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作品 - 20070106_191_1741p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


サイレント・ブルー

  みつとみ

自分すら他人に思える夜。わたしは無精ひげに、アクセサリーの水晶をつける。本を拾い読みし、起き上がりベッドにすわる。マリン・ブルーの表紙に手を置く。こめかみが痛い。胸に水晶の玉がゆれてあたる。外を走るバイクの音。遠くから救急車のサイレンがし、近くの駐車場から話し声がする。

眼鏡を床から拾い上げ、暗い階段を降りていく。狭い廊下をふらつきながら、浴室の戸を開ける。服を脱ぎ捨て、近くの、ラジカセで、FMをかけると、女性DJの、声が聞こえる。明かりが点滅している。カセットテープで、波の音を聞く。浴室に入り、アクセサリーをつけたまま、浴槽に、身を沈めていると、窓の外で、雨の音がしはじめる。眼鏡をはずし、棚に置く。頭の後ろ、港と海の写真が、正面の鏡に映る。

水をすくう手で、顔を覆う。鼻の両脇から、あごへと、指がなぞる。口内炎が傷む。閉じた目を開けると、明かりが切れ、窓の街灯の、青い光に、水面がゆらめいている。体についた、古い小さな傷を上からなぞる。左の手の平の、奥にあるほくろのような、鉛筆をさされた痕。右手首、化膿して盛り上がった痕。左足かかと近くの、肉のえぐれた痕。左腹部の大きな茶色のあざ。ひたいの疱瘡のくぼみ。二の腕の、赤く長い傷は、まだ痛む。手に、緑の長い髪がからまる。

胸にさげた、丸い水晶を指でさぐる。水からとりだし、斜めからさしこむ、夜の光にあてる。金の鎖と、鋭い爪につかまれた球体。

テープが途中でとまり、雨音だけがする。アクセサリーを沈め、浴槽に頭をあずける。正面にある、小さな鏡に映る、前髪のたれた顔は、ぼやけて見えない。水面に目を落とす、と、ゆらぐ湯が、体に手をまわす。濡れた髪がまつげにかかり、水滴が目に流れ込む。左の唇を吸い込む。内側でふくらみ、盛り上がっている。眉をひそめ、ふるわす。

膝を曲げたまま、壁に体を倒し、閉じた目に、静かな、青が、わたしを眠りにさそい、水晶を、唇におしつける。むせび、体をゆすり、水が波うつ。

入浴剤の青が、ゆれる、銀色の浴槽。子どものように身をちぢめ、暗い上を見る。見えない空、夜の海で眠ろうとしている。わたしを支え、静かに手をとって、沖に運んでくれる。曲げた四肢を伸ばし、届かない足の先に、海流がある。つかまれた手は伸びきり、ひきずられていく。風が星のありかを教え、斜めの空にまばたく。潮から、はねる水が、口に入り、口内炎にしみる。乏しい視力に、ゆく先は知れない。腰のくびれに、だれかの手がまわる。わたしを支えるだれかを、認められない。首をねじまげると、風が水滴とともに、目に入る。つむる。風の音がする。波がわたしの首筋をうつ。見えない手が、左の足首をつかむ。肉のえぐれた痕に爪がかかる。わたしの髪は海面の下で舞う。気泡が包む。暗い空が、一転する。下半身にうろこがあたる。青白い肌の女が、わたしをすくめる。彼女の筋肉が陰影をもつ。

太陽が海面の上で、光をはなっている。海中から見上げる空は、静かな青。いく筋もの光がわたしをつかもうとする。女の腕の中、乳房に頭をあずけ、浴室に置き忘れた眼鏡を気にしながら、わたしは子どものように、身をまかす。彼女のひれがわたしの足にあたり、彼女の緑の、長い髪が、わたしの首筋にからまる。海の底、女に抱かれた、はだかのわたしに、魚が、群がる、静かな青。女は、わたしの二の腕に唇をあて、舌をはわせ、歯をたてる。のぞきこむ彼女の目から、わたしは視線をそらす。

ふいに、車の音がする。母が庭先に車を駐車しようとしている。近視の目を開けると、窓から風が吹いている。わたしがよりかかっていた銀の浴槽から、頭を起こす。そのまま、長い吐息を水面につく。後ろの海の写真で、水がはね、鏡にオビレが映り、消える。わたしの、ぼやけた視界に、海がゆらめく。

わたし、しかいない浴室で、折った膝を抱える、アクセサリーの球面。

文学極道

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