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作品 - 20061030_326_1637p

  • [優]   - コントラ  (2006-10)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  コントラ


ずっと考えていた。森のなかの涼しい空気が充填されている砂地で、地表に消失した分岐点の意味や、アンビエント音楽のリズムのなかに浮かぶオレンジ色の矢印と、それによって暗示されるもの。あるいは、緑の地平線に埋められた歴史の余剰と、褐色の土地を踏み分け播種して来た、やわらかな足音で歩く人々のこと。僕は、新幹線のガードが横切る高いフェンスに囲まれたグラウンドで、鉛色の空をずっと見上げていた。風景はどこか陰影がなくて、ビニールプリントのようなつややかな光沢を帯びていた。冬の日の夕暮れ、電灯がとぎれた商店街の暗い路地で、白くフラッシュする自動車のヘッドライトに、僕はいつも手をかざしていた。

考えていたのは、社会主義時代の崩れたビル街を見下ろす海岸通りで、乗合バスを待つあの娘のことというよりは、あのとき、灰色の、暗くしずんだトタン屋根の家屋がつづく商店街を歩いていた僕の、目のなかに映っていたもの。あるいは、砂地の円環に記された矢印が指さす、風が吹いてくる先にあるイメージ。たとえば、遠い初夏の午後、散水車が通った道の、濡れたコンクリートに、道路標識の菱形や楕円がにじんでいた風景。長いあいだ、その湾曲するフォルムが何を意味するのか、僕はわからなかった。僕の手の中に残る、いくつもの思い出せないもの。

そういえば僕は黒い山影の記号がいつも眼前にせまる郊外の片隅で、白いペンキで塗られたアパートに住んでいたことがあった。そのころ、いくつもの小さな紙焼きのカラー写真が、僕の部屋に郵送され、フロアに散らばっていた。でもそれらのイメージが語るものについて、僕は何一つ思い当たらなかった。思い出せなかったもの。たとえば、ゆるやかな海流にいだかれた小さな島のサトウキビ畑の、きれいに区画されたパターン。あるいは、首都の海岸通りで、僕の手をギュッと握った、あの娘のひんやりとした肌のこと。すべては砂地に投影された円環のなかで、神話的な象徴形式に書きかえられていた。

何年か過ぎたあと、円環はアンビエント音楽のCDジャケットの上で、静かな光を放ち、僕は深夜のガード下を歩きながら、ヘッドフォンを耳にあてていた。僕の存在を肯定するすべての神話論理が、どのように日々に「無題」を記しつづけ、それらはいつ地表に書きこまれるのか。白黒とカラーの紙焼き写真がいま、僕の手のなかにある。ひとつは、つややかに光る学校の廊下で、小さな男の子がカメラのフラッシュにおびえて手をかざしているイメージ。もうひとつは、早朝の海岸通りで、満員の乗合バスの手すりにつかまるあの娘が、生暖かい風に白いシャツをはためかせながら、目線の先にブラウズする青い海。

オレンジ色の矢印は、光ることをやめない。いくつもの枝分かれする消失した河川のルートが、褐色の大地に書きこまれている、そのことの意味が明らかになるまで。僕はすべての大量輸送システムから切り離さた森のなかで、涼しい空気が充填された木々のあいだで、褐色の土壌に含まれた水分に、深く浸透していたい。この土地に初めてやってきた人々の足音を聞くまで、僕は。砂地に記された矢印の上にたつ。

文学極道

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