷だ
らけの爪が滑り、宙をさ迷う仕草。それから、漏れかけた焔を一旦、吸いもど
し、沈黙のあとで激しくぶちまける。高速道路の至るところでは、自動車がエ
ンストしている。うき雲が流れ、繭から、大きな火の手があがる。

何時か見た、たしかな慄き。私と、高架とを繋ぐいっぽんの紐が、生きざまの
狂おしい地図の折り目で、午後四時を等しく暗示する。水の気配がした。意外
な勢いで羽虫たちが飛び立ち、石のくずれる匂いがする。

貴方に触れてみる 貴方に
かかわりの無い
発生と 熱
磨かれたのど笛は
動けない私をとうめいにしていく
貴方は誰なのか 私は
不吉な 破線であるのか
らせんの文字が見えづらく上昇し
墜落する
公園跡地を


公園

  西人



風がびゅうびゅうつよい日に、少しだけあなたを思ってさみしい気持ちになりました。
手はたえず唇に触れる髪をはらっては、ゆくあてもなく
 ひら、ひら 舞います/むこうのあれ。
時計台が六時を告げると決まって、子供達は母親に連れられて帰ってゆくのです。
そして、あの子供達は星を見たことがないのでしょう。
どうしようもない気持ちは常に頭を旋回していましたが、気付かないふりをすることに慣れてしまっていた私は、仕方なくため息を飲み込んだのです。
風はいずれ止むでしょう。しゃがみこんで爪先をそろえる、バランス/てのひらは舞ったまま。
肌に感じる冷たさは気温のせいばかりではないのかもしれません。
喉が乾いてコクンと唾を飲み込んだとき、白鳥の鳴き声がして、私はなぜだか、今日は星が流れる気がしました。
かわいた匂いはやけに優しくて
 ゆぅら、ゆら あなたのところに行きたい/星が流れた先の風もこうして冷たいのなら。

アン・バランスが幸せだったなんて。


      小さい頃からずっと、星は風に流されているのだとばかり思っていて/  違うと教えてもらったのも、もう随分前のこと。

ブランコが、揺れます。
あのときもブランコはひとりで揺れて
 ギイ、ギイ
 と鳴いていました。
ゆくあてのあった手のひらは
 ひら、ひら
 舞うこともなく、
 とろり、とろり
 眠たくなるような温もりの中にあったのです。

 コクン、唾を飲み込むと感じる喉の痛み/私にごまかされた感情は、びりびりと爪先に集まってゆきます。

白鳥の鳴く声はゆくあてのない夜にいつまでも響いています。

願いなんて叶わなくていいから、と
それでも願ったこと/星が流れたのかは知りません。

足そのものが痺れになった頃、歩き出してみようと思うのです。
転んでも、歩いてみようと思うのです。


週末はやりきれなくて

  くま

 
(1)
油っこい金曜日の夜を
一気に流し込む
それは版画の中の雨で
強く強くまっすぐに
地面に打ちつける
定規の雨
ロシアの彼女がその線に
そっと触れれば
打ち解けた彫刻刀は
優しくわたしを削っていく
そうして美しい胃の形へ
気持ちは収まっていくのだった

(2)
欠点だらけの砂糖を
あまりに作りすぎてしまったから
金曜日、珈琲の川に流しに行ったよ
本当はひとつぶひとつぶに
細かく長い名前が付いていたんだけれど
もう昔のことすぎちゃって
覚えていないの
そう言ったら
ロシアの彼女は
じゃあ珈琲を飲むときに
またそれは思い出せるのね
と、小さく笑うのだった

(3)
安いパンプスで
駅の階段を毎日歩くから
いつしか金曜日には
ヒールの高さがだいぶすり減っていた
すべりやすくなっていた心と
ひっきりなしにやってくる雨が
わたしをトイレへと駆り立てた
白い泡がぶくぶくと浮かんだから
少しは糖分を吐き出せたみたい
良かった
また過ちを犯すところでした

(4)
三匹のらくだは北へ向かっていた
確実に迫り来る金曜日から
逃れるために
しかし時々聴こえる
油っこいボンゴレの話し声が
彼らの瞳を悲しくさせた
その手に持っているアルバムの名前は
シュガーフィルムズ
雨の日の思い出ばかりを集めた
輝いたはずの日々
いつしからくだは一匹一匹と消え
街の明かりへと姿を変えた
土曜日まであと2時間
というところまで来ていた

