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作品 - 20050720_949_340p

  • [佳]  西へ - 軽谷佑子  (2005-07)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


西へ

  軽谷佑子

今年は三人も男性が入ったんですよ、といったら
横河先生はへえ、とうなづいたあと
じゃあ、数少ない精子を今年は確保できたってことだ、
と言った、
わたしの専攻はいつも女性が多くて、一人二人の男性がいつも
閉じこもったり引きこもったりしてそれが専攻全体の慢性的な悩みであったから
三人も入ったらそれも解消されるだろうし上の男性にも嬉しいことかもしれない、と
思ってよかったなあ、って口にしたのに
横河先生は、
だってそういうことでしょう、と
英文の本をながめながら言って、
この先生はなんでそんなふうに言うんだろう、と英国趣味な研究室の、
アンティークな椅子に腰かけベルガモットのキャンディーを口に含んでいる、
正直言ってこのにおいはそんなにとくいではない、
研究室の中のたくさんの本の一ページ一ページにまで染み込んでいる気がする、
共犯者になりつつあるわたし、は
早くチャイムが鳴らないかな、と耳をすまして、

西野先生はお気に入りのキーボードのまえでジャズの楽譜にとめたクリップの位置を気にしている。
校庭では今体育の授業中だけれども、わたしがここにいることになにもいけんはない、
と笑顔で言う。
福正宗はおいしいけれどもやっぱり立山だと思う、
竹葉もおいしいと言われるけれどいまいちだ、
だらだらと会話は続く、
朝六時に起きて七時には県境をこえている、
まったく分刻みのスケジュールを六年間こなしたんだ
あっという間だった、それでも今は怠惰だ。
今日はウエストまで行かなくちゃならない僕はいつ故郷に帰れるんだろう、
わたしはいつ帰れるんだろう、
去年も今年もシロツメクサの季節に家に帰ることはできなかった、
野原一面にびっしりと咲いたシロツメクサの茎の長いのを選んでつんで、
花輪をつくるのがいっとう好きだったんだけれど、
この辺のシロツメクサはちいさい、
夜の仕事をするようになってから人間関係が希薄になっていく気がしてしかたがない、
けれども実際はそんなことはないんだ。
わかっているけれども拭いされない、

アフターを付き合った
ヘンリーさんは孤独になるのがとてもじょうずで、
きっともてるんだろうと目のすわった横顔を見て思う、
わたしは腕なんか組みなれてないからどうしてもひきずられているようにしか見えないんだろうけど
かれにとってはそんなことはどうでもいいらしい、
かれがとくいなのはブルースハープだ、
いつも茶色の小さなかばんの中にボーイという名のケースをしのばせている、
黒服ばかりカウンターに五人のバーに行ってビールを飲んで六千円払ってエレベーターに乗るんだ、
送りに出たマスターにそのネクタイはヘルメスかと聞いてヴェルサーチですとなおされている、
ヴェルサーチですとダブルのボタンのなかから取り出してロゴマークを見せている、
黒服のマスターはとても自慢げだ、
わたしは飲み残したかれのグラスがかわいそうだと思う、
これからどこに行くのかなんてぜんぜんわからない、
それでもついていくんだそれはしかたがない、そうだ
エレベーターはベータと略すのが正式だと教えてくれた、
アルファはどこだろう、と一人だけで。

文学極道

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