(5)
わたしは珈琲が飲めない
だから過去のことは
思い出せなくて済んだ
何度金曜日が訪れても
今日のことは忘れてしまえるのだろう
らくだに乗っていた記憶も
駅の掃除係に砂ごと払われてしまった
かばんの中を見てみれば
喫茶店でもらった砂糖だけ
砂の代わりにと
店主が気遣いで入れてくれたものだった
アルバムには
母国に帰ったはずの彼女
きっとカメラは壊れている
本当のことなど
何一つ写ってはいなかったから


ナタリー

  田崎


二度めの呼吸はいつも。繋がれたくさりをい
じわるく撫でて、繊維しつが秋になって。零
度の窓がはためいて、波紋は青い水空の臓物
になっていく。ナタリー。を紙に書いて、お
おごえでこごえで、呼ぶ。海が彼女を忘れる
のは早い。くるってしまわないのは、わたし
たち、こ供だからですこどものわたしたち、
演そうする。

暗くくらく
少年も
(わたしも)少年も/
      /十二分に厚ぎをして
       乱立をちいさくながめている
       ひとたちに混じって
       顔をかくしてきみは
       罅われをかぞえて
      /失くされ
ボールを青い林になげると/
なかから誰か
かえしてくれた

ナタリー、そうやって、青い壁が空ではがれ
ていくでしょうしらないうちにしずかにゆら
れて、きづいたら逃げられているわたしたち。
そうそこに、リンパ腺があって、チョコレー
トいろにみえるのは、人こうの遷移点だ。わ
たしも一緒くたになってゆれているから。け
しきがとけている。わたしも一緒にゆれてい
るから、

しろい貯水池の
ものかげに
裂れない窓がある/
      /そして上映はおわる
       人々が引き揚げていくなかで
       空気をかむように口を開閉し
       さむさを思い出してきた
       君は
      /立ち上りいくけむりをみる
隙まから/
みずが滲み出してくる
ふれるたび何も欠けて

ナタリー。笑わないで。いくつもの遷移体が
あそんでいる空で、からだの震えがふえてき
ます。花も偶にはおいしい、ぼくも彼もわた
しも、つめたい水が沁みてきてる。夜空なん
かじゃないここで、ひとびとのさざめきが聴
こえますかれらは、初めからここに居ない。
わたしたちはせいいっぱいこどもになり、わ
たしたちの演奏に、耳をかたむけます。


少年

  田崎

傾けられた夏に
泣いた少年も遠い林、
たくさんの雀はきえ、
陽炎はひっそり凪いで、
十三ヶ月の
生長の後、
高柳は
空にとけ
飛ばない羽根を漉して、
早生の少年は
風に肩鳴らされるまま
投げる眼差しを
いつもの遠景の
一際高い樹にくゆらせる
なぜでもない。
林は啼き何も知らず
ただ朽ちた樹の、
褥を荒々しく均し、
細かく刻んだ音を
(無人の宅地に撒いていて)
、木、よ
、林は
、どこですか
少年きえて、
林充ちる、
年を重ねる証に
灰を落とす
少年、
君は
林の外で、
林の中心で、
一際
高い樹に見下ろされて
幾つまで
過ごしたのでしたか
少年
いつもなつです
遠い林は啼き
とおいあなたの
足跡を
腐します


解体

  やぶさか

 手首から/せりだす骨に
 ふれる/針先の危うさのうえ――天秤は/天体をめぐる/
 ぜんまいのように/きりきりと
 自転している

 鼓膜にあいた/ちいさな穴から
 茎をのばす/花をたどれば
 ふじ棚は――香りだかく/光る/ねずみの四肢をつなぎ
 わたしは/沈黙の更紗は
 
 ひとえに/
 たそがれた命の/あまさの/苦しみの/くだる/曲線をなぞる

   それがわたしの駆けていく音だと
   無言のうちに/鳥は/影は

 指さきの/神々しさに/おびえる/
 こぼれそうなわたしに
 まぶたは
 まだ。おろされない

文学極道

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